8月2日(日)
山梨県に棒道というものがある。長野県との堺を通っている。
武田家(信玄、晴信)が軍事用に作ったのだと言われている。元は3本あったのだそうだけれども、今は上道1本だけが残されているのだそうだ。
随分昔、この道を通ったことがある。残雪のころだった。水彩画をはじめたとき、その時撮った写真から絵を描いた。
その頃から、絵の腕が少しも進歩していないのは困ったものだ。
私は山に登るのも好きだが、別段高いところに登らなくても、自然の中を歩き回るのが好きだ。棒道を歩いたのは、水彩画の会や山の会に入るよりもずっと前のことだ。
最近、もう1度棒道を歩いてみたいと思うようになった。でも、インターネットで調べてみると、これは意外に大変なんです。最寄りの駅から棒道の起点になる甲斐小泉駅まで、3時間50分もかかるのです。最寄りの駅へ行くまでの時間を考えるならば、片道で4時間を超えるのです。朝早く出て、夜遅く帰るつもりにならなければいけません。
もう一つの問題は費用で、最寄りの駅から片道5300円もかかるんです。それだけの費用があれば、奥日光、戦場河原に行けちゃうんですよね。かかる時間だって、似たようなものです。それに、1万円、2万円かかるところに、そうちょこちょこ行ける身分ではないし・・・。
こんな時、貧乏人は思うような行動が出来ません。でも、ワーキングプアと言われる人達に比べたら、贅沢すぎる悩みです。
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御伽婢子・64
第7巻 絵馬のねたみ・1
原 作 浅野了意
現代語訳 ぼんくらカエル
伏見の香の宮は神宮皇后の廟である。願い事のある者たちは絵馬を奉納して祈る。霊験あらたかだと言われ、ありとあらゆる絵馬が神前にかけられている。
文亀年中(1501-1504年)京の七条の商人で、奈良と京の間を往復して商いをしている者があった。
9月の終わりごろ、商人は奈良を出て京都に帰ろうとしたけれど、秋の日は釣瓶おとし、伏見の辺りで日が暮れてしまった。狐火が山際に輝き、狼の声が聞こえる。商人はおそろしくて、香の宮で夜を明かそうとして立ち入った。拝殿に横になり、肘枕をし、涼しい松風を友とし、ほの明るい灯明の中で、しばらくはまどろんだ。
商人は人の気配を感じて目を覚ました。貴人の装束を身につけた者が枕元に立っている。起き上がると、貴人が、
「これから、やんごとないお方がここに見える。少し傍らに控えて休むように」
と言う。商人は不承不承わきに下がっていると、美女がひとり、若い女の子を連れて拝殿に昇った。むしろの上に布団を敷き、灯を掲げ、酒さかなをとりだした。
美女は辺りを見まわし、商人に気づくと、ほのかに頬笑んで、
「そこに居られるのは旅の方ですか? 旅の途中で日が暮れて、そんなところで夜を明かすのは侘びしいものです。遠慮はいりません、ここへ来て私たちと一緒に楽しみませんか?」
商人は嬉しくなり、畏れながらも這い出して、傍らにかしこまっていた。
「そんなにかしこまらないで、まあ一杯おあがりなさい」
と、少女に酒ゐつがせた。
その姿の美しいことといったら、見たことはないけれど、楊貴妃や李夫人もかくやと思われるほどだ。この方は一体どんな高貴な人なのだろうか。どんな縁があって私はここにいるのだろう、と、商人はまるで夢を見ているような気分だった。
その女に従っている少女は17.8歳で、これも並以上に美しい。女は商人に手ずから酒をつぎ、商人はしたたか飲んだ。
女は東琴を奏で、少女はくご(竪琴)を弾いた。商人も酔っぱらって、その頃はやっていた「波枕」という歌を唄った。
商人は酔った勢いで、女に白銀の小箱を奉り、少女には亀の甲で作った琴爪を与えた。その際少女の手を握ると、少女もにっこり笑ってにぎり返した。女はこれを見とがめて、
あやにくにさのみなふきそ松の風
我しめゆひし菊のまがきを
折悪しく、私が作った菊の垣根に松の風が吹いた(でいいのかな?・・・訳者)
と詠い、傍にあった盃の台を、少女に向けて投げた。それが顔に当たって、襟も袖も、赤く染まった。
商人は驚いて立ち上がったら、夢から覚めた。
朝になって、奉納された絵馬を見ると、美しい女が琴を弾き、少女がくごを弾く絵馬があった。少女の顔には怪我の跡があった。昨日の夢に現れたのは、まさにこの絵馬の人達である。この絵馬を描いた者については、誰も知らない。
終わり
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