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2017年8月31日 (木)

もう一度、空気の本について

今日の絵

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     入間川です

空気の本

  図書館から『「空気」と「世間」』鴻上尚史・著と『「空気」の構造』池田信夫・著を借りたことは、前に書きました。
  『空気と世間』は、読み終わり、『空気の構造』に取り掛かっています。
  『空気と世間』の方は、個人として、空気に流されないように、空気に押しつぶされないように、ともすれば差別や排他的になりる空気や世間に抗して生きていけるように、その方法を模索したようです。いじめで自殺に追い込まれることのないように、という願いも込められています。
  『空気の構造』は副題に「日本人はなぜきめられないのか」という副題がある。日本では実際に活動する現場が「こうしたい」ということを上司が認めるというような形で、ものごとは進んでいくらしい。
  思い当たるなあ。マンガでは殿様が「よきに計らえ」などと言いますよ。つまり、下のものが決めるんですな。明治に来た外人さんの手記を読んでいたら、出入りの植木屋に「この木をここに植えろ」と命じても植木屋は勝手に別のところに植える、腹を立てるのだが、冷静に考えると、植木屋の選んだ位置の方がいいのである。女中に何かを命じても、女中は勝手な判断で違うことをする。そしてその方が正しかったりする。
  西欧系の社会では主人は絶対で使われるものは、ただ言われたとおりにやればいいのである。日本では使用人でも自分の判断で事をおこなう。
  いつか、誰かの本で読んだと思う。日本の庶民は欧米の庶民より判断力などは優れている。しかし、トップの判断力ということでは、欧米の方が優れている。
  そうなんだろうな。みんなつながっている。普段のありふれた事態に対処するのであれは、現場にいるものの判断で事を処理する方がスムースに行く。しかし、例えば戦争などの時、現場がそれぞれ勝手に動いて中央の意思決定ができないとなれば、それはだめです。「討ちてし止まん」の空気だけではね。

気になる俳句

霧をゆき父子同紺の登山帽 能村登四郎

ぼんくら俳句

   一日の最後の汗と下山する
   大夕焼け背負って今日の下山かな

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