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2020年8月15日 (土)

私の8月15日

少し古い絵

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 徳正寺の和尚お盆の読経に来る。毎年の事。

私の8月15日

 75年前の8月3日、母の死。6日、広島忌。9日、長崎忌。15日、敗戦日。その日私たちは母の実家から、父の実家へ引っ越しをしていました。引っ越しといっても、荷物なんか無いんです。父は自転車の荷台に弟をのせそれを押して歩きました。私は父の後をついて、約2里に道のりを歩いて引っ越しでした。暑い日でした。

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 思い出して描いてみました。
 いま思い出したことがあります。絵と違って、父は確か帽子をかぶっていました。前だけにつばのある、戦闘帽という帽子でした。肩から下げているのは防空頭巾というものです。爆弾の破片などが飛んで来た時、頭を守るために被る綿の入った頭巾です。誰でも外へ出るときには必要な物でした。これも国防色だったと思いますが、みんな同じ色ではと思って、絵では黒にしました。
 当時男はみんな国防色の洋服で、女はもんぺ姿でした。父の脚にはゲートルがまかれていました。
 私が手の持っているのは教科書をくるんだ風呂敷です。その教科書も間もなく墨で真っ黒に塗りつぶされるのです。
 道は砂利道で手入れがされていないから、荒れ放題の凸凹でした。のちににそういう道をバスなどが通ると、乗客は凸凹の度に弾んだものです。そういう道を胃腸返しといいました。胃と腸がひっくり返るんですね。最も敗戦時には、父の田舎でも母の田舎でも、車など持っている人は1人もいませんでした。
 父の実家へ着くと、たまたま来ていた人が私の名前を呼び、
「あんたのお母さんは良い時に死んだ。日本が負けるのも知らずに死んだ」
といいました。なんで私の名前を知っているのか不思議な気がしましたが、実は、母は乳の出が悪くて、私はその人の乳をもらって飲んだのだそうです。

  敗戦日白く乾ける道ありき  かえる
  あえぎつつ我ら歩けり敗戦日 かえる
 
 道中で、何人かの大人が頭を垂れて、玉音放送を聞いているのを見たような気がします。しかしこれは、後からつくられた記憶かも知れません。

気になる俳句

蝉時雨もはや戦前かもしれぬ 摂津幸彦

ぼんくら俳句

   黒揚羽しずかに飛んで蝉の声

 

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