ボラグループ定例会
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今日の絵
この絵の場所は一昨日行った東松山市民の森。山とか歩こう会に行った時、人物を入れて描く場合、後姿が多いんだ。皆の後ろを歩いて写真を撮るというのは出来るけれど、皆の前を駆け抜けて、振り向いて写真を撮るなんてことは出来ないんだよね。
少し古い絵
スケッチブックに何も書いていないけれど、平林寺だったと思います。この絵の遠景の人物、嘘ですね。この高さ、この大きさあり得ません。適当に描いた証拠です。
電車の中は読書室
時々、用がなくても西武線で稲荷山公園駅から西武秩父駅まで、一人吟行などと称して出かけます。なあに、実は飯能駅から4人ボックス型の電車に乗って、風景を見ながら酒を呑むのが楽しみなんです。
今日もそんな感じで、本を1冊持って出かけました。藤子不二雄Ⓐ著『78歳今はだまんが道を・・・』中央公論新社。著者は昭和10年生まれと言うことだから、私より1歳上、現在は83歳ということになります。
軽いエッセーなんですが、読んでみると意外に面白く、行き帰りの電車の中で読み終わりました。
考えてみると、電車は私の読書室でした。
琴作りの職人になってからも独立するまで、大宮から本郷の仕事場への電車の中では、本を読んでいました。
そのころ、琴造り以外のこともやってみたくなって、私でも取れる資格はないかと調べた。そして、司法書士なら司法書士なら受験資格だあると分かりました。それで勉強を始めたのですが、これも電車の中での読書が中心でした。
で、まあ、受験して合格して、義務教育終了程度で合格したのは珍しいということで、合格者座談会とかいうのに呼ばれました。5-6人でしたかね。他の人のことはみんな忘れたけれど、北海道から来たという女性のことは憶えています。
小学校の教員だったそうですが、司法書士試験を受けるため、退職し、1日12時間勉強したというのです。私は驚嘆しました。12時間勉強するなんてことは、私には考えられないことだからです。そん何したら、朝覚えたことを夜は忘れるよと思ったんです。
でも、一流大学の受験をする人は、それくらい当たり前なんだってね。
司法書士は開業せず、琴職人を続けたわけですが、金銭的には司法書士をした方が良かったでしょうね。琴職人を続けたおかげで、家族には苦労を掛けました。
1日12時間勉強したなどと聞いてびっくりするような人間ですから、私は本当の努力なんてしたことが無いんだなあ。その後、日本随筆家協会賞とか、埼玉文芸賞とかもらったりしたけれど、たいして努力をしたという気持ちはないなあ。
今日のブログは、さりげなく自慢していることになるのかな。
白状します。私は何時だって自慢したいのです。ただ、その種が無いのですよ。こんなものが自慢だとしたら、ばかばかしい。
気になる俳句
山笑ふ村のどこかで子が生れ 尾形不二子
ぼんくら俳句
白壁の一部剥落山笑う
芽吹く木を抱えて里山笑いそう
「芽吹く」も「山笑う」も季語です。二重季語、こんなのはどうなのかな?
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今日の絵
少し古い絵
水上温泉のホテルの予約
次女のご亭主に、水上温泉のホテルの予約をしてもいらいました。ホテルの予約だけなら、私でもできたかもしれないが、川越まで送迎バスがあるところなど、見つけられなかったでしょう。
ウインドウズ98
私がパソコンを始めたのはウインドウズ98からです。それまではワープロを使っていました。パソコンを立ち上げるのは娘夫婦にやってもらったのですが、どこかでパソコンを習うということはしていません。
当時、狭山市では、無料か、ごく安い費用で、パソコン教室などしていたのですが、私は3回ほど申し込んで、全部落ちました。そしたら、このお知らせは何回も落ちた人にだけ送っています。パソコン教室に申し込んでください。というのが来ました。それで申し込んだら、また落ちました。よほど運が悪いのです。
しかしその頃には、娘などに聞いたりしながら、自分で必要とすること位くらいは出来るようになっていました。
ワープロ時代、文章は一太郎を使っていました。だから98になっても、引き続き一太郎でした。パソコンを変えてもずっと一太郎だったのですが、添付書類で誰かにメールを送ったりしたとき、私はワードなので開けなかった、などと言われ、1年ほど前現在のパソコンにしたとき、ワードにかえました。
でも、齢を取るとだめですねえ。まだワードでは戸惑うことが多いのです。
あれ? 何でこんなことを書きだしたんだろう。
そうか。ウインドウズ98のころは、まだ若かった。だから自分で解決しようと努力した。今は、自分でやるより誰かに聞いたり、やってもらったりする方が早いと思ってしまう。
呆け街道まっしぐらだな、これは。
気になる俳句
春曙何すべくして目覚めけむ 野沢節子
ぼんくら俳句
春暁のまどろんでいる浮遊感
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昨日の絵
少し古い絵
一昨日の「ぼんくら俳句」のところに、この絵を載せるつもりでした。メモ用紙に、航空公園の現場で描いたスケッチです。
一昨日の続き
簡単に書きます。
戦争に負けたとき、私の疎開していた秋田県の横手盆地の一部で、アメリカ人が上陸してくると、農耕用の牛馬を徴発されるという、うわさが流れました。アメリカ人は肉食だからという理由です。
アメリカ人に喰われるくらいなら、自分たちで食ってしまえということで、あっちでもこっちでも、農耕用の牛馬を殺したわけです。
時期は夏。冷蔵庫など無い時代です。肉などは何かのお祝いの時に、飼っているニワトリやウサギを殺して食うぐらいしか経験していない地方です。保存方法も知らないから、大変だったんですよ。
こんなことは、戦後史の本などに書いていないような気がします。全国的にそんなことがあったのか、私の地方だけだったのかは知りません。
この話、私が世話になっていた伯父の家では、後日談があるのですが、長くなるので今日は書きません。
気になる俳句
早春の入日林中の笹を染む 水原秋櫻子
ぼんくら俳句
早春の四苦八苦して書くブログ
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昨日のつずきを長々と書き、もう少しで完成というところで、またもブログが消えました。何の前触れもなく、いきなり消えるのです。したがって、頭に来たので、もうお終い。
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今日の絵
少し古い絵
戦後、牛馬を殺すことが流行った
私も残り時間が少なくなって、いずれオサラバする時期が近づいています。このブログを読んでくれる人は、たいして居るわけでは無いのだけれど、私の知ることを少しは書き残しておこうかと思います。
1945年(昭和20年)8月15日、日本は敗戦を迎えました。戦った相手が、アメリカやイギリスや中国だったなんてことを、今の若い人は知らない人もいるんですよね。イタリヤとドイツと日本が、世界中を相手に無茶な戦争をして、負けたわけです。
何でそんな無茶な戦争を初めたのかといえば、「空気」だったというわけで、イザヤ・ベンダサン(山本七平)の著書があります。
もう嫌、この後、いろいろ書いたのだけれど、皆消えちゃった。もう一度書き直す気力はない。なんでだろうな、気を入れて長い文を書いた時に限って、消えるんだよ。肝心のことは書けずに、今日はこれでお終い。多分明日書きます。
気になる俳句
雪の峰しづかに春ののぼりゆく 飯田龍太
ぼんくら俳句
この橋で皆立ち止まる春の池
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今日の絵
何日か前、散歩している道の少し脇の、梅宮神社のあたりが賑やかなのに気がつきました。祭だったのです。小さな神社の小さな祭。そしてささやかな賑わい。
書くこと、描くこと
パソコン不調で「ぼんくら日記」を何日か休みました。実はパソコン不調をいいことに、今日は書かなくてもいいなんて、少しホッとする気持ちもあるんですね。絵だって、今日は描かなくてもいいや、なんて思ったりする。でも、やっぱり、書いたり、描いたりしない日が続くと、いらいらしてくる。自分の気持ちが分からない。厄介なもんだね。でも、結局のところ、書いたり、描いたりすることが好きなんだね。
気になる俳句
奥へ奥へ夕日を送り山眠る 大野林火
ぼんくら俳句
丘の上に墓その奥の山眠る
トンネルを抜けてもやっぱり眠る山
裾に墓地売り出し中の山笑う
雪便り聞いて買い足す山葵漬
車中にて髪梳く女冬の雨
暦は春だけれど、本当は、山はまだ笑っていない。山笑うは春の季語、山眠るは冬の季語。
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ブログ再開
パソコンの不調でブログを休んでいましたが、今日から再開します。
精傷者作業所の「みちくさ」の所長が、仕事の終わった後わが家に来てくれて、パソコンを復活させてくれました。
今日の絵
少し古い絵
気になる俳句
梅白し峡は片側より暮れて 有働 亨
ぼんくら俳句
廃屋の満開の大しだれ梅
我が家の近くに、大きなしだれ梅のあるお屋敷がある。毎年、その梅を見るのが楽しみである。今日その家の前を通ると、まだ満開というわけでは無かったが、しだれ梅が咲いていた。そして屋敷の中では家の解体工事の最中だった。でも、本当は廃屋なんてものでは無くて、そのい隣に新しい家が建っていた。つまり、屋敷内に何軒も家を建てられるほど、庭が広いのだ。
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今日の絵
越生は太田道灌の生誕の地。
太田道灌が狩りに出かけて雨にあい、近くの貧しい家に立ち寄り蓑を求めた。しかしその家の娘は山吹の一枝を差し出しただけだった。太田道灌は意味が分からずそのまま帰ったが、その意味するところは〈七重八重花は咲けども山吹の実の(蓑)一つだに無きぞ悲しき〉という和歌だった。それを知って太田道灌は、あんなあばら家の娘でも知っている歌を知らなかったことを恥じ、以後、歌学に励んだという故事がある。だから、太田道灌といえば山吹なんですね。
この絵、2-3年前に撮った写真から描いています。
少し古い絵
自治会の新役員
今夜7時から、4月からの役員を決める会議。
何年かに1回、自治会役員の順番が回ってくる。4月から私は今回の役員である。ふつうは班長といいうことで、それで済めばいいんですが、我がマンションハイコーポの事情もあり、私はブロック長に決まっていました。
その他に根回しがあって、私は副会長ということになっていました。副会長は4人います。多すぎるようですが、それぞれ役割はあるのです。今日新会長は来ていなかったので、その役割を決めることは出来ませんでした。
役員には、広報だの、文化体育部だの、環境だの、総務だのがあります。副会長はそのどれかを担当しなければならないのです。
私のグループは早々と決まっていたので楽でしたが、他のグループはいろいろもめていました。
新役員はみんな60代で、一人だけ70代がいますが、私だけ飛び抜けて高い80代です。本来ならば何かやっていても引退する歳だ。ま、嘆いてもしょうがないから、1年間やりますかネ。腸内にポリープを飼っているとはいえ、健康なんだから。
雪
昨日から、テレビは雪だ雪だと大騒ぎ。埼玉県狭山市あたりは、何ほどのことは無く、芝生がうっすらと白くなる程度で済みました。
本当は私、雪が好きなんです。雪国育ちなので、うっすらとした雪では無くて、家々が埋もれるような雪に、懐かしさを感じます。雪の中で暮らすのはまっぴらだけれど、雪深い所を見るのが好き。
今年も見に行きたいなあ。どこへ行こうかなあ。
気になる俳句
通勤も旅の楽しさ雪降れば 田川飛旅子
ぼんくら俳句
新役員決まらずにいて雪催い
雪降れり地球の地軸狂うほど
そんなに降らなかったけどさ。
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今日の絵
少し古い絵
寒いね
洗濯をして、買い物を済ませたら、もうやることが無い。寒さで出るのが億劫になった。やっぱり齢だなと思う。
おかずを作り置きしようと思った。まず、ゴボウの肉入りきんぴらを作る。近頃ゴボウのきんぴらに凝っている。切り干し大根とカットわかめで酢の物。キュウリと梅肉の和え物。それだけでもう終わりだ。
あとはテレビなど見ながら過ごしました。本当はやらなくてはならないことが沢山あるんだけどね。やるべきことを先に延ばし、どうでも良いことをやるのが、私の特徴です。
さて、あとは酒を呑むぞ。
気になる俳句
海べりの寒さテレビの白画面 山口誓子
ぼんくら俳句
寒き日はきんぴらごぼうの作り置き
おざなりの、お粗末俳句でございます
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少し古い絵
稲荷山公園でランニングをしていた人が、芝生に横になり、こんな運動を始めました。その時のようすは今も覚えています。
今日の絵が無い訳
「今日の絵」を描かない時が時々あり、その理由は様々っです。朝早く出かけなければならなかったとか、寝坊しちゃったとか、なんとなく描くのが億劫だったりとかね。
「絵の会」で使うスケッチブックには、通し番号を付けていませんが、今日の絵を描くスケッチブックには通し番号を付けています。昨日は通し番号94の最後のページでした。今朝絵を描こうとしたのだが、何とスケッチブックが切れていました。で、さっそく今日、川越に買いに行たのです。
「絵の会」で使うスケッチブックはF6というい大きさを使っています。A4の2倍くらいの大きさかなあ。「今日の絵」は基本的にA4の大きさ(たまには違うのも)です。F6の方は買うところが決まっているわけではありませんが、今日の絵で使うスケッチブック、このところ川越の「きむら屋」に決めています。大きさ。紙の質、値段などで決まます。私のことだもの高かったら買いませんよ。
包丁研ぎ
暇人クラブ「日だまり」へ。月の初めなので、包丁研ぎ。今日は9丁くらい研いだかな。私としてはもっと持ってきてくれる方が張り合いがある。
気になる俳句
春一番人犬鴉田に出でぬ 秋沢 猛
ぼんくら俳句
包丁研ぐ春一番はまだ来ない
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今日の絵
少し古い絵
やっぱり癌があった
石心会狭山クリニックへ。先日の内視鏡によるポリープ除去の結果を聞くため。除去した4個のポリープのうち、1個は癌だったそうである。ポリープが10個もあると言われたから、質の悪いのがあるだろうとは思っていた。
癌が見つかったということは、まだ体内に残っているポリープにも、癌の可能性がある訳で、長くは放っておけない。大きいのから除去したということなので、担当医と相談して、半年後くらいに内視鏡手術を受けることにした。
ビリヤード研修会
私がいれてもらったビリヤードの会は、月に1回監修会があるそうです。
今日はプロが3人も来ていました。一人はビリヤードの等級を決める問題や、点数の数え方、等級のつけ方など作った人で、杉並区の教育委員会の委員だとか。一度この会に来てみたかった、と言っていました。この会は、大変な会なのかなあ。
そういえばこの会の代表はビリヤードの用事で時々アメリカへ行ようで、今も行っています。ツアーでもあって参加してるのかな?
上級者と低級者に分かれて研修。もちろん私などは最低級。それでもプロの指導だからね、少しは上手くなった気がします。実際は分からないけれどね。
気になる俳句
父となりし日よ春雨が土固め 白数康治
ぼんくら俳句
ポリープに癌が見つかる春の雨
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今日の絵
航空公園内の日本庭園、お茶処。
少し古い絵
芦ヶ久保の氷柱
この前見そこなったので、もう1度芦ヶ久保へ。本当は三十槌(ミソツチ)のほうがいいけれど、遠いからね。高齢になって、目が覚めるのは早いのだが、起動が遅い。おまけに遅くまで外にいたくない。だから近間のところで間に合わせることとなる。
芦ヶ久保は人工的な氷柱。三十槌は自然が作る氷柱。今日行ってみて、あらためて、三十槌がいいな、なんて感じた次第。
少女の虐待死
千葉県、小学4年の少女の虐待死、かわいそうはその通りだけれど、教育委員会や児童相談所の対応は、ニュースを聞けば聞くほどイライラしてしまう。腹が立ってくる。何で!? と思うような対応ばかりだ。
気になる俳句
峡空へ吹きぬけ杉の花けぶる 山口草堂
西武戦沿線の杉の山はたっぷり杉花粉を蓄えて、茶色くなってました。
ぼんくら俳句
登山道閉ざして作る氷柱かな
芦ヶ久保から二子山への登山道が氷柱つくりのために閉鎖されていました。
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今日の絵
少し古い絵
車椅子と仲間の会・新年会
徳樹庵で車椅子と仲間の会の新年会。29名参加。これまでで1番多いと思う。
1週間、酒のドクターストップがあったのですが、5日でそれを破りました。ビール中瓶1本。
核兵器
また核兵器の開発が進むのか。人類にとって不要なものを、権力者は作りたがる。持ちたがる。核兵器があまりに強力になったので使いにくい、だから使える小型の核兵器を開発する…中距離ミサイルを開発する・・・気違い沙汰だ。
虐待
私のブログではテレビや新聞のニュースをあまり取り上げないようにしているが、近頃、痛ましいニュースが多いねえ。親が子供を虐待して殺してしまったなんて。児童相談所が、虐待を訴えたアンケートのコピーを、虐待している親に渡すなんて、何ということだろう。
気になる俳句
節分や灰をならしてしづこころ 久保田万太郎
ならしたのは長火鉢の灰でしょうね
ぼんくら俳句
節分の撒かない豆を一人食う
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今日の絵
少し古い絵
酒の話
田中善信著『芭蕉』(中公新書)を読んでいる。その中に
花にうき世我酒白く食黒し
という俳句が出てくる。有名な句ですけれどもね。読みにくいので、私流にに書き直せば
花に浮世わが酒白く飯黒し
となります。酒が白いのは清酒ではないからです。まあ、どぶろくですね。飯が黒いのは玄米かむぎめしだからでしょう。芭蕉は神田上水の浚渫請負業を離れて深川に隠棲したので、貧しかったんですね。
ちなみに江戸時代から明治にかけて脚気が国民病でした。白衣米を食べるようになったからです。米だけで栄養を取るような生活で、ビタミン類の知識などありませんでしたからね。
ちなみにどれくらいの米を食ったかといえば、例えば新渡戸稲造の書いた本に「一人前の大人の1日の米の量は4合ときまったものだ」といった記述があります。宮沢賢治の『雨にもまけず』では「1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べて」とあります。森鴎外が陸軍軍医総監になったとき、兵隊たちに腹いっぱい食べさせてあげたいということで、1日5合の米を割り当てたと言います。
今からでは考えられないような大喰らいですが、ほとんど米からだけで栄養を取るような生活では、それくらい食べなければ腹が減ったわけです。もちろん貧しい生活で米を十分に食べられない人も多勢いたわけですけれどね。
ところで、話は酒なんです。ドクターストップで酒を呑めないものだから、逆に酒のことばかり考えます。
神話の時代、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治するとき、オロチに酒を呑ませました。この酒は乙女に生米を噛ませ、それを吐き出して発酵させたものでした。
奈良時代、大伴旅人が大宰府で
言わむすべなすすべ知らず極まりて
尊きものは酒にしあるらし
(大意)言うこともやることも出来ずどうにもしょうがなくて、尊いのは酒だなあ。
大伴氏は元来天皇のそばに仕える、いわば近衛隊長のような家柄。それが藤原氏に押されて太宰府の長官をやっている。その虚しさがあったのでしょう。ただし、菅原道真が大宰府に送られた時代とは違って、大宰府は大切な役所でした。会社に例えれば、奈良が東京本社、大宰府が大阪支社といった感じでしょうか。普通の貴族ならば大宰府の長官なら大変なものですが、大伴氏にとっては奈良を離れる、天皇のそばから離れるというのは、なんとも遣り切れなかったのでしょうね。
この時、旅人が飲んだ酒は、ヤマタノオロチの呑んだ酒と大して変わらなかったんじゃないかな。良くてもどぶろくだ。
清酒が出来たのは、室町時代だと言われている。芭蕉の時代にはかなり出回っていて、豊かな人は清酒を飲んでいたのでしょう。
ああ、それにしても私は酒が飲みたいなあ。
気になる俳句
枯野行く汽車の全長隠れなし 長井哀耳
ぼんくら俳句
枯芝生子どもあふれて隠れなし
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今日の絵
少し古い絵
芦ヶ久保の氷柱
ドクターストップでアルコールを止められているのは、本当につまらない。どこかへ散歩に行こうと思っても、そこで酒が飲めないとなると、何だか行く気がしなくなる。おまけに風呂に入れない。
しかし今日は天気がいい。こんな天気のいい日に、家でグズグズしているのも嫌だ。いろいろ考えて芦ヶ久保の氷柱でも見に行こうと思った。
本当はミソトコといったかな、ま、そこの氷柱の方が好き。けれども行くには時間がかかる。朝早く出かけなくてはならない。私が腰を上げたのは11時過ぎだから、しょせん無理。山間に放水して作った人工的な氷柱を見に行くことにした。
ところが、なんてこった。芦ヶ久保で下車しようとしたら、「今日は芦ヶ久保の氷柱は休みです」だってさ。
西武鉄道に協力して、鉄道運賃を払うために、電車に乗ってきました。
気になる俳句
斑雪嶺の暮るるを待ちて旅の酒 星野麦丘人
斑雪嶺(ハダラネ)
ぼんくら俳句
膝痛に靴の重さや斑雪
膝痛(シッツウ) 斑雪(ハダラユキ)
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