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2018年8月 8日 (水)

メガホンと荷札

今日の絵

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    西武線車内の風景

少し古い絵

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  智光山公園 2013年3月 このころ線を使わずに描く試みをしていたようです。2013年3月から4月にかけて、線を使わずに描いた絵が、だいぶあります。

メガホンと荷札

  太平洋戦争中の話です。日本の敗色が濃厚となる戦争末期、父は自転車で、メガホンと荷札を売り歩いていました。これがことのほか売れるのです。

  メガホンは地区の広報の役割をしました。警戒警報が発令されたこと、空襲警報が発令されたことなどは、メガホンで知らせました。食料の配給があること、竹槍の訓練があること、なんでもメガホンで知らせました。
  ラジオなどはある家もない家もあって、普通は真空管4本の、か細い音を出すラジオです。我が家には真空管5本のラジオがあって、音が少し大きいのです。そのため外に音が聞こえて、それを聞く人がいたりして、父はそれが自慢でした。
  そのラジオで警戒警報や空襲警報は放送できても、町内の雑炊の配給を開始するとか、バケツリレーの防火訓練を始めるなどと言うことは、メガホンで知らせるしかありません。生活必需品だったのです。拡声器なんて、無いんですよ。
  それを父は売り歩きました。メガホンは初めは柿渋を塗った丈夫な紙でできていました。しかし間もなく、ただのボール紙をホチキスで止めたようなものになりました。製品は粗悪ですぐに壊れるのに、ほかに代わるものが無いのだから、いくらでも売れるわけです。

  荷札は、東京から疎開する人にとって、どうしても必要でした。金持ちならば荷車の車夫を雇って、荷物を大八車に載せて運ぶことも可能でした。
  私の琴造りの親方は、戦争末期、大八車を引いていました。琴なんかもう売れなくなっていましたからね。大八車を引いてあちこちへ行ったようです。「車を引くときはね、ふんどしでなくてはダメだ、猿股だとキンタマがすれる」と言っていました。
  しかし普通の人は、日通やら鉄道やらに頼んで、荷物を送るしかありません。当時の人です、たいした荷物は無いんですよ。衣類、鍋、釜、茶碗などが主なものです。それを新聞やらぼろ布やらでくるんで外を木の枠で囲むのです。その木は、もちろん安い木を使います。
  その枠を作るために、最も安いのはリンゴ箱でした。使い古しのリンゴ箱を買ってきて、そこで使われた板を使います。箱を解体して、そこで使われていた釘も大切に抜いて、再利用します。曲がったら叩いて直して、1本の釘を何回も使うような時代です。
  木の枠を作るのは、荷物の取り扱いが乱暴だからです。人間の輸送だって大変な時代、荷物なんか丁寧に扱えるわけがありません。輸送中に茶碗が割れたりしたら、梱包が悪かったということになります。
  荷札はベニヤ板で出来ていて、輸送先を書き込んで、4隅を木の枠に釘で打ち付けるのです。
  空襲を逃れて疎開する人が多い訳ですから、この荷札も、よく売れるんですね。

  私と母と弟は、一足先に母の実家に疎開していました。父からの母への送金があまりに多いので,伯母は、父が何か悪事でも働いているのではないかと心配したそうです。

  戦争については様々な証言があり、最も大変だったのは、兵隊に行った人、空襲で亡くなった人などでしょう。私たちは銃後の生活で、生き延びているのですから、何も言うことは無いような気がします。
  しかし、いま、メガホンや荷札の事を話せる人は,私くらいしか居ないのかもしれないと思って、今日のブログを書きました。当時の世相を伝える一助になるかと思います。

気になる俳句

めちゃくちゃやなどぜうの浮沈台風くる 秋元不死男

ぼんくら俳句

   滑り台の黄色い手摺秋の雨
   昼顔の雨に萎れる峠道
   また今日も傘を忘れる夏の雨

  夏と秋が混ざってるけどね、その点については又書くことがあるでしょう。





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