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2018年4月16日 (月)

「みちくさ」の畑 戦争の記憶

今日の絵

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  いつもと同じサンパーク奥富裏の花桃

少し古い絵

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 バレーボールの木村選手 2012年

スケッチ練習帳

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   摸写 川合玉堂 2012年

精傷者作業所みちくさの畑

  収穫は欠き菜と大根の間引き菜。ジャガイモは芽を出していました。来週、ナス、トマト、キュウリの苗を植えるため、畑を整える。

智光山公園

  午後は散歩です。智光山公園へ。

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  わあー! 一面の菜の花だ

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  こいんなハナミズキを見ると大宮公園に行きたくなる。大宮公園から大宮第2公園へ行く回廊は、ハナミズキがことのほか美しいのだ。

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  地味なのですが、智光山公園の自慢の花、ハンカチの木です。いつもならゴールデンウィークのころ咲くのですが、もう、白い花をつけています。(花なのかなあ?)
  ハンカチの木は小石川植物園にあったと思いますが、あとは知りませんん。上野の国立博物館の前にもあったかな・・・うーん、分からない。
  智光山公園にはハンカチの木が2本あって、これは若い方。古木の方はまだ咲いていません。

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    八重桜はまだ咲いています。

戦争の記憶

  いろんな事件や災害などを、風化させまいとして活動している人がいるわけですが、どうしても風化はします。私にとっては明治維新は歴史上の事件。源平のたたかいとか、大化の改新なんて私とは何の関係もない出来事という感じです。
  先の戦争も多くの人にとっては、歴史上の事件で、皮膚感覚で分かる人なんて、我々が最後です。
  長年つばさ俳句会を指導してきた今坂柳二が、戦争の経験を風化させまいとして、毎年戦争の俳句を募集し小冊子を出していますが、さすがに応募する人も少なくなったようです。
  風化するのは仕方がないと思うのですが、私は今日、いくつか投句しました。

   防空壕出でてまぶしき葉鶏頭
   雑炊に並びし日々や葉鶏頭
   メガホンで警報告げる葉鶏頭
   行列に並ぶのは嫌昭和の日

  防空壕を出たときに目にした派手な色をした葉鶏頭を、私は今でも鮮明に覚えています。
  子ども心にもまずいと思う雑炊を買うために、空の鍋を持って行列に並ぶのは、毎度のことでした。濁ったお湯の中に菜っ葉などがあってそのあいだにコメが少し泳いでいるというような雑炊でした。ダシだの調味料なんてものは使ってないんですからね。それでも食わなきゃ死ぬしかない。戦争を忘れないためにスイトンを食うなんてことが行われているようですが、スイトンなんて食えるときは、本当にうれしかった。当時としたら最上等の食べ物です。
  戦中から戦後にかけて、街にはよく行列ができていました。そんな行列を見ると、なにはともあれその最後尾に並ぶのです。何か生活に必要なものを売っていたりするのですね。最後尾に並びながら、自分の番まで売り切れにならないように、なんて願うわけです。売られているのは鉛筆だったり、沢庵だったりするわけです。そんな思い出があるので、ラーメンやとんかつを食うために並ぶなんていうのは、大嫌いです。そんなもの食わなくたって死なないじゃないか。そんなもののために、なんで並ぶんだ。
  当時は拡声器なんてありませんでしたから、なんでもお知らせはメガホンでしました。前にも書いたことはあると思うけれど、私の父は自転車で、メガホンと荷札を売っていました。荷札については長くなるので今日は書きません。メガホンは町内のお知らせをするための生活必需品でした。電話もない時代で、空襲警報だとか、芋の配給があるとかのお知らせは、メガホンでするしかなかったのです。そのメガホンは初めは丈夫な柿渋を塗った紙でできていましたが、後にはただのボウル紙をホチキスで止めただけのものになりました。それでも飛ぶように売れました。変なものが売れた時代です。
  4句目は新作ではありませんが私の正直な気持ちなのでそのことを断ったうえで、投句に加えました。」
















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