2007年10月13日 (土)

こぶし祭り(ぼんくら日記)

10月13日(土) 晴れ

狭山市の、精神障害者のための福祉法人こぶし会の、こぶし祭り。授産施設リバーサイド、生活支援センター スペースきずなの前庭で行う。

私はSさんの車で10時前に行き、そのまま厨房へ入る。弁当を詰めたり洗い物をしたりの手伝い。人より遅れて昼食は食べたが、ほとんど休みはなく、舞台での出しものや市長その他の挨拶とも無縁で過ごす。厨房の後かたづけもほぼすんだ3時、私はリタイヤ。前庭ではビンゴをやっていたが、私はそのまま帰る。結構忙しくて疲れた。テントを解体する仕事が残っていたが、人は大勢いるし、私がいなくても良いだろうと判断した。テント3張りを解体するだけだから、たいしたことはないはずである。

明日は狭山市駅前をマイクロバス6時集発で山に行く。歳をとると、出発前の腹具合の調整も考えなければならない。そのためには4時頃起きる必要がある。リュックやらその他山行の用意を寝る前にしておかなければならない。食事を作ったり風呂を沸かしたりの「おさんどん」もして、早く休まなければならないから、帰ってからも、そんなに暇はない。今はそれらを済ました。今日やるべきことは、この日記が最後。

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2007年10月12日 (金)

ぼんくら日記

10月12日(土) 晴れ

こぶし福祉会のこぶし祭りが明日行われる。その準備でテント張り。

午後、水彩画の会。

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2007年9月 2日 (日)

句集「春北風」、他

9月2日

H君の訃報

マルエツの買い物に行くつもりで歩いていると、トラックがプップッと警笛を鳴らして、歩道よりに停まった。見るとN工芸の社長である。トラックのドアを開けて中には入れという。トラックの中で、しばらく雑談。

「H君が死んだ」という。今年の春、癌でなくなったそうだ。

H君というのは、じつはとんでもない男で、刑務所に3回ほど入っている。その合計が20年にもなるという男だ。最後は、破廉恥罪だったが、前には、殺人未遂なんて事もやっている。そのくせ、妙に人なつっこいところがあって、普通につきあうだけなら憎めない。それなら、本当に心を許せるかというと、やはりそうはいかない。刑を終えて(償って)出てきたのだから、他の人と同じ気持ちでつきあえ、というのは正論かもしれないが、こちらはそれほど人間が出来ていない。遊んだり酒を飲んだりするときは普通につきあうが、何かの時、覇気において負けないようにしようという気持ちはあった。私より5歳くらい若いのだから、こちらが老いぼれたとき、寝首をかかれないとも限らないのだ。

H君に最後にあったのは、去年の秋だったと思う。彼から電話があって、会いたいという。外で待ち合わせて、大和の湯へ連れて行った。風呂に入って、一杯飲んで、歩いて帰ろうとすると、いくらも歩かないうちにハアハア言い出した。その時、私はいくらか安心した。少なくとも体力は、私の方が数等上だ。たとえ彼が危害を加えようとしても、不意打ち以外ならむざむざやられることはないと思った。

その頃から癌があったのだろうか。

句集『春北風』出縄明夫著

 I さんから上のの句集が送られてきた。「春北風」と書いて「ハルナライ」と読むらしい。出縄明夫は俳号で、本名は出縄明。社会福祉法人進和学園の創立者で、現理事長。(進和学園は知的障害者の施設)。その名前だけは知っていたが、俳人であるとは知らなかった。藍綬褒章や、勲五等瑞宝章などを受章されているようだ。

『毎日俳壇』の特選、ないし準特選の俳句だけ七〇句をまとめた句集である。昭和 30年から32年までは飯田蛇笏の選。昭和四七年から平成六年までは飯田龍太の選。平成六年から九年までは大嶺あきらの選である。

昭和二九年『雲母』に出句した〈盲鍼師まことの汗を拭きにけり〉という句は、飯田蛇笏によって「作者における一代を負う作品の一つたり得るものであろう」と評されている。

私は、俳句がなんであるか、まだその尻尾も掴んでいないような人間であるが、この句集からは、何か作者の気品のようなものが伝わってくる。

   一生を仕事着の紺春鴉

   白露や葬列とまる開拓碑

   白露や遺品の中のいのち綱

   炎天や盲学校の千羽鶴

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2007年9月 1日 (土)

吊り戸棚

9月1日

吊り戸棚

わが家の排水管工事が終わったので、吊り戸棚を再び取り付ける。私が自分でつくった吊り戸棚である。戸棚は奥の壁の幅一杯になっている。

普通、トイレの吊り戸棚は、壁の幅より狭くなっている。トイレの入り口は、壁の幅よりは狭い。入り口の幅が奥の壁と同じだったら、壁一杯の戸棚をトイレに入れることが出来るが、普通はそうではない。入り口よりは幅の広い戸棚を斜めにして入れても、取りつけるために壁の向きに回転しなくてはならない。回転するには、少しゆとりが必要である。壁は平面だが、戸棚は立方体である。斜めに入れた戸棚を回転して壁の向きに合わせるには、たとえば戸棚の右前から左後ろへの対角線が、壁に幅より短くなくてはいけない。回転さようとするとで、角が左右の壁にぶつかってしまうのである。

わが家の吊り戸棚が奥の壁一杯になっているのはちょっとした工夫がある。戸棚を二つに切って、半分を右の壁に取り付け、残りの半分を左側に取り付けるという方法だ。要するに、二つ足して壁の幅になるような戸棚を二つ作るということだ。まず片方の戸棚を取り付け、もう一つの戸棚を、あらかじめ取り付けた戸棚にビスで縫いつけろ、という方法である。戸棚の前には扉をつけるわけだから、べつだん、不自然にはならない。

戸棚を取り付けるには2時間くらいかかるかと思ったが、実際には1時間弱であった。昔、さんざんやったからなあ。まだ、そうは衰えていないわけだ。

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2007年8月31日 (金)

ブッシュ大統領、他

8月31日

秋が来た?

昨日と今日は、秋の気候である。今年は梅雨が長く、夏に入るにが遅かった。しかし夏になると、例年をしのぐ猛暑で、日本では熱中症で約7120人が亡くなったという。しかし、昨日からは秋の気候だ。このまま秋になるのかどうか?

排水管工事

わが家の排水管工事は昨日で終わったのだが、ウオッシュレットのトイレの水が出ない。監督に言って昨日トイレを取り付けた職人に来てもらったが、「ノズルが出ない。電気系統の故障なので、製造元に問い合わせなければ分からない」と言う。私は素人なので何も分からないのだが、コンセントを差し込んだり抜いたりして、電気が来ていることを確かめた。夕方別の職人がのぞきに来て、ノズルに行く水の詮が締められたままであることを見つける。要するに、水の栓が開けられていなかったと言うだけに過ぎなかった。朝の職人と、夕方の職人との差は、腕が良いとか悪いとか言うよりは、経験の違いですね。職人なんて、こんなことが良くあるのだ。私など、朝の職人の方だった。

ブッシュ大統領の正義

ブッシュさん、退職軍人の講演会かなんかで、「イラクとの戦争はイデオロギーの戦争」と言ったんだそうだ。やっぱりね・・・。こんな単純な人が世界の指導者だなんて、なんてこったろうね。

同じ物でも、光の当て方によって、見る角度を変えることによって、違って見えるものなのだ。正義だって立場によって変わる。ブッシュの正義もあれば。アルカイダの正義もある。どっちの方が絶対に正しい、なんてことはない。正義というものは、相対的である。

「群盲(この言葉、差別用語と言われる)象をなでる」という言葉がある。鼻をなでた者は「象は大蛇のようだ」と言い、胴をなでた者は「象とは壁のようなもの」という。そして足をなでた者は「柱のようだ」という。それぞれの者が、自分こそ絶対に正しいと主張しだしたらどうなるか。それぞれの者が、自分は実際の象をなでたという実感を持っているのだ。それを暴力で解決しようとしたらどうなるか。正しい結論などは得られはしない。

「イデオロギーの戦い」は暴力では解決できない。いかに時間がかかろうとも、言論で争うしかないのだ。

私は、正義は相対的だと言ったが、じつは、私には、これだけは譲れない、という正義がある。それは「人殺しは悪い」と言うことである。人間と生まれたからには、これだけは譲れない。しかし、これもじつは相対的だ。たとえば死刑囚。この犯罪はどう考えても許せないという事件がある。死刑以外に選択の余地はないと思われるような事件がある。その死刑囚を処刑したとしても、その執行者が悪を行ったとは言えない。

殺人さえ相対的だと言ってしまったら、絶対悪はないか、と言うことになる。私はあると思う。戦争である。戦争ほど、なんの罪もない人が殺される出来事はない。どんな理由ではじめても、いわれなく多くの人々が、無惨な死を迎えることになる。それがブッシュには分からない。分かったとしても、正義のためならば許されると思っている。自分の正義だけで頭がいっぱいなのだ。

武力でイデオロギーの戦いをする人に、日本はいつまでついていくつもりなのですか、安倍晋三さん?

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2007年8月30日 (木)

中島潔の世界展,他

8月30日

朝青龍

朝青龍がモンゴルへ帰ったけれど、日本のマスコミは、まだ追いかけている。いい加減に放っておけばいいのに。

みのもんたはモンゴルに着いてからの朝青龍が、報道陣を巻いて逃げたことを非難している。朝ズバのゲストも、朝青龍がきちんと説明しないことを問題視していた。朝青龍のやったことはいろいろ問題があるとは思うけれど、精神を病んでいる者にきちんと説明しろと言うのは無理な話だ。それが出来るくらいなら、病気にはならない。

私は朝青龍を好きなわけではない。しかし、少なくとも今は精神を病んでいるわけで、その人を報道陣が外国まで追いかけていくなんて言うのは、ほとんどいじめだと思う。放っておけばいいのだ。

日本に帰ろうと帰るまいと、相撲に復帰しようと止めようと、どうでもいい。そう思う私は、本当は冷たいのだ。

中島潔の世界展

所沢ミューズに「中島潔の世界展」を見に行く。郷愁を感じさせる児童画を描く画家である。幼くして母を亡くし、再婚した父を許せず上京したという。幼くした母を亡くしたところは、私と共通する。そんな人間は童画を描きたくなるのかなあ。私の水彩画も、近ごろは童画指向だ。

排水管工事

排水管工事、わが家は今日で終わり。トイレは完全に設置され、剥がされた壁も修復されてクロスが貼られた。床もきれいになった。工事のためにトイレの吊り戸棚を外していたが、あとは私がこれを取り付けなければならない。取り付けなんて久しぶりだから、2時間やそこらはかかりそうだ。

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2007年8月29日 (水)

ぼんくら日記

8月29日

「ぼんくら日記」の「ぼんくら日記」。なにも書くことがないので、タイトルのつけようがない。

夏もようやく終わりに近づいたようで、今日の最高気温は30度以下。

世間では、安倍晋三が新内閣を作り、朝青龍がモンゴルに帰国した。あいかわらず、救いのない殺人事件が起きている。安倍さんも、朝青龍も、殺人者も、人間が壊れてる。

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2007年8月27日 (月)

匿名の責任

8月27日

ブログは簡単に匿名にすることが出来る。ぼんくらカエルも匿名日記を書いている。その匿名の度合いだが、初めのうちは完全匿名にして、知っている人が読んでも気がつかないくらいにしようと思った。ところが、これが難しい。無理にそれを通そうとすると、書くことがごく限られてしまう。そのため近ごろは、知っている人ひ読まれたら分かるのはしょうがない、という気持ちで書いている。自分を、とことん隠そうとは思っていない。

インターネットでは、匿名で他人の悪口を言うのが流行っているそうだ。卑怯なものだ。もともと無責任な悪口など言うべきではないが、私などは、ついうっかり言ってしまうこともある。だがそれを、匿名のインターネットに表示するというのは、けしってしてはいけない。べつだん道徳の先生ぶるわけではないけれど、自分の身を隠して、他人を誹謗中傷するのは、もっとも卑怯な行為である。不特定多数が目にすることの出来る状態で、裏の取れていない噂に便乗したり、気に入らない者を事実に基づかない噂で中傷したりするのは、匿名でやるべき事ではない。そのような行為は言論の自由とは無縁である。そのような意見を発表するようなサイトは、規制があってしかるべきだと思う。

なんだか、真面目になってつまらぬ事を書いているような気がする。だいたい平凡な正論などと言うものは、おおむね退屈なものだ。ただ、匿名には匿名の責任があると思うのである。匿名で悪口を書いて良いのは、公人(たとえば安倍晋三)などでしょうね。それだって、根も葉もないことを書いてはねえ・・・。

こんなことを書くと、自分で恥ずかしくなってくる。当たり前なことを真面目に書くから、恥ずかしいのである。本当はこの辺で、ずっこけてみたいのだが、まあ、止めておきます。

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2007年8月24日 (金)

配水管の取り替え

8月24日

ぼんくら日記

我がマンションはもう古くなったので、排水のための縦管を取り替えることになった。これは大工事で、1階から9階までの配水管を取り外し、新しいものに替えるのである。縦管だから、フロアーごとに工事をするのではなく、1階から9階まで、たとえば101号室、201号室、301号室という具合に、一桁の数字が同じ号室の工事を同時に行う。そして今日から私の号室になった。トイレを外し、その床板を剥がし、壁も1面だけ取り壊す。工事は9時から5時までで、全部で5日くらいかかるようだ。工事中は9時から午後5時まで、トイレが使えない。そのほか、すべての水回りが使えない日が2日くらいある。住んでいる方もなかなか大変なのだ。

管理人室のトイレ、作業者用の仮設トイレなどは使えるのだが、あまりそんなところに入りたくない。監督に鍵を預けて、適当なところで逃げ出す。今日の午前中は精障者作業所Mに行く。午後は特別養護老人で、こんな時は、ボランティアに行けることがありがたい。

つばさ、9月例会への投句。『つばさ』誌140号への出句。『つばさ』誌へ、青野三重子著、句集『折鶴』からの10句撰。

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2007年8月16日 (木)

とにかく暑い

8月16日

とにもかくにも暑い。この1週間、ボランティアも夏休みで、何もやることがない。それもまた暑さを感じさせる。

Tさんの仮刷りの本を持って、電車に乗る。行き先があるわけではない。暑くて家にいられないから電車に乗るのだ。稲荷山公園駅から、西武秩父行きの切符を買う。駅下のコンビニでビールとおつまみを買って入場。電車に乗り、やおら、仮刷りの本を開き、赤ペンで、添削やら感想やらを書き込む。Tさんの文章も、初めのころに比べれば上手くなったとはいうものの、正直なところまだまだである。

電車に揺られながら、ビールを飲み、読み、書き、ついついまわりの景色を見損なう。いつも見る景色とはいうものの、沿線の風景も楽しみの一つだ。

そんな具合で西武秩父駅に着き、秩父市内を散歩する。とは言っても暑くてたまらないので、30分くらいで切り上げて、帰りの電車だ。要するに、電車に乗るのが目的なのである。乗っている間は涼しい。

帰りも、赤ペンで書き込み。いつものように秩父の地酒の小瓶を買い、紙コップを一つもらって、ちびりちびりとやりながらだ。なんといっても、これが一番の楽しみだ。

狭山市で、熱中症の死者があったとのニュースあり。熊谷で40.9℃。日本の観測史上で最高を記録。これまでは山形の40.8℃が最高だった。山形の記録は、フェーン現象による特異な記録だったが、今回の熊谷の記録は、自然な日常の中で、でるべくして出たような気がする。地球温暖化で、この暑さが当たり前になってしまったのだ。

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2007年8月 1日 (水)

無題

8月1日

私のブログとしては、比較的長い記事を書いて、写真を載せようとしたが、なかなかうまくいかず、いろいろ試しタイルうち、記事自体が消えてしまった。それで疲れたので、今日はこれだけ。

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2007年7月28日 (土)

夏祭り

7月28日

ぼんくら日記

今日は、狭山のあちこちで夏祭りをしている。私が住む狭山台地区も夏祭りだ。ぼんくらカエルも環境防犯部と言うことで、目立つちゃんちゃんこのようなチョッキを着て、黄色い帽子を被り、交通要所に立ったり、会場内をパトロールしたり、折からの炎天の下で、それなりに汗を流した。午後は、子ども御輿につきあう。これも暑かったねえ。

明日のこと(木曽御嶽山登山)もあるので、3時頃、ぼんくら蛙は帰らせてもらう。たいしたことをしていなくても、炎天下では疲れる。

明日のブログは休みます。

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2007年7月27日 (金)

無題

7月27日

ぼんくら日記

暑い。関東地方の梅雨明け宣言は見送られているが、もう梅雨が明けたと言っても良いのではないか。予報では、29日と30日に雨が降ると言うことだ。

困りましたね。その29日と30日に、我が山の会は、木曽御嶽山に登るつもりだ。現在の参加予定者は11名。マイクロバスは予約済みで、その代金と山荘の宿泊費など、1人あたり28000円でなんとか採算が取れる予定だ。今回は、私が企画を立て責任者として実行することになるので、気がもめることだ。問題は天気。

今日、水彩画の会。

明日は狭山台地区のふるさと祭り。私も役員なので、でなければならない。しかし、木曽御岳があるので、祭りの最後まではいられない。

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2007年7月23日 (月)

選挙結果、その他

7月23日

ぼんくら日記

市長選の結果は予想通りで、現市長の勝利。ただし、駅前大規模整備の反対派二人の候補の得票合計は、過半数を超える。これも予想通り。

精障者の作業施設Mのボラ。畑。精障者作業所カレーハウスAの包丁研ぎ、など。

その後、友愛訪問T氏。

夜、自治会パトロール。

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2007年7月22日 (日)

市長選挙

7月22日

ぼんくら日記

今、参議院選挙でかしましい。狭山市はそのほかに市長選挙があり、今日はその投票日である。

狭山市での一番の問題は、駅前の整備だ。これは狭山市の課題で、近隣の他の市に比べても、駅前はみすぼらしい。だから、最小限の整備をすることには誰も反対はしないだろう。問題は、どの程度の整備をするかである。

大規模に整備しようとするのが現市長派で、孫子の代まで残るような借金をしてまですべきではないというのが、反対派である。開発の賛否を市民の投票で決めるべきだという署名が(この署名は私もした)、法律的に有効とされる何倍も集まったのに、市議会は市民投票を求めなかった。この件に関しては、現在裁判が起こされている。市民投票をすれば、おそらく反対の方が多いだろう事を怖れたのだと、私は思う。過去の例がある。入間市との合併を、市民投票で覆されたからだ。

しかし今回の選挙では、現市長に対する反対派が二人でてしまった。これでは勝てないのではないか。反対派の市議の接着剤の役割をしていたOさんが亡くなり、バラバラになってしまったのが原因だろう。

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2007年7月21日 (土)

気力無し

7月21日

ぼんくら日記

今日から2~3日、童話を載せようかと思ったが、長くなるので気力がでない。来週あたり、気が向いたら書きましょう。

俳句定例会。めずらしく高得点句もあった。来月の俳句大会の相談をして散会。

自治会の役員会。夏祭りの相談。

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2007年7月20日 (金)

眼鏡

7月20日

ぼんくら日記

健康ではあるが、目でも歯でも耳でも老化が進んでいる。 

1週間くらい前から眼科へ通っている。物がぼやけて見えたり、すぐ疲れたりする。眼鏡をかけていても、長く本を読むことが出来ない。加齢による白内障の疑いを持って、眼科へ行ったのである。

ところが眼科医は眼鏡を調べて、この眼鏡では疲れるという。眼鏡屋が来るという今日の午後、あらかじめ予約をしておいて眼科へ行った。あれこれ調べて、これと決めたレンズをかけると、確かに見やすいし、目も疲れない。今かけているのとは雲泥の差がある。で、こんどは、眼鏡屋に行く日を予約した。

今かけている眼鏡も、勝手に買ったものではなく、川越の眼鏡屋で検眼してもらって買ったのだ。それも今年である。やはり、ふらっと入った眼鏡屋では、本当に合う眼鏡は買えないんだなあ。本当に検眼の出来る店員もいなかったのだろう。とんだ散財だった。

それに、パソコンを見るための眼鏡と、本や新聞を読むための眼鏡は、違うのだそうである。辞書などのように細かい字を読む眼鏡も、また違うのだそうである。そう幾つも買う訳にはいかない。取りあえず、本や新聞を読むための眼鏡を買うことにした。

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2007年7月19日 (木)

ニュースの感想

7月19日

ぼんくら日記

テレビや新聞のニュースを見て感じたことを書いたりするのは、ブログを維持する方法としては楽である。しかし、自分の書いたことに言い訳を書かなければならない事態にもなる。

中国で肉まんに段ボールを混ぜていたというニュースは、やらせだったという。このブログに、書かなければよかったと今は思う。私も、やらせ臭いと、一瞬は思ったが、あまりの荒唐無稽さに、逆に信じてしまった。あの映像は放送局員によるやらせだったと報道されたが、なんだか、もう少し奥がありそうな気さえする。やらせだったと訂正するところまで含めて、全体がやらせではないのか、などと思ってしまうのだ。

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2007年7月18日 (水)

原発事故

7月18日

ぼんくら日記

北海道行きは、台風を逃げるような感じだったけれど、帰ってみたら、中越沖地震で、新潟、長野は大変なことになっていた。

被災された方々、お見舞い申し上げます。こんな場合、ほかに言う言葉を知らない。原発の事故も報じられた。建設時の想定外の大きな地震だったと言うことだが、そんなことで大丈夫なのかなあ。放射能も漏れたと言うことだ。人体に影響のない程度だと言うけれど、漏れること自体、大問題だろう。とにかく、耐震強度が、想定外というのは怖い。

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2007年7月17日 (火)

定山渓温泉

7月17日

ぼんくら日記

北海道に行ってきた。多くの人にとって、北海道と言っても、別にどうと言うことも無いだろうけれども、私などは、めったに行くことのない土地である。北海道に行ったと言うだけで、人生のうちでかなり珍しい経験になるのである。

目的は観光旅行ではなく、次女夫婦の夫の方の親族との顔合わせ、と言ったところだ。次女たちは、外国で式を挙げた。相手の両親には会っているが、その他の人たちとは今回が初めて会うことになった。こちらからは、長女夫婦と孫たちも出かけた。

会合を持ったのは、定山渓温泉ビューホテル。お互いに紹介をしあって、宴会をして、特に珍しいこともなくお開きという次第。私の孫たちと、次女の義弟に当たる人の子どもたちが仲良くなって、賑やかによく騒いだ。

定山渓ビューホテルはこの温泉地で1番大きな目立つホテルだった。新館の最上階と頂上に風呂があり、本館の地下にも風呂がある。どちらも大きく、割合に深い風呂である。どれも、胴長の私が中腰で入らなければならない。胴長と言えば、発見が一つ。ここの風呂の中に立つと、お湯の表面が、ちょうど私のおちんちんの上に来る。かすかすで隠れるのだ。ところが、背の高さがほとんど変わらない若い人が立つと、おちんちんが、はっきりと外に出るのである。それも、たれた先が、湯から何センチか上にでたりする。おちんちんの位置によって、今回はっきりと、自分が胴長短足であることを再確認した。

二日目は小樽を観光し、孫たちの好きな水族館へ行く。小樽は、すっかり観光地になっていますね。

月曜日夜、帰宅。

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2007年7月13日 (金)

日本も中国も

7月13日

ぼんくら日記

日本のミートホープという肉屋さんが、いろいろとやりたい放題をやって、挽肉をふやかすのに雨水を使ったりした。ひどいもんだと思っていたら、中国では、段ボールを細かく刻んで、肉まんに入れて売っていたという。段ボールの方が6で、豚の脂身が4の割合でつくったと言うから、驚くほかはない。食べて見破った人はいないという。段ボールを柔らかくするため、苛性ソーダを使っていたそうだ。そうだ、そうだ、そうだ村の村長さんは、ソーダ入りの段ボール食って、なんにも気づかなかったそうだ、と言うくらいのものだ。

ここまでやると、笑えてくる。欲の皮がつっぱているのだが、おおらかささえ感じる。高いものの買えない俺たち貧乏人は、どうすれば安全でごまかしのない物を買えるんだろかいな。どうすりゃいいのさこの私……歌っている場合じゃない。

きょうのタイトルは、少し考えた。肉まんとつけると、エッチサイトのトラックバックが沢山つきそうだ。やりたい放題では、なおいけない。エッチは嫌いではありませんが、トラックバックなどつけられるのは迷惑な話だ。

明日から3日ほど、ブログを休みます。

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2007年7月 9日 (月)

ジャガイモ掘り

7月9日

ぼんくら日記

精障者作業施設Mへ。

昨日の山行で、足と腰が痛いし、40肩で、肩や腕も痛む。しかし、施設の畑のジャガイモ、どうでも今日当たり掘り起こさなければいけなかったので、決行する。段ボールの蜜柑箱2つ半くらいは穫れた。ただし、質の悪いものもあり、味の方はどうか?

鵜の木河川敷で行うバザーのため、飾り画鋲(仮の命名)を作る。メモ用紙などをボードに仮止めするために、プラスチックのつまみの付いたピンがあるが、そのピンの部分を木の枝にしたもの。画鋲の頭に木の枝を接着剤でつける。メンバーのKさんと共に、約100個作る。

竹トンボ作りの準備。竹トンボも、バザーのために作る物。

友愛訪問、Tさん。

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2007年7月 8日 (日)

網笠山

7月8日

ぼんくら日記

山楽会定例会。網笠山。

コース   観音平ー雲海展望台ー押手川ー網笠山ー少年小屋ー押手川ー雲海展望台ー展望台ー(遊歩道)-観音平

登り3時間、下り3時間。上り下りが同じくらいの時間なのは、下りは大きく回り道をするコースのため。狭山市駅前初5時30分。駅前着7時30分。

コースの大半は、カラマツやシラカバ、ダケカンバなどの樹林の中。落ち葉が登山道をスポンジ状にしていて、クッションになり、歩きやすい。ただし、岩だらけの場所も3割程度はある。梅雨時の晴れ間のせいか、虻が大発生していて、ほとんど最初から最後までつきまとわれる。この点だけが不愉快であった。晴れ間と言っても、快晴には遠い薄曇りで、見晴らしがきかなかったのは残念。

イワカガミの花が多い。頂上付近のハイマツの実(大きくなれば松かさになる)が美しい紅色だった。これは初めて見るもの。少年小屋の敷地にクロユリが植えられていた。その匂いは・・・見るだけにして、嗅がないことをおすすめします。

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2007年7月 7日 (土)

老人会の誕生会

7月7日

ぼんくら日記

そんなつもりはなかったのに、ひよんな事で入ることになってしまった寿会(老人会)の誕生会。1丁目集会所に集まり、結構賑やかな会。余興に手品をやる。

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2007年7月 6日 (金)

年金問題

7月6日

ぼんくら日記

いつかも書いたが、私は年金問題の被害者である。ほぼ1年あまりの年金の行方が分からない。今日、川越の社会保険事務所に行ってきたが、結局解決できなかった。

戦後の、まだ日本が貧しかった頃、私は15歳の義務教育終了程度で就職した。私はぼんくらな蛙だけれど、高校に進学する能力がなかった訳ではなくて、家が貧しかったのである。

最初に就いた仕事は、おもちゃの機関車の部品を作る家内工業だった。日給は100円であった。当時は、一人のひと月の食費が3000円はかかるといわれていた。毎日働いても、食い扶持が稼げるかどうかという金額である。私は手が遅くて、採算が合わなかったのだと思うが、3ヶ月くらいで首になった。

その後、荻窪にあったメッキ工場に入社した。昭和27年頃である。ここで厚生年金に加入した。これが出てこないのである。荻窪駅から、青梅街道を三鷹方面に歩いて、清水町というところにあったような気がする。この会社の名前がはっきりしない。平沢とか平沼とか、平という字がついたような気がするのだが、あやふやである。もう50年以上も前のことだ。

その後、和楽器の製造卸の会社に勤めた。この会社で、私は厚生年金の証書を捨てられてしまった。この会社の名前と、証書を捨てられた事情を書いても良いのだけれど、今は止めておく。その後、この会社で昭和31年、厚生年金に加入した。この、捨てられた分が出てこないのである。

名寄せをしてもらうしかないのだけれども、それでも出てこないらしいのである。荻窪のメッキ工場の名前が思い出せればいいのだが、50年以上も前のことで、工場などとうの昔になくなっているものを、どうやって調べればいいのだろうか。行方不明の年金記録が5000万件くらいあると言うことだが、私のは、そのどこかに紛れ込んでいるのだろう。あるいは、消されてしまった1000何百万件の方かもしれない。

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2007年7月 3日 (火)

もてる男

7月3日

男として生まれたら、女にもてたいと思うのは自然な人情だ。こう言い切ってしまうのは、少し言い過ぎかもしれない。同性愛者というのもいるからだ。私の場合、そういう人もいると知っているだけで、気持ちは理解できない。昔、古今亭志ん生の落語の枕で、もてていないのにもてるふりをする男の小話を幾つか聞いた。記憶に従って再現してみる(少し違うかもしれない)。

・・・なんだなあ、女に噛まれるってえのは痛いもんだなあ。

・・・なんだって! おやすくないねえ。どこを噛まれたんだ。

なんのことはない、てめえで噛んで置いてな

・・・見てくれここだよ、腕だよほら。

・・・これがそうかい。女にしては馬鹿に口が大きいじゃねえか。

・・・ああ、女が笑いながら噛んだ。

次のような話もあった。

男と生まれて、ご婦人方にちやほやされるのは嬉しいもんですな。私なども若い頃にその方面に遊びに行くと、おんなが

あーらしーさん、久しぶりじゃないの。どこをほっつき歩いていたのよ、憎ったらしい。なんていわれて腕をつねられたもんです。つねるったって、こんな奴をちやほやするのはお金のためだ、と思って本気でつねるから、痛えーのなんの

・・・痛えなおい。痣になちゃった。

止せばいいのにそれを人に見せて歩く。でも、2,3日すると色が褪せてくる。

・・・しょうがねえなあ、少し色上げしてやれ。

残念ながら、私は、女性をかき分けかき分け進むようなもて方は、生涯1度だってしたことはない。志ん生に依れば、本当にもてる男は、2・3人しかいないそうだ。今なら、福沢諭吉、野口英世、夏目漱石くらいだ。つまり、日本銀行発行の絵はがきの男しかもてないのだそうな。樋口一葉は、同性愛者のための絵はがきかなあ。

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2007年7月 1日 (日)

なんだっけ

7月1日

ぼんくら日記

いつもいつも、私は自分が惚けてきたようなことを書いている。まだ本当には惚けていないと思うから、そんなことが書けるのである。でも、3分の2は大丈夫と思うけれども、3分の1くらいは本気なのである。

何度も書いていることだが、毎晩パソコンに向かうとき、今日はなにを書こうかと考える。たまには書きたいことを持っていることもあるが、たいていは何の用意も無くパソコンに向かい、それから考える。そんなとき、一番簡単なのは、その日の出来事を書くことだ。

だからこのブログは、どこそこで滑って転んだとか、ボランティアをしたとか、書くことが多い。しかし、滑って転んだこととか、ボランティアをしたこととかをかならず書くかといえば、そうでもない。日記のようなときもあり、日記のようではないときもある。

今日はパソコンに向かって、何も考えが浮かばないので、出来事を書こうかと思った。車椅子と仲間の会で、ソバ打ちを見学し、作ってもらったソバを食べ、おいしかった、と書くつもりだった。

しかし、日記を書く前に、インターネットで他の人のブログなど見ているうち、「あ、これを書こう」と思うことがあった。で、5分くらい、いくつかのブログを見て、さて、自分のブログを開いてみたら、5分前に考えたことが、もう思い出せない。ブログの投稿ページを見ながら、なにを書こうと思ったのかしばらく考えた。結局分からず終いだ。それで、今日のブログは、自分の惚け具合を書くことからはじめたのである。

こういうの、楽屋落ちというのかな。

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2007年6月28日 (木)

歯の手入れ

6月28日

ぼんくら日記

しばらく通っていた歯科医、今日で一応終わり。入れ歯が当たって歯茎が痛かったところも調整してもらい、痛みはなくなった。

歯が終わったら、こんどは目を見てもらわなくてはならない。近ごろ、眼鏡をかけていても、すぐに目がぼやける。先日などは、お互いに自転車に乗りながら狭い道ですれ違った人の、顔がよく分からなかった。相手が私に挨拶をするので、私も挨拶をしたが、顔が確認できなかった。知っている顔なのに名前が浮かばないというのは良くあるけれど、顔の確認が出来ないというのは問題である。来週あたりから、眼科に通うことになるだろう。耳も遠くなったし、すべて駄目ですね。

明日、布団とマットレスが届く。これは肩が痛いので買う気になった。膝だって少し痛むのだけれども、気にしないで歩くことにしている。どこもかしこも、悪いところだらけだ。だが、これと言って決定的なものがないのが救い。膝でも肩でも、少し痛むと言うことであって、痛くてどうしようもないというのとは違う。目も、疲れたときには目薬でも点せば、なんとか新聞を読み続けることが出来る。入れ歯がなくても、堅いものが食える。みんな、少しずつ悪いのである。

歳をとると、誰にもそんなことがあるのだと思って、自ら慰める。今日、ボランティアグループの定例会。Hさんが、手や足を日光に当てただけで、蚊に食われたようなあとが一面に出来ていた。加齢に依るのか、生まれつきなのか。別のHさんは、学校の生け垣の手入れをした際毛虫にやられて、全身に湿疹が出来たということで、休みだった。誰でも何かあるんだなあ。

肩の痛みの原因が分かった。先日、電動車イスを自動車のトランクに積んだが、あれが肩に響いたらしい。電動車イスはかなり重いが、若いときは、そんなものくらいなんでもなかったのに・・・。

本来ならば、今日は老人介護施設Kに行くはずだったが、歯科医に行かなければならなかったので、パス。

蒸し暑い一日。Hさん、もう一人のHさんとは違うが、この季節、私も体のあちこちが痒くなってくる。

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2007年6月26日 (火)

40肩と布団。

6月26日

ニチイで敷き布団とマットレスを買う。わたしの事だから、何に寄らず安いものを買うのだが、それでも両方合わせると1万何千円かになる。大変な出費だ。

先月だったか、今月に入ってからだったかは忘れたが、腕の動かし方によって、肩と上腕部が痛いのだ。普段はそれほどでもないが、寝るときに、下になった肩が痛む。筋肉痛とも違うし、肩が凝っているのでもない。神経か筋か、何かそのようなところが痛い。40肩だという人もいた。70歳で40肩というのも変だが、そんなものの軽いのかもしれない。

何はともあれ、せんべい布団やくたびれたマットレスに問題があるかもしれないので、変えることにした。本当は今月の予算はすでにオーバーしているので、来月になってから買おうと思っていた。しかしどのみち買うものである。少し早いが、銀行で来月分の生活費をおろして買いに出かけたのである。

私は年金だけで生活している。元来が貧乏人なので、収入内の金額で生活しないと、不安になる。一月単位ではともかく、年間を通じて赤字というのは、心穏やかではない。しかし、今年はどうやら赤字になりそうだ。今月は、入れ歯と布団で、3万円くらいの出費だ。これは私の予定になかったものだから大きい。

本当は酒を飲まなければいいのだけれど、これを止めたら欲求不満で鬱になっちゃうな。

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2007年6月25日 (月)

施設の畑

6月25日

ぼんくら日記

精障者の作業施設Mの畑に、インゲンの種を蒔く。畑は悪いし、肥料は少ないし、指導する私が農業についてはシロートときてるから、果たして上手くできるかどうか。

今作っているのは、ジャガイモ、なす、きゅうりなどである。ジャガイモはもう収穫しても良いくらいにはなっている。まあ、普通の出来だろう。なすとキュウリは、失敗である。植えたときに十分に水をやらなかったこと、その後日照りが続いたことなどにより、多くの収穫は望めそうもない。今日種を蒔いたところには、本当はサツマイモを植えるつもりだった。しかし行きつけのホームセンターで、苗を買い損なってしまった。苗は1週間もしないうちに売り切れてしまったらしい。

どこかから種が飛んできて、青紫蘇が生えている。大量に欲しいものとは違うけれど、香の物としなかなか良いものだ。なすやキュウリの収穫がはかばかしくないので、紫蘇の葉を少し持ち帰る。細かく刻んで、昼食時、みんなで少しずつ食べる。

午後、KさんやKUさんに、木製のコースターを作ってもらいながら、お客さなから頼まれた包丁研ぎと、まな板削りをする。お客様の中には、私が料金を取っていると思っている人もあるようだが、もちろん私はボランティアで、1円もいただいていない。Mの売り上げである。

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2007年6月24日 (日)

ミートホープ

6月24日

ぼんくら日記

何か問題が起きたときに、マスコミの記事を見て、正義の味方みたいな顔をしてどこかの誰かを非難したりするのは、かなり安易な方法である。とはいうものの、食肉業者ミートホープのやり方は、かなりひどいものだ。

最近はインターネットなどという便利なものがあって、そこに載るブログなどを見ていると、問題はミートホープばかりではなくて、この国では、食品や飲み物、酒などにいたるまで、インチキが蔓延しているようだ。つい先だって、ある人に、越乃寒梅の空き瓶を3本、行きつけの飲み屋に売った話を聞いた。1本2千円で買ってくれたそうだ。飲み屋ではそれに普通の酒を詰め、越乃寒梅として客に出していたらしい。こんなのはそこの酒屋の特殊なことかと思っていたが、どうもそうではないらしい。大手でも、初めから質の悪い酒を、小売店や量販店に高級酒として卸したりすることが、日常茶飯事らしいのである。

ミンチの肉などは、名の通った大手のスーパーなどでも、かなりいい加減に作っているようだ。私は今日スーパーで挽肉を買ったが、インターネットを見る前だった。見てからだったら、買うのをためらっただろう。賞味期限切れの肉がミンチされている可能性はかなり高い。賞味期限のラベルも、張り替えられているかもしれない。3回くらいは張り替える例もあるようだ。

戦前や戦後しばらくの間は、日本製は何でも出来が悪くて、外国で作られた物を、舶来品(古い言葉だ)として尊ぶ風潮があった。だから、日本で作られた物を、あたかも外国のものであるかのように偽装して売った。今では食べ物でも工業製品でも、国産の方が質がよいとされる。このことは日本人の技術の優秀さを示すものとして誇っても良いのだけれど、こんどは、外国産を国産と偽装するようになった。古いものを新しいものとし、たたき売りしなければならないものを高級品として売る、この性質だけは変わらない。

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2007年6月23日 (土)

雑感

6月23日

ぼんくら日記

毎日雑感を書いているのだけれど、どのみち、まとまりのない話だ。

昔随筆を書いていたよしみで、その頃の仲間から手づくりの、随筆小冊子が送られてくれる。季刊で、今回のは2007年夏号である。通巻52号なので、もう10数年続いていることになる。投稿者は、千葉県中心なのだけれども、関東一円、中には奈良や静岡の人などもいる。それにときどきは聖路加国際病院理事長、日野原重明氏の寄稿などもある。今回も氏の寄稿がある。

編集者は女性二人で、そのうちの一人と知り合いだったため送っていただくようになったのだが、その人は今病気療養中である。で、もう一人の編集者が引き継いで、私に送ってくれるのだ。申し訳ないので、読後の感想だけは書き送っている。投稿すれば載せて貰えるのだが、なかなかその気力がでない。これまで投稿したのは、二回か三回くらいしかなかったように思う。

車イスのTさんと会う。例によって文章を見てくれということだ。次から次に良く書く。このエネルギーを私も見習うべきなのだ。良く書くだけあって、文章自体はかなり良くなった。あとはどこに重点を置くかという内容の問題だ。これは人によって違うし、自得してもらうしかないように思う。

私はものの考え方でも、文章の書き方でも、あれもある、これもあると思う方である。本当は自分の考え方を前面に出して、こうしろ、ああしろと言う方が良いのかもしれない。文章でもその方が上達は早いかもしれないが、個性を殺すことになりそうな気がして、出来ない。私にアドバイスを求める方は、自分で考えなければならないから、大変と言えば大変だ。

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2007年6月22日 (金)

竹馬

6月22日

ぼんくら日記

6月14日に梅雨入りして、その日だけ雨が降って、その後丸一週間晴れが続いた。こんなのが梅雨かね、と思っていたら今日は雨。しかし明日はまた晴れるのだとか。おーい、梅雨はどこへいったァ。

絵の会で、竹馬に乗った子どもを描く。バックは彩の森公園。子どものほかに、ピエロも竹馬に乗せた。絵の感じとしては、ピエロが子どもたちに竹馬の指導をしているという雰囲気。われわれの会で、私だけがまじめな風景画から離れた。良いのか悪いのか知らないが、私は絵で遊んでいるのだ。

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2007年6月20日 (水)

広重美術館 キリシタン禁制高札

6月19,20日

ぼんくら日記

車椅子の会のTさん、Hさんと那須那珂川へ旅行。

広重美術館

旅館もコースも、2ヶ月前と同じ。ただし、2ヶ月前は目的の一つ、広重美術館を見られなかったが、今回は見ることが出来た。広重の肉筆画が2点展示してあった。柔らかな筆致の風景画で、なかなか好感の持てるものである。広重は果たしてどんな絵の具を使っていたのだろうか。東海道53次の版画は、思っていたよりも色が鮮やかで、紙も絵の具も、保存状態さえよければ案外変化しないものだと思った。私の勝手な感想では、もう少し古びている方がよかったような気がする。(自分でもわがままな感想だと思う)。

キリシタン禁制高札

美術館隣の、馬頭町郷土資料館にも入ってみた。そこで見た江戸時代の高札の文を写してきたので、下に記す。

    

きりしたん邪

宗の儀は堅く

御制禁たり、若

不審なるもの

これあらば、その筋の

役所に申し出べし

御ほうび下さる

べく事

    慶応4年3月

           太政官

これを縦書きにしてある。行分けはこの通り。慶応4年、明治元年、鎖国は解いても、キリスト教はあいかわらず禁じていた証拠。べつだん新しく知った訳ではないけれども、その高札の実物を見るのは初めてだったので、興味を持った。この高札の所蔵は、馬頭町、別雷神社。

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2007年6月18日 (月)

無題

6月18日

ぼんくら日記

精障者小規模作業所M。畑でなすの初収穫4本。スライスしてポリ袋で塩もみ、昼食時、みんなで食す。午後、ボランティアのAさん、社会福祉協議会を定年退職した I さんなど、見える。

友愛訪問、Tさん。あいかわらず、体調は悪いままの安定である。体調が悪くなって、もう2ヶ月になるそうで、奥さんは心配している。

関東が梅雨入りしたのはいつだったか。もう四、五日はたっているが、梅雨入りした次の日から、真夏の晴天が続いている。水不足が気になる。

明日は、ブログは休み。

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2007年6月16日 (土)

父の日

6月16日

ぼんくら日記

次女からお酒が届いた。父の日のプレゼントらしい。酒のラベルに私の名前が付いていて、姓名判断みたいなものもついている。もちろん、良いことばかり書いている。吟醸酒で、かなり行ける酒である。つまり、もうコップ一杯は飲んでしまったと言うこと。明日は、父の日なのだそうです。

本当は、田植えのパート2を書くつもりだったけれど、何となく気乗りがしない。朝や、日中は、これを書こう、あれを書こうと思ったりする。しかし、夕方になると、書きたいことが無くなってくるから不思議だ。だから、パソコンの前に座ると、あらためて、書くことをさがしたりする。

俳句の会。

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2007年6月14日 (木)

義歯

6月14日

ぼんくら日記

ボラ・グループの定例会。

義歯

とうとう私も、義歯を入れることになってしまった。左下の奥歯である。左下の奥歯が無くなっていたが、さほど不便に感じていた訳ではない。硬いものも食べられるし、何が食えないと言うことはなかった。しかし、右側ばかり使うのは、なんだか知らないが、健康に悪いらしい。歯が不健全だと、影響は、歯だけに治まらないらしいので、義歯を入れることに同意した。

今日の夕食は、その歯をつけたまま、初めて食事をした。のんきな性格のせいか、さほど異物感もなく、おいしく食べられた。しかしながら、普段はない方が楽とは言えるので、食後はすぐに外してしまった。

私はおっちょこちょいだから、旅行などの時は、入れ歯無しで行く方がいいような気がする。外したまま忘れてしまう危険があるのだ。入れ歯が無くても、酒は旨いし、煎った豆だって噛める。家で食事をするときに使うだけで十分である。

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2007年6月13日 (水)

扇風機

6月13日

ぼんくら日記

日本にも特許制度が出来て、そのごく初期に、手動式扇風機の特許があったそうだ。何枚かの団扇をくくりつけた機械で、小僧がそれを廻し、旦那は涼むという落語の世界ような機械だったそうだ。この書き方で分かるように、自分で調べたものではない。このブログを読んで、手動式の扇風機があった、などとどこかで書いたりすると、恥を書くかもしれない。書きたい人は、自分で調べてください。ぼんくらカエルは無責任な蛙です。

去年から、わが家の一番気に入りの扇風機が動かなくなっていた。秋になったので、取りあえずは押入に押し込み、この夏、また引き出した。半年間休ませたのだから少しは機嫌を直して動いてくれるかと思ったのだが、我が心機械は知らずで、先日スイッチを入れてみたときには、うんでもすんでもなかった。普通は、スイッチの故障と思うのだが、スイッチ自体は入っているらしい。それで動かないのだから、私には原因が分からない。あちこち手をかけてみたが、結局分からず終いだった。

今日、もう一度手を入れてみた。手を入れると言ったところで、何をどうすればいいのかは分からない。取りあえず、ネジはすべて外し、分解できるところは、すべて分解した。そして洗えるところは洗剤や石けんをつけてごしごし洗った。電気製品だからと言って、水で洗っていけない訳ではあるまい。完全に水が乾くまで干せばいいのだ、と、私はかってに思った。こうして、取れる埃や汚れは全部取り、もう一度組み立てたところ、扇風機は動いたのである。どこに原因があったのかは分からないが、とにかく治ることは治った。

金のことを書くときは、かならず「自分は貧乏である」と書かなければならない。だから使っているエアコンは性能が悪くて、かけても、私の部屋はなかなか冷えない。そうかといって、新しいエアコンを買うには金がかかりすぎる。いきをい扇風機を使うことが多くなる。私は、扇風機を三つ持っているのだが、そのうちの一番大きくて、居間に置いてあるものが壊れていたのである。今年は買わなければならないと覚悟していたが、取りあえず治ってくれたので、万歳三唱の気分だ。天下りをくり返している役人には、こんな感覚、分からないんだろうなあ。

 

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2007年6月12日 (火)

公園散歩 40肩

6月12日

ぼんくら日記

公園散歩

老人介護施設Kの付き添いで、彩の森公園の散歩。今日のボランティアは私一人。かなり強い陽ざしだったが、さわやかで気持ちがよい。

公園の緑が美しい。もはや若葉とは言えないが、葉の色に、盛夏の重苦しさはない。まだ、鮮やかな緑と言ってよいだろう。休むときは車イスを木陰に寄せるのだが、そこには、まさに緑陰のさわやかさがある。

施設を10時出発して、12時には帰る。ほどよい疲れだ。

40肩

半月ほど前から、左の肩が痛い。腕を上にあげて、後ろに廻そうとすると痛いのだ。肩が凝るのとも違うし、筋肉痛でもない。神経が痛いというのか、筋が痛いというのか、そんな感じの痛みだ。生活にさほどの支障はないが、左肩を下にして寝ることが出来ないのが、少し不便。

寝るときの姿勢は、人によっていろいろだろう。私の場合は、あおむけ、右下、左下、などと姿勢を変えながら、つまりは、寝返りを打ちながら寝る。うつぶせだけはしない。若いときは横向きで、体を丸くすることが多かったが、今は、多少丸くするという程度だ。仰向けに寝ることは、若いときより多いと思う。

横向きに寝ていると、下になった方の鼻がつまってくる。そんなときは寝返りを打てばいいのだが、今は左を下に出来ないのである。肩というか、腕というか、その辺りが傷むからだ。

この症状をある人に言ったら、「40肩だろう」という。70歳にして40肩ならば、あまり文句も言えない。

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2007年6月11日 (月)

街頭募金

6月11日

ぼんくら日記

久しぶりに、精神障害者のための福祉法人、こぶし福祉会の街頭募金。

街頭募金をする団体は多いが、私は自分がそんなことに係わるまで、あまり好感は持っていなかった。募金を呼びかける暇があったら、自分がアルバイトでもして、その金を寄付すればいいではないか、と考えたりしたものだ。

しかし、街頭募金をする法の趣旨は、必ずしも金集めだけではないらしい。時には宣伝活動の意味があったりする。その問題に興味を持ってもらいたいと考えていたり、同時に配るビラを読んでもらいたかったり、今後の活動への理解を求めたりするのである。……もっとも、どれだけ効果があるかは……?

募金終了後、精障者作業所Mへ。

友愛訪問Tさん。

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2007年6月10日 (日)

南高尾

6月10日

ぼんくら日記

山グループの山行。出がけからはげしい雨。普通なら止めるところだが、今日のリーダーはSさんなので、決行する。但し、目的地は、権現山から南高尾に変える。参加12名。

京王線高雄口で下車。準備体操の後、初めはスパッツを着装して登る。雨は降ったり止んだりしていたが、そのうちに激しくなり、カッパを着る。しかしこれは暑すぎて、私はすぐに脱いで、傘にした。他の人はカッパ。雨が激しくなるばかりなので、昼前に下山。それでも、3時間くらいは歩いた。

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2007年6月 9日 (土)

無為徒食

6月9日

ぼんくら日記

今日の日記の題は、無題でもいいのだ。特に書くことは無し、と言うこと。あとで読み返すときに分かりやすいようにと、題を付けることにしたのだが、今日のような日は、どうでもいいなあ。

老人介護施設Kの公園散歩につきあうはずだったが、空模様が不順なので中止になった。おかげで予定無しの1日が出来、本を読んだり、数独をしたり、洗濯やら買い物やらをして過ごす。

毎週月曜日に行っている精障者小規模作業所で、サツマイモを植えようと思っていたのだが、セキチューで聞いたら、とうに苗は売り切れているのだそうだ。週に1回くらいは見ていたのだが、売っていることに気がつかなかった。さて、あの畑に何を植えるか。

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2007年6月 8日 (金)

私のために書く

6月8日

ぼんくら日記

この半月ばかり、「影隠し地蔵縁起」にかかりっきりで、日記は書いていなかった。「影隠し地蔵縁起」は、「カテゴリー」を「童話」としておいたが、「小説」の方が適当だったかもしれない。私としては、大人と子どもの間くらいの人に読んで貰えれば、と思って書いたものである。

この半月、趣味でもボランティアでも、日記に書くべきことはあった。普段の活動と違うこともしている。しかし、それから何日もたってみると、あらためて書く気もしない。どのみち、どうでもいいことではあるのだ。

私の書くものは、私にとって意味がある。私は私のために書く。だから、なにを書くか書かないかは、私の気分次第である。

  毀誉褒貶どうでもよくて生ビール

今日から狭山市の富士見公民館で、われわれの絵のグループの展示をする。絵画教室にいつもより早めに行き、ロビーにパネルを運んだり、会員の絵をセットしたり。各自2作品を展示。しかし、我らのグループは、いろいろな絵がありますなあ。統一がないと言えばその通りだが、各自の個性的だといえば、そうも言える。根気よく丁寧に描く人もいれば、私のように投げやりに描く人もいる。最近の私の絵は、かならず、男の子と女の子、それに犬を描き入れる。これも個性のうちだ。

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2007年6月 2日 (土)

年金問題

6月2日

ぼんくら日記

このところ、年金問題がかしましいが、じつは私は、この問題の被害者である。

私は義務教育を終わって、すぐに就職した。当時はまだ戦後の混乱が続く時代で、就職難であった。まして義務教育終了程度の人間に、職業選択の余地などあるはずもなく、たとえどんなところであれ、給料をくれるところならば、どこへでも就職したのが実状である。そんな中で、1951年の多分9月ごろ荻窪にあったメッキ工場に入社した。ここで9ヶ月くらい過ごしたが、このとき、厚生年金に加入している。この会社は、とうの昔になくなっている。

その後、この会社を退き、品川の職業訓練所で家具木工の訓練を受けた。そして就職した先が文京区にある和楽器を作る会社であった。当時は4人以上の従業員のいる会社は、厚生年金に加入しなければならないはずであった。しかしこの会社は当時でも10人以上の従業員がいたのに、われわれは潜りで、そのような保険類には入っていなかった。労働基準監督署がときどき調べに来ていたのだが、そんなときには、われわれは作業着のまま会社を追い出され、東大の三四郎池辺りで時間をつぶし、帰ってきたりした。ときには、帰宅時間になってもまだ監督署の人がいたりして、われわれは窓から衣類を投げてもらい、作業着を着替えて帰宅したりもした。

監督署の圧力もあったせいか、われわれも厚生年金にはいることになり、私はメッキ屋で使っていた年金手帳を会社に持って行った。ここで何ヶ月か年金を払ったが、また潜りにするという。形の上では、従業員ではないという扱いにする訳だ。こんなことを、もう一度くらいくり返したかもしれない。それからどれくらいたったのか、あらためて加入するから古い手帳をもってこいという。

その時の会社側のやったことがひどいのである。前と同じ名前の人が何人も同時に再加入というのはおかしいので、「古い年金手帳は捨てた」というのだ。こちらはまだ子どもだし、先のことなどあまり考えてもいなかったので、そのまま過ごした。現在の私の年金手帳は昭和35年(1956)加入になっている。このとき加入したものである。

それからは、独立して仕事をしたことや、未加入の会社で仕事をしたことなどもあり、さまざまな過ごし方をした。今から10年くらい前に年金をもらうに当たって、上記のような事情を話し、昔捨てられた年金手帳があることを、所沢の社会保険事務所に申し出た。しかし「調べたが分からなかった」と言う回答があった。最近の様子を見ていると、本当に調べたのだとは思えなくなってくる。これ以上調べてもらうとしても、こちらは記憶があるだけで、証拠を示すことは出来ない。どうしたものかと迷うばかりだ。社会保険庁の方では、記録自体が失われている場合もあるようで、もう一度尋ねてみたいと思っているが、心もとないものだ。

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2007年5月24日 (木)

定例会

5月24日

ぼんくら日記

たまには気の利いたことでも書こうかと思うけれども、酒を飲んでいるうちにどうでも良くなってくる。土台、気の利いたことを書こうとしたって、中身がない。

ボランティアグループの定例会。

武州ガスがガス器具の点検に来るので、午後は自宅。

夕方、山の会恒例、夏の1泊山行に関して、班長会の招集電話をかけまくる。

夕食は、久しぶりにゴーヤチャンプルを作る。

以上で、今日の私の行動のすべて。あ、ナンプレを何問か解いた。本を少し読んだ。寝転がった。欠伸をした。

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2007年5月23日 (水)

疲れている

5月23日

ぼんくら日記

本日のわたくしめは、疲れているのでございます。

大分前から、パソコンに取り込んだ絵や写真をCDロムに送ろうとしたも、どうしても送れなくなっていた。自分でいろいろ試すだけではなくて、かなり詳しい次女にわざわざ来てもらい、見てもらったりしたが、解決しない。プレインストールされていたソフトを、何かの弾みでアンインストールしてしまったのかもしれない。

今日川越で、安いソフトを買ってきて、インストールした。それで疲れた。

だいたい私がパソコンに向かうのは、夕食後で、アルコールもチャンポンで飲んでからだ。日本酒に換算すれば、3合くらいは飲んでいる。そして、インターネットを見たり、こうしてブログを書いたりするわけだ。

CDロムに書き込み用のソフトをインストールするためには、さまざまなカタカナ用語を読まなければならない。これが疲れるのである。今日のブログはカタカナが多いけれども、この程度のカタカナでも、やっと覚えたものがある。ましてや、酒の回った頭で、見慣れないカタカナ語を読みながら作業をするなどと言うことは、洋服を着たまま100メートル泳ぐようなもので、はなはだ骨が折れる。肩も凝った。

だから、ソフトをインストールはしたが、まだ試してはいない。明日、気が向いたらやってみるつもりだ。

今日は、あと少し飲まなければならない。

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2007年5月21日 (月)

竹とんぼ 2

5月21日

ぼんくら日記

精障者作業所Mで、先週の続いて竹とんぼ作り。

この竹トンボ、5月27日(日曜日)、東京家政大学祭のバザーに出品する。当日私は他に用事があって、ちょっと立ち寄るくらいしかできないのは残念。ぼんくらカエルの係わったものとしては、竹トンボと、ミニ、ミニ木工製品を少しだけ用意する。会場は西武池袋線、稲荷山公園駅のすぐ近く。ぼんくらカエルのブログなど読んでいる人はあまりいないでしょうけれど、お近くで暇のある人は、行ってみてください。

M作業所の畑、先、先週の月曜日、なすとキュウリを植えたけれど、植えてすぐに暑い日が続いて、育ちが良くない。去年は良く穫れたのだが、今年はどうも……という感じ。ジャガイモの方は良く育っている。芋煮会くらいは出来るだろう。

見守りをしているTさん、以前として体調が悪い。奥さんの話では、昨日はとても良かったのに、一転して今日は悪いという。不安定なのである。

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2007年5月20日 (日)

夏の山行

5月20日

ぼんくら日記

毎度のことながら、ブログを開いてから、なにを書こうかと考える。今日もその口である。

車イスのTさんが日本酒八海山を持ってきてくれる。ときどき文章を見てあげているお礼らしい。「いいよいいよ」といいながら受け取る。Tさんも、酒なら断られないことを知っているのだ。

山の会の一部の仲間と夏の山行について相談。一泊でどこへ行くか。Sさん、Hさん、Nさん、Fさんと私。駅前の大衆酒場で飲みながら。班長会に諮らなければならないが、木曽御嶽山に行こうと、一応の案。

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2007年5月19日 (土)

つばさ会

5月19日

ぼんくら日記

つばさ会というのは、ぼんくらカエルが属している俳句の会である。一応は同人組織で、ベテランが多い。中には中央の俳句総合誌の常連などもいたりして、相当程度の高い人もいる。そこへ行くと私などは、句歴も短いし、俳句のなんたるかも分からず、その会の端っこの方にぶら下がっているだけだ。

確か先月の句会で、「はるめくやぴんぴんころりこそよけれ」というのを出句した。ふざけたような句だから、おしかりを受けることは覚悟していた。しかし、互選の折りの評には、意外なものがあった。「意味が分からない」というのである。これは予想外だった。

古くから俳句を作っているような人は、多分上品な生活をしているんでしょうな。われわれのような下々のものが使う俗な言葉は、分かって貰えないのかもしれない。

いずれにしても私にとって、俳句はぼけ防止の手段。他の同人たちには、少し申し訳ないとは思う。

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2007年5月18日 (金)

秩父市田村

5月18日

ぼんくら日記

このところよく秩父に出かける。今日も出かけた。

秩父駅前の道を荒川に向かってまっすぐ進むと、大きな吊り橋に出る。ここを道なりに行けば、秩父ミューズパークに出る。

途中、大きくカーブしながら進む車道を避けて、急な山道を登る遊歩道があり、これがミューズパークへの近道になる。私はこの道に入った。しかし、あえてミューズパークへ行かず、そこからさらに、尾根越えの山道に入った。廃道のようだったが、踏み後があるので、かまわず進んだ。低い尾根だし、遠く車の音も聞こえるので、まず、遭難ということはあるまい。半分藪こぎのようになりながらどんどん降りて行くと、ぽっかりと開けた盆地に出た。秩父自体が盆地なのだが、その盆地の中に、また、箱庭のような盆地があったのだ。

まわりの山、緑の木々、小さな集落。何となく心の落ち着く、好ましい風景だ。たまたま、車にもたれている腰の曲がった農婦がいたので、土地の名前を聞いてみたら、秩父市の田村というところだそうだ。

その、農婦の話、

「わしが嫁に来て60年になるが、何もかわらねえなあ。あそこに家が2軒建ったけど、それだけだ。向こうの寺は円福寺っていう寺だ。田舎にしたらいい寺だなあ、行ってみたらいい」

「そうけえ、狭山からけえ。いいところだと言っても、ここらは昔と同じだ。何がいいんだか。景色がいい? ああ、そうけえ」

嫁に来て60年で、腰も曲がっている。そうとな歳だが、どうやら車に乗って移動するようだ。認知症ではないようなので、大丈夫なのだろう。

農婦の薦めにしたがって、円福寺に寄る。曹洞宗の寺のようだ。なるほど良い寺である。綺麗に手入れされた庭園が美しい。白い砂利が敷き詰められているので、一見枯山水のような気がしたが、実はそうではない。木が植えられているし、池もあって橋が架かっている。池には緋鯉もいる。

この寺を見て、今日の散歩は終わり。

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2007年5月16日 (水)

評議委員会 ・ ふれあいの会

5月16日

ぼんくら日記

狭山市の精神障害者の福祉法人、こぶし福祉会の理事会、評議委員会があり、出席。こぶし福祉会には授産施設と生活支援センター、および4つの小規模作業所がある。それにしても、こういう施設で働く人の給料は安い。小規模作業所は、多いところでスタッフは3人。少ないところでは2人。どちらも年間の人件費が600万円台の下の方だ。専任スタッフと非常勤がいるわけだが、非常勤と言っても周4日くらいは出勤している。その人件費をみんなで分けあって……うーん。

私は少し早く引き揚げて、Hさんが中心でやっている「ふれあいの会」を寄らせてもらう。引きこもりの老人や、話し相手のない人のたまり場を作りたいと考えているので、すでに活動している会の見学である。行ってみると、みんな楽しそうに雑談したり、折り紙を折ったりしている。ボランティアで知り合った人も、何人かはいる。女性が男性の2倍以上。これがいいのだと思う。男はどうしても柔軟性に欠ける。女性の協調性、環境に素早く適応する能力などは、このような会にはどうしても必要だろう。

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2007年5月15日 (火)

蕗、飲んべえのおかず

5月15日

ぼんくら日記

我がマンションの管理費は、私が通常利用している銀行とは違う銀行から引き落とされる。そのため、毎年1回、1年分の管理費18万円を、通常利用する銀行から、管理費を引き落とされる銀行に振り込む。今日その手続きをしようとした。で、いつもの銀行の通帳とカードで18万円を引き出そうとしたら、1日10万円までしか引き出せないんだって。ああ、そうだった。すっかり忘れていた。はんこその他の用意をしていなかったので、明日あらためて不足分を引き出すことにした。

そんなわけで、管理費を振り込む銀行へは行かなかった。その分時間が空いたので、家で作り置きのおかず作りをする。

まず、蕗の煮物と、葉のナムルを作る。

秋田の田舎にいた頃、蕗なんて至る所に生えていた。めったにそんなものを取っている人はいなかったが、こちらでは、蕗は買うものである。ゆでてあくを取り、皮を剥いて甘辛く煮込むと、これが結構旨いのである。私は、蕗の葉も食べる。これもあくを抜いて、砂糖やごま、すり下ろしたニンニクなどであえると、ほどよいえぐみがあって、酒のつまみにはもってこいだ。えぐみ、苦みなど、人によって好みがあるが、ゴーヤの苦みなども気にならない私は、蕗のえぐみも気にならない。

続いて、大根の皮のみそ味きんぴらを作る。これを作るため、大根を使うときは、皮を取っておくのである。大根の皮のきんぴらは、これまでいろいろ作ってみたが、みそ味にするのが1番旨いようなきがする。

もう1品、新タマネギの甘酢付けを作る。私はこれを梅肉和えにする。

今日の午後、以上の4品を作ったが、考えてみると、どれも酒のつまみになる。飲んべえはおかずもそんなものばかり。

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2007年5月14日 (月)

竹とんぼ

5月14日

ぼんくら日記

精障者作業所Mへ。

畑の草取り。スタッフのSさんと。今日、メンバーはほとんど休み。茄子、きゅうりのどの苗、雨が降らないため、元気なし。ジャガイモは順調に育っている。

精障者作業所KのSさんが竹とんぼ用の材料をくれるというので、Hさんに運転してもらって取りに行く。厚みのある太い竹で、ありがたく頂戴する。

作業時間が残り45分くらいになって、Kさん出勤。二人で、竹とんぼを2本ほど作る。家政大のバザーに出品することになっているのだが、竹とんぼは10本もあれば充分だろう。

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2007年5月13日 (日)

頭高山

5月13日

ぼんくら日記

山の会の仲間と、頭高山へ行く。

小田急線渋川駅を起点とするハイキングコース。私個人は、埼玉の西部線沿線に住んでいるという理由で、わざわざ新宿を越えて、小田急線を利用する山に行きたいという気は起きない。しかしみんなで行くことなので、一緒に出かける。参加者16名、うち、ゲスト1名。

頭高山、標高303メートル。歳をとって山歩きが出来なくなったら、こんなコースもいいね、などと話ながら登る。天気がいいのがなにより。

頭高山から震生湖へ。震生湖は大正大震災で出来た湖らしい。

低山を中心にして、急な登りもないハイキングながら、結構疲れる。誰かさんの歩数計に依れば、1万8千歩を記録したという。

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2007年5月10日 (木)

枕を食べる

5月10日

ぼんくら日記

ボランテイアグループの定例会。

先日古い餅米1キロを封も開けずに置いてあるのに気がついた。袋の印刷を見ると、なんと、精米したのが2001年である。昔、米が不作だった年、古々米だ、黄変米だと話題になったことがあったが、2001年では、古々米どころに話ではない。食物を捨てることは罪悪と考えている私は、その古古古古古古古米を食べることにした。電子レンジのレシピの本に、赤飯の炊き方があったので、餅米と一緒に買ったこれまた古い小豆を入れて、炊いてみた。大して旨いとは思わないが、食べたからと言って、べつだん腹をこわすようなことはない。

電気釜で普通のご飯を作るときは、私は2合を炊く。これを4等分して1食に当てる。電子レンジで作った赤飯も、同じようにした。昨日1食食べて、今朝も1食食べて、、まだ2食分冷凍してある。私は米の飯は1日1食なので、まだ2日分残っているが、冷凍だから、1週間くらいは持つ。

赤飯ばかり続けるのもいやなので、明日は残りの餅米とうるち米を混ぜ、かやくご飯を作ることにした。何でもあるもので間に合わせる主義だから、冷蔵庫を見ると、むきみのホタテ貝がいくつかあったので、それを刻んで入れる。野菜は、キャベツ、エンドウ豆など。果たしてどんな味になるか。

古い食べ物と言えば、戦争中、あるいは戦後すぐだったか、枕をほどいて、中に入っている小豆を食べたことがあった。小豆は黒ずんでいたが、結構旨かったことを憶えている。今ではあまりしないようだが、小豆の枕というのは、なかなか良いものだ。なによりも、枕に熱をもたないところがよい。

そう言えば、お手玉に入れてある小豆を食べたという話も聞いた。枕だろうと、お手玉だろうと、当時小豆は貴重品だった。

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2007年5月 9日 (水)

施設の遠足

5月9日

ぼんくら日記

特養Sの遠足。羽村動物公園へ。

車イスの人や、やっと歩ける年寄りの遠足だから、そうは動き回れない。3台の車に分乗し、利用者、職員、ボランティアあわせて20数人で出かける。着いてすぐ昼食。それから1時間半ほどが見物の時間。私のついた利用者さんは、ゆっくりだが、手を引けばあるける人。陽射しがことのほか強かったが、日射病を起こすほどではなかった。

動物の模型。インコやフクロウなどの鳥類、キリンやシマウマなどを見る。最後は、ひよこやモルモットに触らせてもらう。これは狭山市の智光山動物園でも出来るのだが……。

特養Sとしては、これだけ長時間の遠足は、初めての試みだろう。今月中、毎週水曜日に、分散して出かける予定。私は30日にも手伝うことになっている。

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2007年5月 8日 (火)

入れ歯の話、ほか

5月8日

ぼんくら日記

日記を書いていつものように投稿しようとしたら、削除されてしまった。どうやら、タイトルにハメマラと書いたのがいけなかったようだ。

外見上、私は歯並びが良いらしい。友人たちによく聞かれるのは、「それは自前の歯か」ということだ。前歯については、自前の歯である。しかし、奥歯はそうはいかない。

歯をほとんど抜いてしまった人が、歯茎の土手(本当は何というのか、他の言い方を知らない)に取り外しの出来るような義歯をはめ込む、本格的な入れ歯は、私はしていない。しかし前歯の歯並びの良さにかかわらず、奥歯はぼろぼろである。金属を埋めたりかぶせたり、抜け落ちている歯があったり、というのが実状だ。

俗にハメマラという。ハは歯、メは目、マラについては書くことをはばかる。歳をとると、この順で駄目になるというのだ。これに耳を加えて、すべて私はガタが来ている。歯については上の述べた状況である。目は、眼鏡をかけていても、細かい字は読みにくい。本などを長く読んでいると、文字がぼやけてくる。耳は、気にしないようにしているが、いつでも耳鳴りがしている。人の声が聞き取りにくい。聞こえてはいるのだが、その声がクリヤーに聞こえない。ガラスを引っ掻くような高音が聞こえないのは、好都合かもしれない。マラについては、駄目ですね。詳しくは言いません。

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2007年5月 7日 (月)

なすとキュウリの苗

5月7日

ぼんくら日記

ショップみちくさへ。なすとキュウリの苗を植える。なすとキュウリ、それぞれ5本ずつ。セキチューで1本68円。確かに安いが、農協などで買う苗よりは貧弱である。苗の支柱は木の枝で作る。作業所では、こんなもの買ってはいられないのである。昨日雨だったので、畑が濡れている。畑に水分があるうちに植えたかった。

家政大のバザーに出すため、竹とんぼを作ってくれという。竹とんぼと言っても、十分な厚みのある竹がないのである。厚みのたりない竹が少しだけ有ったので、、Kさん、Nさん達と作る。厚みのない分だけ、飛翔力は弱い。

夕方、久しぶりにOさんが来る。みちくさにしばらく通って、いくらか自信がついたので、家族とも相談し、これから仕事を探すという。「Oさんなら、自信を持ってやれば出来るよ」という。実際Oさんは何事もよくわきまえ、感情の波も少なく、普通の人の中に入っても、しっかりしたお嬢さんで通ると思う。みちくさから社会復帰した人が、何人かいるが、Oさんならば、きっと出来るに違いない。

Tさんの友愛訪問。先月、体調が悪くなって、病室をナースステイションの前に移されたのだが、いくらか持ち直したようだ。と言っても、まだもとの体調には帰っていない。「ぼんくらカエルさんが来てくれたよ、わかったら目をつむって」と奥さんがいうと、ぱちぱちと目をつむる。この十日ばかり、奥さんは毎日来ているようだ。

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2007年5月 6日 (日)

ど忘れ

5月6日

ぼんくら日記

この頃、私は痴呆症の入り口まで来ているのではないかと心配になることが、ときどきある。

今日、車椅子の会のTさんから電話があった。「忘れたね」といわれたのに、「何をわすれたんだろうと」思ってしまった。「今日会があったんだよ」という。ああそうだった。いつも第1日曜日は、車椅子の会の集まりがある。ところが、ゴールデンウイークなので忘れてしまった。

先日コンビニで買い物をし、端数まできちんと支払いをしたのに、おつりを待っていた。なかなかくれないので催促をしたとたん、催促をしたのが間違いだったと気がついた。

今日が何日か思い出せないことはよくある。

心配になって100から7を順番に引いてみた。ところが途中で計算を間違えてしまい、何回目かに50になった。そんなはずはないと気づいてやりなをしたら、51になったので、やれやれだ。100から7を引いていけば7回目には51になるはずだからである。

膝の痛いのは気にしないで歩くようにしているし、ど忘れの多いのも、忘れないような対策を考えて、後は気にしないことにしている。用事はカレンダーに書くとかいうことだけれど、今日のように、そのカレンダーを見るのを忘れるのだから困る。毎晩、次の日の予定を見るような習慣をつけなければならない。

終日雨。そんなわけで行くべきところに行かず、買い物以外は家で過ごす。

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2007年5月 5日 (土)

散歩 智光山公園

5月5日

ぼんくら日記

今日もまた快晴で、暑いほどの陽気。智光山公園は、私の散歩の目的地として、訪れることが最も多い。池と樹木の美しい公園である。若葉の木々を、ただ美しいとだけ言うのは芸のない話だが、私は他の言葉を知らない。木はその種類によって、緑の色がそれぞれ違う。若葉の頃は格別だ。

昨日十分に歩いているので、今日は公園を歩き回らずに、池の畔の木陰に座り、缶ビールとワンカップを飲んだ。ちょっと散歩に来ても、両方の見たいのだから……。

公園内を散歩する人、特に子どもと犬を観察する。ここのところ、私の描く水彩画には、かならず子どもと犬を登場させることにしているためだ。それにしても、子どもはよく動く。風景とは違い、子どもも犬も、ちょっとスケッチというわけにはいかない。とにかく見ること。

昨日の秩父のようではないが、智光山公園も、いつもよりは混んでいる。子どもも多いが、老夫婦がいたわり合いながら歩いているのを見たり、アベックが手をつないでいるのを見ると、何となくほほえましい。こちらまで和やかな気分になる。そして、ふと気がつくと、私は一人だ。まあ良いさ、私には自由がある。

○長女の嫁ぎ先の祖母が亡くなってと電話あり。行年96歳。少女の結婚式のときにあっただけだが、頭のいい人という印象がある。その時すでに80歳を過ぎていた。

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秩父巡礼古道

5月4日

ぼんくら日記

木の枝時計が長くなってしまったので、別に、日記を書く。

きわめてよい天気なので、洗濯や買い物をした後で、秩父方面に出かける。秩父市に着いたのが、昼を少し過ぎていたので、まずは昼食。

それにしても、何という人出だろうか。西武線や秩父線は超満員。中でも多いのは、芝桜の見物客と、長瀞へ観光に来た人々と見た。

私の当初の予定は、秩父線野上駅下車で、岩根山ハイキング。ツツジが美しいはず。しかしあまりの人出と、秩父線の待ち合わせの時間とを考えて、予定変更。ミューズパークへ向かう。ところが、ふらふら歩いているうち、秩父の巡礼古道に入り込む。ここでまたまた予定変更。巡礼古道を歩きながら、音楽寺などへ行ってみることにした。

何でも計画通りでなければ気の済まない人もいるけれど、私は、その場その場でどんどん予定を変える。人生でも、そんな具合だった。何かをやり遂げる人では、もともとなかった。貧しいながら、人生を楽しむ人ではあるのかな。

巡礼古道には、明治巡礼古道と、江戸巡礼古道の2種類があって、明治巡礼古道の方は舗装されている。江戸巡礼古道は、完全な山道。当然ながら、江戸巡礼古道の方を歩く。こちらは、雑木林や針葉樹の中の道で、原っぱに出たり、竹林の中の入ったりする。これはなかなか楽しい。汗をかき、汗を拭った顔を風にさらす。新緑から抜けたところでは、武甲山がことのほか大きく見える。かっての名山も、傷だらけなのが残念。そんなこんなで、心地よい疲れ。音楽寺や、他の2-3の寺は、私には付け足し。

帰りは稲荷山公園駅で降りて、サピオ稲荷山で汗を流す。ここの風呂は狭山市の65歳以上の人は250円で入れるのが嬉しい。但し、入浴後ビールを飲めないのが、なんとしても残念。

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2007年5月 2日 (水)

スキャナの故障

5月2日

どうしてこうもトラブルばかり多いのか。こんどはスキャナが故障した。昨日「木の枝時計」の作り方を書くといったのに、スキャナの故障で画像が取り込めない。作り方の説明だから、画像が無くては分かりにくい。そこで今日は頑張って、説明図を10枚も書いて用意したのだ。それなのにこのざまである。「木の枝時計」の作り方は、スキャナが直ってからにします。

マルエツの近くでI、Mさんに会う。私は気がつかなかったが、I、Mさんが「橘さんでしょう?」と声を掛けてきた。

I.Mさんと会っていたのはもう20年以上も前だと思う。郷土史の勉強会で一緒だった。互いに同じ年で、I.Mさんの娘さんと私の長女が同級生だった。よく話をした方である。郷土史の勉強会で一緒だった人で、いまだに年賀状を交換しているのは、彼女だけである。おばあさんを亡くされた話は年賀欠礼で知っていた。私の妻が亡くなったことも彼女は知っていた。そんなこんなで、しばらく立ち話。そう言えば、俳句をやっているそうだ。元気そうだった。

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2007年4月30日 (月)

有間ダム(名栗湖)

4月30日(ぼんくら日記)

暇で天気のよい日は、じっとして家にいることが出来ない。昨日の宮沢湖につづいて、今日は名栗湖に出かけた。

私は、山と水辺が好きである。水辺と言っても海ではなく、川と湖である。私の下手な絵にも、よく水を描く。

名栗湖1周は約1時間。宮沢湖よりやや広い。ゆっくり出かけて、湖畔の軽食屋で食事。ツツジや山吹、藤、はなみずき、すみれ、菜の花、花大根、その他の花々が咲き乱れる、まさに春や春、である。湖の先までいって、橋を渡り、対岸を引き返す。水の色は、見る位置によって全く違う。入り口の堰堤から見ると、深い緑色で美しいが、そこから上流(湖の上流というのはおかしいが、名栗湖は、元々は川だったところをせき止めたので)に行くと、土色に濁って見える。日光の当たり方による違いなのかもしれない。

堰堤から上流に向かった左側を進むと、3分の1くらいいったところに、棒ノ嶺(棒の折れ山)の登山口がある。山は低いが、ここから登る白矢沢コースは、奥武蔵で私のもっとも好きなコースである。いくつかの滝があり、狭い岩と岩の間を登る。ここから登って、奥多摩の100件茶屋に降りるコースがよい。奥多摩側には、沢に添って山葵田がある。

だが、今日は山には登らない。その棒ノ嶺の方に飛行機が飛んでいき、長い飛行機雲を作っていた。

名栗湖の下に、さわらびの湯がある。名栗村の村営だったが、名栗村が飯能市に合併してからは、どんな形態になっているのだろうか。湯の内容と値段が釣り合わないような気がして、あまり好きだとは言えない湯だが、ここまで来たのだから、不満を感じつつも入る。浴槽も洗い場も狭くて、800円というのは高い。私がよく行く大和の湯ならば、もっと広くて、さまざまな湯があって、のびのび入って600円である。稲荷山公園前のサピオの場合、狭山市民の65歳以上なら250円だ。それに比べて、狭っ苦しいところで800円というのはいかにも高い。ま、文句を言うくらいなら、入らなければいいのだけれどもね。

帰途、狭山市駅前でKくんに会う。KEくん、Nくん、ANさんと有間ダムの先のます釣り場に行っていたのだという。私はそっちまで足をのばさなかったけれども、そこで会わずに、狭山であったというわけだ。

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2007年4月29日 (日)

いさぎよくない

4月29日

今日は「昭和の日」だそうだ。「みどりの日」の方が良いなあ。

朝のテレビの対談で、近ごろの政治家が、従軍慰安婦や沖縄の集団自決について、軍の関与がなかったとしたがる発言について、筑紫哲也が「潔くない」と言っていた。まさに我が意を得たりである。なんであれ、暗い過去を隠そう隠そうとする動きは、本当に潔くない。事実は事実として認め、そこから出発するしかないのだ。

安倍晋三たちは従軍慰安婦や沖縄県民の集団自決に、本当に軍が関与しなかったと思っているのか? 軍の上層部が、従軍慰安婦を強制的に連れてこいと直接指導したとか、沖縄県民に集団自決しろと命令した証拠がないから、軍の関与はなかったというのだろうか。

現実に従軍慰安婦はいたのである。そうなることを強制されていた。逃げることも出来なかった。それを、自らの意志だったというのか。

沖縄県民に、誰が手榴弾を渡したか。自分たちで、自殺用に作ったというのか。軍の上層部が、直接指導したかしないかの問題ではないはずだ。自分たちが直接言おうが言うまいが、そのようなことが行われていた事実は、現としてあるのだ。軍の上層部がその事実を知らなかったとは考えにくいが、よしんば知らなかったとしても、責任がないとは言えないだろう。

今頃になって、軍の責任ではないなどと言い出すのは、卑怯である。

昭和天皇は、戦争の責任はあったかもしれないが、いさぎよさは持っていた。靖国参拝をやめた判断は正しかったと思う。

ぼんくら日記

宮沢湖へ。ほとんど昼になって出かける。湖畔で昼食。いつもは静かな湖だが、さすがはゴールデンウイーク。動物園も遊園地も、人で溢れている。釣り人が使うボートはともかく、遊園地や動物園は、普段は開店休業みたいなものなのに。遊園地の食堂だって、普段はやっていない。今日は湖畔に、臨時トイレが仮設されるほどの賑わいである。

湖の奥の、比較的人が来ない広場で、昼食を取る。大きな木が何本もあって、近ごろにしては珍しく、2組の、木登りをする子どもたちを見た。昔は当たり前だったけれど、近ごろは子どもに野性味が無くなっているから、めったなことで木登りなどしなくなった。木登りくらい、どんどんやるがよい。

宮沢湖から天覧山へまわって帰る。やはり新緑は美しいが、先日秩父へ行ったときの方が、美しさが際だっていたと思う。なぜだろう。若葉の緑が、少し濃くなっていたことと、関係があるかもしれない。それに、秩父へ行ったときは、雨で若葉が濡れていたと言うこともあるのだろう。

しかし、好天の日に湖の畔や山の道を歩くのは、爽快でよろしい。

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2007年4月28日 (土)

雹、くじ運

4月28日(ぼんくら日記)

今日からゴールデンウイーク、あまり関係はないが・・・。

午後川越に行く。家を出るとき、傘がいらない程度に雨が降っていた。それでも用心をして傘を持っていく。新狭山駅に歩いたが、駅前の辺りで、強い風が吹き出し、止めてある自転車などが、ばたばたと倒れた。

新狭山駅のホームに着くと、ものすごい雨。にわか雨と言うよりも、熱帯性のスコールといった感じだった。そして、小さいながらも雹が交じっていた。雨の激しさは、傘を差しても無駄と思えるほどだった。

本川越駅に着く頃には、雨脚が幾分弱まり、傘で何とか歩けた。

文房具の木村屋で絵の具を買う。抽選券をくれたので、引くと300円の商品券が当たった。

私は元来、くじ運というものが全くない。いつでもカスしか引かない人間だった。それが去年辺りから、たまには当たりを引くこともあるようになった。確率論というのをほとんど知らないけれど、くじなどは何回も引いていれば、いずれは誰にも同じ程度に当たるものだそうだ。私は全くくじ運がなかったので、去年辺りから、人並みになったかと思っていた。

それが今年は、今のところ、くじ運が良いと言える。たいした当たりはないけれど、それでもお年玉つき年賀状の2等が当たった。先日、山の会のHさん達と飲んだときには、大衆酒場のくじで、料理は何でも1品只、と言うくじを引き当てた。今日で、今年3回目の当たりである。そして今年は、その3回くらいしかくじを引いていない。

いま宝くじを買っているけれど、これは別だろうね。

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2007年4月27日 (金)

何も無し

4月27日(ぼんくら日記)

絵の会で、絵を1枚。

血圧の検診、S医院。

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2007年4月25日 (水)

芝桜

4月15日(ぼんくら日記)

昨日につづき、今日もフリー。

あいにくの雨だったけれど、秩父へ散歩に行く。ひつじ山公園の芝桜をまだ見ていなかったので、ついでに寄ってみようか、などと思った。遅く出かけたので、西武秩父に着いたのは1時頃。取りあえず街の食堂にはいる。

小さな店で、のれんをくぐって入ったが、誰もいない。おやおやと思って店を出ようとすると、奥から慌てたように主人のその奥さんらしいのが出てきた。メニューを見て、ビールと岩魚定食を頼む。奥さんは、ビールを出して奥に引っ込む。店の主は網を持って、裏のドアから出て行った。どうやら裏の生け簀に岩魚を飼っているらしい。おもしろい店だ。

ビールを飲みながら、岩魚を焼く店の主人と話をする。

「ひつじ山公園の芝桜なんて、前はなかったよね。何年くらい前からなの?」

「4年目だね。最初の年はとても綺麗だった。2年目は肥料がたりなくて駄目だった。3年目は水不足であまりよくなかった。今年も駄目だね。だけど今年から入場料を取るようになった」

「へー只じゃないの。日高の巾着田の彼岸花も、最近は入場料を取るけどね」

「日高が取るんだから。こっちも取って良いんじゃないかってことになったんですよ」

こんな話を聞いて、何となくひつじ山公園には行きたくなくなった。今年は駄目だというところに、入場料を払ってというのは、どうもね。

そこで秩父の街を散歩する。とにかくよい季節で、どっちを向いても新緑の美しさが目につく。まわりの山々の新緑に濃淡がある。こんな時は大通りではなく、路地歩きに限る。秩父の街は、どっちを向いても、後ろに山がある。雨もよいだけに、山の中腹に雲がたなびいたり、新緑が本当にみずみずしい。カメラを持ってこなかったのが悔やまれる。

タイトルに「芝桜」と書いたが、「芝桜を見ないの記」だ。それでも満足して帰る。

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2007年4月24日 (火)

糸鋸 その他

4月24日(ぼんくら日記)

いつもそうなのだが、ぼんくら日記を開いてから、さてなにを書こうかと考える。

今日は私のフリーな日である。で、今日したことを考えてみる。

パソコンに書き込んだデータの一部をCDに移そうとしたが、どこかで操作を間違えたらしくて、不成功に終わる。変ないじり方をしたらしい。試行錯誤しながら解決するしかない。やれ、やれ。

地元に地域の人が誰でも、ふらりと寄ることの出来る「たまり場」を作りたくて、すでに近くで立ち上げているTさんに、電話で実状を聞き、こんど見学させてもらうことにした。その件でAさんに電話。Aさんにも一緒に行ってもらうことにする。

俳句の会に年会費を送ってきた同人あり。領収書を送付。機関紙に7句出句。5月定例会に5句投句。

Yの湯へ行く。

精神障害者の作業用に勝った糸鋸が、おそらく電気系統のトラブルで故障。きのうはじめて使ったのだが、薄い板を10センチもひかないうちに、うんともすんとも言わなくなった。買った機械屋に電話する。3時半ごろ製造元の人と共に来るというので、Mにいく。点検の結果、製造元に原因ありということで、修理に持ち帰えってもらう。

1日の主なことはこれで全部書いた。

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2007年4月23日 (月)

4月23日(ぼんくら日記)

驚いたことに、もうきゅうりや茄子の苗が売られている。作業所Mの畑では、ジャガイモが順調に育っている。このところ、急に草が育って、今日草むしり。

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2007年4月22日 (日)

自治会総会

4月22日(ぼんくら日記)

自治会の総会があり、これで正式に役員を交代。

但し、「たまり場」を作りたいため、防犯環境部の副部長という形で残る。そのたまり場の会場にいいというので、自治会副会長のOさん、防犯部長のAさんと、市営マンションの集会所を見に行く。自治会の集会所より綺麗で、なかなかいい。市の方でもなるべく利用してもらいたいのだそうだ。

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句会、その他

4月21日(ぼんくら日記)

近ごろ、今日は何日か思い出せないことが多い。これはボケの症状で、私もボケだしたと言うことなのか。

午後は句会。

夜はマンションの管理組合の18年度役員の慰労会。

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2007年4月20日 (金)

たまり場

4月20日(ぼんくら日記)

多分前に書いていると思うが、私はいま。マンションの役員をやっていて、同時に地区の役員でもある。

実はマンションの役員は、4月15日の日曜日、総会を持って終わった。地区の役員はあさって、22日の総会を持って終わる。

7年前、やはり役員だった頃、この地区に何の用事もない人でも集まれるようなたまり場を作りたいと思って、当時の自治会長に働きかけた。その結果カラオケの会、将棋の会、碁の会が出来た。私の考えていたものとは違ったが、それでもないよりはいいと、将棋の会、碁の会に多少の協力はした。しかしそれらはじり貧で終わった。

今回役員になったので、こんどは老人会に働きかけた。老人会なら暇人も多いだろうと考えたからだ。なるべく自分は動かずに、人の力を借りようと言うずるい考えもあった。ところがいろいろ話し合った結果、その会を立ち上げる前に、私が老人会へ入るようなことになった。そして、自治会の小さな役も引き受ける感じだ。私も相当忙しいけれど、老人会も、動ける人が欲しいようだ。

私はこの地区に「たまり場」を作りたいと思って働きかけたのである。あさっての総会で、老人会の会長などに考えてもらうサンプルとして、おおよそ次のような文章を書いた。

たまり場を作ってみませんか

昔はどこの町内にも、地域の人々が無駄話をして過ごす「たまり場」がありました。

たとえば、縁台将棋というものがありました。誰かが路地裏に縁台をだし、将棋を始めると、どこからともなく人が集まり、他人の将棋に口を挟んだり、無駄話をして時を過ごしたものです。

縁台将棋に限らず、床屋や、気さくな人の家の縁側など、町内の人がなんと言うこともなく集まる場所がありました。

いまはそのような場所がありません。趣味の会や、カルチャースクールなどはありますが、目的もなく集まる場所、ふらりと来て、ふらりと去っていくような場所がないのです。一方では、話し相手もなく、一人で部屋にこもっているような人もいます。中には、一週間誰とも話さなかった、などという話も聞きます。

そこで提案です。この地区に「たまり場」を作りませんか?

毎週○曜日の何時から何時まで、と日時を決め、そこに行けば誰かに会える、という場所を作りましょう。碁や将棋をするも良し、無駄話をするも良し、お茶を飲みながらテレビを見るだけでも良し、というような場所を作ってみませんか?

試みに、○月○日、○○に来ていただけませんか。○時から○時まで、お茶を用意してお待ちします。

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2007年4月19日 (木)

ボランティア懇談会

4月19日(ぼんくら日記)

老人介護施設Kで、スタッフとボランティアの懇談会。われわれのグループからは4人。他の2グループからそれぞれ3人、それにスタッフ側から5人参加。昼食を取りながら懇談。

スタッフはボランティアに、ボランティアはスタッフにそれぞれ遠慮があるが、それでも素直に話し合えたと思う。

長崎市長が暗殺された。

こんな時、いつも思うのは、命のもろさだ。何とも形容のしがたい馬鹿者に銃撃されて、世界のために生き続けて欲しい人が死んでしまう。

これも、いつでも思うことだが、核兵器は人類にとって不要なものだ。ところが国単位では必要なのだという。核を持つことで戦争抑止力になるなんて言う理屈は、何度聞いてもまやかしだと思う。核を持つ国が、持たない国に戦争を仕掛けるというのが本当のところだろう。

いずれ人間は、自分の力で滅びるに違いない。今のところそのきっかけになるのは、核兵器か環境破壊だ。おもしろいことに、というより、危なっかしいことに、核兵器保有論者は環境破壊に鈍感である。

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2007年4月18日 (水)

小旅行

4月17,18日(ぼんくら日記)

車椅子のTさん、Hさんと那珂川町に旅行。旅館、栃木県那須郡那珂川町の那珂川苑。Tさんの運転。宿泊は、車椅子の人など、身体障害者向きにさまざまな施設が考えられている温泉旅館。静かで、美しい景観の中にある快適な旅館で、宿泊費も安い。

Hさん、癌の手術後、初めての旅行。温泉でのんびりし、好きな酒も十分にのみ、満足の様子。抗ガン剤を飲みながらだが、とにかく元気。酒はいけないのかもしれないが、止められてもやめないことを知っているせいか、先生は何にも言わないそうだ。

残念だったのは、近くの馬頭町にある安藤広重美術館が、展示物の組み替えのため、休刊だったこと。

   葉桜や訪ねあてれば休刊日

ひねりも何もない俳句です。雨が降る予報だったのが、今日帰途につくまでは、何とか保った。

帰りは那珂湊の魚市場により、少し買い物をして、鮨を食す。魚は大変安いけれど、売る単位が、独り者には量が多すぎてどうにもならない。

「山笑う」季節で、車窓風景はどこも美しい。

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2007年4月16日 (月)

木の枝木工

4月16日(ぼんくら日記)

障害者の作業所で、1週1度、木工製品作りをしている。材料費をただにしたいので、木の枝などをよく使う。たまに売れるものに、木の枝で作った椅子、あるいはベンチがある。但しこれは人間が座るためのものではなく、植木鉢を置いたり、ぬいぐるみを置いたりするためのものだ。人間が座れないこともないが、木の枝をビスで止めたものなので、本当の椅子ほど丈夫ではない。反面、素朴な風情があって、気に入ってくれる人もいる。

今日はその椅子を作る。ところが、木工のメンバーが誰も来ていない。注文されたものなのでそう長くは待たせられない。やむを得ず一人で作った。私が作業所に行くのは、メンバーさん達が、社会生活になれてもらうのが目的だから、一人で作っても意味がないのだけれど・・・。

木曜日だったか、タルキを担いだ肩が、まだ痛む。

福島から電話。上の孫が今日誕生日。複数の声を同時に救える電話にしたとかで、長女と次女が、同時に話す。テンションが上がっているので、結構うるさい。

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2007年4月15日 (日)

マンションの総会

4月15日(ぼんくら日記)

私の住むマンションは自主管理で、すむ人たちで管理組合を作り、役員が順番にまわってくる。平成18年度は私も役員の一人で、今日の総会までがその任期である。

18年度は配水管の取り替え工事をしなければならず、どのような方法で、工事をするか、工事会社はどこを選ぶか、予算、など、理事長のNさんが立案し、交渉してくれた。そのようなことに詳しく、しかもきわめて誠実な人である。こんな時にNさんが役員だったことは、私たちにとって、幸運だった。

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2007年4月14日 (土)

何もない日

4月14日(ぼんくら日記)

今週と来週は、馬鹿に忙しい。忙しいと言っても、本当は現役時代ほどではない。たいていは半日ですむことで、1日にわたるのは3分の1もない。まして残業などということはない。それでも何かやることのある日が続くと、忙しいなどと思ったりする。

そんな中で、今日は何もすることのない1日。布団を干して、買い物をして、掃除をして、くらいの仕事をする。

何もすることがないから、飲む。朝、昼も飲みたいのだが、心して飲まないようにしている。晩、風呂に入った後は解禁だから飲む。今日はすでに4合くらい。この後、また少し飲む。なんでこんなに酒が強いのだろう。

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2007年4月12日 (木)

古いタルキ

4月12日(ぼんくら日記)

午前、ボランティアグループ定例会。

午後。A建設からMで使う木材をもらう。不要の端材や解体した後の木材などが、A建設の事務所の裏に積んである。事務所に断って、そこにあった一度使った後のタルキを6本ばかりもらう。これをMまで担いで行った。ほんの15分くらいの距離なのに、結構疲れた肩も痛い。こんなことくらい、若い時は何とも思わなかったのに、いやですね、70男は。

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2007年4月11日 (水)

落ちこぼれ

4月11日(ぼんくら日記)

行きつけに街の寿司屋が閉店した。小さな店で、人通りの少ないところにあった寿司屋で、だから閉店したと言えばその通りなのだけれど、なんだか淋しい。

何でもかんでも競争社会で、敗れるのは敗れる方が悪いというのが、現代の風潮である。店主に、特に才能はなくて、人がよく、ただまじめに鮨を作り、客に応対していた。そんな店が、また一つ潰れる。

個人も企業も国も、競争社会である。人々は勝ち続けなくてはならない。しかしそれが出来るのは、ごく限られた人である。昨日の勝者は、今日敗者になる。せっせと落ちこぼれを作る社会だ。片手でちょっと福祉の真似事をして、もっと努力しろと言って予算を削る。

一度落ちこぼれた人が、働く意志があり、働く精神力、体力もありながら、なかなか再就職できない。再就職してまじめに働いても、生活保護を受ける人よりも少ない収入しか得られない、こんな社会がまともだと言えるだろうか?

これからも、落ちこぼれは増える。

企業は商品を安く提供しなければならない。安い労働力を求めて、中国に行き、インドに行き、東南アジアに行く。日本でシャベルの土を掬っていた人は、中国やインドで土を掬う人に代えられる。知的仕事をしていた人も、一度落ちこぼれると土を掬うような仕事をしなければならなくなる。しかしその仕事は、日本以外でやる仕事になってしまう。だから仕事が無くなる。仕事があっても、ごく安い給料になる。ワーキングプアーだ。

こんな人々を、落ちこぼれといってすましていていいのか。

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2007年4月10日 (火)

初々しい

4月10日(ぼんくら日記)

昨日、今日、小学校や幼稚園の入学式があった。おめかしをした夫婦が子どもの手を引いていく姿が、ほほえましい。若い人と話していたら、その子どもたちを、初々しいと言った。私の目から見ると、子どもを連れている親の方も初々しい。つまり、私はそれだけ歳をとっていると言うことだ。

さくらは葉桜になったが、山吹やツツジも咲き出した。菜の花、たんぽぽ、すみれ、ダイコンの花、チューリップなど、木も草も賑やかに花をつけている。若葉が美しい。1年のうちでも、もっとも美しい季節だ。植物も初々しいのである。

外を歩くと、大気の中に体が溶け出していくような、ぽかぽか陽気。気の早い家では、もう鯉のぼりを泳がせている。

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2007年4月 9日 (月)

いつもの通り

4月9日(ぼんくら日記)

何事もなく平凡無い日。

精障者作業所Mへ行く。畑のジャガイモは、全部の種芋から芽が出ている。ひとまず安心。木の枝で作る椅子の注文を受けたので、その木の枝を集めに行く。この辺りはまだ、植木として売るための木を保存する畑などがある。欅畑の木の枝を落とした畑に行って、枝拾い。

そうだ。そのうちに、木の枝で作る時計、植木鉢入れ、椅子、などをブログに載せよう。作り方と共に。

ボランティアグループの昨年度の活動記録をまとめるため、資料をそろえる。社協に提出用の書類を作るため。

友愛訪問、Tさん。

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2007年4月 8日 (日)

本仁田山

4月8日(ぼんくら日記)

山の会山行。本仁田山。

コース

鳩ノ巣駅~大根の山の神~こぶたか山~本仁田山~奥多摩駅。

参加者16名。薄日が射す時もあったが、全体として曇り。本仁田山での昼食時は寒くて、カッパを着た人もいる。上り下りとも急登。山頂付近、雪が少し残る。わりに特徴のない山である。

7児15分発の電車に乗り、帰りは17時頃狭山市着。駅前中華料理屋で飲食。7人。

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2007年4月 7日 (土)

不在者投票

4月7日(ぼんくら日記)

市役所で明日の選挙の不在者投票をする。

車椅子関連の会の総会。

マンションの管理組合の会議。

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2007年4月 3日 (火)

気候が荒い

4月3日(ぼんくら日記)

一昨日は静岡で30℃を超える真夏日、今日は河口湖で雪。このところ、気候の変動が荒い。柔らかさがない。

『雷鼓』の原稿、戦争周辺の記憶を書き始める。

特養Sの花見につきあうはずだったが、冷たい雨で中止。

稲荷山公園のさくらの下を通ったが、雨の中で、今日が本当の満開という感じだった。

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2007年4月 2日 (月)

墓参

4月2日(ぼんくら日記)

昨日が妻の命日で、1日遅れの墓参。妻の墓は高尾にあるので、電車やバスを乗り継いで、小1日かかる。例年通り、一人での墓参である。

葬式も墓も、死者のためのものではなく、生きている人のためにあると思っている。無神論者の私は、死んでしまえば、墓も葬式もどうでもいいのだ。要は生きているものの心の整理なのだ。だから、遺影に毎朝線香をあげることも、墓参も、死者にとってはどうでもいいのである。時代によって、民族によって、死者の弔い方は違うが、みな、生きているものの心の整理のための儀式だと思う。私は今の日本のやり方に従って、取りあえず形通りに行う。妻のためではない、私のために、である。

俳句の方では、墓参というのは秋の季語だそうだ。へえー、そうですか。春だって行くのにね。いや、1年中墓参はあるのに、無理やり秋と言うことにしているのですね。たとえば「花曇り墓参の○○××だ」なんて句を作ると、季重なりだ、なんて言われるんだろうな。

春の墓参の帰りには、いつもそうなのだが、高尾駅近くのさくらの観察園にいく。この観察園、丘陵の斜面や尾根を散策しながら、日本各地から取り寄せて育てたさくらを、自然の中で見られるのがよい。ソメイヨシノの圧倒的な花もよいが、この園で今咲いている大島桜も、若葉の中にぽつぽつと咲く白い花も、風情があってよい。

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2007年4月 1日 (日)

稲荷山公園

4月1日(ぼんくら日記)

我が家の辺り、今日はまさにさくらの満開である。

長女一家と稲荷山公園のさくら見物。

稲荷山は、狭山市随一のさくらの名所。樹齢70年くらいというソメイヨシノが、広い園内に咲き競っている。近ごろは他市から見に来る人も多い。県内では長瀞のさくらが有名だが、決して長瀞におとらないだろう。天気はいいし、狭山市駅の地下で花見弁当とビールを買っていく。

稲荷山公園というのは、じつはややっこしいいわれがある。現在多くの人が稲荷山公園といっているのは、実は、かってのハイドパークである。ハイドパークとは、戦後米軍が入間基地を使っていた時、米兵の宿舎のあったところだ。そのハイドパークと隣接するようにして、本来の稲荷山公園があった。今でもこの公園はあり、入り口には、稲荷山公園と彫られた石碑がある。しかし米軍が去り、ハイドパークが市に返されてから、ハイドパークを、稲荷山公園と呼ぶようになった。昔から狭山市に住んでいた人はともかく、私たちのように余所から来た人間は、ハイドパークを稲荷山公園と思ってしまったのである。それでも、市の公園管理課などに訪ねると、稲荷山公園とハイドパークは別の公園だと答えていた。ところが、そう言う市の発行する狭山市の地図でも、ハイドパークを稲荷山公園と表記していたのだから、ややっこしい。現在は、市から県に管理が移って、県立の狭山稲荷山公園である。

昔の稲荷山公園は、今も稲荷山公園で、さくらと、かたくりと、ツツジの名所である。稲荷山公園のかたくり、などと紹介されたりするが、ハイドパークの方の稲荷山公園で探しても、見つけることは出来ない。昔からの稲荷山公園は小さくて、そんなところに公園があるとは知らない人も多い。

長女もかっては狭山市の人だったわけだが、今日私が連れて行くまでは、昔からの稲荷山公園は知らなかったようだ。現在の稲荷山公園で花見の後、昔からの稲荷山公園を案内する。そして稲荷山公園駅でみんなを見送る。

実は今日、妻の命日なのである。長女一家は帰らなければならなかったので、墓参りをしていない。妻の葬儀の日も、さくらが満開だった。

   願わずに花の下にて妻は逝き

帰宅して、地元のの集会所へ。OさんAさんに会う。環境防犯部の副部長というのを引き受けることになる。

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抜歯

3月31日(ぼんくら日記)

パソコンの前に座って、さて今日は何を書こうかと考える日は多い。時には、書きたいことがいくつかあって、そのうちどれにしようかと迷う日もある。今日は後者の方だ。

今月だったろうか、私の歯並びの良さと、本当は前歯だけよくて、奥歯はぼろぼろという話をブログに載せた。そのとき、入れ歯が落ちてかかりつけの歯科医に通い出したことを書いたと思う。

それをきっかけにして歯の定期点検と歯肉の手入れを受けていたのだが、その手入れが終わらないうちに、別の入れ歯が落ちた。

昼食にA鮨に行き、定食を食べていた。A鮨は4月一杯で廃業するという。そこことに関連しても、書きたいことがあったが、後の機会と言うことにする。職人の技術だけではやっていけない時代になったということ。その鮨を食べている時に、左下の奥の入れ歯が落ちたのである。もう10年くらいも前になるが、左下の、奥から2番目の歯が抜けていて、それを1番奥の歯と前の歯のブリッジの入れ歯にしていた。それが落ちたのである。ブリッジの土台にしていた1番奥の歯がぐらぐらしてきて、入れ歯を支えられなくなっていたためである。で、予約日ではないが歯科医へ行き、奥歯を抜いたという次第。

今夜は、歯を磨くな、風呂に入るな、酒を飲むなの注意を受けたが、最後の酒だけは守る気がなくて、いつもと同じくらい飲む。

ハイコーポ管理組合の総会に向け、その準備の理事会。理事長のNさんの郷里が能登で、いずれ郷里に帰るらしいが、例の地震があり、今、郷里に帰っている。4月15日が総会なので、その資料作りに・会計の人などは、苦労している。これに関連することも、書きたかった一つ。

長女一家来る。下の孫がこの4月から小学生になる。

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2007年3月30日 (金)

地区の役員

3月30日(ぼんくら日記)

我が家の近くのさくらは、今日あたりから満開になった木が多い。今年はよほど早いかと思ったが、3月に入って寒い日が続いたので、それほどではない。

今日したことを順番に書けば、

O歯科で歯肉の手入れ。

食料品の買い出し。

特養Sでボランティア。

地区の役員を4月の総会で終わるので、次期の人に引き渡すため、書類の整理。実はこれが1番大変。私は整理能力がないから、何でもかんでも、一つの箱に入れていた。これを分類し、引き継ぐべきもの、捨てるものを決める。

来月の生活費を銀行から卸すはずだったが、行きそびれた。もっとも、食料品もカードが多いし、たいがいの支払いも銀行引き落としだから、手持ちは小遣い程度だ。

そのほかの時間は、ボーとしてテレビを見る。数独をやる。少しだけ本を読む。これから飲む。

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2007年3月29日 (木)

ボランティア懇談会。

3月29日(ぼんくら日記)

いくつかのボランティアをやっていれば、年に何回かは、スタッフとの「懇談会」などというものがある。今日はM作業所での「ボランティア懇談会」。ボランティア5名。スタッフ3名。

発足当時は、Mのスタッフ、係わるボランティア、通ってくるメンバーの全員を知っていた。しかし今は、私は月曜日しか行かず、その後の出入りもあって、メンバーの中には、知らない人も増えた。スタッフは最近は2名だったが、今週から3名になったらしい。Hさん。外見からまだ学校を出たばかりだろうと思ったのに、もう小学2年の子どもがいるのだとか。

懇談会は特にテーマを決めたものではなく、M固有の問題を少し交えた程度の雑談。Mが開所して7年、わずかとはいえ社会に出て安定的に仕事をしている人が何人かいる。作業所に通うことで・メンバーさんに少しでもよい習慣、よい環境が出来ればいいのだが・・・まあ、少しは役に立っているでしょう。

Y荘で入浴。ロビーで缶ジュースでも飲もうとしたら、社協のお偉いさん達(Oさん、Yさん)などが来ていて、Y荘のスタッフ一同直立して、Oさんの訓辞を聞いている。自動販売機が訓示しているすぐ後ろにあるので、買いにくくて、私はそのまま帰ってしまった。

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2007年3月28日 (水)

蕨山

3月28日(ぼんくら日記)

1月か2月に、ほとんど同じコースを歩いているのだが、名郷から、蕨山、藤棚山経由で河又へ抜けるコースを歩く。

Kさん、Aさん、Hさん、Sさんと私。山も麓も、花の美しい季節。辛夷、白木蓮、紫木蓮、などが盛りだ。梅などもまだ咲いている。そして気の早いさくら、ツツジも散見される。天気はいいし、時間はたっぷりあって、ゆっくり歩けるしで、それなりに楽しい山行。山のベテランSさんに言わせると、山半分、おしゃべり半分、ということになる。

軽い山行でも、それなりに疲れる。健康にはいいのだろう。

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植木等

3月27日(ぼんくら日記)

27日夜、ブログを開こうとしたら「メンテナンス中です、しばらくお待ち下さい」とのメッセージ。28日には山へ行く予定があったので、早く寝なければならず、日記はお預け。したがって、この日記は28日に書いている。

植木等が亡くなった。先に青島幸男が亡くなっている。俗な感想だが、一つの時代が終わる。植木等も青島幸男も、私よりは年上だが、何となく同世代という感覚がある。次は俺たちだな、時代は移るのだなあ、という感慨。

先日、山の会の総会後のカラオケで、私は「スーダラ節」を歌った。植木等のスーダラ節は、一世を風靡した歌だった。

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2007年3月26日 (月)

糸鋸機械

3月26日(ぼんくら日記)

精障者作業所Mに、市内の道具屋Kさんが糸鋸機械、ドリルスタンドなど届けてくれた。これで来週から、木のおもちゃを作れるようになった。なるべくはただの材料を使いたいのだが、さしあたって、少しは板などを買わなければならない。

作業所で借りている畑に、メンバーさん達とジャガイモを植えていたが、一株だけ、今日やっと芽を出した。

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2007年3月25日 (日)

本と哲学について

3月25日(ぼんくら日記)

駅ビルの書店に月刊「俳句」を買いに行く。いつもそうなのだが、本屋に行くと、つい余分な本も買ってしまう。今日も、予定外の本を2冊ばかり買った。そのうちの1冊は「イラストで分かるやさしい哲学」という本である。

若い頃、私は本に飢えていた。中学を出て、就職して、給料は親に渡して、そこから月に300円の小遣いをもらっていた。その頃、筑摩書房から「現代日本文学全集」が発行された。これが20日ごとの発行で、定価は350円であった。

第1回配本は芥川龍之介、第2回は島崎藤村だったと思う。あるいは逆だったか。とにかく小遣いを貯めて、2回目までは買えたが、後が続かなかった。それから何十年も後になって、古本屋でその全集の「森鴎外」が100円で売られていたのを見た時には、ショックだった。あの全集が100円で売られている! それが許せなかった。そのとき、鴎外を読もうと思っていたわけではないが、ついその本を買ってしまった。

そんな経験もあって、本屋によると、つい余分な本を買ってしまう。若い頃は、普通の単行本や新書なら、1日で読んでしまう勢いもあったが、今はそうはいかない。ましてこの頃は「数独」などというパズルに凝っていて、読書の時間が極端に減っている。買った本を全部読めるわけではないから、いわゆる「積ん読」になる。本は溜まる一方だ。

数年前、大学講師している友人の「本は本棚1つ分だけにして、後は目をつむって捨てる。調べものはインターネットでする」という言葉に影響を受けて、私も本を整理することにした。これに2年ほどかかった。訪ねてきた友人に「まるで図書館みたいだ」と言われた部屋の本棚は、がら空きになった。それなのに、積んでおくだけの本が、また増えてきているのである。

私は義務教育卒業程度だから、専門などはなくて、何でも読んだ。広く、浅くである。哲学に関する本を最初に読んだのは、中学3年の夏休みだ。

戦争中、私たち一家は父母の郷里、秋田に疎開した。母はそこで亡くなり、父とは音信不通になった。足かけ7年、私と弟は親戚の家で過ごしたのである。中学3年の時、父がひょっこりやってきて、私たちを東京に連れてきた。

その夏休み、私にはまだ友達が無くて、仕方なく本を読んで過ごしたのである。それがなんと、岩波文庫の多分上下2冊だったと思うが「世界哲学史」とか言うような本だった。

今だって、そんな本の内容を理解は出来ないだろう。まして中学3年の私には、ちんぷんかんぷんである。それでも私は、「哲学史」のノートを取りながら読んだ。

分からないことを分からないまま読んで、何の得るところもなかったかと言えば、案外そうでもない。その後、何かの本を読んでいる時でも、「これはスコラ哲学の頃の考え方だ」とか、「この人はこの辺に位置する人だ」とか思えるようになった。若い時は、背伸びしてでも読んでおくものだ。

今日買った「イラストでわかるやさしい哲学」は、哲学史としても読める本のようだ。数独ばかりやっている場合ではない。

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2007年3月24日 (土)

血液型

3月24日(ぼんくら日記)

血液型占いというものがある。私の身の回りでは、この人が、と思う人まで血液型による性格判断を信じていたりして、がっかりさせられる。

私はA型だが、A型は几帳面なのだそうだ。笑っちゃうね。

私の整理下手は大変なものだ。文章を書くことをさほど苦にしないところから、たとえば何かの会合で書記を命じられたりする。ところが、これほど私の苦手なことはない。自分にわかるようになら書けても、きれいな字で、要領よく書くなどということは至難の業だ。

書類やパンフレットを分類して取っておくことができない。ごちゃごちゃとあちこちに置いて、そのうち紛失してしまう。部屋のサイドボードの上は、本やノート、目薬や耳かき、鉛筆やはさみ、ティシュペーパーやメンソレータム、手紙や写真、広告や財布やカメラ、その他のもので山になっている。なるべく床の上にまでは置かないように注意しているけれど、たまには、本や雑誌や3日分ほどの新聞が置きっぱなしにしてしまう。ときどき、えいやっと覚悟を決めて整理をするが、次の日の夕方には、サイドボードの上は、絵の具やスケッチブック、拡大鏡やハンドクリーム、軍手や帽子、その他のガラクタでいっぱいになる。

約束の日時は間違える。メモをするのを忘れる。メモをしても、読むのを忘れる。読んでもメモの記入が間違っていたりする。

動いている車にぶつかったことはないが、止まっている車には何回かぶつかった。電信柱にぶつかったことも1度や2度ではない。私があまりのボケ振りに、学校時代の成績を聞いた人がいた。

こんな人間のどこが几帳面なのだろうか?血液型で性格診断などできないという例である。

大体人間というものは、たいていの人は、ある程度の几帳面さやずぼらさ、繊細さや図太さ、思いやりや自己中心など、矛盾する性格を併せ持っている。血液型による性格といわれるものは、誰にでも当てはまりそうなことなのである。何でこんなに血液型による性格判断を信ずる人が多いのか、不思議である。

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2007年3月23日 (金)

水彩画

_p1010011 3月23日(ぼんくら日記)

とにかく、さまざまなことで疲れた。中でも、ブログに水彩画を載せることで疲れた。思うように行かないが、もういい。いやになったので、今日はおしまい。

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2007年3月22日 (木)

総会、他

3月22日(ぼんくら日記)

ボランティアグループの総会。狭山市の誇る智光山公園で行う。暖かかったので、花はないけれど花見気分。定例会と総会を終え、S施設で作るお弁当を食べ、談笑する。その後サイボク(埼玉牧場)へ移動。野菜を買ったりアイスクリームを食べたりして解散。

時間があったので、市の休養施設(というのかな?)寿荘にいく。始めていったのだが、3時50分についたら、風呂は4時までだという。急いで風呂にはいる。烏の行水だ。しかし、市内の高齢者は入浴料0円だ。ここは家からも近いし、暇な時は来ても良いなと思った。碁、将棋をしたり、休憩したり出来るようだ。

驚いたことに、車椅子の I さんのご主人がここの掃除をしている。職員に、私のことをマジシャンなどといって紹介する。少しは手慰みの手品をやるけれど、こんな紹介のされ方は初めてだ。

夜、その I さんと同じ車椅子グループのHさんから、会についての悩みの電話。人はみな悩み事を持っているのである。グループもまた悩みを持っている。

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2007年3月21日 (水)

軟弱派

3月21日(ぼんくら日記)

暑さ寒さも彼岸までというが、今年は暖冬で、春の彼岸の頃になって寒くなってしまった。これでは逆である。今日彼岸の中日。寒い中でも、東京はさくらの開花宣言が出た。ただ、今日は、昨日までよりは暖かさが戻ってきた。明日からはもう少し暖かくなるそうだ。そうでなければ困る。明日は野外で、私の属するボランティアグループの総会がある。

今日は、全くフリー。洗濯をして、買い物を済ませると、何もすることがない。本当は、こういう時にこそしなければならないことがあるのだが、何事もせっぱ詰まらなければする気が起きないのが私の性癖だ。どうでもいいことはするが、必要なことは後回しである。いつものことだ。

だから今日は散歩をする。散歩だって私は軟弱派で、寒い時はまだする気も起きるが、暑くなったらしない。友人で、夏の盛りにも欠かさず散歩をする人がいるが、私には考えられない。どうでもいいことをやるにも、軟弱にやる。

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2007年3月20日 (火)

糸鋸

3月20日(ぼんくら日記)

木工で使うノコギリにはさまざまな種類があって、細いものでは、まわし切鋸、糸鋸などがある。回し切りというのは普通のノコギリの柄(といっても細身ではある)に、細い鋸がついているもので、文字通り板を曲線に挽く時に使う。糸鋸というのはさらに細くて、鋸の刃の先端と基の部分をつなぐ弓形の弦がついている。洋弓をうんと寸詰まりにして、弦の部分に歯があるような鋸である。(鋸の刃は、全体を言う場合は「刃」だろうし、ギザギザの1枚1枚を言う時は「歯」であろう。それにしても、どう使うか迷う)。もちろんこれも、曲線挽きに向いている。この糸鋸には電動機械もあって、実際には、ほとんど機械が使われる。小学校の工作などで使われることも多い。

精障者作業所Mで、その糸鋸機械を買うことになった。昨日、Mのスタッフと共に近くのホームセンターへ行ったのだが、その応対をしてくれた店員が、どうも要領を得ない。もともとホームセンターの木工器具売り場の店員は、専門的知識に欠ける場合が多い。素人に毛の生えた程度の知識でもやれる。種類が多いのだから、やむを得ないとも言えるのだが・・・。それにしても昨日の店員はひどかったので、そこで取り寄せてもらう気にもならず、私たちは引き返した。私は気がつかなかったのだが、同行したMのスタッフによれば、その店員の腰の下に、研修中というと書かれたカードが貼られていたという。さもありなん。

今日、Mの人たちは川越見学に出かけていたのだが、私は道具屋のKに行った。インターネットで調べた範囲では、狭山市内でそのような機械を扱っている店は3つしかないようだった。大規模な店もあったのだが、私はあえて個人商店を選んだ。これから何かの用事で訪ねたりした時に、行くたびに違う店員に応対されるのは嫌だからだ。

何はともあれ、Kで卓上糸鋸、その他こまごました道具を取り寄せてもらうことにする。

夜、山の会の総会。これから1年間、会長を引き受けることになる。

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2007年3月19日 (月)

歯について

3月19日(ぼんくら日記)

タイトルは、単に「歯」だけでよかったのだが、何となく「について」などと付け加えた。そこにべつだん意味があるわけではない。

今、歯医者に通っている。半年に1度くらい、歯肉の手入れや歯石を取ってもらっている。

私はときどき、歯並びをほめられる。もし私の顔に誇れる部品があるとしたら、歯並びくらいのものだ。しかしその歯並びも、前歯だけのことで、奥の方は、虫歯の手入れをしたものが多い。そのうち1本は完全に抜けてしまって、インプラントとか言う方法で差し込んである。その歯の後ろ、左側1番奥の歯が、少しぐらつきだしたらしい。まだ抜くほどではないらしいが、多分そのうちいかれる。

80歳で20本、自前の歯を持つのが理想だそうだけれども、私がそこまで生きられたとして、20本残せるかどうか。

1生の中で、歯を意識し出すのはいつ頃だろうか。多くの人にとって、乳歯から永久歯に生え替わる時ではないかと思う。古い歯を抜くのはやはり痛い。私の歯は抜けにくくて、抜けて欲しい歯を、人差し指と親指でつまんで、ぐらぐらと前後に揺すったり、木綿糸に結わえてひっぱたりした。それでものけないうちに、新しい歯が生えそうになり、歯科医で抜いてもらった記憶もある。

そう言えば、今インプラントになっている奥歯を抜いた時、こんなに太い神経はほとんど見ない、と歯科医に言われた。本物の神経も、繊細な方がいいのだろうか。私のは太いそうだから、鈍感なのは、頭ばかりではないらしい。

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2007年3月18日 (日)

不眠症

3月18日(ぼんくら日記)

昨夜というか今朝というか、1時半に目がさめて、それから寝られなくなってしまった。こんなことは全く珍しい。若い頃は不眠症だったが、今は、バタン、キューで寝てしまう方だ。

仕方がないので、テレビを観たり、「数独(1から9までの数字を升目に埋めていくパズル)」をして過ごす。下半身を布団に入れたまま、上半身はガウンを纏っていたのだが、このところの寒さで、背中が冷えてくる。布団に潜ったり出たり、寒いのを我慢して、冷凍庫から小豆アイスを出して食べたりして、時を過ごす。5時頃になって少し寝たかもしれない。つけっぱなしのテレビを、所々憶えていたりするから、寝たような記憶も無いが、うつらうつらしていたのだろう。はっきりと起きて布団から出たのは、8時くらいである。

習慣的に酒を飲むようになったのは、若い頃の不眠症からだが、不眠症を治すのには、酒よりも有効な方法がある。眠ろうと思わなければいいのだ。

不眠症で死んだ人はいない。人間はどんなに頑張っても、眠らずに、起き続けることは出来ない。誰かに強制的に眠りを妨げられているのでない限り、人間は、必要な分は寝るのである。戦争中の兵隊は、歩きながらでも寝たという。そんなときは、膝がガクッと来て目がさめるのだそうだ。

だから、眠れない時は、起きていようと覚悟を決めることだ。眠れなければ、起きていられる時間が増えて、得ではないか。本を読むのもいい。テレビを観るのもいい。隣近所の迷惑にならないことを、好きなようにやればいいのである。私は不眠症を、このような方法で治した。睡眠剤や酒よりも、眠ろうと努力することをやめる方が、不眠症対策として有効である。

不眠症諸君、眠る努力をやめたまえ。起きていればいいのだ。少々眠くても、頑張って起きていたまえ。そうすれば、きっと君の不眠症は治る。

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2007年3月17日 (土)

辛夷と白木蓮

3月17日(ぼんくら日記)

来週の火曜日まで寒い日が続くそうだ。暖冬になれていたので、寒さが応える。

辛夷の花は、まだ満開。白木蓮も咲いている。

実は、辛夷と白木蓮の違いがよく分からない。何となく、こちらは辛夷、こちらは白木蓮と思うのだが、どこが違うのか説明せよと言われたら、返答に困る。

知人、友人に聞いても、はっきり分かる人はいない。たいていは、花の大きさで答える。大きい方が白木蓮で、小さいのが辛夷だという。ところが私の持っている植物図鑑では、辛夷の花の大きさを6-10センチといい、白木蓮の花の大きさを7-8センチという。とすれば、白木蓮の方が大きいとはいいきれないのだ。

このように、私にとっては、どちらがどちらなのか判別しがたい花や植物は多い。

たとえば、ツツジとサツキの違いが、分かりそうで分からない。ショウブとアヤメとカキツバタ、というのも分かりにくい。こういうのは、説明を聞けばそのときは分かるのだが、すぐ忘れてしまう。そんなことに興味を持ったのは歳をとってからのことで、若い時には興味が薄かった。若い時に憶えたものは忘れないが、歳をとってからのものは駄目だ。

花ではないが、分かりにくい木というのはまだある。シラカバとダケガンバなどだ。ダケカンバの方が標高の高いところに育つし、大木になることも多いように思う。木の姿も違うような気がするが、指さして、これはどっちだ、と聞かれたら、分からない。

スギとマツとヒノキの違いは分かる。しかし、ヒノキとサワラの違いとなったらお手上げだ。葉に違いがあるらしく、なんどか聞いたが、例によって忘れてしまった。製材されて柱や板になっていれば分かるけれども、これはかっての職業のせいだ。しかし、立ち木の状態では、全く分からない。

大和の湯へ行く。

I さんから中学同期会の案内状。C組のS さんから同窓会への誘いの電話。S さんによれば、中学の時から私は優しかったのだそうである。

精障者授産施設 Rに、ある仕事の提案をしていたのだが、理事長から返事、検討してみる、と。

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2007年3月16日 (金)

如月、弥生

3月16日(ぼんくら日記)

旧暦ならば、今は多分2月だろう。如月のはずである。着るものを重ねて着るという意味もあると聞いた。暖冬、暖冬、とは言うが、ここへ来て寒い日が続いている。東京では、今朝、みぞれが少し降ったとかで、初雪だそうだ。狭山あたりでは降ったのかどうだか、少なくとも私は気がつかなかった。

私が子どもの頃、さくらは入学式の頃の花だった。今は、どちらかといえば卒業式の頃の花になっている。弥生3月春1番、というのは旧暦だが、今は太陽暦の3月に花が咲く。春1番も旧暦の弥生まで待つことはない。

地球温暖化を何とかしなければと、いろいろ言われるけれど、結局のところ人間は易きに流れる。私が酒をやめられない(やめようと思わない)のと同じで、行き着くところまで行って、手遅れになってから「しまった!」と思うのが、お定まりのコースだ。

人間もいつかは滅びるのだけれど、宇宙の法則に従って、これ以上生き延びられないと言うところまで生き延びるかと言えば、どうもそうは思えない。多分、人間は、自分のせいで滅びる。今のところ、核兵器と環境破壊が、その鍵を握っている。この先、それよりももっと強烈な鍵が出てくるかもしれない。

人間は、自分で思っているほど理性的な生物ではない。人間の行動は、感情が支配している。論理的に、冷静に判断しているつもりでも、たいていは、自分が得たいと思う結論を得ようとする。自分が得たい結論に合わせるように考える。ブッシュ大統領だって、自分は正しいと考えているのだ。実は、私も自分は正しいと考えている。あぶない! あぶない!

特養老人ホームSへ行く。話し相手、など。

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2007年3月15日 (木)

自分の目で見る

3月15日(ぼんくら日記)

暖冬といっていたが、この1週間ばかりは寒い日が続いている。辛夷の花は、満開になるとすぐ散ってしまうのに、家から見える大樹の辛夷は、寒さのせいで、もう5-6日も満開を保っている。

暖冬のせいで、さくらの開花が早いと予想されていた。その予報に訂正が入った。気象庁で、パソコンに打ち込むデーターを間違えたのだそうだ。開花が早いには違いないのだが、最初の気象庁の予報ほどではないらしい。

私の属するボランティアグループでは、毎年4月に総会を行う。天気さえよければ、総会は市内の公園で行うのが恒例だ。総会の後で、日頃のボランティアを忘れ、花吹雪など浴びながら、弁当を食べたり、酒を飲んだりするのである。今年はさくらが早いと言うことなので、前倒しして、3月の22日に予定していた。でも、早すぎたようだ。

気象庁の開花予想は、以前は人間の目で見て判断していたという。今は予算が減って、いちいち気象庁の人が、さくらの下まで見には行かないそうだ。各地から送られてくるデーターをパソコンに入力して判断するらしい。気象予報士の森田さんによれば、実際に見にいっていれば、どんなデーターが送られてこようとも、こんな間違いはしないということだ。納得。実際に靖国神社へ行ってさくらのつぼみを見てきた森田さんによれば、新しい気象庁の予報より、さらに遅れるだろうという。

近ごろは何でも、体を使おうとしないで、頭の中だけで済むような仕事をし、それで分かったような話をする人が多くなった。本当の現場を知らないのである。素手で畑の土を掴んだことのないような農業評論家がいたりする時代だ。柳沢大臣にしろ安倍総理にしろ、庶民の生活を知らない。現場感覚がない。

○、老人介護施設Kへ行く。話し相手、手品、紙切り、配膳の手伝い。

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2007年3月14日 (水)

Tさん、Yさん、Hさん

3月14日(ぼんくら日記)

車椅子のTさんと、Yさんが立ち上げた高齢者のデイサービスの施設を訪ねる。高齢になって、大病をしたYさんは、「これからはやりたいことをやる」と、立ち上げたものだ。なかなか綺麗な作りで、入居者には快適な施設に思えた。

Tさんは社協の今後のあり方についての意見を求められているようで、Yさんに相談していた。なによりも、モチベーションの強さを、Yさんは言う。

その後、防衛医大病院にHさんを見舞う。TさんとHさんは、いつもそうだが、お互いに悪口を言い合って、笑いあう。Hさんは医師や病院の悪口を言うが、大腸癌手術後の経過は良好なようである。退院したら、快気祝いをやろう、旅行に行こうなどとみんなで話す。

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2007年3月13日 (火)

卓球台

3月13日(ぼんくら日記)

ボランティアや遊びやら、いろいろ用事が続いて11日間、何かしら用事があった。今日明日は空いているはずだったのだが、また用事ができた。精障者の生活支援センターS・Kの卓球台が壊れたので直せるかどうか見て欲しいというのである。簡単な道具を持って出かけた。しかし結果は無駄足だった。

卓球台の甲板は、厚手のベニヤでできているだろうと思っていたのに、なんと12ミリのパーチだった。パーチというのはおがくずを接着剤で固めて板にしたもので、安物の家具やらなにやら、さまざまなところに使われている。出はじめたのは50年以上も前で、当時はホモゲンホルツと言っていた。

パーチは湿気には弱いし(水を吸うと膨らんでしまう)ビスなどの効きも悪い。木やベニヤ(これも木だ)と違って、組織がすぐに壊れる。刃物も傷むので、職人は本当は使いたがらない。それでも使われるのは、値段が安いからだ。近ごろでは畳の芯に使われることもあるらしい。畳の芯は普通は藁で作られるのだが、パーチで作れば虫やダニには強い。その代わり、畳を踏んだ感触が硬く、藁のようなクッション感覚がない。

そのパーチを卓球台の甲板に使っていた。それも、足は折りたたみ式の卓球台だ。金具の足をビスで止めている。そのビスも10ミリくらいの短いものだ(12ミリのパーチだから長くはできない)から、強い衝撃に絶えられるわけがない。卓球をする時は、台にぶつかったりすることも、当然多いはずだ。だいたい、12ミリ程度のパーチを甲板にして、卓球台の足を短いビスで止めるなどという仕事は、良心的なものとは思えない。

その足の付け根が緩くなって、直しに行ったのだが、ビスで止めるだけではしょせん駄目だ。戸の丁番が緩んだりした時は、ビスを抜いてその穴に接着剤をつけた木を打ち込み、あらためてびすを揉み込む。しかしパーチではビスのまわりの組織が広く崩れてしまって、ビス穴にきを揉み込むこと自体が無理だった。厚さが12ミリのパーチでは、埋木をするわけにも行かない。そんなことで無駄足を踏んでしまった。

授産施設RでOさんに会う。手を骨折したと言うことで、包帯が痛々しい。

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2007年3月12日 (月)

風邪について

3月12日(ぼんくら日記)

昔、寄席に行くと「今世間では、風邪をお引きになっている方が多いですね。私もとうとう風邪をひきました。馬鹿は風邪をひかないと申します。私はひきました。皆さんはどうですか?」といって笑わせる落語家がいた。

私はこの1-2年、とんと風邪をひかない。昨日、菜畑山の頂上で昼食中その話をしたら、Hさんが言った。「とうとうぼんくらカエルさんにもやってきましたね」なんのことかと思ったら、認知症のことだった。なるほど「認知症は風邪をひかない」というわけだ。

精障者作業所M、精障者生活支援センターKへ行く。Mでは畑へ。ジャガイモの芽はまだ出ていなかった。

夜、孫から電話。春休みにやってくるとのこと。

パソコンのプリンターの調子が悪い。パソコン関係では、年中何かしら問題ありだ。

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2007年3月11日 (日)

今倉山、菜畑山

3月11日(ぼんくら日記)

山行。

コース

道坂トンネル入り口~今倉山~唐沢尾根~水喰ノ頭~菜畑山~曙橋。菜畑山はなぜか「ナハタケウラ」と読む。 

所要時間4時間30分。

駅前集合6時。トンネル入り口まではマイクロバス。

登り初めは雨。午後には晴れるという予報を頼りに、みんなレインコートを着用して登る。1行16名。登り口でやはりマイクロバスの他のパーティーを見かけたが、山の中ではあわなかった。登り始めてすぐ、御正体山の分岐があるので、そちらへ行ったのだろう。

雨の中滑りやすい道を急登する。今倉山頂上あたりで、雨は小降りになり、水喰ノ頭辺りで完全に上がる。昼食は菜畑山。雪の富士が見えたが、残念ながら、雲に隠れて、全容を見せたのはほんの一瞬。

今倉山、唐沢尾根辺りでは、雲海が見渡せて、晴天の時とはまた違った良さがあった。菜畑山での昼食時は、天気予報に反した風も吹かず、昼寝でもしたくなるような快適さ。尾根道は唐松林が多く、途中から晴れたこともあって、楽しい山行であった。

コース中、他の登山者には誰にも会わなかったが、こんなことは普通はない。朝雨が降っていたために、山行を諦めた人が多かったのだろう。

5時には狭山市につく。Nさん、Yさんと食事。

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2007年3月10日 (土)

山行はどうなる?

3月10日

私もこれで、趣味などで遊びほうけるのは大好きだ。昨日は水彩画、今日は俳句、明日は山の予定で、なかなか忙しい。

しかし明日は雨の予報。うーん参った。マイクロバスを仕立て、同行17名の大部隊だ。今さらバスのキャンセルもできず、天気によってはどこかへ観光旅行ということになろうか。道志山塊の山を縦走する予定であった。道志村には村営の温泉があると聞いている。そんな温泉にはいるのもよかろう。温泉に入って、お酒を飲んで帰るというのも、それはそれで楽しい。

いずれにしても、明日は4時起きである。駅前から6時出発。朝食を取って、腹の調子を整え、余裕を持って出かけるとなると、4時頃には起きなくてはならない。仕事を離れて10年近くなるから、朝はゆっくり起きる習慣が付いている。山の時だけは、否応なく早起きをしなくてはならない。それだけがちょっと辛い。

近所の辛夷は、まだ咲いている。このところ寒くなったので、持ちこたえているようだ。近くの交番脇の、毎年早咲きのさくらは、2-3日前から咲いている。

プリンターの調子がおかしい。インクが切れたので代えたら、どこの扱いが悪かったのか、正常に働かなくなった。自分で直せるかどうか、また解説書などを読まなければならない。あんなもの読みたくはないんですよね。カタカナばかり多いし。

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2007年3月 8日 (木)

へび

3月8日(ぼんくら日記)

一昨日(3月6日)は啓蟄だった。このころ冬眠から醒めて、地中から虫がはい出すのだそうである。24節気の1つらしいのだが、俳句を始めるまで、こんな言葉は知らなかった。

本当にこの日を中心にして虫がはい出すかどうかは知らないが、昔は、妙に蒸し暑い日を「虫が湧くような陽気だ」といった。昔は、本当に地中や水中から虫が湧くと考えた人もいただろう。

虫というのは不快なものが多いけれども、これも我らの仲間で、地球から無くなればいいというものではない。農薬やら、土地や水の利用方法のせいであきらかに減っている。

先日テレビで知ったのだが、蛙にも絶滅を心配される種が幾つもあるそうだ。ぼんくらカエルとしては、身内の死はただごとではない。コンクリートで護岸された水路、農薬は蛙の大敵である。蛙の餌となる虫も減っているのだから、私の仲間も、生き延びるのが難しい。

山歩きは私の趣味の1つである。何年も前から気づいていることではあるが、山に入っても、蛇を見ることが本当に少なくなった。昔ならば、郊外の林や農道を歩けば、当たり前のように蛇が見られた。農家ならば、家の梁の上にアオダイショウが住みついていたりしたものだ。

子どもの頃、牛小屋の前で友達と話していた時、どさりと目の前に落ちてきたものがあった。見ると、アオダイショウがネズミに巻き付いていた。私たちはその蛇がネズミをのみこむのを見た。囓って呑み込むのではなく、大きな口を開けて、丸ごと呑み込むのだった。裸足で畑を耕していた時、気がつかずに蛇を踏んでしまったこともあった。気持ちの悪い存在ではあるが、蛇は身近にいる動物だった。

私は蛇は嫌いだけれど、夏に藪山に入っても、めったに蛇にあわないというのは異常であると思う。ぼんくらカエルとしては、考えるのもおぞましいが、蛙は蛇の好物である。蛙ばかりでなくねずみなどの小動物も減っているのだろう。虫が減って、小動物が減って、蛇も減ったということだ。

去年だったか一昨年だったか、ある人が山に入って、大きな蛇を見て、びっくりしたという投書が新聞に掲載されていた。投書子は、そのときはびっくりしてそのまま帰ってしまったが、警察に届ければよかった、と結んでいた。私はあほらしくなった。ニシキヘビでもいたというならともかく、単に大きな蛇が山にいたというだけで、警察に届けるも無いものだ。おそらく、大きなアオダイショウがいたというようなことだろう。山に蛇が入るのは当たり前のことなのだが、近ごろは当たり前ではなくなっている。だからこんな投書をする人がいるし、その投書を載せる新聞もある。環境破壊が進んでいる証拠で、その方が怖い。

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2007年3月 7日 (水)

鍋の後のカレーライス

妻に死別して8年、ずっと一人暮らしだ。そんな人間はたいがいそうなのだけれど、食事は自炊である。戦争中の育ちなので、食べ物については、十分な量があればいいという考えで、味のことはあまりとやかく言わない。もっとも、戦後60年を過ぎているのだから、われわれの年代でも、味にうるさい人が増えている。まあしかし、私などは、あれが食えない、これが食えないと言うことはない。

同級生の小学校の先生が、学校のイベントなどでお母さん方が食事を作る時、「今のお母さんたちは、『これをみんなが食べてくれるかしら』、『これ、おいしいかしら』という。私たちの時は『これでたりるかしら』と言っていたのに」といっていたのは、もう40年くらいも前のことだ。そう言っていた彼女も、とうの昔に先生を辞めて、今では孫の面倒を見ている。

そんなわけで、自炊はしているけれど、料理に対する情熱はあまりない。とはいうものの、不味いよりは旨い方がよい。元来本を買い込む癖と相まって、『一人暮らしのレシピ』といったたぐいの本を何冊か持っている。インターネットからヒントを得る時もある。

いずれにしても、簡単レシピでなければ駄目だ。1つの料理を作るのに、鍋を2つも使うようなものは、土台やる気が起きない。暇な時に何時間も掛けて、などというのも嫌だ。手の込んだ料理などは作りたくもない。それでも旨いものの方がいいというのだから、努力はしないで、棚ぼた式の幸運を願うようなものだ。

てんぷらや、揚げ物は作らない。そんなもの、自分一人のために作ってはいられない。食べたい時は、スーパーで出来合いを買ってくる。少し不味いけれどもやむを得ない。

初めのころはカレーライスをよく作った。しかし、まもなくそれもやめた。1回分ずつ作るというのもやっかいで、たいがい4食分くらい作った。そして残り3回分は小分けにして冷凍した。但しジャガイモを冷凍すると不味くなってしまうので、ジャガイモ抜きのカレーになる。それが淋しいし、カレーばかり続けて食べるのも侘びしい。一人用のレシピの本で、「4回分を作ってのこりは冷凍する」というのがあった。冗談ではない。そんなことは私でもやっている。それが一人用のレシピだなどとは何事だ。本代を返せといいたくなる。そんなこんなで、いつの間にか「3分間待つのだぞ」的なレトルトカレーでまにあわせるようになった。これも結構旨い。

話は変わるが、近ごろ話題のブログ「きっこの日記」を毎日読んでいる。政治の話、耐震偽造問題など、私などの知らないこと、気づかないことなどが多く取り上げられ、読むのを楽しみにしている。もっとも、パチンコの話題やF1のことは、私には何のことやら分からないので、そんなときは斜め読みだ。

実はその「きっこの日記」で、鍋物のあまり汁でカレーを作ることを知った。やってみると、これが旨い。普通は、鍋物の最後は、おじやかうどんだが、カレーを作ることを知ってからは、必ずこれにする。あまり汁を取っておいて(冷凍してもよい)、これに肉や野菜を加え、カレーにするのである。もともと汁の中には、鍋を作った時の具やだしの味がしみこんでいるので、とびっきり上等のカレーができあがる。それに、1回分ずつ作ることが出来る。1時やめていたカレー作りが復活した。

きっこさんに感謝。

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2007年3月 6日 (火)

辛夷

(ぼんくら日記)

今年は春が早い。だから、花(さくらに限らず)も早い。

我がマンションの近くには、辛夷の庭木を持っている家が多い。その中に大木が2本ある。方角の関係で私の4階の窓から見ると、その2本が連続する2つの山のように重なって見える。辛夷というのは、普段は目立たない木なのに、花の時期になるとひときわ目をひく。まるで普段の鬱憤を晴らすように見事な花をつける。「俺はここにいるぞ」と自己主張をしているようだ。特に大木は、普段との落差が大きい。その辛夷、2-3日前からつぼみが大きくなってきていた。昨日は5分咲きくらい、今日は7-8分咲きだ。明日は間違いなく満開だろう。

ここ数日、暖かい日が続いた。ただ、安定した天気とは言い難く、昨日、今日と強風が吹き荒れた。まだ咲ききっていなかったため、散るようなことはなかったが、満開の後ならたいへんである。おおかた散ってしまうところだ。

皮肉にも、明日は寒いという。辛夷は、さくらにおとらぬほど花期は短い。辛夷の、白い清潔な美しさが好きである。明日は本当の見頃になるはずなのだが、果たしてどうだろうか。穏やかな暖かい日になることを願うばかりだ。

   白ければ画布に溢れる花辛夷     ぼんくらかえる

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2007年3月 5日 (月)

後出しじゃんけん

4月5日(ぼんくら日記)

後出しじゃんけんはずるいのだけれども、これが案外楽しいこともある。

私は某ボランティアグループに属しているけれども、そのグループは、あまり特徴のないグループである。ボランティア先でギターを弾いて歌をうたう人もいるが、その人もけして上手いわけではない。ときどき音を間違えたり、つっかえたりしながらやっている。私は紙切りをしたり、手品をしたりするけれど、どちらもレパートリーは少ないし、ちょっと場を持たせる程度のことしかできない。いつも行く老人ホームでは、私たちは多くの場合ただ話し相手をしているだけである。話し相手といっても、主として聞き役になることだ。精神障害者の施設でも、話し相手と作業所の仕事の手伝いをやる程度のものだ。

ボランテイアグループの中には、何か特別なことをしているところも多い。たとえば点字のグループ、朗読のグループ、コーラスグループ、演芸のグループ等々。私たちのグループには、そんな特長が何もない。だから、老人施設にコーラスグループや演芸グループが来た時は、利用者さんを施設のホールまで誘導するのが仕事になる。車椅子を押したり、手を取って歩いたりするわけだ。イベントが終われば、こんどは部屋まで送るのだ。

私たちの会は、特長がないのが特徴で、それが長く続けられる、割合活発な会として存在できる理由だと思っている。

見出しに後出しじゃんけんと書いたが、書いているうちの中身が変わってしまった。書き直すのも面倒なので、最後に後出しじゃんけんについて書く。

老人施設などでは、後出しじゃんけんをするのが、案外おもしろい。利用者さんとじゃんけんをするのだが、前もって次のように言う。

「じゃんけんをしましょう。皆さんは私が出したのを見てから出してください。そして私に勝ってください。いいですか、後出しでいいですよ。勝ってくださいね」

また、次のようなのもある。

「こんどは、ジャンケンポンで私と一緒に出してくださいね。私はグーを出します。皆さんはグーに勝のを出してくださいね。何がグーにかちますか考えてくださいね。じゃあ始めましょう。私はグーを出しますよ」

こんな調子でしても、私と同じのを出す人が2割くらいはいる。1割くらいは、私に負けてしまう。しかし、みんなに楽しんで貰えるようだ。

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2007年3月 4日 (日)

マンション住まい

3月4日(ぼんくら日記)

私のようなマンション住まいは、鍵一つ掛けるだけで外出できる。近ごろはだいぶ物騒になって、鍵などに気を使わなければならなくなったけれども、私のように取られるものもないような貧乏人には、管理も楽だし、気楽と言えば気楽である。それでも住民ともなれば、それなりの義務はある。

私の住むマンションは自主管理と言うことで、住民が管理組合を作っている。その役員は順番にまわってきて、私はこの4月まで役員である。もうじき終わるわけだが、4月の総会が済んで、役員の引き渡しがすむまでは、それなりの役割がある。また、役員でなくても、玄関、エレベーター、ゴミ置き場、階段、庭などの掃除当番もある。まるっきり何もしないでいいというものでもない。

実は今日、配水管の高圧洗浄があった。これも毎年行わなければ、水漏れなどの事故が起きやすい。洗浄工事がことのほか時間を取って、私は上下水道関係の役員ではないが、とにかく今年の役員ではあるので、1日中マンションから外出できなかった。

そんなわけで、本来であれば車椅子関係のボランティアをやる日であったが、そちらを欠席した。何日も前からその断りを入れていた。しかし夕方、車椅子のTさんから電話があって、なぜ来なかったかと聞かれた。何かもめ事があったということだ。詳細は分からないが、私にいて欲しかったという。いたからどうということもなかっただろうけれども……。気楽だと言っても、何もかもうまく行くとは限らないのだ。

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2007年3月 3日 (土)

車と携帯

3月3日(ぼんくら日記)

「車と携帯」という題を見て、「車に乗って携帯を使うのは危険」などという内容かと思う人がいるかもしれない。残念でした、はずれです。

ある俳人が、「携帯電話」のことを「ケータイ」と書いて俳句にした人に、注意をした。「ケータイとは持ち運べるということです。必ずしも携帯電話の意味ではありませんから、この使い方は間違いです」。うーん、その通りなのだけれど、多分その考えは通らなくなる、というのがそのときの私の感想である。

1945年、日本は戦争に負け、私は秋田の田舎に疎開していた。私はまもなく新制中学に進学。まだ田舎の学校では、英語を教えられる先生がいまなかった。1年生の1学期だけ、英語の先生がいたが、その先生が上京したから、英語の授業はなくなったのである。それでも、2年生の2学期くらいに、新しく英語の先生が赴任してきた。なぜかその先生は、いつでも教科書を2冊持ってくる。ある時、先生が教科書を忘れて教室を出て行ったので、その教科書を開いてみると、1冊は「あんちょこ」なのであった。

「あんちょこ」というのを知っているだろうか。当時あった、教科書に沿った参考書である。英語のあんちょこの場合、教科書と同じ英語が書いてあって、英語にはかなが振られているのだ。そして、その下には日本語訳がある。先生はそのあんちょこを見ながら教えていのだった。

そんな状態で英語を習ったが、たしかその先生が言ったと思う。「自動車は『モーターカー』というのだけれども、アメリカでは、単に『カー』といえば自動車のことになる。つまり、『車』と言うだけで『自動車』の意味になる」。

私は不思議だった。車とは円盤状で転がるものである。大八車もあれば糸車も、歯車もある。その他いろいろな車があるのに、自動車の意味になるなんて、と納得がいかなかった。しかしまもなく、日本でも「車」と言えば「自動車」を意味するようになった。昨日の日記に「さくら」と「花」の関係を書いたが、それと同じようなものだ。

私の言いたいことはもうおわかりでしょう。携帯電話が出始めた頃は、ケータイだけでは電話の意味にはならなかった。しかし今では、ケータイといえば携帯電話のことといってもいいと思われる。「ケータイ」は「携帯電話と違う」といった俳句の先生も、「車」は「自動車ではない」とは言わないと思う。

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2007年3月 2日 (金)

3月2日(ぼんくら日記)

万葉集では、花といえば梅のことだそうだ。花といえばさくらを指すようになったのは平安時代だそうである。

実をいえば、数年前に俳句を始めるまで、「花」だけで「さくら」を意味することがあるなどとは知らなかった。そういえば、滝廉太郎作曲の「花」で歌われているのも「さくら」だなあ。俳句に限らず、花はさくらなのかな。「花見」というが、「桜見」とはいわないし……

子どもの頃は、風流を解さなかったから、特別さくらが好きということもなかった。今だって風流は解さないけれど、さくらは好きである。もっとも、酒無くてなんで己がさくらかな、の気分がなきにしもあらずだ。

さくらを好きになったきっかけは二十歳ごろで、奥多摩のハイキングに行った時である。川べりのさくらが、水面すれすれにまで枝をたれて咲いているのを見て、美しいと思った。その後は、どこのさくらでも美しいと思うようになった。ソメイヨシノもいいが、山桜もいい。さくらは種類が多すぎて、とても憶えられないが、それぞれ美しい。日本中にさくらがあって、どこへ行っても、有名無名のさくらの名所があるのもいい。自分だけのさくらの名所を持っている人も多いだろう。

今年はことのほかの暖冬で、さくらも早いに違いない。実は2月27日、上野の山で、すでに花を付けている数本のさくらを見た。寒桜と大寒桜という種類らしい。満開であった。

種類によって早い遅いもあるけれど、同じ種類の中でも、早い遅いがある。近くの交番の辺りにさくらの街路樹がある。ソメイヨシノだけれども、この中に1本が、毎年早く咲く。道路際に並んで植えられているのに、日当たりの加減か、風の当たり具合か、とにかく1本だけ数日早く咲く。今年もすでに、つぼみが大きくふくらんでいる。

市内の、某公園には、毎年のように帰り花をつけるさくらもある。それぞれの樹にも、個性ってあるんですね。

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2007年3月 1日 (木)

1日の記録

3月1日(ぼんくら日記)

ボランティアや趣味の集まりその他が無くて、今日1日、家事などをする日。ちなみに、今日やったことを箇条書きにすれば、

① 洗濯

② 銀行で今月分の小遣いと、元金で支払う費用、その他必要な金額を下ろす。

③ O歯科へ行く。昨日食事中に入れ歯が落ちたので、直してもらう。なお、来週か         ら、歯石取りなどのため、しばらく通う予定。

④ S医院へ。毎月1回血圧の薬をもらいに行くのである。

⑤、⑥ 八百屋で買い物。スーパーで買い物。

⑦ ホームセンターで書類入れの箱の買い物。

⑧ Yの湯。サウナで汗を出し、上がって飲むビールの旨さ!

以上のようなものです。読む人はつまらないでしょうね。 

 

 

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2007年2月28日 (水)

高山不動の3滝めぐり

2月28日(ぼんくら日記)

Sさん、HさんAさん達と山歩き。例によって、ハイキングとしては一般的ではないコースを、選んで歩く。

西武線西吾野駅で下車。

まず、高山不動のふもとの大滝に向かう。車道歩きが長いのが癪の種だが、大滝への登り口からは、やや荒れた登山道になる。コース案内ではないのでどこをどう通って、左折だ、右折だ、とういことは書かない。大滝は、今日めぐった三つの滝の中ではもっとも水量があり、規模も大きい。下から見上げたところでは、滝は2段になっているようだ。ただし、先週見た宿谷の滝に比べると、いくらか迫力に欠けるように思う。

大滝から白滝に向かう。この辺りまで来ると道の荒が多くなり、谷側は崩れて、道が半分くらいになっていたりする。それでも注意して歩けば、滑り落ちることもないだろう。漫然と歩いては危ない。白滝は、岩の上を水が滑るように落ちてくる滝。

白滝から不動滝への道は、夏ならば藪の道になる。かなり歩きにくかったが、特別危険というわけでもない。やや標高を上げて不動滝に着く。岩の様子など、いかにも大層な滝がありそうだが、実際はシャワーのような滝である。解説板によれば、昔から水量は少なかったという。修験者はここで滝に打たれたそうだが、夏などは、修行というより、かえって気持ちがよかっただろう。

ここで昼食。

Sさんが不動滝の上の昔の作業小屋を見つけて来る。で、不動滝上に出る。ここから頂上の尾根道まで、標高差は約100メートルくらいか、藪こぎをする。私など、一人ならば絶対に通らないだろう。他の季節ならば、なたを持って切り開きながら進まなければならないところだ。途中、おそらくは植林した時のものと思われる作業小屋が幾つか、屋根も半分くらいは剥がれ、柱もよれよれになって立っていた。

尾根道にでてからは、一般のハイキングの道。関八州見晴台~高山不動~八徳を経て吾野駅につく。

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2007年2月27日 (火)

人だらけのオルセー美術館展

2月27日(ぼんくら日記)

水彩画の仲間9人で、オルセー美術館展に行った。

いやあ、混んでましたねえ。入場券を買ってから改札にはいるまで、40分も並んだ。もし一人で来たのなら、この人混みを見ただけで入場を諦める。

10列ぐらいに並んで20メートルくらい先の改札に向けて、ときどき前へ進むという状態。人の頭ばかり見ていた。そんなときには変なことを考えるもので、果たして禿が何人くらいいるかなどと見まわしたりする。私の見えるところからだと、つるつるの禿は3人、私のようなてっぺん禿げや髪の毛の薄いものは、うーん・・・大勢いた。

私の身長は約170センチ。「約」と付けるのは、私はもとは171.5センチあったからである。歳をとって2センチくらい縮み、今は170センチを切る。それで「約」を付けた。170センチというのは、私の歳にしたら大きい方だ。今日並んでいるまわりには若い人が少なかったせいもあって、私は人々の頭を見ていられた。これが150センチの人だったら、人の背中しか見られないことになる。背の低い人がこんなところに並ぶのは、もっと辛いに違いない、などと考えた。

そんな馬鹿なことを考えながら、とにもかくにも入場し、人の頭越しに名画を見る。もともと、美術館などは流してみる方だが、こんなに混んでいては、とてもじっくり見る気分にはなれない。入場できた時には、人いきれですでに疲れているのである。

複製などでおなじみの絵や、はじめて知る絵、なんでこれが名画なのか分からない絵、等々、適当に見て外に出る。ゴッホの寝室の絵は、複製でなどで見ていたが、ベッドの脇の壁に自画像の額がかけられていることに、今日始めて気がついた。そんなつまらない発見くらいで、あらためて感激するということもなかった。

私と同じようにさっさと出てきた仲間が4人。残りの5人を待って、缶コーヒーを飲んだり、おしゃべりしたりで時を過ごす。残りの人たちが出てくるまで4-50分かかった。

狭山市まで帰って、喫茶店でティーブレーク。これが楽しかった。Nさんは地元の生え抜きで、話術も巧み、市内のあれこれをいろいろ話してくれた。詳細は書かない。

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2007年2月26日 (月)

寝相

2月26日(ぼんくら日記)

私のブログのタイトルはほとんど「ぼんくら日記」だけでいいのだけれど、うっかりすると、同じことを2度も3度も書いてしまいそうで、それを避けるために、個別にタイトルを付けるようになった。

今日のタイトルは「寝相」で、昨日の続きのようなもの。昨日の続きだから、まず、夢について書く。

独身時代・・今も独身だけれども、妻と死別したためで、これは結婚前の話。小さな会社の寮に住んでいた頃。ある夜、泥棒を追いかける夢を見た。われわれの寮に泥棒が入って、それを見つけて、みんなで泥棒を追いつめていった。その泥棒が、待ちかまえている私の方に向かってきた。私は頃合をはかって、ゲンコツで、泥棒に思いっきり殴りかかった。そして、あまりの拳の痛さに目がさめた。私は、ベッドの横の壁を叩いてしまったのである。手が痛いの何のって、夢を見ながら、現実の壁を思いっきり叩いた人でなければ分からない痛さだ(つまり、誰にも分からない)。指が骨折しなかったのは幸運というべきである。

私がベッドで寝たのは、ホテルなどに泊まった例外を除いて、この寮にいた頃だけである。同僚の中には、寝ぼけてベッドから落ちるような人もいた。私は落ちるようなことはなかったが、掛け布団は蹴飛ばして、よく落とした。寝相が良かったのか悪かったのか、よく分からない。

長女がまだ2-3歳の頃、私のそばに来て大の字になって横たわり、「ゴー、ガー」といった。妻によれば、私のいびきの真似だという。どうやら私はいびきを掻くらしい。夜中に目がさめると、のどがからからに渇いていることがある。口を開けて寝ているのだ。目覚めた時、何となく、今いびきを掻いていた、と気づくこともあった。

その後は、旅行などの時、相部屋の友人知人に、いびきを掻くかもしれないとあらかじめ断りを入れたりしている。次の朝聞いててみると、いつも「たいしたことはなかった」というような答えが返ってくる。しかし、去年山小屋に泊まったら、同室の友人が、私のいびきが気になり、頭を反対側に向けて寝たという。その友人は「いびきというより、寝息という程度だ」といってくれた。心優しいのである。

誰かと同室で寝る時は、横向きに寝ることにしている。仰向けはいびきを掻きやすいと聞いているからだ。

若い頃は、横向きでなければ寝られなかった。本当か嘘かは知らないが、横向きで背中を丸め、足や手を曲げて寝るのは、甘えん坊の証拠だという。私はそのスタイルだった。しかし今は、仰向けで手足を伸ばして寝ることが多い。仮に横向きで寝たとしても、目がさめた時には、たいがい仰向けになっている。横向きに寝る場合でも、手足を昔のように縮めたりしない。

これはなぜだろうか。飛ぶ夢、落ちる夢は若い時、降りる夢は歳をとってから、というような対応が、寝相についてもあるのだろうか。若い時から仰向けに寝る人もいるのだから、誰にでも当てはまるというものではないようだ。

ならば、若い時は甘えん坊だったが、今は甘えん坊ではなくなった、ということなのか。どうも、そうではないような気がする。私自身は、筋力の衰えが原因だと思うのである。

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2007年2月25日 (日)

飛ぶ夢、落ちる夢

2月25日(ぼんくら日記)

若い頃は飛ぶ夢をよく見た。地面すれすれを飛ぶ時もあれば、屋根の上を飛ぶこともあった。いつぞやは、街のアーケードの屋根を突き破って上がったこともあった。しかし、鳥や飛行機のように上空を飛ぶことはなかったと思う。目覚めても、一種の浮遊感はあった。

登る夢もよく見た。登るのは、どこまでも続く階段だったり、崖だったり、木だったり、ジャングルジムだったりした。そのどれもが、簡単には登り切れないのだった。時には、上の方に友達がいることもあった。その友達に対して、劣等感があったのかもしれない。いつでも、その友達のところまで登ることはできないのである。

そのほかに、落ちる夢もよく見た。どういうわけか、下まで落ちきることはなくて、途中で目がさめるのである。どんなところから落ちたか、憶えている夢は一つもない。

だいたい、夢というのは忘れやすい。目覚めた時、夢を見たという記憶だけあって、その中身を思い出せないことも多い。まだ半睡状態のときに、夢を思い出して、記憶しようと努めると、割合よく憶えていられる。ただ、思い出した夢と、実際に見た夢とは、多分、少し違っているだろう。覚めている時の意識は、夢のつじつまを合わせようとしてしまうからだ。

歳をとってからは、飛ぶ夢も、登る夢も、落ちる夢も、全く見なくなった。

代わりに見るのは、降りる夢である。これがまた登る夢と同じで、容易に降りられないのだ。降りる場所は、登る夢と同じで、崖あり、木あり、梯子ありで、変化に富んでいる。ただ、降りにくい、降りきれないという共通点がある。

たとえば、ビルなどの中であれば、まずたいていは、降りるための階段探しをしなくてはならない。1フロアー降りると、次のフロアーへの階段が無くなっていたりする。あるいは、塀づたいに横になって進まなければならなかったり、手すりにぶら下がりながら次の足場を捜さなければならなかったりする。とにかく、むやみやたらに降りにくいのである。しかし、若い時と違って、なぜか落ちない。困惑しているうちに目がさめる。

若い時は登る夢や飛ぶ夢、歳をとったら降りる夢というのは、体力や気力に関係があるのだろうか。このような夢を見るのは、誰でも同じなのだろうか。私自身、何歳ごろまで登る夢や飛ぶ夢を見ていたのか、いつ頃から降りる夢を見るようになったのか、はっきりしない。

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2007年2月23日 (金)

ぼんくら日記

2月23日

 ここのところ、天気が安定しない。まるで日替わりメニューのようだ。今日は雨。

 よくあることだが、今日もブログを開いてから、書くことを考えている。天気を書いているうちに何か浮かぶかと思ったが駄目だ。3時頃、ふと「死」について書いてみたいと思った。しかし、パソコンの前に座った時には、その話題が嫌になっていた。それで、書くことが無くなった。

 楽屋落ちだが、ブログを毎日更新するようになって、俳句のできる数が減った。どうやら、頭が、まずブログの方に向いているらしい。特に意識しているわけではないのだけれど・・・

 それでも今日は、私の属している俳句の会に、5句投句した。恥ずかしながら、そのうちの1句。

    冬鴉鳴く物言えぬ哀しさに     ぼんくらカエル

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2007年2月22日 (木)

障害者の作業所

2月22日(ぼんくら日記)

 近ごろ、どことかの障害者の施設で、最低賃金にほど遠い額の給料しか払わずに、障害者に仕事をさせていたとして問題になっている。問題の施設の場合は、障害者を食い物にしていたとの疑いをもたれているのだろう。

 しかし多くの障害者作業所では、障害者を食い物にする意志はなくても、決められた最低賃金を払えないでいるのが実状である。最低賃金を払わないですむ作業所にはいくつかの条件があって、たとえば、作業時間や日時の拘束をしてはいけない、と言うようなこともその一つだ。

 私は精神障害者の作業所に、ボランティアとして係わっている。スタッフではないので、詳しい事情は分からないが、障害者に給料を払うのは、なかなかたいへんなことなのだ。

 障害者は、大きく分けると3つある。身体障害者、知的障害者、精神障害者である。あるいは、このように呼んだり、分類したりすることはいけないことになっているのかもしれない。どこかの誰かから、知的障害と言ってはいけないと聞いたような気がする。言葉など少し言い換えたところで、中身が変わらなければ同じことだと考えているせいか、代わりの言葉は聞いたかもしれないが、忘れた。

 とにかくその中の、精神障害者の作業施設に係わっている。その作業所はシフト制で、メンバーの出勤日は決まっている。実は、精神障害者の特徴の一つは、がんばれないことで、決まって日、決まった時間に来なければいけないというのは、もっとも苦手とするところだ。だから、シフトとは言っても、その日になるべく来る、その時間になるべく来ると言うことであって、強制ではない。実際、来る人、来ない人、いろいろである。そして出勤してくれば、軽作業をするわけだが、作業中であっても、気分や体調が悪ければ、裏に用意されているベッドで休む。あるいは本人の気持ち次第で帰宅する。そのような人たちにやってもらう仕事と言ったら、どうしても内職のようなものになる。内職というのは健常者でも、最低賃金にほど遠い収入しか得られないものだ。スタッフやボランティアが頑張るしかない、それがおおよその障害者作業所の実状である。

 作業所にも、自助努力がもとめられる。もっともである。何かもう少し効率のよい仕事を与えたい、と、多くの良心的な作業所では考えている。それができないのは、スタッフやボランティアにに能力がないからだと言われれば、反論もできない。障害者の作業所で比較的うまく行っているのは、食べ物作りだ。パンを作る、ケーキを作る、弁当を作る、食堂をやるなどである。この場合でも、安い給料で働くスタッフ、無料で協力するボランティアが必要である。それでなお、障害者に最低賃金を払えないことが多いということを知って欲しい。

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2007年2月21日 (水)

日和田山、鎌北湖

2月21日(ぼんくら日記)

 Hさん、Aさん達と山歩き。ごく近くの低山歩き。

 高麗駅~日和田山~物見山~宿谷の滝~鎌北湖~北向き地蔵~ユガテ~東吾野駅。

 足慣らしだが、変化を持たせるため、なるべくこれまで通らなかったコースを選んで歩く。

 日和田山から物見山の途中で、古滝へ寄り道する。荒れた道をわざわざ行ってみると、それらしい場所の岩が濡れているだけで、標識に「幻の滝」と書いてある。雨の時だけ現れるのだそうだ。

 物見山から宿谷の滝は、コースガイドの地図では、実線ではなく点線になっている。難コース、または道がはっきりしないと言うことだ。道は荒れてはいたが、それほどの難コースとは思わなかった。宿谷の滝は、なかなか勢いのある滝だが、受ける印象が、長い樋を降りてくるような滝であった。われわれが宿谷の滝を離れようとした時、白装束の修験道と思われる7人ずれが、この滝にやってきた。

 鎌北湖から、再び登り返す。普通はここから毛呂駅などへ行くのだが、バスに便が悪いところだし、われわれは西武線の方がよいので、もう一度山越えをする。ユガテは山の中腹に開けた土地で、農家が2軒ある。ユガテで、先頭を歩いていたAさんが「あ、イノシシ」という。イノシシが横切ったらしいのだ。しかし2番目を歩いていたHさんや、3番目の私は、見ることができなかった。

 ユガテ付近の山は、蕨に似たシダ植物の勢いがよくて、4~50センチになっているものも多かった。

 穏やかな天気で、のんびりと気張ることもなく歩けたのはよかった。低山ながら、歩行距離はかなりあったと思う。

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2007年2月20日 (火)

ドジ

2月20日(ぼんくら日記)

 一日中、雨が降っているような、降っていないような天気。駅ビルの本屋に出かけたが、傘を持つか持つまいか迷った揚げ句、大きめの帽子を被っていくことにした。

 帽子と言えば、今年はもう帽子を2つ無くしている。子どもの頃から何事によらず忘れっぽくて、帽子や傘は、その代表的なものだ。帽子も傘も、こちらにそのつもりが無くても、1-2年のうちには新しいものに代わる。

 忘れ物ばかりではなく、これまで、さまざまなドジをやってきた。現役の頃は、木材を貼り合わせ、きっちりと付くように締め付けて、次の日圧締を解いてみると、接着剤を塗り忘れていることに気づいたりした。先日はドジな火傷をし、まだ右手薬指と左手中指の包帯がとれない。

 母は、私を医者にするつもりだったらしい。母の家系は医者が多かったのである。しかし、母は私が8歳の時に死んでしまい、その後戦争は負け、なんやかやあって、私の学歴は義務教育終了程度、医者どころではない。しかし、医者になれなかったのは、かえってよかった。もしなっていたら、腹の中に包帯を忘れたまま縫うような医者になっていただろう。

 ドジ話をもう一つ。

 私の2人の娘は、6歳違いだ。次女が2歳くらいの時、家族で武蔵小金井の神代植物園に行った。しばらくぶらぶらしているうちに、私は次女が見あたらないことに気がついた。

「おい、Mが見えないよ。どこへ行ったんだ?」

 長女と妻は、私の問いかけに答えず、おしゃべりに余念がない。

「Mだよ、M。居ないじゃないか」

「Mちゃん?」

 長女はそういってちらりと私を見、またおしゃべりを始めた。妻も全く無関心で長女と話をしている。ここに来て、怒り心頭に発した。

「なんだおまえらは! 人が本気だ探しているのに!」

 すると、妻が言った。

「Mなら、あなたが抱いているでしょう」

 実話である。

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2007年2月19日 (月)

ぼんくら日記

2月19日

 昨日は冷たい雨の中で、東京マラソン。選手の皆さんご苦労様。特に感想はないのだけれど、私の知人は参加を申し込んで抽選ではずれた。70歳をとうに過ぎている知人を案じて、その娘も参加申込をしたら、娘の方だけ参加できた。結果はどうだったか、まだ知らない。

 一転して、今日はよい天気。M精障者小規模作業所の畑の、小カブの収穫。今日はメンバーさんの休みが多く、一緒に行ったのはOさんだけ。肥料がたりないせいか、手入れがいい加減だったせいか、出来は悪い。午後、Kさんが来たので木工。

 夜、防火管理者選任の書類を作るため、このマンションの管理組合理事長Nさんが来る。

 これが今日一日の出来事の全部。こんなブログでも、どうでもいいようなトラックバッグがたくさんつく。そのうちまとめて削除しなくては。

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2007年2月16日 (金)

火傷

2月16日(ぼんくら日記)

 私は飲んべえであるが、甘党でもある。飲んべえと甘党は両立しないように思う人もあるが、両党使いは案外多い。私は、まんじゅうのおつまみで、ビールでも酒でも飲める。

 コンビニに、冷凍の今川焼きがあると聞いて、先日買ってきた。1袋に5個入っていて、今日までに4個を食べた。そして今日、残り1個を解凍すべく、冷凍今川焼きを電子レンジにかけたのである。その際、わざわざ皿を出すのも面倒なので、今川焼きの袋をそのまま下に敷き、チンした。

 これがいけなかった。解凍をして電子レンジを開けると、今川焼きの下に敷いた袋が、やけにちじこまっている。今川焼きを手に取ると、熱いの何の、とても持っていられない。右手から左手に持ち替え、それでもたまらず、放り出した。袋はアルミホイルだったらしく、熱したホイルが手の指に絡まっている。慌てて流しへ飛んでいき、水道の蛇口をひねって水で冷やした。しかし、アルミホイルが指の皮と癒着して、なかなか剥がれないのである。参りましたね。しばらく冷水で洗って、何とかアルミホイルを剥がした。

 気がつくと、右手の薬指、左手の人差し指、中指、小指に水ぶくれができている。取りあえずそれぞれの指に薬を塗り、包帯をして、水彩画の教室へ行く。不自由な手で、それでも絵を1枚描いた。

 夕食は、洗い物をしたくないので、初めから調理してある器に入ったちゃんこ鍋を買ってきて、温めて食べた。

 ドジですね。

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2007年2月15日 (木)

ぼんくら日記

2月15日

 今週は休みが多い。退職をしているのだから、毎日が日曜日といえるけれども、ボランティアやら、趣味やら、つきあいやらで、1週間や10日くらい連続で埋まることもある。ところが今週は、月曜日、火曜日、そして今日の木曜日、これといってやることがなかった。洗濯とか買い物とかもやることに入れるならば、今日はその両方をした。それともう一つ、ある障害者団体の機関紙に原稿を頼まれていたので、それを書いた。書いたといったって、1100字。内容は兼ねてから考えていたので、それほど時間を取りもしない。午後は全く暇になった。

 暇な時は家で本でも読んでいればいいのだけれど、天気がよければ、外に出たくて体がむずむずしてくる。しかしながら年金だけの生活だから、外へ出ても、金はかけられない。外へ出て、一番多いのは散歩である。今日は、約2時間歩いた。私は足が早いほうなので、距離はかなりあると思うけれども、距離計も万歩計も付けていないので、どのくらい歩いたかは分からない。まあ、1万歩以上は確かだろう。

 東京は昨日春一番が吹いたそうだ。とすれば埼玉のこの辺りも、春一番が吹いたに違いない。昨日は外にいた。たしかに風は強かったが、春一番という感じはしなかった。だいたい天気が悪かったのだから、風が暖かくても、私の感覚では、春一番にそぐわない。その点、今日は天気がよくて、風もあり、今日こそが春一番のような気がした。

   誘われて春一番の一万歩       ぼんくらカエル

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2007年2月14日 (水)

イモリ玉

2月14日

 私は新聞を、おおむね後ろの方から読む。「おおむね」と書いたのは、「必ず」ではないからだ。後ろから読むといえば、最初はテレビ欄からと取られそうだが、テレビ欄は飛ばす。ただし、テレビは良く眺める。いちいち解説を付けるのもへんだが、テレビを観ると言わず眺めるというのは、ただテレビを付けていると言う意味である。独り者なので、家の中で動くものが何もない。音を出すものもない。それでは淋しすぎるので、テレビを付けるのである。放送しているものなど、何でもいいのだ。テレビのある部屋か、隣の部屋で、私は何かをしているのである。従って、テレビ欄は、まず見ない。

 新聞で私が好きなのは、「コラム」である。新聞には、たくさんのコラムがある。ニュ-スなどは、よほどショッキングなものを除いて、たいていは見出しだけですませる。コラムは、たいてい読む。それも後ろからだ。なぜだといわれても、答えようがない。要するに、そういう習慣なのだ。

 昨日の新聞(毎日新聞、2月13日夕刊)に、永山悦子の署名で「イモリ玉」というコラムがあった。発生生物学者(そういう学問があるのですね)湯浅誠・東大教授によれば、イモリは冬眠するのだそうである。「約1000匹のイモリが、直径25センチほどの球形の『イモリ玉』になって、泳いでいるのだという」。永山悦子でなくても『へー!』である。

 田舎に疎開している頃、私はよく、近くの川やため池で釣りをした。フナやドジョウやタナゴや、運がよければナマズが釣れた。釣りたくないのに釣れるのがイモリだった。食糧難の当時のことだ、フナやドジョウは食べてしまった。だが、イモリを食べようという気にはならなかった。だいたい我が家は、何でも食ってしまう家であった。ネズミも、ゲンゴロウ虫も食った。だがイモリだけは、食おうという発想が起きなかった。

 イモリには独特の臭みがあった。釣りたくないのに釣れてくるのだから、こちらは腹を立てて、イモリの尻尾を持って土の上にたたきつける。ところがイモリというのは、なかなかしぶとくて、簡単には死なないのである。イモリに対しては、そんな嫌な思い出しかない。イモリの方はもっといやだったろうけれど・・・。

 そんなイモリが「イモリ玉」になって泳ぎながら冬眠するなんて、はじめて知った。しかし、私が釣りをしていた沼に、それほど沢山のイモリが居たとも思えない。どこかに集まって、玉になっていたのだろうか。

 冬眠と言えば、天道虫は、日の射す暖かい物陰などで、何千匹か何万匹も集まって冬眠する。私は一度だけ、ハイキング中に、そのような天道虫の集団を見たことがある。普段はそんなに多くの天道虫が集まるということはないのだから、イモリについても同じようなことが言えるのかもしれない。

 湯浅さんによれば「イモリの腹は野生でしか赤くならない」のだそうだ。そういえば、私の釣ったイモリは、みんな腹が赤くて、独特の黒い模様がついていた。

 それにしても「イモリ玉」とはねえ。一度見たいものだ。

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2007年2月13日 (火)

ぼんくら日記

2月13日

 近ごろは、天気が良くて用事のない日は、じっとして家にいることができない。今日はそんな1日だった。

 小さいスケッチブック、お握り、ワンカップを持って、自転車で家を出る。入間川の土手にある自転車専用道を走るためだ。この道路、川越で荒川の自転車道と合流する。合流地点には河川敷のゴルフ場があり、柳などがほどよく植えられていて、なかなか美しいところだ。しかし、今日はそこまでは行かず、途中で引き返した。というのは、この自転車道、我が家からは、川下に向かっていくことになる。途中で橋をくぐったり土手を上下したりのでこぼこはあるが、全体としては、緩やかな下り坂である。逆に言えば、帰りは上りということだ。たいした勾配ではないけれど、往きが楽な分、帰りは疲れる。それで用心した。

 このところ歩くことばかりで、ほとんど自転車に乗っていなかった。足を衰えさせないためには歩くのが一番と思っていたし、歩く習慣だけを付けていると、自転車に乗るのが億劫になってくる。ところが先日、久しぶりに自転車に乗ると、以前は乗ったまま登ることのできた坂を、登り切れなかった。かっての私は、市内の坂ならどんなにきつくても自転車で登れたのである。ところが今はそうでもないらしい。歩く習慣があるから、足はそんなに衰えていないと思っていたのだが、歩く筋肉と、自転車を漕ぐ筋肉とは、どうやら違いがあるらしい。

 荒川との合流点にあと10キロの辺りで自転車を降り、芝生の上で昼食、ワンカップを飲みながら鉛筆のスケッチを1枚描いて帰路につく。ワンカップを飲んでいるから、これも酒気帯び運転になるが、自転車専用道なので、事故の心配はない。

 これからもときどき自転車に乗らなければ、筋肉は衰えるのだろう。先日登り切れなかった坂を、また登れるようになるといいのだが・・・

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2007年2月11日 (日)

鎌倉 天園コース

2月11日(ぼんくら日記)

 S山楽会で鎌倉へ行く。冬の間は楽なコースが多い。北鎌倉駅で降りる。駆け込み寺で有名な東慶寺に寄った後、建長寺から天園コースに入る。総勢16名。登山靴をスニーカーに履き替え、リュックも持たずに来た人もいた。要するに、山登りという感じではない。私も登山靴は止そうかと考えたのだが、昨夜の雨で道が濡れていて滑るかもしれないと思って、登山靴にした。結果はその必要もなかった。

 とにかく、楽なコースである。散歩気分で歩く。コースの最後、瑞仙寺の梅を期待していた。だが、咲き始めてはいたが、まだ満開にはいたらず、少し残念。しかし、この寺のたたずまいは、鎌倉の寺の中でも、私のもっとも好きなものだ。梅は3分咲きだったけれども、瑞仙寺に来られたことで満足する。

 それにしても、日曜日の鎌倉というのは混むんですねえ。どこへ行っても人だかり。帰り道の小町通りなど、暮れのアメ横みたいな感じだった。足は疲れないが、人いきれで疲れた。

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2007年2月10日 (土)

痴的生産

1月10日(ぼんくら日記)

 私の1日は、ぼんくら日記を書くことで終わる。後は飲むだけだ。

 パソコンに向かうのは晩酌の後、食事の後で、まず始めに、いくつかのお気に入りのホームページを見る。次はメールを見る。メールアドレスは2人の子ども以外にはほんの2-3人に教えている程度である。個人的なメールはほとんど来ることはない。土台、メール世代ではないのである。来るのは、ブロバイダーやら何やらの、お知らせくらいのものだ。以前は、どこやらの怪しげなHサイトのメールが良く来たが、ブロバイダーに電話してこないようにしてもらった。それからはまるっきり来ない。来なければ来ないで、なんだか淋しいような気がするから、人間なんて勝手なものだ。

 今日は、書こうと思うことを幾つか用意していたのである。しかし、紀田順一郎のホームページを見て、気持ちが変わった。『紀田順一郎のIT書斎』によれば「知的生産は70歳までというのが私の持論」だそうである。「ガーン」。ま、第1級の仕事を言っているらしいから、私には関係がない。私のは「痴的生産」である。

 

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2007年2月 9日 (金)

掃除

2月9日(ぼんくら日記)

 毎日ブログを更新するようになって、1ヶ月と9日。今日は何を書くと決めてパソコンに向かう日と、パソコンの前に座ってから考える日とがある。今日は後者の方だ。

 妻が亡くなった当座は、男やもめなのだから不潔にしてはいけないという自戒もあって、1週間に1度は掃除をしていた。しかしまもなく地がでてしまい、気がつけば半月掃除をしていない、1ヶ月掃除をしていないなどと言うことが、日常的に起きるようになった。今日掃除をしたが、今年に入って2回目である。1人だから、大して散らからないと言うこともある。埃で死ぬわけでもない。「1寸のゴミの間に端然と座る女」を理想としたのは坂口安吾だったと思う。大して散らからないと言っても、1ヶ月近く掃除をしなければ、部屋の隅などに埃が目立ってくる。1寸は積もりませんけどね。

 片付けられない女、なんて言うのが、去年辺りテレビでよく紹介された。スタッフが見に行って、部屋の様子を写して、あきれて見せて、みんなで片付けて、こんなにゴミが出たと放送する番組だ。別に女だけには限らなかったけれど、あれもすごいですね。良いにつけ悪いにつけ、なにごとも中途半端な私は、とてもあそこまでは放っておけない。床や畳の上は、散らかっても新聞と広告、読みかけの本くらいだ。しかし、テーブルやこたつの天板の上やサイドボードは、さまざまなものが雑然と積み上げられて、整理するのもたいへんである。片付けられない女にかなり近いとは言える。

 だから掃除をする時は、いつも大掃除のようである。

 

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2007年2月 8日 (木)

お爺さん

1月8日

 午前。ボランティアグループ定例会。

 午後、老人介護施設Kセンター。1階はデイケアー、2階は通常の利用者、3階は認知症などのある利用者。われわれのグループは、毎週1回、2階と3階でボランティア活動をしている。今日私は、久しぶりに3階に入る。3階では、いつもYさんがギターを弾く。その手伝い。そして歌をうたう。

 その歌の1つに、題は忘れたが船頭さんの歌があった。「村のはずれの船頭さんは、今年60のお爺さん。歳はとってもお船を漕ぐ時は、元気いっぱい櫓がしなる。ソレ、ギッチラ、ギッチラ、ギッチラコ」という、あの歌である。

 この歌をうたいながら、ふと思った。この歌ができた頃、60歳というのは腰の曲がったお爺さんが普通だったのだ。そのお爺さんが元気で船の櫓を漕いでいる。その感動をこの歌はうたっている。確かこれは戦後の歌である。昭和30年代くらいだったかもしれない。その頃は60歳にもなって船の櫓を漕ぐなどと言うのは、たいへん珍しいことだったのだ。もっとも、今では、船の櫓を漕ぐなどと言うのは、若い人でもめったにない。そんな船自体がないのである。まあ、そんなことはともかく、当時の60歳というのは、かなりの年寄りで、肉体労働や、スポーツをするような歳ではなかったのだ。

 その後平均寿命も延びた。今60歳の人に向かって、お爺さんなどと言ったら、自分の孫に言われたのでない限り、あまりおもしろく思われないだろう。かくいう私も70代である。まだ年寄りの気がしない。

 話は変わるが、この「櫓」という字、「ろ」とも読めば「やぐら」とも読む。「ろ」と「やぐら」が同じ字であることに今日気がついた。関係がないと思われる言葉が、なぜ同じ字なのだろう? どこかで関係があるのだろうか?

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2007年2月 7日 (水)

清少納言の声など

2月7日(ぼんくら日記)

 車椅子のTさん、身体障害のHさんと、埼玉文学館、丸木美術館に行く。本当は、遠山記念館にも行ったのだが、こちらは砂利の中を通らねばならず、車椅子では入れなかった。

 埼玉文学館は「永井荷風展」。山田朝一という荷風研究家のコレクション展である。昭和初期の文芸誌や挿絵の様子が分かり、その点で興味は持てた。

 しかし私がもっとも興味深かったのは、常設展示している、清少納言の声の復元であった。残された絵などから骨格やら何やらを判断して、声を復元したものだ。どこまでにているかは分からないが、意外に若々しい声なのである。考えてみればそれも当然で、清少納言が宮廷にいた頃は、実際に若かったはずである。

 他に、芭蕉の声、馬琴の声の復元もあった。こちらの方は、そんなものかと言うところ。

 丸木美術館。原爆の図などを見て、本当ならば感に堪えぬような感想を書かなければならないところだが、実はそれほど感じなかった。戦没画学生の作品を集めた「無言館」などの方が、もっと感動があったのはなぜだろう。

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2007年2月 6日 (火)

カタカナ語

2月6日

 昨日は、ただの日記にするつもりだったのに、脱線して、精神障害についての蘊蓄を語ってしまった。もちろんこれは自嘲して言っているのである。何に関してであれ、私は蘊蓄など持ち合わせていない。生かじりを書いてしまった、と言うことだ。

 正月にデジカメを買って、何枚か写したが、まだ印刷もしなければ、パソコンにつないで画像を見ると言うこともしていなかった。1ヶ月もするのに、若い頃なら考えられないことだ。好奇心自体が薄れているから、なかなか新しいことをやってみようとしない。今日始めて、デジカメをパソコンにつないだ。その結果、これまで撮った写真の一覧を見ることができた。だがそれを、パソコンに取り込むことはできなかった。一覧の中から、特定の写真を拡大してみることもできなかった。解説書を読んでも、カタカナ語ばかりで、何のことやら分からない。私は、日本語は分かるつもりである。日本語の分かる人間に、何のことやら分からない解説を書く人たちは、いったい誰のために解説を書いているのか。

 何かが分からない時に、私には逃げ口上があって、「何しろ私は義務教育終了程度の人間ですからね」というのである。でも内心は、義務教育終了程度の私でもこんなことは分かる、おまえたちは何だ、と開き直りたい気持ちもあるのだ。ボランティアグループの中でも、私だけが義務教育終了程度だが、誰と話をしていても、べつだん圧倒されたりもしない。対等に話していける。そうなる理由の一つに、たくさん本を読んでいると言うことがある。私は、自分で自分を鍛えるしかなかった人間である。そんなとき、日本語の漢字が、どんなに助けになったか分からない。「人類学」と書いてあれば、何のことかよく分からないながら、「人類に関する学問らしい」と言うことくらいは分かる。「心理学」と書いてあれば、「人間の心理に関する学問らしい」と言うことぐらいは分かる。そんなおぼろげな想像をもとに、本を読み続けたのである。これが、初めからカタカナ語で、サイコロジーだとか何だとか出てきたら、私など、本を読み進めることができなかった。

 今はそのカタカナ語が平気で使われる。私などはお手上げだ。カタカナ語は差別用語である。ただ、カタカナを平気で使っている者たちだって、本当に分かって使っているのかどうかは怪しい。訳も分からず、その方が格好がいいと思って使っているものも多そうだ。あるいは、日本語で表現する能力が無いかだ。私は国粋主義は嫌いだ。だから何でも日本式がいいというのではない。ただ、何かの解説書を書くのだったら、日本語の分かる日本人に理解できるくらいの解説は書いてくれ、と言いたい。

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2007年2月 5日 (月)

精神障害者

2月5日

 M作業所でボランティア。畑仕事。冬菜(カラシナに近い)を収穫。畑の一部を打ち直し、ジャガイモを植える。今日は、メンバーさんが、いつになく大勢手伝ってくれたので、それほど時間はかからなかった。

 どこの作業所でも、障害を持つ利用者を、メンバーさんと呼ぶ。少し妙な気がするが、そういうことになっている。ちなみに、老人介護施設などに入っている人は、利用者さんと呼ぶ。

 精神障害の人に、がんばれなどと言って励ますのは禁句で、その辺に知的障害者との違いがある。精神障害などと言うと、何か危険な人のように思う人が多いけれども、普通の人とそう違うわけではない。実際に犯罪を犯すような人の割合は、一般人より多いというわけではない。

 精神障害の代表的なものとしては、統合失調症がある。かっては精神分裂病と言われたものだ。今でも、家族やまわりのせいで統合失調症になると考えている人が多いが、医学的には、そのようなことではないらしい。原因ははっきりしないが、神経伝達物質の出方に異常があるらしい。神経細胞というのは、細胞のうちでは大きなものだが、それでも、たとえば手の先からの脳まで、直接つながるほど大きくはない(当たり前だ)。たとえば指で冷たいものを触って、その感覚が脳に伝わるまでには、いくつもの神経細胞を通る。神経細胞と神経細胞は、直接つながっているわけではなくて、いくらか隙間があるらしい。その隙間に神経伝達物質がでて、情報の受け渡しをしているらしいのである。ちょうど伝言ゲームのようなものだ。先の細胞から、伝達物質が正しくでて、次の細胞に正しく受け渡されればいいのだが、ここに異常があるのが統合失調症のようである。昔は治らない病気だったけれども、今はかなりよい薬もあるようで、治る人もいるし、薬を用いながら、普通の生活を送る人も多い。

 社会的に怖いのは、精神異常者ではなくて、性格異常者である。凶暴になったり、すぐに切れたりするのは、むしろ性格異常者なのである。その点を混同されるのが困る。もう一つ困るのは、精神異常者ではないのに、精神異常者を装った犯罪者が居ると言うことだ。

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2007年2月 4日 (日)

ぼんくら日記

2月4日

 2月になってからの新年会というのもへんだが、「車椅子と仲間の会」の新年会。

 食事とカラオケで3時間。

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2007年2月 3日 (土)

ぼんくら日記

2月2日

 妻が亡くなって、8年近くなる。夕方になると、今日は何を食おうか、などと考えることが多い。毎日外食できるほど金はないし、スーパーで買ってくるおかずだけでは飽きてしまう。原則として、3食とも自分で作ることになる。例外の多い原則ではあるが……

 私の本棚には、食事に関する本を置くコーナーがあって、昨日見たら、「一人暮らしのレシピ」といったたぐいの本が5冊くらいあった。これを順番に作ったらたいしたものだと思うけれども、本だけがあって、作るのはごくわずかだ。だいたい、あるもので作るというのが私の主義だから、材料や調味料など、そんなにそろえられはしない。ナンプラーがどうしたとか、オリーブオイルだとか言われたら、それだけでお手上げである。「一人暮らしの食事」とか何とか本の題名に書きながら、カレーライスを4人分作らせて、「残りは冷凍しておく」なんて言うのがあった。こんな場合は本代を返せと言いたくなる。

 私は、食事は口に入るものがあればいい方だから、食べ物にうるさくはない。それでも私のつきあっている人の中には、何かと料理を教えたがる人もいる。口に入るものがあればいいとは言いながらも、本当は旨いものの方がいいから、私に作れそうなものなら、教えられた方法で、ときどきは作ってみる。うまく行く時も、まずい時もあるが、それは仕方がない。ただ困るのは、若い時と違って、せっかくうまく行った方法も、すぐに綺麗さっぱり忘れてしまうことだ。料理は、いつまでたっても初心者である。

 実は、毎日ブログを書くようになってから、今日は何を食おうか、と考えるのと同じくらいに、今日は何を書こうか、と思うようになっている。こちらの方は、アドバイスしてくれる人もいないし、レシピもない。

 上に書いたこととは全く関係ないが、こんな句を作りました。

     春の日や東国原知事の鼻眼鏡    ぼんくらカエル

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2007年2月 1日 (木)

ぼんくら日記

2月1日

 Yの湯。街中にある、今流行の、地べたを掘って無理やり作った温泉である。割にこういうのも好きでときどき行く。サウナに入って、出てからのビールが旨い。市の経営する沸かし湯もいくつかあるが、出てからビールが飲めないので行く気がしない。

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2007年1月31日 (水)

ぼんくら日記

1月31日

山行

 Sさん、Hさん、Kさん達と伊豆ヶ岳へ。普段とはコースを変え、子の権現から伊豆ヶ岳へ向かう。この逆のコースはなんども歩いているが、今回のは始めて。疲れた。

 下山は「花桐」コースというのを歩いたが、難コースだった。廃道と言っていいような道で、沢をなんども渡り返しながら歩くのだが、丸太などの橋が、腐っていて、まともに乗るのは怖い物ばかり。なるべく橋に乗らずに沢を渡る。道も荒れていた。倒木も多く、またいだりくぐったり。

 明日は、足が痛いだろうな。

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2007年1月30日 (火)

ぼんくら日記

1月30日

包丁研ぎ

 午後、C作業所で包丁研ぎ。C作業所と授産施設Rの包丁など、計9本の包丁を研ぐ。

 包丁研ぎの専門家の講釈の中には、どうも合点のいきかねるものがある。包丁の柄を持って、刃を下に向けた時、右側の側面を、仮に包丁の右とする。右利きの人がこの包丁を研ぐとすれば、普通は右手に柄を持ち、包丁を砥石の上に寝かせ、刃先を手前にして研ぐ。

 では、包丁の左側はどう研ぐのがいいのか。専門家の中には、柄を左手に持って、刃先を手前に来るように寝かせて研げという人がいる。とにかく、刃先はとがらせなければいけないのだから、一応はもっとものような気がする。しかしこれが怪しい。私ならば、右手に柄を持って、刃先を向こうに向けて研ぐ。わざわざ柄を左手に持ち替えて、研ぎにくくして研ぐことはない。

 もしそれが間違いだとしたら、大工はカンナの刃先を手前に向けてとがなければならない。皆さんは、カンナの刃をそんなふうにして研ぐ大工を見たことがありますか?

 

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2007年1月29日 (月)

ぼんくら日記

1月29日

 仕事(ボランティア)が終わってから、地元のケーブルテレビの解約を申し出る。チューナーを付けて、いくつかのチャンネルを見られるようになっているのだが、契約を解除すれば、そのチューナーを返さなければならない。ケーブルテレビの契約をした結果、チャンネルは多ければいいというものではない、との感想を持った。ただ、NHKの衛星放送を見られなくなるのが少し残念。「俳句天国」だけは見たかったからである。

 とにかく、入るのは半端な年金だけ、税金や介護保険など、ひかれるものは増えた。生活を維持するため、出費のどこを減らすかと考えた時、真っ先にケーブルテレビが頭に浮かんだ。ケーブルテレビの契約料と、NHKの衛生放送代を減らせるからだ。飲み食いはもともと贅沢をしていない。酒を飲み過ぎるが、ほとんど自宅で飲むのだし、楽しみものこして置かなくてはいけない。月々はともかく、年間のトータルで赤字にならないようにと考えているのだが、今年は果たしてどうなるか。去年は少し赤字であった。

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2007年1月26日 (金)

ぼんくら日記

1月26日

 昨日と今日、消防署で、防火管理者の講義を、びっしり受ける。私の住むマンションは自主管理で、管理会社に頼んでいない。そのため、7年ごとに自主管理の役員になる。私は今その役員で、私以外は、みな現役で働いている。そんなわけで、丸2日もかかる防火管理者の講義は、私が受けることになった。我がマンションは、法律上、防火管理者を置かなければならない規模なのである。2日間の講習を受け、私は今日、めでたく防火管理者の資格を得た。

 講義は朝の9時から、夕方の4時40分まで。始業前に受付があるので、8時40分には現場(消防署)にいかなければならない。家を出るのが8時15分くらいで、自分で食事を作らなければならないのだから、起きるのは6時くらい。普段の生活からすれば、かなり早い。

 120人くらいが受講したのだが、会場を見渡したところ、どうも私が1番歳上のようである。さまざまな事業所から来ている人が多いので、みな現役なのだ。

 歳をとると、高音が聞こえなくなることは多くの人が知っている。そのほかに、語音識別能力が落ちるらしい。音は聞こえても、クリヤーに聞こえなくなるのである。人にもよるだろうが、私には、これがある。目も疲れる。眼鏡をかけていても、90分もテキストを見つめていると、目はかすみ、視野も狭くなる。そんな状態で2日間講義を受けるのだから、疲れますなあ。

 この講義に、K福祉会の事務長、Oさんが来ていた。我が市の老人福祉施設K荘のSさんも受講していた。昨日今日、私はOさんと食事を共にする。

 夜、S山の会の班長会議に出る。私は班長ではないが、4月からの会長に推されていて、1年だけという約束で受けることにした。そのため現会長のHさから、出席せよとの電話があった。

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2007年1月25日 (木)

ぼんくら日記

1月25日

 こうして日記を書いていても、頭に来てしまうことが多い。今日などはこの日記、3回書き直している。さっきなどは、「a」と入力したらかってに「ち」とひらがながでて、「E」と入力したら、かってに「は」と出てきた。どうあがいても正しく入力できないので、それまで書いた記事を下書きとして保存し、パソコンを再起動させた。ところが書いたものが全部消えている。その前は、ローマ字入力を、途中からひらがなに変換できなくなった。日本語入力のサインをなんども送ったら、記事が消えてしまった。なんてえこった。これまで書いた内容を、もうあらためて書く気はしない。

 今日は、地元の消防署で、防火管理者の講義を、丸1日受けた。明日も受ける。そんなこんなで疲れた。日記の気勢もそがれたので、今日はこれでおしまい

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2007年1月23日 (火)

ぼんくら日記

1月23日

 実を言うと、今日は少し長いエッセイを書こうと思って、私にしては珍しく、夕方パソコンの前に座ったのである。挿絵の必要な文章だったのですが、なんとその挿し絵が入れられないのだ。私はこのブログでも、日記を書く前には、挿し絵を入れたりしている。それなのに、今回はどうしても入らない。結局エッセイはやめにして、アルコールを飲むことにした。水は低きに流れる。ぼんくらカエルは易きに流れる。

 今日は火曜日で、火曜日は原則として、家事をやる日と決めている。ただしこの原則、ちょっとした事情ですぐ変わる。例外のほうが多いかもしれない原則だ。今日は原則に沿った一日だった。普段まじめに家事をしていないから、マンションの一人暮らしといえども、それなりにやることはある。掃除、洗濯、買い物ということですね。しかしそれも、昼くらいには終わるのである。長いエッセイを書こうなどという出来心は、昼から暇になったせいでおきた。挿絵も描いてパソコンに向かったのに、ああそれなのにそれなのに……。また飲もーっと。

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2007年1月21日 (日)

ぼんくら日記

1月21日

 なにを書くか考えずに、とにかくブログを開いて、それから投稿する内容を考えるという、きわめて無責任な私です。

 昨日の続きのようですが、私の住むマンションは、順番に管理組合の役員がまわってきて、私は今年、その役員になっている。その役員は、同時に地区の自治会の役員を兼ねることになっていて、私はそちらの役員でもある。今日はその新年会。したたか飲む。

 昔はどこの町内にも床屋その他のたまり場があって、暇な奴がそこに行くと、誰かしら顔見知りの者がいて、どうでもいいような無駄話をして暇つぶしができた。今はそんなたまり場がなくなってしまった。現役を終えた暇人の行く場所がなくなったのである。で、まあ、そんなたまり場を作ろうという人たちがいて、現実にあちこちにそんなたまり場ができている。私も数年前、当時の自治会長にそういうたまり場を作ろうと働きかけたことがある。自治会長も賛成だといって、作ってくれたのが、将棋の会、碁の会、カラオケの会だった。私の考えていたのとは違ったけっれど、言い出しっぺなので、将棋の会、碁の会に協力した。残念ながら、将棋の会は人が集まらず、碁の会は2~3年続いたがじり貧になった。カラオケの会は老人会に引き継がれ続いている。

 私は、たまり場的なものがやはり必要だと考えて、去年、こんどは老人会に働きかけた。現在の老人は暇で元気な人が多いし、私はそれなりに忙しいし、老人会の力を借りるのがいいと考えたからである。老人会の会長も賛成してくれて、多少はその動きもある。しかしながら、おまえも老人会(寿会)に入れと言われてしまい、断るわけにもいかなくなったという現実がある。今日の新年会で、寿会の会長と、その話もする。

 地元の市会議員O氏と話をする。先日葬儀をしたO氏と同じ会派の人で、私の住む地区の市議である。先日なくなったO氏、地元のO氏、比較的近い所を地盤とするN氏の3人が同じ会派で、駅前の開発の仕方について住民投票にかけろという動きをしたいた。その動きを市議会で否決され、地元のO氏も辛い立場にあるわけだ。

 私は市会議員などに知り合いは少ないが、最も親しかったのが先日なくなったO氏であり、地元のO氏、近くのN氏などがいくらか親しかった。その3人が同じ会派を組み、一人が亡くなったのである。反主流派のその会は、果たして維持できるのだろうか。

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2007年1月20日 (土)

ぼんくら日記

1月20日

 私の住んでいるマンションは、自主管理である。管理会社にまかせずに自分たちで管理組合を作り、住人は1年交代でその任務に当たる。管理会社に頼むのとのとはさまざまな違いが出る。なんと言っても管理費が安くなることは大きい。それに自分が住むマンションなので、なおざりにしない。欠点は専門知識に乏しいことだが、住人が大勢いるわけで、それなりの知識を持っている者もいる。ぼんくらカエルのようにぼんくらな奴もいるが、専門業者とつきあいのある人や、交渉のノウハウを分かっている人もいる。だから何とかやっていける。私などはぼーっとしているだけだが、専門知識のある人ほど、苦労もしている。そういう人たちのおかげで、私などはこのマンションにいられるのだ。

 今年度は、私はこのマンションの役員の一人である。で、今夜、その理事会があった。今問題になっているのは、配水管の取り替え時期に来ていると言うことだ。これは大工事になる。今年はその準備で、理事長などはだいぶ苦労している。役員といったって、こちらはなにも知らないから、ただ説明を受けているだけで、のんきなものだ。工事の着工は来年度になるだろう。

 このマンションも、できた時は、全員が持ち家として買った。ところが今は、借りて住んでいる人もいる。利害が一致しない人も多いのだが、割合よくまとまっているように思う。これは多分、自主管理であることにも依るのだろう。

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2007年1月19日 (金)

ぼんくら日記

1月19日

 この日記を匿名で書いているが、別に匿名でなければならない理由はない。以前、ホームページを作ってすぐやめてしまった時、ほんの少し嫌なことがあった。だから匿名にしてみた。今回は、ぼんくらカエルがブログを開いても、友人知人には一切教えていない。ブログを開く時、下の娘に相談したので、その子にだけは教えた。上の娘にはブログのアドレスなど教えていない。子どもでさえそんな状態だ。

 そんな状態で始めたブログである。読んでくれる人などいるやらどうやら……。それでも開かれたブログなので、一応は不特定多数の読者を想定して書くことになる。その書き方が気になる。

 なんでこんなことを書き出したかと言えば、今日参列したO氏の告別式のことをどう書くか考えたためである。個人用の日記ならば固有名詞を出してもいいのだけれど、ブログではそうもいかない。まして匿名というスタイルを取っているのだから、なおさらである。

 O氏の告別式、私は受付といわれていたが、参列者の記帳所への案内係になった。さまざまな会葬者がいるが、役所関係、親戚以外では、福祉関係の人、ボランティア関係者などが多いのが、いかにもOさんらしい。

 昔々、戦争に負けてまだ間もない頃、議事堂の中で白亜の恋としてマスコミを騒がせたことのあるS.T女史が、通夜にも告別式にも出席した。いつぞやO氏の案内で国会見学をした時、S.T女史に中国との国交回復の裏話を聞いた。白亜の恋の相手は、そのころ外務大臣だったS.S氏である。と書けば、分かる人にとっては、匿名でも何でもなくなってしまう。そのS.S氏、もしこの国交回復が不成功に終わるようなことがあったら、生きて帰らぬつもりだったという。O氏は若い頃、S、T氏の父の家の書生だった。そのため、S.T氏とは兄弟のように育ったと聞いている。

 K福祉会関係者も多く来ていて、広く言えばぼんくらカエルもその一員である。お別れに菊を添える時、どうしても〈あるほどの菊投げ入れよ棺の中〉という漱石の俳句を思い出してしまった。

 Oさんは常に弱者の味方であり、人望のある人だった。

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2007年1月18日 (木)

ぼんくら

1月18日

 老人介護施設Kセンターへ。Yさん、Hさん、ぼんくらカエルの3人。われわれのグループは木曜日ごとに何人かでKセンターを訪問する。たいてい4人は来るので、今日は少ない方だ。YさんとHさんは3階へ、ぼんくらカエルは2階へいく。

 3階は痴呆症ががいくらかある人、2階は普通の老人。ボランティアの中には、3階はいやという人もいるが、なぜかわれわれのグループは3階へ行きたがる人が多い。私はどちらでも人数の少ない方へ行くので、2階になることが多い。Yさんは毎回、3階でギターを弾いている。今日のぼんくらカエルは、2階で話し相手のみを務める。そして3時のおやつを配ったり、お茶を下げたり。手品をしたり紙切りをしたりもすることもあるが、素人のやることなので、パターンが少ない。あまりやると飽きられてしまうので、今日はやらない。

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2007年1月17日 (水)

ぼんくら日記

1月17日

 午後、Yの湯へ行く。Yの湯内の理髪店で、髪を刈る。髪を刈るといった所で、刈る髪は少ない。つむじの辺りが禿げていて、周りに髪が残っている。私の外見は、ぼんくらカエルと言うよりは、ぼんくらカッパだ。それでも、何十年もあっていない友人にあったとき、髪の毛が残っていることを驚かれた。昔からおでこが広く、髪の面積が狭かった。だから、すっかり禿げているだろうと思っていたらしいのだ。

 そんな頭だから、普段は床屋へなど行かない。髪は自分で適当に切っている。頭などありさえすればいいというのが、私の持論なのだ。それでも今日床屋へ行ったのは、あさってのOさんの告別式で、受付を頼まれたからである。ぼさぼさ頭というわけにもいくまい。

 遅れてしまったが、Iさんに、随筆誌「雷鼓」と俳誌「木の芽」の感想と礼状を書く。いつも贈って下さるのである。

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2007年1月16日 (火)

ぼんくら日記

1月16日

市会議員のOさんが亡くなった。自らも熱心なボランティアであり、われわれ一般のボランティアのためにも協力を惜しまない人だった。癌で入院していることは知っていた。11月中旬、小康を得て退院しているとき、市役所でお目にかかり、二言三言立ち話をしたのが、最後の出会いになった。再入院と聞いて、最悪の場合もあると思ってはいたが……。

車椅子のT氏が自費出版する本の印刷の手伝いをする。某公民館の印刷機を借りて、午後1時から6時までかかる。60歳を過ぎてから、毎年1冊ずつ出すのだから、エネルギーがある。随筆集だったり、句集だったりするが、今回は句集である。

お年玉月年賀状で、2等が当たった。くじ運はきわめて悪い方なので、こんなことは初めてである。

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2007年1月10日 (水)

ぼんくら日記

1月10日

 今日まで、長い冬休みでした。

 明日11日は私の属するボランティアグループの新年会並びに定例会。12日は水彩画の教室。13日は新年句会。14日、山の会の軽い山行、帰ってから新年会。15日、障害者の作業施設でボランティア。16日、車椅子の人のサポート。といった具合で、趣味やらボラやら、が待っている。

 休みの最後なので、遠出の散歩。秩父ミューズパークへ行く。西武秩父駅からのバスの便が悪かったので、ミューズパークまで歩いていくことにした。思ったほど大変なことはなくて、1時間もかからずに着く。札所33番に寄り、秩父困民党が衝いたという鐘を見る。ミューズパーク北口から南口まで散歩。3キロちょっとしかないので、歩きではない。途中でコンビニ弁当とワンカップで食事。スケッチ一枚。公園内は、ちらほらと人がいる程度。静かでいいが、たまに通るバスには、ほとんど人が乗っていない。公園内の食堂やイベント会場は全部休み。

   困民党の叩きし鐘や霜柱

   木漏れ日の中にトルソー冬木立

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2007年1月 9日 (火)

ぼんくら日記

1月9日

 ブログを開くと、今日はなにを書こうと考えてしまう。やはり、自分だけに向けて日記を書いていたときとは違うのだ。

 今年になって、デジカメとCDーRを買った。デジカメは2年ほど前から買おうかどうか迷っていた。何しろ年金生活者である。自営に時期もあったから、30年以上努めて厚生年金を満額貰う人とは違う。2,3万円のものを買うのでも、2年も3年も考える。臨時に2,3万円使ったら、それを取り返すのに、何ヶ月もかかるのだ。しかし、長年使っていたカメラが壊れてしまった。去年の暮れは、仕方なしに使い捨てカメラを使った。そして今年、意を決して買ったのである。こんな生活、アベシンゾウさんには分からないだろうけどね。

 デジカメは、電池を充電し、カードを差し込んだが、まだ使っていない。機械音痴だから、使いこなすまでは又一苦労だろう。CDーRは始めて使った。以前のパソコンでフロッピーデスクは使っていたのだが、CDーRは使っていなかった。年寄りだから、新しいものを始めて使うのは、少し気後れがするのである。しかし、去年の日記や、もはやパソコンに入れておく必要はないけれど捨てるわけに行かない文章などは、いい加減にCDーRに移さなければならない。それをやっと実行したということだ。やってみると案外簡単だったので、こんなことなら、もっと早くやれば良かったと思った次第です。

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2007年1月 7日 (日)

ぼんくら日記

1月7日(日)

 昨日ブログを書いている途中で、友人が訪ねてきた。私は、夜にブログを書いているが、その夜に訪ねてきたのだが、残念ながら女性ではない。よしんば女性だった所で、私はすでに雄の機能を失っている。糖尿なのかなあ。血液や尿の検査では異常はないのだけれど……。70歳にもなれば、そんなものか……。

 なにはさておき、ブログもきりのいい所だったから、そのまま投稿してしまった。今日開いてみると、用語の間違いがあったりして、訂正の必要があった。多くの人は、訂正など簡単に出来るのだろうが、私の場合は解説書を見ながらやるのである。まだその程度の実力である。

 私は匿名で日記を書いているけれども、匿名だからなにを書いてもいいというものではないだろう。読んでくれる人は少ないだろうが、一応は不特定多数に向けて書いているのである。固有名詞などはめったに出せない。その点が去年まで書いていた自分だけの日記とは違う。もっとも去年まででも、他人への恨み辛みとか、罵詈雑言など書きませんでしたけどね。なにも節度を持ってそうしたわけではなく、歳と共にさまざまな欲望がなくなって、枯れてしまっただけのことです。それだけに、近ごろのように簡単に人を殺す風潮は、分からないなあ。そんなに人を憎めるのかなあ。

 私は戦時中の食い物のない時代に育っているから、ゲテモノでなければ何でも食べられる。毒は食えないけれどもね。何でも食えるからといって、好き嫌いがないかといえば、そうでもない。嫌いでも食えると言うことだ。

 人間についても同じである。好きな人も嫌な奴もいる。しかし、嫌な奴でもつきあっているうちには、その人なりの良さが分かってきたりする。こちらをおとしめてやろうとする、毒のある人とはつきあえませんけれどもね。

 話があちこちに飛ぶ、まとまりの無い文でした。

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2007年1月 6日 (土)

ぼんくら

1月6日(土)

 1日中雨。

 このとこら「数独」にこっている。「ナンプレ」とも言うらしい。近ごろ流行の、1から9までの数字を使って行うパズルである。知らない人のために、一応説明する。

 紙の上に大きな四角を書き、縦横を9等分する線を引く。すると、縦9×横9の、81個の升目ができる。将棋盤を思い出していただきたい。あれと同じである。そして3個目の升の終わりと、6個目の升の終わりに太い線を引く。すると太い線で囲まれた升目が、縦に3個、横に3個で計9個の升目ができる。そして縦9個の升目に、1から9までの数字を必ず1回使って、同じ数字がダブらないように埋める。横の9升についても同じにする。さらには太い線で囲まれた9個の升についても、同じようにする。パズルはあらかじめ所々に、任意の数字が書かれていた、その数字を生かしながら、これまで述べた方法で空いている升を埋めるわけだ。以上の説明で分かるだろうか。絵に描いて説明すれば簡単なのだが、言葉だけで説明しようとすると、なかなかやっつかいだ。

 とにかく、その数独に凝っている。これに凝って困るのは、本が読めなくなることだ。私の場合、本というのはほかにすることのない暇なときにやるのである。ところが、その暇なときに数独を始めてしまう。読まなければいけない本、贈られて感想やら礼状やらを書かなければいけない本などもありながら、つい数独を始めてしまう。やらなければならないことは後回しにして、どうでもいいことを先にやってしまうという悪い性癖も相まって、今、少し困ったことになっている。

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2007年1月 5日 (金)

ぼんくら

1月5日(金)

 さて、今日はなにを書きましょうか。こう書き出すと、書くことがなくて考えているようだが、実は、あれこれあるうちのどれを書こうかという迷いです。つまり、考えをまとめないままに、このブログに書き込んでいると言うこと。

 私がパソコンに向かうのは、いつも夜。したたか酒を飲んだ後である。おそらくは遺伝的要因で、私は酒が強い。私の先祖は、代々酒の仕込桶を造る家だった。梯子をかけて登るような大きな桶である。もともと酒とは縁がある。私の祖母は、女ながらに1升酒を飲んだ。父はあまり飲まなかったが、飲めば強かった。

 小学校3年か4年の時だったと思うが、田舎に疎開していた私は、その村のお祭りの時、湯飲み1杯の酒を飲んだ。「今日はお祭りだからいいだろう」と叔父が注いでくれたのである。それを飲み干すと、さすがに少しふらふらした。成人の後、田舎へ行ったとき叔父がいった。「おまえたちの方では、宴会の時、1人あたり4合も出せば大宴会になるだろう。ここらあたりでは、1人あたり1升出さなければ文句が出る」。そんな土地柄である。

 しかし、父の影響があったからかどうか、成人しても私はあまり酒を飲まなかった。ある時、会社の先輩が「おまえも酒くらいはつきあえ。今日はおまえに酒の飲み方を教えてやる」といわれて、共に飲みに行った。その結果は、酔いつぶれた先輩を半ば担ぐようにしながら、家まで送り届けなければならなかった。その先輩、自分の家の近くまで来たら、「待て待て」といって、自分の服装を直し、少ししゃんとして歩き出した。私は何となくしらけた気分になってしまった。

 私が常習的に酒を飲み出したのは、24~5歳の頃と思う。そのころ私は不眠症だった。毎日、睡眠剤が必要だった。いろいろな薬を飲んだが、その中には妊婦が飲むと奇形児が生まれるという、サリドマいド系の薬も飲んだ。あれは副作用のない薬として宣伝されたいたように思う。そんな薬を、規定量の3倍ほど飲むようになっていた。さすがにこれではいけないと考えて、睡眠薬の代わりに酒を飲むことにした。初めの日に4合瓶(720ミリリットル)を買ってきた。これでよいがまわってきたらねようと思ったのだが、気がついたら瓶は空になっていて、まだ私は酔っぱらってはいなかった。つまり私の酒は、訓練して強くなったのではなく、初めから強かったのである。

 酒はワンカップ1つで酔うくらいがちょうどいいと思う。私などは肝臓の心配をしながら飲んでいるようなもので、ばかばかしい限りだ。

 ちょっと話が変わるが、私は70歳までに105回献血をした。そのとき、別の医師に2度ばかり、同じようなことを言われた。「あなたは酒を飲まないのですか?」私は答える。「いいえ、アルコールは何でも飲みますが、日本酒に換算すると、毎晩3合以上は飲んでいます」。医師は驚いて言う「そうですか。それにしては血液に反応が出ていませんね。私よりも綺麗だ」。

 献血の話は自慢みたいなものだ。自慢ついでに言えば、医師に「ずいぶん人を助けましたね」と言われた。「そうでしょうか」と答えると、「助けていますよ」と言うことだった。そういわれると私も単純に嬉しい。健康な体に生んでくれたことを。今頃になって両親に感謝する。

 ついでにもう一つ脱線。私の友人に、脳梗塞で倒れた人がいる。今は健康を取り戻し普通の生活をしているが、その友人が「世の中は不公平だ」という。「私のように普段から生活に気をつけて養生しているのに病気になる人がいる。あなたのように飲みたいだけ飲んでいるのにぴんぴんしている人もいる」というのだ。やはり、丈夫な体に感謝だ。ただし、彼より私の方が先に死ぬだろう。丈夫なようでも、不養生はいずれ現れる。ただ、この年まで飲み続けたので、今さらやめる気がしないだけだ。体に何かの兆候が現れたときには、きっと「しまった」と思うことだろう。

 脱線を続けているうちに、なにを言いたかったのか分からなくなってきた。酒の強さを自慢しただけの文章になっている。ほかに書きたいことがたくさんあったのだが、今さら書き直すのも面倒である。酒の勢いで酒の話を書いたようなもの、この辺でやめる。

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2007年1月 4日 (木)

ぼんくら

1月4日(木)

 穏やかな天気なので、洗濯の後で、スケッチ散歩に出かけることにした。目的地は所沢の八国緑地。所沢市から、あるバス路線で少し行った所に、勢揃橋というバス停があり、その近くに東京と埼玉を分けるごく低い山が八国山である。その尾根道を西武園や西武遊園地に向かっていく遊歩道が八国緑地だ。1番高い所でも、標高100メートルもない。登山靴など履かなくても、気軽に行ける。

 その遊歩道を歩ききって、多摩湖のほとりに出たが、多摩湖畔は工事中で鉄板だかプラスチックだかの白い塀で囲まれていた。湖は全然見えない。その辺を何となく歩き回ったが、私はもともと湖のスケッチをしたかったのである。少しがっかりした。仕方なく多摩湖畔の都立狭山公園で食事をすることにした。ベンチに座り、コンビニで買った缶酎ハイで納豆巻きを食べる。目の前に湖を真隠しする白い塀があって、その前に「ようこそ水の公園へ」という看板が立っている。湖を見えなくしておいて「水の公園」もないものだ。不粋ですね。工事中とはいえ、なにも湖を隠すこともなかろう。網の塀にすることだってできたはずだ。

 不本意ながらそこでスケッチを1枚。

   県境の風柔らかき落葉みち

   冬の日や声の沈める遊園地                                     

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2007年1月 3日 (水)

ぼんくら日記

1月3日(水)

 一昨日、つまり元日に、娘や孫たちと「夢」の話をした。希望とかあこがれとかではなく、夜見る夢のことだ。「初夢」のことは頭にあったけれど、それを話題にしたわけではない。

 私は色つきの夢も見るが、白黒の夢も見る。長女は色つきの夢しか見ないという。子どもの頃は、他の人もみんな、色つきの夢を見るものだと思っていたらしい。2人の孫娘も、夢にはかならず色が付いているそうだ。これは遺伝だろうか。

 2日の朝、久しぶりに夢を見た。少女が縄跳びをしている夢である。その子は緑色のワンピースを着ていた。3日の朝も夢を見た。現役の頃の仕事の夢で、白黒だった。縄跳びの夢が初夢と言うことになるのだろう。私の初夢を、フロイト流の夢判断されたら、ちょっと怖いな。

 夕食後M・Iさんが、スキャナーを使いたいと、訪ねてきた。

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2007年1月 2日 (火)

ぼんく日記

1月2日(火)

 私は何十年も日記を書いている。初めは大学ノートに自由に書いていた。その後市販の日記帳を使うようになり、数年前からはパソコンで書くようになった。だが、昨日も書いたように、私は自分の日記を読み返すと言うことがまず無い。大学ノートの日記は、すべて散逸してしまった。市販の日記帳は、2年連用のものが数冊残っている。パソコンの日記は、操作の誤りで2年分をそっくり失った。それを惜しいとも思わない。

 そんな人間がなぜ日記を書くのだと聞かれたら、癖だからとでも答えるしかない。癖だから、毎日酒を飲む。癖だから、毎日日記を書く。それだけのことだ。

 杉並区の母と妹に会いに行った。正確には継母とその連れ子である。継子いじめなどという話はよくあるが、母はよくできた人で、意地悪をされたことなど全くなかった。

 戦争中に生母が死んで、私と弟は、そのまま秋田の親戚の家に預けられた。父は東京のどこかにいることは分かっていたが、連絡は取れなかった。そんな父が戦後6年もたって、ひょっこりと私たちを迎えに来たのである。その時始めて継母にあった。私は中学3年になっていた。私は中学を出てすぐ働きだしたので、この母に育てられたような気はしないが、頭のよい、善意にあふれた人だと今でも思っている。

 母は10年くらい前に胃の摘出をし、その後腸も少し取った。現在89歳。食事は少しずつしかとれないが、元気を回復し、買い物くらいには出かける。全くボケはない。立派だと思う。このところ、1年に1回、正月しか会いに行かないが、私が行くと歓迎してくれる。長生きをして欲しいと思う。

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2007年1月 1日 (月)

ご挨拶

2007年1月1日

 今日からブログに日記を書きます。

 実を言うと、ブログに日記など書く気はありませんでした。芸能人なら、滑って転んで、膝小僧をすりむいても記事になります。私の場合、屋根から転げ落ちて犬の糞の上にしりもちをつき、尾てい骨をしたたか打っても、誰もおもしろいと思ってくれないでしょう。いつでもとびきりおもしろい事件でもあるといいのだけれど、私の日常など、平々凡々たるもの。人の興味をひくような事件など、一年を通じても皆無と言うくらいのだ。私はパソコンで日記を書いているけれど、自分の日記でも読み返すことはない。そんな日記を公表してもはじまらない、というのが私の考えだった。

 そんな私が、なぜブログに日記を書く気になったか? それは単にブログを維持するのが楽だから、というだけの理由である。日記にしておけば「今日はキャベツを買った」の1行だけでもすむのだ。私のブログなど、読んでくれる人がそうたくさんいるとは思えない。ならばなにも、多くの人の興味があるように、などと考えなくてもいいのだと気がついた。

 ブログに日記を書くのに、なにも元日から始めなくてもいいという意見があると思う。その通りです。私も元日から始めようなどと思っていなかった。              

 なぜ元日からになったか? 本当はもっと早く始めようと思っていた。ところが半月ほど前からパソコンにトラブルが始まった。その1,文字化けしてメールが送れなくなった。その2,ウイルスバスターを利用しているが、その更新がどうしてもできないという状況になった。その3,自分のブログに記事が書き込めなくなった。

 とにかく、こちらは70歳のもうろく爺である。パソコンなんて、やっとやっているのだ。これらのトラブルを解決するのに、12月30日の午前中までかかった。1月1日から日記を始めるゆえんである。

 以上は前書き。もっと書きたいこともあるが、明日からのことも思って、ここでやめる。以下、通常の日記。

 30日から我が家に来ていた長女一家、昼過ぎに帰る。明日から婿殿の実家へ行くのだ。正月休みの間に両方行かなければならないのだから、なかなか大変である。二人の孫娘も、手を振りながら帰っていった。次女夫婦は、昨日来て昨日帰る。

   子孫待つ男厨の年の暮れ

   古希の冬履きつぶしたる靴の数

 

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2006年6月16日 (金)

青二才

「青二才」とは、いうまでもなく、未熟な若者をさげすむ言葉である。

ある日、ある時、ぼんやりとテレビを見ていたら、出演していた国語学者が、「青二才の語源は不明だ」といった。青二才の語源を知っているつもりの私は、「専門家でもそんなことがあるのだな」と思った。ところが、それからしばらくして、やはりテレビで他の学者が、「青二才の語源は分からない」という。となると私は自分の学説?を発表しなければならない。

我輩の偉大なる学説に寄れば、「青二才」とは「蒙古斑」のことである。「蒙古斑」とは、主として乳幼児の背面に出る青い色班である。平凡社の百科事典に寄れば、「日本人では1歳ないし2歳時がもっとも濃い」そうである。また「日本人の小児では99%に見られる」という。成人すれば無くなるのだが、背面、つまりお尻のまわりに多く現れるのだ。

現在ではそんなことを言う人も少なくなったが、少し前までは「まだケツメドの青みも抜けないくせに生意気なことをいうな」などと若者を怒る人がいた。私などもよく言われた。実際に生意気だったのだから仕方がない。

友人の結婚披露宴で、その親が挨拶した。「結婚したとはいってもまだまだ尻の青い人間です。皆様のご指導無しでは、とても一人前にはなれません」

蒙古斑がもっとも濃いのは2歳頃だとは、この文章を書くために調べて、今日初めて知った。しかしながら、尻が青いとか、ケツの青みがどうだとかたびたびいわれて育った私は、、特に考えるでもなく、「青二才」とは「蒙古斑」のことだと思っていたし、現在も思っている。

「青2才」の「才」は、当然「歳」でしょう。

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