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2017年8月 6日 (日)

難聴と認知症

今日の絵

Dscn6208
  狭山市駅西口、居酒屋「和」のママとマスター。本当は今日描いた絵ではないのですが、誰を描いてどうだとか、はっきり分かるような絵
の場合は、当人の許可を受けなければね。

難聴と認知症

  私は軽い難聴になった。我々が得る情報は視覚によるものが圧倒的に多いと思っていた。しかし難聴になってみると、耳からの情報も案外多かったのだ思う。新聞やマスコミに取り上げられない身近な情報は、耳からのものが多い。そういう情報が得難くなるということ、話題に入っていけなくなるということ、これは、認知症に近づくということではないだろうか。
  私の場合、1対1で対話することは、聞き返すことはあっても、さほど不便を感じない。しかし、例えば会議だとか、複数の人が話し合うような場では、聞き取るのに私は難渋し、何が何だか分からなくなってくる。
  難聴になって初めて気がついたのだが、我々は他人の話を聞くときに、想像力を相当に働かせているということである。聞き取れない言葉があっても、想像力を働かせて、こんなことを言ったのであろうと想像することができる。
  しかしこれが、複数の人の発言があって、そのすべてを想像力で補うとなると、もう、お手上げです。あっちも、こっちもで、何が何だか分からなくなります。
  会議が苦手な所以、私のようなおしゃべりが無口になってしまう理由です。
  これを私は「老人性寡黙」と名付けました。周囲と生き生きとした会話をできず、コミニケーションが減るわけで、認知症に近づくことになるのでしょうね。

気になる俳句

颱風の心を支ふべき灯を点ず 加藤楸邨

ぼんくら俳句

   のろのろと台風遅し遠花火

  季重なりです。許されよ。

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