2008年11月 5日 (水)

芭蕉で遊ぼう 2

11月5日(水)

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  名月や池をめぐりて夜もすがら

俳人たるもの、名月の夜には池のまわりを、夜もすがら逍遙するようでなくてはいけません。夜もすがら池のまわりを逍遙すれば、次の日は、当然眠くなるでしょう。

  名月の次の日昼寝の芭蕉かな  ぼんくらカエル

  夏草やつわものどもが夢のあと

  夏草やつわものどもが今もなお  ぼんくらカエル

これはまた、笑えないパロディーになってしまいました。ベトナムの反戦デモの時だったか、

   人間が戦争をやめないなら

   戦争が人間を終わらせる

という意味のプラカードがあった。この先人類を滅ぼすかも知れないものに、核兵器と環境破壊があります。力で、人を、他国を、他民族を、押さえつけようとする人や国は、なぜか環境破壊には無関心なような気がします。

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  閑かさや岩にしみいる蝉の声

  閑かさや岩にしみいる立ち小便  ぼんくらカエル

失礼いたしました。私は人間が下品なので、想像も下品になります。蝉が鳴く炎天下では、岩も熱く灼けていることでしょう。オシッコなどは、ジュッと音を立てて染み込みそうです。

  さまざまなこと思い出す桜かな

正直なところ、これがなぜ名句なのか分かりません。たとえば、

  さまざまなこと思い出す除夜の鐘

  さまざまなこと思い出す卒業式

  さまざまなことも出す天の川

というような句はどうでしょうか。「さまざまなこと思い出す」などと書いてしまったら、何をつけたってつまらないと思う。きっと、芭蕉が作ったから名句なのだ、というのが、私の感想。

それはさておき、桜を見て、さまざまなことを思い出す。きっと、思い出せないこともあるでしょう。思い出せないことが多くなれば、それは惚けの始まり。私も、思い出せないことは多いなあ。

ぼけは、まだらに始まる。

  まだら惚け始まっている桜かな  ぼんくらカエル

 

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芭蕉で遊ぼう 1

11月5日(水)

過去のブログで、芭蕉パロディーをいくつか、ときどき載せいたのですが、それらを削除し、あらためて、まとめてみました。

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芭蕉といえば、Tati0010

古池や蛙飛び込む水の音  仙厓

ですよね。福岡に仙厓というお坊さんがいて、芭蕉の古池の句からいくつかの句を作って、最後に

   古池や芭蕉飛び込む水の音

というのを作ったそうです。そして芭蕉らしき人物が水に飛び込んでいる絵を描き、絵の中の蛙が短冊に句を書いているのだそうです。

それで私も、上のような絵を描いてみました。そして、芭蕉パロディーを書いてみたくなったのです。

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  枯れ枝に烏とまりたるや秋の暮

俳人は、わび、さびの世界に生きなくてはなりません。枯れ枝にとまる烏は、芭蕉自身かも知れないのです。

  枯れ枝に芭蕉しがみつく秋の暮  ぼんくらカエル

  この道や行く人なしに秋の暮

行く人のない道。でも来る人はいるかも知れません。(こういうのを屁理屈というのです)。誰が来るのでしょうか。きっと芭蕉でしょう。芭蕉ばかりがぞろぞろと・・・。

  来る人はみんな芭蕉や秋の暮  ぼんくらカエル

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2006年8月13日 (日)

この道や

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    この道や行く人なしに秋の暮  芭蕉

 行く人がない道。でも、来る人がないとは言っていない。こんな言いがかりは屁理屈です。その屁理屈を押し通せば、来る人は芭蕉に違いない。芭蕉ばかりがぞろぞろと・・・

   来る人はみんな芭蕉や秋の暮   ぼんくらカエル

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2006年8月 8日 (火)

名月や

1_1   名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉

 俳人は風流を愛さなければなりません。中秋の名月には、池のまわりを夜もすがらそぞろ歩くようでなければなりません。夜もすがら池のまわりを逍遙すれば、つぎの日、眠くなるのは当然です。そこで

  名月の次の日昼寝の芭蕉かな  ぼんくらカエル

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