2009年12月16日 (水)

怪異を語れば怪異が至る

12月16日(水)

御伽婢子・156 最終回

怪異を語れば怪異が至る

昔から怪しい話し、恐ろしい話しを100話すれば、怪しいこと、恐ろしいことがおこると言われている。

100物語をするには、方式がある。月の暗い夜、行灯に100筋の灯を点し、その行灯には青い紙を張るのである。ひとつの話しが終わるごとに、灯をひとつずつ消していく。そうすると終わりごろには座は暗くなり、青い紙に怪しい影が映り、不気味な気配が漂ってくる。

下京辺りの人が5人集まり、方式の乗っ取って、100物語をした。それぞれが着ているものも、青い小袖であった。

話が進んで、6.70話におよぶころは、春なのに、風が激しくなり、雪さえ降ってきた。その頃の気候にはない寒さで、髪の付け根に沁みるようにぞくぞくとしてきた。

窓の外にちらちらと光がさし、幾千万の蛍が飛ぶようで、それがついに、部屋の中に入ってきた。丸く集まって、人間の身長ほどの直径の鏡のようになり、毬のようになる。あるいは砕け散って今度は白い塊になり、天井に張り付き、畳の上にどさりと落ち、雷のような音がして、それは消えた。

5人は5人とも気絶してしまった。家の者に助けおこされてどうと言うこともなかったが、100物語のせいである。

諺に言う。日中に人の悪口を言うなかれ。言えば害が自分に及ぶ。夜中に鬼を語ることなかれ。語れば必ず怪異に至る、と。

したがって、この物語も100話に満たずして、ここに筆を留める。

                     完

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2009年12月15日 (火)

馬が人間の言葉を話す

12月15日(火)

御伽婢子・155

馬が人間の言葉を話す

延徳元年(1489)3月、公方足利義輝は佐々木判官高頼を攻めようとして、軍を率いて近江に陣を敷いた。しかし病気になり、26日に崩じた。

その前夜、広い厩に繋がれた馬のうち、芦毛の馬が、まるで人間のようにものを言った。

「もう駄目だろう」

たてがみの黒い馬が答えた。

「悲しいことだ」

厩の前には中間、小者など多くの人がいて、みんな馬野はなすのを聞いた。みんな、驚き怪しんだけれど、つぎの日、将軍義輝公は崩じた。

まことに不思議なことである。

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2009年12月11日 (金)

鬼にたぶらかされる・2

12月11日(金)

御伽婢子・154

鬼にたぶらかされる・2

前回のあらすじ 小石伊兵衛は河内の国片岡の城に籠もっていたが、負け戦になりそうなので、城を抜け出し、臨月の妻を連れて逃げた。大和の国に入る峠で休んでいると、妻が使っていた女が後を追いかけてくる。妻は産気づき、女はかいがいしく働いて妻は無事出産した。山の中で夫婦はまどろむ。

女房が目を覚ますと、女は懐に抱いた赤ん坊の頭を、舌を出して舐めている。不審に思って見つめると、女の口は耳まで裂け、赤ん坊の頭に食いついた。妻は驚いて、そっと夫を揺り起こした。

目を覚ました伊兵衛はこのありさまを見て、そっと刀を抜き、女に斬りつけた。女は毬のように弾み、木に飛び上がったかと思えば地上におり、又梢に飛び上がり、姿形も鬼になり、赤子を食い続ける。やがて20㍍くらい離れた岩の上に立ち、赤子を食い尽くした。伊兵衛は猛り狂って斬りかかるけれども、夢のごとく、影のごとく、ふわりふわりと飛び回り、刀にかすりもしない。やがて、蝶かトンボのようにどこかへ行ってしまった。

肩を落としてもとの木の辺りに来てみたら、妻もいなくなっている。呼んでみても返事がない。伊兵衛は山の中をあちこち探し回った。明け方になって、奥の岩の上に置かれた妻の頭を見つけた。鬼の仕業である。涙と共に妻の頭をその土に埋め、とぼとぼと大和をめざして歩いた。

伊兵衛は世の無常を思い、高野山の麓、新別所と言うところに籠もって修行をした。その後のことは誰も知らない。

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2009年12月10日 (木)

鬼にたぶらかされる・1

12月10日(木)

御伽婢子・153

鬼にたぶらかされる・1

摂津の国(一部大阪、一部兵庫)の兵、小石伊兵衛は河内の国片岡の城に籠もった。しかし大将の松永は悪行を重ねるし、寄せ手は大軍で意気が上がっている。とても勝ち目はない、逃げるにしかずと思って、夜陰に乗じた城を抜け出した。

兼ねて打ち合わせた通り、弓削と言うところに隠れていた妻と落あい、夫婦で逃げた。妻は身重である。それも臨月だ。大和をめざして逃げたけれども、妻の足は重く、峠にかかったころには、疲れがひどかった。そこで妻を休ませることにしたが、もし兵士達に見つかっては拙いので、道から0メートルばかり、藪の中に入った。

暫くすると、泣きながら峠を登ってくる女がいる。その泣き声をよく聞くと、どうやら妻が使っていた女である。逃げる身であるから、あえて連れてこなかったのだ。それをわざわざ追いかけてくる、そのこころざしが可愛くて、伊兵衛は声をかけた。

女は喜び、恨み言を言った。

「なんで連れて行ってくれないのです。私は何処までも一緒にいたいと思っているのに」

女の心が嬉しく、これからは3人で逃げることにした。そこで休んでいるうちに、妻は急に産気づいた。夫の伊兵衛は何をしてよいか分からず、ただおろおろするばかり。女はかいがいしく働き、無事に妻の出産をすませた。

この女が来なければ、どうしてよいか分からなかった。よくぞ跡を追ってきてくれた。夫婦共に女に感謝した。夜が明けたら山の中の家を探し、頼み込んで、養生させてもらおう、と赤ん坊を抱きながら、3人で話しあった。

女が赤ん坊を抱き、女房は木の幹に体をもたれさせてまどろんだ。伊兵衛も眠った。

                      続く

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2009年12月 9日 (水)

シラミの瘤

12月9日(水)

御伽婢子・152

シラミの瘤

日向の国の商人、背中に掌くらいの熱を持つ部分が出来、まるで燃えるようになった。20日くらい経ったら、熱はなくなったが、今度は痒くてしょうがない。そのうち腫れ上がり、盆を伏せたような状態になった。痛くはないのだが、痒くて痒くてたまらない。おかげで食事も進まず、骨と皮ばかりになってしまった。

財力にまかせてあちこちの医者に診せ、飲み薬だ軟膏だといろいろ試したが、少しも効き目がない。

その頃南蛮の商船で来たチャクテルスという名医がいると聞いたので、つてを求めて診てもらったところ、虱瘤(シツリュウ)といって、皮と肉の間に虱が湧く病気だそうだ。

普通の虱は皮の上に湧いて、1晩のうちに3升も5升も出てくることがある。シラミは衣類に満ち満ちて人肉を食らい、血を吸う。痒くてしょうがないけれども、他人にはうつらない。この病気は医者ならば誰でも治せる。虱瘤は知る人がいない。とチャクテルスが言う。

チャクテルスは患部に薬を塗った。そして言った。

「今晩きっと、シラミが這い出します」

その夜、瘤の天辺が破れて、シラミが次々と這い出してきた。その量はおよそ1斗ばかりである。みな足があった、ゴマくらいの大きさ、色は赤い。

商人は体が軽くなり、食も進んだ。シラミの出た後に、穴がひとつ残って、ときどきそこからシラミが這い出してくる。

チャクテルスは樹齢100年の唐木を焼いて龍の飲む水で練った薬でなければその後を直せないという。少し持っているので1匙上げましょうと言うことで、その薬を塗ったところ、17日ばかりして、傷の跡もすっかり治った。

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2009年12月 8日 (火)

隋転力量・2

12月8日(火)

おとぎぼうこ・151

隋転力量・2

前回のあらすじ 隋転という修行僧は学問はあまりないが、力が強かった。信州で山賊に襲われたとき、逃げ疲れて松の木に座った。山賊が追いつくと、有り金は上げるから命だけは助けて、といい、松の木に座らせた。山賊が松の木に座ると、隋転は立ち上がった。すると松の木は跳ね上がり、山賊ははじき飛ばされて谷底に落ちた。隋転は松の木をねじ曲げて座っていたのである。

越前の朝倉家の家来に摩伽羅十郎右衛門という者がいて、北国一の力持ちだと評判であった。隋転は力比べを申し込んだ。

隋転は縁の上に立ち、摩伽羅は敷居の際に立った。そして隋転の手を握り力任せに引っ張ったが、隋転はびくともしない。隋転は縁の板を踏み抜き、、摩伽羅は敷居を真ん中から折った。人々は肝をつぶし、両方とも対等の力だと言った。

あるとき、隋転は問答の場に出たが、1門も答えられずに負けた。隋転は赤面し、大いに恥じた。

その日托鉢をして歩いたが、誰も食を与える者がない。まことに味気なく、出家として恥をかくよりは、還俗する方が良いと思い、鉢を割り、袈裟を捨てて、摩伽羅の家来になった。しかし最後は、姉川の合戦で討ち死にをした。

隋転は還俗の罪は深いことを知っていたので、還俗したとは言っても、毎日念仏は怠らなかった。そのためか、最期の時には、口から白い雲のごときものを吐き、西を指して飛んでいった。西方浄土に行ったのであろう。

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2009年12月 7日 (月)

隋転力量

12月7日(月)

御伽婢子・150

隋転力量・1

隋転(ズイテン)は房州の人である。幼くして出家し、のち武蔵の国小石川の伝通院で仏法を学んだ。

貧しくて朝夕の食事にも事欠くくらいだったので、山梨、長野、栃木、群馬の辺りを乞食して歩いた。そのため学問の方は進まなかったが、大変な力持ちである。一緒に学ぶものの間で、彼にかなうものはいなかった。そのため修行僧たちは、彼に明上座というあだ名を付けた。

中国の神秀禅師に従う者に、明上座という大力の法師がいた。禅宗6祖の1人恵能大師が旅行したとき、明上座が譲り受けた袈裟を持っていった。明上座は追いかけていき、袈裟を取り返そうとすると、恵能大師はその袈裟を石の上に無造作においた。明上座が取ろうとしたが、なんとも重くて、持ち上げることが出来ない。

「その袈裟は、力では上がらない。明上座よ、袈裟を着る者の本来の目的を考えなさい」

恵能大師に諭されて、明上座は翻然と悟るところがあった。

さてわれらが明上座の場合、力ばかり強くて、学問はまるで駄目だったので、仲間が馬鹿にして付けたあだ名である。

隋転(明上座)が信州の山中を通ったとき、山賊にであった。隋転は、ひとまずは逃げた。足にまかせて逃げたけれども疲れてしまって、近くにあった松の木を引き倒して、その上に腰をかけた。追いついた山賊に、隋転が言う。

「逃げようとしたけれども、息が切れて逃げ切れません。もう諦めました。有り金は全部差し上げますから、命だけは助けて下さい。とにかく、ここに座って下さい」

山賊はそれならばと隋転が座っている松に腰をかけた。すると隋転が立ち上がり、無理に曲げられていた松の木は跳ね上がった。山賊ははじかれて谷底に落ち、死んでしまった。

隋転はこのような力持ちである。

              続く

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2009年12月 6日 (日)

結核の家系を救う・2

12月6日(日)

御伽婢子・149

結核の家系を救う・2

前回のあらすじ 中山中将通親朝臣の娘が尼になったが、結核で死んだ。看病した妹にも結核が移り、痩せ衰えた。家族は養生や薬では治らぬと悟り、牛頭天王に祈願して治そうとした。病人は夢の中で、明日来る僧に治してもらえと告げられる。

次の朝、50歳くらいの出家が中山殿の門をくぐり、托鉢に来た。家の者はその僧を請じ入れ、病人の見た夢を話し、病気を治して欲しいと頼む。

「私はただ戒律を守って、托鉢修行している者に過ぎません。我が身を清く保つだけで、不浄な者に近づくようなことは出来ません」

「そうおっしゃらずに、お願いいたします。僧侶は大慈悲心で人を助け、我が身を忘れて他人のために尽くすのを本分としていると聞きます。一人の命を救うことで、まわりの者は喜びます。まして夢のお告げがあったので、こうしてお願いしているのです」

「そこまで言われては断り切れません。それでは、白絹1反をください。それで病を払いましょう」

中山家では白絹1反をその僧に差し上げた。僧は、それを受け取って帰った。

その夜、病気の姫君は夢を見た。仏像が門から入ってきて、12人の神様がそれに従っている。そしてひとつのお札で、12人の神々が、代わる代わる娘の体を撫でる。頭から足の先まで撫でまわした。すると体から白い糸筋のようなものが出て、天を指して昇っていった。

姫君が夢から覚めると、なんとなく心地よくて、気分が爽やかになり、食も進んだ。

つぎの日、昨日の僧が来て、絹に何事か書いた物を与え、跡をも見ずに消えてしまった。なんだろうと思って封を開き、中を見ると、薬師尊像の絵を墨で描いていた。

その絵を姫君の枕元に掛けて、朝夕香を焚き、礼拝して敬っていたら、病は程なく癒えた。

この僧のことは誰も知る人がなかった。多分、牛頭天王だったのだろう。仏の力の不思議を信ずることは、虚しいことではない。

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2009年12月 5日 (土)

結核の家系を救う・1

12月5日(土)

御伽婢子・148

結核の家系を救う・1

宝徳年中(1449-52)のことだっただろうか、中山中将親通朝臣の娘が尼になって西山に住んでいた。しかし結核にかかってしまった。咳をし、たんが出て、熱も上がり汗が出て、日に日に衰えた。

結核の病は、腹の中に虫があって起こる。その形は決まっていない。鍼、灸、薬などは効かない。この病にかかれば10人中9人は死ぬ。これを伝尸虫(デンシチュウ)と名付ける。

一人がこの病気にかかると、兄弟、親族にうつって、一族を滅ぼしてしまう。3人くらいにうつれば、その虫は、手足や鼻が備わってくる。そして、立って歩くようになる。その形は、人、あるいは鬼に似ているという。

さて、くだんの尼君、病が重くなり、妹が看病に行った。すると尼君の体から、白い、蠅のようなものが飛び出して、妹の袖の中に、白い筋をひきながら入った。妹は慌てて立ち上がり、ふり払ったが、虫は出てこない。

尼君はその夕方に亡くなる。妹はその日から気分がすぐれなくなり、家虫の者は、尼君の病がうつった、と嘆き悲しんだ。

その後いろいろと養生をしたけれども効き目がなく、薬ではどうにもならないと悟るしかなかった。

そこで、神仏に頼ることにした。白檀の木で35センチくらいの薬師尊像を造り、祇園の牛頭天王に祈願した。すると、ある日の夕方、病人がまどろんでいると、見慣れぬ人が来て言う。

「明日、薄墨色の衣に、紅色の袈裟をかけた修行僧が来るので、その僧に頼みなさい」

病人はそこで目が覚めた。

                 続く

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2009年12月 4日 (金)

瘤の中から蛇が出る

12月4日(金)

御伽婢子・147

瘤の中から蛇が出る

河内の国、錦郡の農民の妻の首の辺りに瘤が出来た。はじめは蓮の実くらいだったが、だんだん大きくなり、鶏の卵くらいになった。その後もどんどん育ち、カボチャほどになり、大きな冬瓜ほどになった。重くて立つことも出来ない。どうしても立つときは、その瘤を人に抱えてもらわなくてはならなかった。

不思議に、痛みはなかった。その瘤の中から歌や音楽が聞こえたりして、慰めになることもあった。

その後瘤の外側に、針で突いたような細い穴が無数にあいて、これから雨が降ろうかというときなどは、その穴から細い煙が立ち昇った。

家中の者はみんな怖れて、このまま家に置いていたのでは、どんな災いが起きるか分かったものではない、どこか遠くの山の中にでも捨ててこようなどと話しあった。

妻は泣きながら亭主に訴えた。

「私の病気は誰が見ても気持ちが悪いでしょう。私が山の中に捨てられれば、必ず死ぬでしょう。この瘤を切り開いても多分死ぬでしょう。同じ死ぬのならこの瘤を切り開いて中を見て下さい」

夫はもっともだと思い、新しいカミソリを良く研いで、瘤の上から下へ、縦に割ってみた。しかし血は少しも出ないで、中から飛び出たものがある。60センチくらいの蛇が5匹も出てきた。蛇の色は黒、黄色、白、青などである。みな鱗を立て、光りがある。家の者たちは驚いて、打ち殺そうとしたが、夫が止めた。

その時、庭に穴が出来て、蛇たちはその穴に入って。穴は深くて、底が知れない。

夫は神子を呼んで占ってもらった。神子は梓弓を立てて占ったところ、神がかりになって口走った。

「この女はねたみ深くて、かって雇っていた召使いを夫が寵愛したのを恨み、その首に噛みついたことがある。おはぐろの歯で噛みついたため首に毒が回り、召使いは死んでしまった。その恨みが深くて、今、仇を討っているのだ。たとえ一時助かったとしても、最後には殺して恨みを晴らす」

夫がいう。

「それは昔のこと、心をなだめて下さい。必ず僧侶を呼んで跡を弔いますから」

「その時の恨みは、骨の髄まで達している。しかし跡を弔ってくれるというならば、許しましょう。許すについては条件がある。法華経を書写して回向して下さい。妻の傷には胡桐涙(コトウルイ)という薬を塗りなさい」

といって神子は正気に返った。

いわれた通り法華経を書写して回向をし、妻の首に胡桐涙を塗ったところ、傷は消えた。その後、妻のねたみ心は治まったという。

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