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2020年8月 6日 (木)

桶の話

今日の絵

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少し古い絵

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桶の話

 大きな味噌桶を造る最後の職人という人がテレビに出ていた。いま日本に残るただ一人の職人だそうです。後継者はいないという。何十年も修行しなくてはならない、そんなことをしうる人は今時はいない、というのが職人の言い分です。でもね、私はいると思っています。今の若い人を、馬鹿にしたものではありません。しかし残念なことに、そういう職人と、そういう若者との出会いが無いんです。
 その桶で作る味噌は、木の微生物などの作用で絶妙な味になるのだそうです。その桶が無くなったら日本食の基本が成り立たなくなると和食の達人が言っていました。桶はだいたい150年ほど持つそうですから、150年後に和食の基本がくずれるということです。
 最後の職人は、押し鉋というものを使って木を削ります。鉋というのは削る木を下に置いて、その上に鉋を走らせて削っていくのです。しかし大きな桶などを作る場合、大きな鉋を下に置き、その上に材木を滑らせて使います。押鉋といいます。最後の一人という職人はその押鉋を使うわけです。
 実は押鉋の原理を生かした、木工機械があるのです。私はあるとき、木を接ぐという行為を随筆に書いたことがあるのですが、接ぐというのは木と木を接着させることです。この接ぐという行為をベテランの職人と、新人の工員とが競争する話を書いたことがあります。もちろんベテランの職人が勝ったのですけれど、職人の方は鉋の調子を整えていたわけです。新人は手押鉋を機械化したものを使っていました。新人の工員は何も特別なことはしていない訳ですから、本当はどっちが勝ったのか分かりません。私は職人でしたから、職人を貶めるようなことは書きたくありません。でもね、事実は事実です。その桶を造る作業も、電動の手押鉋を使って出来るのではないかと、私は思います。

 何でこんなに桶にこだわるのかといえば、実は私の先祖は酒桶を造る家でした。酒の仕込み桶で、梯子をかけて上るような大きな桶を造っていたのです。祖父の代にそれを親戚に譲って、リンゴ園やら製材所やらを始めました。親戚の家も間もなくやめたようですから、斜陽だったのかもしれません。戦争中疎開して行った時にはその桶が一つ、蔵にありました。でも、6年f後私が東京へ帰るときにはなくなっていました。どこかで処分したのでしょうね。私の記憶にはありません。

 桶って言うのはね、何処の家にもあったんですよ。今のバケツと同じです。桶というのはね、何時も水とか味噌とかをを入れておかなければ使えなくなるんです。

外山滋比古が亡くなった。

 96歳.うーん、天寿だな。外山滋比古の本は気がつく限り読んでいた。

 呆けたなあ。ここまで書いて、寝てしまったみたい。つまり、いま目が覚めたということ。一応保存はしてあったようです。今日はこれでお終いです。

 

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