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2017年8月20日 (日)

季語について

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 荒川上流(秩父) 

俳句の季語

  素人の暴論です。
  俳句の季語なんてものは、変なものだと私は思っています。例えば「西瓜」や「朝顔」は秋の季語です。スイカが秋ですかねえ。秋のスイカなんて間が抜けているよ。
  「海の家」は季語ではないらしいけれど、「山の家」は季語の扱いを受けているみたい。何だかこういうのよく分からないんだ。
  「甘酒」いまだに夏の季語です。確かにね、私の子供のころは、海水浴場などで「甘酒」を打っていましたよ。今のような清涼飲料水のない時代ですね。でもね、今の俳人以外の人にとっては、甘酒と言ったら冬でしょう。

  私は65歳で俳句を始めて今は80歳。15年やっているわけですなあ。それでも、いまだに俳句を、外から眺める気分が抜けません。

  俳人は難しい言葉を使うのが好きですねえ。「おじゃくし」は「かと」。私のパソコンでは「かと」の漢字が出て来ないや。「水たまり」が「にわたずみ」。「ひつじ」というのはどういうことかと思ったら、稲刈りをした後の稲の株から生える「ひこばえ」の事だってさ。「櫓」という字の木へんを禾へんにして「ひつじ」と読むのです。「羊」のことじゃないんだよ。そんな言葉、広辞苑には出ていません。そんな字、私の漢和辞典にも出ていません。
  まあいいや。俳句の世界の約束事だからね。作る立場としてはそれを受け入れましょう。でもね、それを俳句関係者以外にも押し付けるのはどうでしょうかね。たとえば、「霧」は秋、「もや」は春ということに俳句の世界ではなっています。だからと言って、一般の人が、春に「霧」といったからと言って、それを間違いだと決めつけるのは、どうでしょうかね。気象用語として、春には使わないなどと言う決まりがあるわけではないでしょう。
  「湖」と書いて「うみ」と読ませるのは、俳句の世界ではごくありふれたことです。だからと言って、普通の文章を読むときに「湖」を「うみ」と呼んでいいはずがありません。俳人は特殊な言葉を使っているという認識くらいはあってもいいかと思うのです。

気になる俳句

夏草や兵共がゆめの跡 芭蕉

   有名過ぎる句を書くときは、なんとなく恥ずかしいね。

ぼんくら俳句

   夏草やマイクが響く河川敷
   夏草や腰から上の人が行く

           

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