2010年2月11日 (木)

影隠し地蔵縁起・最終回

2月11日(木)

影隠し地蔵縁起 第20回(最終回)

     ~風は見ていた~

エピローグ

 それから何百年も過ぎても、人はまだ争いをやめないのである。日本は、アメリカと戦争をしたいた。

 そのころ、村は発展して町になっていた。

 その日は穏やかに晴れて、初夏の風が気持ちよく吹いていたが、空には黒雲がわき出して、何か不吉な予感のする日だった。少女が一人、影隠し地蔵の前で、草を摘んでいた。

 突然空に爆音がして、アメリカの爆撃機B29が、近くの軍需工場をめがけて、何発もの爆弾と焼夷弾を落としていった。めらめらと火が上がり、炎は清水八幡の社にも燃え移った。炎は風を呼び、風は炎を増幅させる。

Tati0012_3  あたり一面が火の海になった。少女はすぐに、影隠し地蔵の後ろに隠れた。影隠し地蔵が逃げまどう者を隠してくれることを、少女は知ったいた。しかし炎は、影があるものも無いものも、すべてを焼き尽くしていった。地蔵にも火がつき、少女と共に燃え上がった。

「あ! ひどい!」

 どこかで声がします。風の声でしょうか? いえ、慎くんが叫んだのかもしれません。気がつくと慎くんは、影隠し地蔵の前に立っていました。

 何事もなかったように人は歩き、車は走っています。影隠し地蔵は、二瘤川の橋のたもとにあるお地蔵さんでした。いつも赤いよだれかけを掛けていて、慎くんがこれまで何度も見たことのあるものでした。

 地蔵は、街の人が戦のあとで建てたものです。それは今でも、影隠し地蔵と呼ばれています。でも地蔵は、もう誰も隠しません。ただ立っているだけです。

 今も風は吹いています。風には喜びも悲しみもありません。風は、黙って吹いています。風は、ただ、見ているのです。

 慎くんは夕暮れの町を、のろのろと駅に向かって歩き出しました。

                   終わり    

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2010年2月10日 (水)

影隠し地蔵縁起・19

2月10日(水)

隠し地蔵縁起 第19回

     ~風は見ていた~

 義宗と5人の武将が、何事か小声で話しているのを、何度かおときは目撃した。何か不吉な予感がして、おときは胸が塞がる思いだった。

 ある夕方、義宗と5人の武将は裸で二瘤川に入り、水垢離をとった。

 帰ってきて、義宗はおときに言った。

「われわれは、明日、北陸へ行く。新田に心を寄せるものを集めて、もう1度兵を挙げる。ここに帰ることはもう無いだろう」

 あまりのことに、おときは返す言葉を失った。なぜ? なぜ? と思うのだが、何をどう言えばよいのか分からず、

「嫌だ! 行かないで!」

 とだけ叫んだ。義宗は一つの椀に水を入れ、

「水杯だ」

 と言って、半分を飲んで、黙っておときに差し出した。その椀の水を捨ててしまいたいと思ったが、有無を言わさぬ義宗に気圧されて、おときはその水を飲んだ。

 それ以後義宗は、全く物を言わなくなった。おときが話しかけても、怒っても、泣いても、ただ黙っていた。

 次の日、義宗と5人の武将は、無言で家を出て、義興と3人の墓に長い祈りを捧げ、清水八幡と影隠し地蔵に必勝祈願をして、村を出て行った。

 義宗たちは二瘤川を渡り、二瘤山の中に消えていった。義宗たちの背中に向かって、おときは叫んだ。

「畑の大根はどうするだ! ネギはどうするだ! 田んぼはどうするだ!」

 義宗たちは振り向きもしない。

「なんで戦をするだ!なんで、なんで百姓ではいけないだ!」

 おときの叫び声は、風に運ばれて川を渡る。その声が聞こえるのか聞こえないのか、義宗たちは、ただ黙って遠ざかっていく。

Tati0015

 春はまだ浅く、冷たい風が静かに吹いている朝だった。  

 義宗たちのその後のことは、誰も知らない。北陸の戦で死んだと、風は噂に聞いた。

               続く

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2010年2月 9日 (火)

影隠し地蔵縁起・18

2月9日(火)

影隠し地蔵縁起 第18回

     ~風は見ていた~

首塚・4

 翌日、義宗とおとき、藤治と7人の仲間は、義興の首塚にお参りをした。その後、藤治、参三郎、与十郎の3人は、義宗が引き留めるのも聞かず立ち去っていった。足利と戦う意志のないことを知って、ただの百姓になることを潔しとしなかったのである。残りの5人は義宗のもとに残った。

 更にその翌日、おときは義宗の首塚の前で、腰をぬかさんばかりに驚いた。藤治たち3人の武将が、首塚の前で自決していたのである。

 おときの知らせで駆けつけた義宗は、ただ呆然と立ちつくすばかりであった。

「藤治殿は、義宗殿に会うことを楽しみにしておられたが・・・」

 義宗のもとに残った一人の武将が言った。

「・・・期待を裏切られたという訳か」

 絞り出すような声で義宗が言った。そして、しばらく誰も声を発するものはなかった。

「藤治殿は1度立ち去りはしたが、大将無しで足利に刃向かうことは出来ないと思ったのだろう」

 ややあって、誰かがつぶやくように言った。

「それで、ここまで来て自決したというのか」

「昔の親方の首塚の前で自決して、後を追ったのだろう」

 5人の武将たちは、声をひそめて話す。義宗は終始無言で立っていた。

 義宗たちは義興の首塚のまわりに、3人の墓を作った。そして、毎日お参りをした。

 藤治たちが自決してからの義宗は、めっきり無口になった。おときが話しかけても、上の空の返事ばかりである。5人の武将たちも、たまにおときの畑の手伝いをすることはあっても、おしなべて無口であった。

                続く

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2010年2月 8日 (月)

影隠し地蔵縁起・17

2月8日(月)

影隠し地蔵縁起 第17回

     ~風は見ていた~

首塚・3

 義興を討って安心したのか、間もなくも基氏は村の御所を閉じ、鎌倉へ帰っていった。基氏が帰ったあとも、義宗は村に残った。おときを妻とし、いつの間にか百姓に馴染んでいった。

 ある日、そんな義宗のもとに、8人の武将が訪ねてきた。武将と言っても、武器を持っているからそう分かるだけで、来ている者は薄汚れ、いかにも疲れ切っているように見えた。

「義宗殿。山岡の藤治です。山岡藤治です」

「なに、藤治? 山岡藤治か」

「はい、藤治です。お懐かしゅうございます」

 山岡藤治は兄義興に従っていた武将で、義宗も何度か会ったことがある。

「私は、真間参三郎です」

「私は神部与十郎」

「私は・・・」

「私は・・・」

 8人は口々に名乗りを上げた。みな義興の家来たちである。

 義興が討たれたあと、家来たちはちりじりに逃げ去った。出身地に帰って、ひっそりと暮らす者は、まだ幸せであった。ある者は見知らぬ土地で、身分を偽って暮らし、他の者は乞食となって各地を放浪するなど、さまざまな者たちがいた。

 山岡藤治もまた、そのような放浪者であった。そして、基氏が去ったあとも、義宗が村に住み続けているらしいことを、放浪中に聞いたのである。藤治は、義宗に会いたいと思った。義宗は、もう一度兵をおこすに違いないと思ったのである。その時、自分はその軍団の中にいたいと思った。藤治には、自分が乞食として終わる人間ではないという自負があった。

 義宗が村にいると知ってからの藤治は、かっての仲間を訪ね歩き、同志を募った。しかし、藤治に同調する者は少なく、7人の仲間を集めるのも、決して容易ではなかった。だが、その仲間と共に、今は義宗の前にいる。藤治は、胸の思いを義宗に伝えた。

 義宗は困惑した。新田の勢力も、今はちりじりである。世の中は足利に定まってしまった。それを不承不承受け入れ、おときと暮らしていたところに、藤治たちが訪ねてきたのである。現在の新田氏には、足利を討つ力がないことを話したも、藤治は納得してくれないのだ。一晩中話しあったが、2人の意見は一致することがなかった。

                    続く

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2010年2月 7日 (日)

影隠し地蔵縁起・16

2月7日(日)

影隠し地蔵縁起 第16回

     ~風は見ていた~

首塚・2

 義宗は、通りかかる2人の武将に声をかけた。

「そこの二人、その首を置いていけ」

 二人は立ち止まって、お互いを見た。

「おぬし、何か言ったか?」

「わしは言わぬ」

「そうか。しかし、何か声がしたな」

「うん、声がした」

「そこの二人、その首を置いていけ!」

 義宗はもう一度声を上げた。

「なに? 首を置いていけだと?」

「確かにそう聞こえた」

「誰だ! 何処にいる。出てこい!」

「出てこい! 何処に隠れている?」

 二人はそこら中を見まわした。清水八幡神社の祠の中や縁の下にも目をやった。もちろん地蔵の後ろも見た。

「誰も居ないではないか」

「誰も居ない。いるのは地蔵ばかりよ」

「まさか地蔵でもあるまい」

「空耳か」

 その二人に、またも声が聞こえた。

「そこの二人、首を置いて行けと言うのが分からぬか!」

 二人は思わず顔を見合わせた。

「地蔵だ!」

 次の瞬間、二人は義興の首を放り出して、一目散に逃げていった。

 義宗はその首を持ち帰り、おときにも手伝ってもらって、近くの林の片隅に埋めた。そして石を置き、ケヤキの苗を植えて目印とした。

                    続く

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2010年2月 6日 (土)

影隠し地蔵縁起・15

2月6日(土)

影隠し地蔵縁起 第15回

     ~風は見ていた~

首塚・1

 更にまた150年ほどの時が過ぎた。あるときは強く、あるときは弱く、風はいつも村を巡っていた。 人間は戦をやめないのだろうか。その時もまた、戦をしていた。

 足利尊氏、新田義貞などの勢力によって、長く続いた鎌倉幕府が倒された。しかし戦はそれで終わらず、共に力を合わせて鎌倉幕府を倒した足利尊氏と新田義貞の争いが始まった。戦いはいくつもの勝ちと負けとをくり返し、最終的には、足利尊氏の勝ちとなった。

 しかし、新田義貞が討たれたあとも、その子義興(ヨシオキ)と義宗(ヨシムネ)の兄弟は、なおも抵抗をやめなかった。

 足利尊氏はその子基氏(モトウジ)を、関東の押さえとして鎌倉御所に置いた。基氏は、東北や北陸に勢力のある新田氏に供えて、一時、二瘤山の麓の村に鎌倉の御所を移した。その基氏の首を狙って、義興の弟義宗が、密かに村に隠れ住んでいた。村の娘おときと仲良くなり、おときの家に潜んでいたのである。

 しかしその義宗のもとに、兄義興が、多摩川の矢口渡でだまし討ちにあった、と言う知らせが飛び込んできた。二人の武将がその首を持って、基氏に見せに来るという。

 義宗はせめてその首を取り返したいと思った。そこで首を持った者たちが来るころを見計らって、影隠し地蔵の後ろに隠れた。義宗はおときに聞いて、影隠し地蔵が人の姿も影も隠すことを知っていたのである。

                 続く

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2010年2月 5日 (金)

影隠し地蔵縁起・14

2月5日(金)

影隠し地蔵縁起 第14回

     ~風は見ていた~

源義高と大姫・4

 義高の死から10数年、頼朝の妻政子が大姫と共に、村を訪れていた。義高の死を聞かされたのち、大姫は病がちとなり、いつまでも気分は晴れなかった。そんな政子を慰めるため、義高の討たれた村を訪ね、その霊を祭ろうとしたのである。そのために、仏師も連れていた。

 政子と大姫は、義高が討たれたという地蔵のあった広場に立ちつくした。大姫の胸には、義高の死を知った日の、幼い、純粋な悲しみがよみがえっていた。

 広場の先の川を、大姫は見つめた。あの川を渡れずに、義高は討たれたのだ。義高を隠した地蔵は、身を隠しても、影を隠さなかったと言う。大姫は、身も影も隠す地蔵をつくりたいと思った。そして、かって地蔵が立っていた所に安置したいと考えた。

 義高とは許嫁として、仲良く暮らしていた。その死を知らされたときの大姫は、まだ10歳にも満たない少女だった。幼かったからこそ、その悲しみは深く、いつまでも泣き暮らしたものだ。頼朝は、自ら命じたにもかかわらず、義高を殺さずに、掴まえて、頼朝の判断を待つべきだったという理由で、2人を処刑した。そうすることで、いくらかでも大姫の悲しみを和らげようとしたのである。しかし、大姫の悲しみが消えることはなかった。

 大姫は、義高と過ごした、幼い日々を思い出していた。義高は武将の子らしく、自分の馬を持ち、野原を駆け回っていたものである。大姫はその姿を見るのが好きだった。あの馬で、どうしてこの川がわたれなかったのだろうか。川を渡って向こうの山に逃げ込めば、身を隠すことだって出来ただろうに・・・。それが出来ないほど、追っ手が近づいていたのだろうか。今さらどうなるものではないのに、大姫の思いは、幼い日々に帰っていく。

 政子と大姫はしばらく村にとどまり、仏師に地蔵を彫らせ、身隠し地蔵のあったという場所に安置した。そして隠れる者の、身も影も隠すようにと念じて、影隠し地蔵と名付けた。

 更に政子は、影隠し地蔵の傍らに祠を建てさせて、義高の霊を祭った。一つには大姫の気持ちを和らげるためであり、二つには、義高の霊が源氏にたたるのを怖れたからである。義高が志水冠者と呼ばれていたことに鑑み、その社を「清水八幡神社」とした。八幡神社は、源氏の信仰する神社である。

                  続く

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2010年2月 4日 (木)

影隠し地蔵・13

2月4日(木)

影隠し地蔵縁起 第13回

     ~風は見ていた~

源義高と大姫・3

Tati0013_2

「川を渡った様子はないし、義高はどこかにいるはずだ」

 すぐに2人は、川の水を飲んでいる馬を見つけた。

「馬がいる。あれは義高の馬だ」

「馬がいるからには、この近くにいることは間違いない」

「しかしこの広場には、隠れる所とて無いではないか。あるとすれば何本かの木の陰と、あの地蔵の後ろくらいだ」

 2人は木の後ろに回り、地蔵の後ろも見たが何も見あたらない。念のため木の上も見たが、登った形跡はない。

「なんと言うことだ。先ほどまで姿が見え隠れしていたのに、ここまで来て見失うとは・・・。この村の家を、しらみつぶしにあったって見るか」

「待て、これは何だ・・・地蔵の影が二つある。地蔵の後ろに、もうひとつの影がある・・・」

 追っ手の1人が言う。

「そんなばかなことが・・・ん? 確かに影が二つ・・・ならば、切ってみるまでよ」

 その追っ手は、二つ目の影の出所に向かって、刀を振り下ろした。

「あっ!」

 悲鳴を上げて倒れたのは、まさに義高であった。

 身隠し地蔵は義高の血しぶきを浴びて、みるみる赤く染まり、その顔は憤怒の形相となった。身に浴びた血しぶきは炎となって燃え上がり、義高と、地蔵自身を焼き尽くした。

 怪しい風と共に、雷鳴がとどろき、激しい雨は、地蔵の燃えがらも義高の死骸も血しぶきも、何もかも二瘤川に流し去ってしまった。

                続く

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2010年2月 3日 (水)

影隠し地蔵縁起・12

2月3日(水)

影隠し地蔵縁起 第12回

     ~風は見ていた~

源義高と大姫・2

 義高が逃げたと知った頼朝は、家臣2人に義高を追わせた。その追っ手が、義高のすぐ後ろまで迫っていた。

 背後に見え隠れしながら、馬の蹄を響かせて近づいてくる二人の武将が追っ手であることは、義高にも分かっていた。もはや一刻の余裕もない。

 義高の行く手に川があり、川の向こうに山がある。あの山には入れば、身を隠す方法もあるだろう。しかし追っ手の蹄の音は、浅瀬を探して川を渡る余裕のないことを、義高に知らせた。義高は馬を下り、手綱を放した。そして農作業をしていた農婦に助けを求めた。

「追われています。隠れる場所はありませんか」

 農婦は近くの地蔵をさして言った。

「そこのお地蔵様の後ろに隠れるだ。昔から身隠し地蔵と言って、逃げる人を隠してくれるお地蔵様だで」

 その昔、源爺が掘った身隠し地蔵の陰に、義高は身を隠した。

 夕日が長い影を作っていた。春とはいえ、ときどき強い風が吹き、砂埃をあげている。

 追っ手たちは、すぐにその場にやってきた。そして農婦に言った。

「そこの女、12・3歳くらいの子供が、馬に乗って逃げていくのが見えなかったか?」

「おら、何も見なかっただ」

「見ないはずはあるまい。たった今、このあたりを通ったはずだ」

「おら、たった今ここさ来たばかりで、何も気づかなかっただ」

「何も気づかなかっただと。ぼんやり者めが。もうよい。さっさとどこかに消えてしまえ」

 農婦は追いやらって、追っ手たちは何か手がかりがあるだろうと、あたりを探し回った。

                  続く

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2010年2月 2日 (火)

影隠し地蔵縁起・11

2月2日(火)

影隠し地蔵縁起 第11回

     ~風は見ていた~

源義高(ミナモトノヨシタカ)と大姫・1

 日が昇り、日が沈み、また日が昇り、日が沈み、風は村中を吹き抜け、漂いながら、いくつもの年を重ねた。

 源吉の建てた地蔵は、その後も大切にされ、村の守りとなっていた。建てられた理由はもはや知る人もないが、その陰に隠れれば、姿形を隠してくれる「身隠し地蔵」として、村人の信仰を集めていた。

 二瘤山の裾野をかすめるようにして、関東平野を流れ下る川は、このあたり1番の大河である。村の近くにその浅瀬があるために、村は川の渡し場として発達していた。そして何時のころからか、鎌倉から関東平野を通って奥州道に向かう道が、村を通るようになっていた。

 長く争っていた源氏と平家の戦いは、源氏の勝利に終わりそうである。そして今度は、源氏の内部争いが始まった。まず、平家との戦いで功績のあった源義仲と源氏の統領源頼朝の争いが始まった。

 義仲には、義高という子供がいた。かって、義仲が平家を追って都に上るとき、義高を人質として、頼朝に差し出していた。そうすることによって、自分が京に上っても、頼朝に逆らう気がないことを示したのである。頼朝はこれを喜び、娘の大姫を義高の許嫁としたのであった。このとき、義高は11歳、大姫は6歳であった。

 しかしその義仲と頼朝が争うこととなり、頼朝の命を受けた源範頼(ミナモトノノリヨリ)、源義経の軍は、義高を追いつめ、これを討った。

 頼朝は義高が成長して反旗を翻すようになることを怖れ、これも殺害することとした。頼朝自身、子供のころ平家に捉えられ、命を許されて伊豆に流されたのであった。命を許されたために、その平家を討つことが出来たのだ。義高を許すならば、自分が親の敵として狙われるであろうと怖れたのである。

 頼朝が義高を討とうとしていることを知った大姫は、義高にそれを知らせ、密かに義高を逃がした。義高は馬を駆って、奥州に落ちのびようとした。

 子供とはいえ義高は、すでに馬に乗る術を知っていた。しかし義高が村にたどりつくころには、馬も人も疲れ切っていた。夜陰に乗じて鎌倉を逃れ、次の日の夕方に村にたどりつくのは、大人でも容易ではない。馬術は子供とは言えぬほど長けていたとは言え、12歳の子供である。よくここまで逃げたと言うべきであろう。

                 続く

 

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