2008年8月31日 (日)

死後の烈女・2

8月31日(日)

死後の烈女・2(狗波利子・通算76回)

(前回のあらすじ・福島角左衛門は豊臣秀吉に仕官をすべく、姫路から都に向かっていた。摂津の国(一部大阪、一部兵庫)高槻で、貧しく美しい女に会う。一緒に都に上ろうと誘うが、夫がある身だとと言って、激しく断られる。)

角左衛門は、その夜、山崎に宿を取った。次の日、その女のところに書類を忘れてきたのに気がつき、引き返した。その道中で葬儀の列にあった。

「誰の葬儀ですか」

「布商人の籐内の葬儀です」

なんと、昨日の女の夫の名前である。角左衛門は驚いて、その葬列に加わり、行き着いたところは昨日女にあったところだ。しかし、昨日は見えた家はなくて、草ぼうぼうの野原である。籐内の遺体を埋める穴を掘ると、隣の女房の棺があった。そこに、昨日女が縫っていた足袋と、角左衛門が与えた餅、菓子があった。

その傍に塚が二つあり、誰の塚かと聞けば、舅、姑の塚で、10年ほど前のものだという。

角左衛門は感激し、葬儀の者たちに昨日の出来事を話し、金子を与え、跡の弔いも懇ろに行った。

この女房は、死すとも二夫にまみえず、舅、姑に孝養をつくし、女の道を全うした。夫を忘れて再婚したり、ふしだらな生活に走るものは、この女房の話を聞けば、少しは反省の気持ちが湧くのではないか。

                 狗波利子全巻終わり

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2008年8月30日 (土)

死後の烈女・1

8月30日(金)

死後の烈女・1(狗波利子・通算75回)

    原作・浅井了意  現代語訳・ぼんくらカエル

福島角左衛門は、姫路の人間である。長いあいだ主を持たずにいた。豊臣秀吉に仕える福島左衛門太夫が知り合いなので、その口利きで秀吉に取り立ててもらおうと思い、故郷をでて都に向かった。

明石、兵庫の浦を過ぎ、尼崎に出て、ようやく津の国、高槻のあたりに来た。すると、しきりに喉が渇く。見ると道ばたに小さな家があり、女が1人、道に向けて開けられた窓の明かりを頼りに、せっせと足袋を縫っている。こんな田舎には珍しい美人である。

角左衛門が湯水を求めると、女は隣の家からお茶をもらってきて、角左衛門に与えた。角左衛門が家の中を見まわしたところ、台所や竈がない。

「この家では火を使わないのですか?」

「うちは貧しくて、ご飯を炊くことが出来ない。近くの人に雇われてその日その日を送っている。まことに情けない暮らしです」

と言いながら、女は手を休めることなく足袋を縫っている。美しく、優しさに溢れた姿に角左衛門は心を動かされ、女の手を取り、

「あなたのような方が、こんな田舎で貧しく暮らしているのは気の毒です。私と一緒に都に行きませんか。悪いようにはしませんよ」

女は汚らわしいというように手を振り払って、返事もしない。しばらくして、

「私には籐内という夫があります。布を商う人で、今は商売のため遠くに行っていますが、私はここにとどまり、舅や姑に孝養をしている。貧しいながら仕事をし、舅姑が飢えや寒さを感じないように心を尽くしているのです。明日は久しぶりに夫が帰ってきます。あなたは早く立ち去ってください」

角左衛門はその女の貞節を感じ、大いに恥じ入った。そして従僕に持たせた食料入れの箱を開き、餅と果物を女に与えて立ち去った。

                        続く

 

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2008年8月29日 (金)

鼠の妖怪・2

8月29日(金)

鼠の妖怪・2(狗波利子・通算74回)

(前回のあらすじ・徳田という商人が応仁の乱で荒廃する京都を避けて、賀茂の方に隠棲することにした。新居のお祝いをしていたら、その家の以前の住人が、一晩だけこの家で婚礼をさせてくれと言って大勢を引き連れてやってくる。どんちゃん騒ぎの跡、ふいに人がいなくなる。)

夜が明けてみると、婚礼用具として持ち込んだものは何もなくて、この家の主人徳田の家具、道具類、秘蔵していた茶の湯の道具まで、ことごとく引き散らされていた。割られたり破かれたり、まともな物はなかった。ただ、床の間にかけていた、牡丹の下に猫が眠っている絵の掛け軸だけが、無事であった。

「これは何かよくないことが起きるのではないか」

と、人々は眉をひそめてささやきあった。

ここに、村井澄玄という老儒がいた。博学博識の儒者が言った。

「怖れることはない。これは老いた鼠の妖怪の仕業だ。鼠は猫を怖れるから、猫の絵には近づかなかったのだ。このような霊は昔からよくある。『ものはその天を畏れる』という諺がある。二つ三つその例を挙げましょう」

と、次のような話しをした。

昔、ある村の子供が、かえるが数10匹、汚れた池の草陰に集まるのを見た。これを捕まえようと思って近づくと、大きな蛇が茨の下にいて、悠々と蛙を食べている。蛙は凝り固まって、逃げもせず食われるのを待っていた。

また、ある村の年寄りが、ムカデが蛇にあうのを見た。ムカデは急いで蛇に近づいていく。蛇は動かずに、口を開いて待っている。ムカデはその蛇の中に入り、しばらくして出てきた。その時すでに、蛇は死んでいた。年寄りはその蛇を山の中に捨てた。10日くらいしてそこへ行ってみると、無数の小さなムカデが、その蛇の肉を食っていた。ムカデは蛇の中に卵を産んだのである。

またある人が、蜘蛛がムカデを追いかけているのを見た。ムカデは切り倒された竹の中に逃げた。蜘蛛は中へは入らず、竹の上で腹を何回もゆらして去っていった。そのままムカデは出てこない。竹を割ってみたら、ムカデはすでに腐り爛れて、味噌のようであった。これは蜘蛛が排泄物をムカデにかけたためである。

「ものが天を畏れるというのはこういう事です。鼠が猫の絵を畏れるのも同じです。鼠の妖怪などに好き勝手をさせてはいけません。鼠穴をたどって、鼠狩りをしなさい」

そこで、鼠穴をたどっていくと、屋敷から100メートルほど離れたところに、石ころの重なった小高いところがあった。その下に大きな穴があって、年を経た鼠が沢山群がっていた。それを全部捕らえて殺して埋めた。

その後は何事も起こらない。

                      終わり

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ネズミの妖怪・1

8月28日(木)

鼠の妖怪・1(狗波利子・通算73回)

    原作・浅井了意   現代語訳・ぼんくらカエル

応仁(1467-1469年)年中、京の四条のほとりに、徳田という大商人がいた。家は富み栄え、財宝は倉庫に溢れるほどだった。

その頃、世の中は大いに乱れて(応仁の乱)、戦が止むことはなかった。特に、山名、細川の両家は、権を争い、野心満々で、たびたび戦っていた。そのため都は荒らされ、人々は怖れとまどい、深い淵の上で薄氷を踏むような生活をしていた。

徳田も都がいやになり、北山と賀茂のあたりに親戚があったので、引っ越していけるような家を探してもらった。賀茂の在所に古い御所があったのでそれを買い、山荘としてしばらくそこに住むことにした。

しかしながら、長く人が住んでいない古い屋敷なので、荒れ果てて、軒は傾き、垣は崩れている。さしあたって掃除をし、何はともあれ、引っ越しを済ませた。

京にいる親族たちは、お祝いに集まってきた。徳田は大いに喜び、客を家に入れ、終日酒宴を催した。詠い、踊り、夜には主客とも酔いつぶれて、前後も知らずに寝てしまった。

夜中に、急に大勢の足音がして、誰かが門を叩く。主人がいぶかりながら戸を開けると、盛装をして、立派な髭を蓄えた人が立っていた。

「私はこの屋敷のもとの持ち主です。私に息子がいて、今日結婚します。その婚礼の儀式をしたいのですが、私の今の家は狭くて汚いのです。今夜だけ、この屋敷を貸してください。朝になったらそうそうに立ち去ります」

そう言い終わりもしないうちに、大勢の者がどかどかと入ってきた。提灯が大小200あまり、2列になって、建ち並び、まず飾り立てた腰が入り、続いて、数々の乗り物が入る。その後ろに供の女たちが、おしゃべりをしながら入る。そして、60歳以上と思われる老人が、大小の刀を差して馬に乗り、歩行の侍6,70人を引き連れているのは、前後を守護しているものと見える。

漆塗りの立派な長持ち、はさみ箱、衣類懸け、屏風、貝あわせの貝を入れる桶など、次から次にと持ち込まれる。

さらには、身分あるものない者など2~300人、が家の中やら庭に入って、酒宴が始まった。山海の珍味を並べ、かつ唄い、かつ踊る。

めでたい席なのだからと、主人や客人も誘い、共に唄い興じる。

新嫁は、まだ14.5歳に見える。少し細めで、色白く、たぐいなき美人である。まわりの女たちもなかなかの顔立ちである。みんなで新婦の手を取り、今日はどうしても飲ませると迫るけれど、新婦は嫌がって、あちらこちらへと逃げる。それを捕まえようとして騒いでいる内に、強い風が吹き、明かりがすべて消えた。主人と客は驚いて、あらためて灯を付けてみると、誰もいなくなっていた。

                       続く     

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2008年8月26日 (火)

五条の天神・2

8月26日(火)

五条の天神・2(狗波利子・通算71回)

(前回のあらすじ・医師・寿玄斎は5条の天神に深く帰依していた。ある夜、不遇を託つ玄斎の夢に、五条の天神が現れて、玄斎に諭して話す。その話しが続く)

今の世になって、人道はますます乱れ、子は親を殺し、臣は君の隙を狙う。上の者は政道を考えることなく、下の者は忠誠心を失う。

君主たる者は仁義に暗く慈悲の心を持たず、税と課役を重くする。国民をむさぼり、家臣を苦しめる。そして自分だけが愉しむ。

こうして得た富を誇り、順序を越えて位階の進むことをのぞむ。能もなく知恵もなく、やることはわがままかってで、善悪、邪正もわきまえない。へつらう者を可愛がり、忠孝心のある者に罪をかぶせる。

たまたま武芸学問に志を持つ人も、禄を得て名声を求めるためで、人のために尽くす気持ちは少しもない。

およそ学問武芸というものは、聖人賢者の求めたところを求め、探るもの。出世を求めるものではない。

切磋琢磨して自分を磨きもせず、目新しい小さな利益に走り、先人の堂々たる道を捨て、奇襲を行う。正攻法の奥深さを知らない。熱心に聖賢の書を読んでも、やることは邪だ。仁義の心なく、学問を持って利欲に代える。君にへつらい、友を妬む。もともと誠がないのだから、利がありと思えば義を忘れる。欲のために道義を忘れ、遊興を好み、富貴栄花の者をうらやみ、美しく着飾ることを好む。

このように、君主は下の者をむさぼり、栄花を極める。臣は上にへつらい、贅沢をする。

そこに必要とする富は、天から降るわけではないし、地から湧くわけでもない。これはみな人民の汗の結晶を搾り取ったものである。

こんなことをしていれば、天下は再び乱れて、人民は苦しむ。賊どもは互いに国を争い、大なるものは少なるものを呑み込み、強い者は弱い者をくじく。争いは至るところに起こり、飢饉疫病が流行る。天下に身を置く場所もない。

寿玄斎よ。お前はこんな世の中に生まれたのだ。自分の不運を嘆いて、少しばかりの禄にありつこうと願っても、無駄なことだ。そんな禄はいつふいになるか判らないし、かえって災いになることもある。

しかし、お前に一つの霊法を教えておこう。水上の浮き草に疫病をいやす効能のあるものがある。沢山集めておいて、時を待ちなさい。

・・・・・

今の世のありさま、将来の事変、あきらかに教えてくれたと思えば、玄斎は夢から覚めた。夜はほのぼのと明けようとしている。

                    続く

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2008年8月25日 (月)

五条の天神・1

8月25日(月)

五条の天神・1(狗波利子・通算60回)

   原作・浅井了意   現代語訳・ぼんくらカエル

京都五条西洞院の西に、五条の天神がある。

ここには大国主命が祭られている。命はその昔、少彦名命と共に国を治めた。また命は人民の疫病の苦しみを救おうとして、その対処の仕方を教えた。後の世に偉大な仁恵を施したこと、神皇、黄帝(共に中国の伝説上の皇帝)勝とも劣るものではない。従って、代々の執権、奉行職の人は、命を敬ってきた。

応永(1394-1411年)の頃、寿玄斎と言う医者がいた。若い頃より学問に熱心で、黄帝岐伯の教えを探り、秦、越人の深意を極めようとしたが、いまだにその奥義に達することが出来ない。しかも、身は不遇である。

玄斎は日頃より五条の天神に帰依している。信仰心が深く、ことあるごとに天神を敬って、長年過ごした。

玄斎はある晩、夢を見た。

・・・・・

朝早く家を出て、天神の社の前で深く頭をたれていたとき、かたじけなくも天神が社殿の扉を開き、玄斎の前に現れた。

お前は誠を尽くして私を敬っている。その心は私に通じている。お前は身の不遇を嘆いているが、それはむしろ、お前の幸いなのだ。

日本は神の国である。天子は、天照大神の子孫で、その系統を代えたことがない。だから、神道を大切にし、王の道を興隆させ、朝廷の権威を全うすべきである。昔、王の道が守られ、神道に合う世の中の時は、民は素直で豊かに、国家は安泰だった。雨風も季節に応じて穏やかに吹き、飢饉飢餓の憂いもなかった。ましてや、謀反を起こすことなど無かった。

後の世になって、元暦には安徳天皇、承久には後鳥羽院、元弘には後醍醐天皇などに災いがあった。これはみな、君徳がなかった。

天下を敵に奪われ、朝廷は安らかではなかった。落花が海の風にさまよい、悲しみの月が雲に隠れる。王道の徳を忘れず治めていれば、このようなことはなかった。神道のもとを忘れ、政道に人望がなかったためである。王道は衰え、神道も廃れた。悲しいことである。

                       続く

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2008年8月24日 (日)

飯森が陰徳の報い・3

8月24日(日)

飯森が陰徳の報い・3(狗波利子・通算69回)

(前回までのあらすじ・豊臣秀頼の侍大将、鈴木田隼人介の家臣飯森兵助は、人望のある盗賊奉行だった。しかし徳川方に攻められ鈴木田の城は落ち、以来浪々の身であった。播州で昔命を助けた土井孫四郎に会い、歓待を受けるが、孫四郎は兵助を殺そうとする。兵助は命からがら逃げ出す)

兵助は播州堺の宿にたどりついたが、いかにもあわただしい逃亡である。従僕が、なぜそんなに慌てて逃げたのかと聞いたので、兵助は、孫四郎が昔の恩を忘れて自分を討とうとしたことの次第をかったった。

すると、床の下から、痩せた男が抜刀して現れた。

兵助は肝をひやして驚いた。その男が言った。

「私は忍びの者だ。しかし仁義を重んずる侍でもある。孫四郎があなたの首を取れと命じたのでやってきたが、今の話を床下で聞いて、非は孫四郎にあると知った。危うくあなたを殺すところだった。私は義に感ずる人間である。しばらく寝ないで起きていてください。孫四郎の首を取ってきます」

「分かった。よろしく頼む」

その男は刀をひっさげて門を出ると、屋根を伝い、塀を跳び越え、飛ぶように走っていった。そして、夜半には、首を持って帰ってきた。灯を点してみると、確かに孫四郎である。

その男はすぐに立ち去って、再び兵助の前に現れることはなかった。

兵助はその後諸国を回り、のちには都に上って、後方守備の師範として、一生を終えたと言うことである。

                        終わり

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2008年8月23日 (土)

飯森が陰徳の報い・2

8月23日(土)

飯森が陰徳の報い・2(狗波利子・通算68回)

(前回のあらすじ・豊臣秀頼の侍大将鈴木田隼人介の家臣、飯森兵助は、慈悲深い盗賊奉行だった。ある時、土井孫四郎という者を牢から逃がしてやる。鈴木田の城は徳川方に破られ、兵助は浪々に身となり、播磨に至る。聞けば、その土地の代官が土井孫四郎だという。)

兵助は不思議に思い、その屋敷を訪ねてみた。顔を合わせてみれば、まごうことなく、昔助けた囚人の孫四郎である。孫四郎は驚き、自宅と隣り合わせの座敷を清め、招き、まことの命の親として昼夜酒宴を催し、10日ばかり一緒に過ごして、その後ようやく家に帰った。

孫四郎の家のトイレは、兵助の座敷と壁一つ隔てた隣である。兵助は、孫四郎がトイレで妻と話している声を聞いた。

「あなたはこの10日ばかり、客人をもてなしているが、あれはどなたですか」

「昔大恩を受けた人だ。命を救ってもらった。今こうしていられるのも、あの人のおかげだ。だから、厚くもてなしている」

「あなたは、つまらないことをおっしゃいますね。人の一生に、盛衰浮沈があること、別に珍しくはありません。時を得れば人の上に立ち、運が窮まれば人に屈します。今さら昔のことなどにとらわれる必要はありますまい。大恩には報ぜず、と言う諺もあります。あなたが昔、囚われの身となったことを今は知る人もいません。それなのに今のようなことをしていては、いずれ人に知られてしまい、恥をかくことになります。今の時勢に従って判断してください」

孫四郎はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「なるほど。お前の言うのももっともだ。何とかしよう。しかし、このことは他の者に悟られるなよ」

これを聞いて兵助は大いに驚き、衣服や荷物を置いたまま、馬を走らせて逃げた。午後8時頃までに、40キロほど離れた播州、堺にたどりつき、宿を借りた。

                        続く

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2008年8月22日 (金)

飯森が陰徳の報い・1

8月22日(金)

飯森が陰徳の報い・1(狗波利子・通算67回)

    原作・浅井了意  現代語訳・ぼんくらカエル

豊臣秀頼の侍大将、鈴木田隼人佐は水上からの敵の侵入を防ぐため、番船という仕事を仰せつかり、えた城に居住していた。

その家臣、飯森兵助というもの、盗賊奉行として、二心無く鈴木田に仕えていた。生まれつき心が素直で、慈悲深く、貧しい者を哀れみ、富おごれる者をいさめた。そのため人々はその裁断に従い、服して、反抗する者はなかった。

ある時、土肥孫四郎という囚人があった。罪状は紛れもなかったので、両手を後ろ手に縛って白状させようとした。孫四郎は兵助に、

「私は何もしていない。名のある武士である。知恵も勇気も人に負けることはない。どうか私の言うことを信じて、故郷に帰してください。そうすれば必ずあなたのために力を尽くし、その恩に報います」

と言った。

兵助がつくずくと彼の顔を見ると、憶する様子もなく、まことに豪傑のようだ。兵助はこれを助けようと思ったが、その場ではわざと聞こえないふりをして、牢獄に入れた。

夜中に牢役人を呼んで、孫四郎を逃がし、その牢役人も逃亡させた。

翌朝、囚人が1人、牢役人と共に逃げたと届け出た。鈴木田は大いに驚き、兵助に落ち度があったとして、しばらく蟄居させた。

その頃、徳川家の勢力が大阪に在陣し、蜂須賀阿波守にえた城を攻めさせた。平助は馬に乗り、士卒を下智して、命を惜しまず戦ったが、城は落ちた。鈴木田はようやく一方を切り抜け、万死に一生を得て、秀頼の城に帰参した。

兵助は浪々の身となり、あちこちを漂白したが、食料も金子も尽き果て、困窮して播州の地に至った。そこで代官職の姓名を聞いたところ、代官は土肥孫四郎だという。

                      続く

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2008年8月21日 (木)

蜘蛛塚

8月21日(木)

蜘蛛塚(狗波利子・通算66回)

   原作・浅井了意  現代語訳・ぼんくらカエル

昔、諸国行脚の山伏、覚円という者がいた。

紀州熊野で修行をしたのち、都に上って清水寺に参詣しようとした。五条烏丸あたりで日が暮れたので、そこにあった大善院という大きな寺で宿に請うたところ、大善院の僧は、本堂の傍らの、汚い、小さな小屋を貸した。覚円は腹を立て、

「僧の身でありながら、修行者にこんな汚い小屋を貸すとは何事だ」

と噛みついた。

「修行者を侮っているのではない。この本堂には、長年妖怪が住みついている。泊まった者はみな行方不明になり、死体さえ残されていない。この30年間に30人にもなる。だから本堂は貸せない」

「私にそんなことがあってたまるものか。妖怪は人を見て出るものだ」

と、覚円は言う。僧は再三止めたけれども覚円が聞かないので、本堂の戸を開いて覚円を入れた。覚円は静かに仏に礼拝し、念仏を唱え、心を澄まして座っていた。

しかしながら、寺の僧の言葉も気になって、腰の刀を半分抜いた状態で、柄を手ににぎりながら眠った。

夜の10時頃、ぞくぞっくっと寒くなり、堂内がしきりに震動した。そして、天井から、大きな、毛の生えた手が出てきて、覚円の額をなでた。覚円は刀を振り上げて払ったところ、手応えがあって、何かが仏壇の左に墜ちた。午前2時頃、また同じようなことがあって、覚円はやはり刀で払った。

夜が明けて、寺の僧が不安げに様子をうかがいに来た。覚円は、昨夜の出来事を話した。寺の僧は急いで仏壇の傍らを見ると、大きな蜘蛛が死んでいた。80センチあまりもある蜘蛛である。目は大きくて、爪は銀色であった。寺僧はますます驚き、この蜘蛛を本堂のわきに埋葬した。

また、覚円の徳が高いことを感じて、しばらく寺に留め、祭文を書かせて、その墓を祭った。

その墓を蜘蛛塚と言って、今でも大善院に存在する。

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