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2017年8月31日 (木)

もう一度、空気の本について

今日の絵

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     入間川です

空気の本

  図書館から『「空気」と「世間」』鴻上尚史・著と『「空気」の構造』池田信夫・著を借りたことは、前に書きました。
  『空気と世間』は、読み終わり、『空気の構造』に取り掛かっています。
  『空気と世間』の方は、個人として、空気に流されないように、空気に押しつぶされないように、ともすれば差別や排他的になりる空気や世間に抗して生きていけるように、その方法を模索したようです。いじめで自殺に追い込まれることのないように、という願いも込められています。
  『空気の構造』は副題に「日本人はなぜきめられないのか」という副題がある。日本では実際に活動する現場が「こうしたい」ということを上司が認めるというような形で、ものごとは進んでいくらしい。
  思い当たるなあ。マンガでは殿様が「よきに計らえ」などと言いますよ。つまり、下のものが決めるんですな。明治に来た外人さんの手記を読んでいたら、出入りの植木屋に「この木をここに植えろ」と命じても植木屋は勝手に別のところに植える、腹を立てるのだが、冷静に考えると、植木屋の選んだ位置の方がいいのである。女中に何かを命じても、女中は勝手な判断で違うことをする。そしてその方が正しかったりする。
  西欧系の社会では主人は絶対で使われるものは、ただ言われたとおりにやればいいのである。日本では使用人でも自分の判断で事をおこなう。
  いつか、誰かの本で読んだと思う。日本の庶民は欧米の庶民より判断力などは優れている。しかし、トップの判断力ということでは、欧米の方が優れている。
  そうなんだろうな。みんなつながっている。普段のありふれた事態に対処するのであれは、現場にいるものの判断で事を処理する方がスムースに行く。しかし、例えば戦争などの時、現場がそれぞれ勝手に動いて中央の意思決定ができないとなれば、それはだめです。「討ちてし止まん」の空気だけではね。

気になる俳句

霧をゆき父子同紺の登山帽 能村登四郎

ぼんくら俳句

   一日の最後の汗と下山する
   大夕焼け背負って今日の下山かな

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2017年8月30日 (水)

無題

今日の絵

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 新聞折り込み広告の写真から

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 石心会 狭山病院新病棟がほぼ完成しています。本部はこちらに移るんでしょうね。狭山市の基幹病院(というのかな)です。

狭山台胃腸科外科へ

  つい1回血圧の検査です。

気になる俳句

秋雨や線路の多き駅に着く 中村草田男

  季語は忘れたけれど「電線多き駅に着く」という俳句を作ったことがある。

ぼんくら俳句

   秋の雨もっこりと里山暗くなる
   いつの間に雨降り出して秋の川

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2017年8月29日 (火)

空気にこだわる

少し古い絵

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  中禅寺湖 描いたのは、2012年2月

空気にこだわる

  図書館に行く。これまで借りていた本を返し、新しく5冊借りる。返した本の中に『場の空気が読める人、読めない人』福田健・著(PHP新書)があって、これについては25日のブログに書いた。まあ、何ということもない本でしたね。空気などと言うものは、読みさえすれば良いというものではないのです。
  私は空気についてはこだわるところがある。今度借りた本の中に、空気に関するもの2冊。『空気と世間』鴻上尚史・著(講談社現代新書)と『空気の構造』池田信夫・著(白水社)。
  『空気と世間』のほうは、すでに半分ほど読みました。鴻上氏は「社会」と「世間」を別のものとして捉え、「世間」とは何らかの意味で自分の属している集団、関係のある集団と考えているようです。そして「空気」とは「世間」に近いもの、「世間」が揺らいだ時に支配的になるものと考えているみたい。私には無かった視点です。読みが浅いので間違っているかもしれないけれど。
  『空気の構造』の方は、まだ目次を見ただけだけれども、「日本軍の『失敗の本質』」などと言う章もあり、読むのが今から楽しみです。

銀行へ

  銀行から電話があり、数か月前の契約した貯蓄型生命保険(と言うのかな)をちゃんと理解されてているかどうか、説明したいこともあるので来てくれという。大口の顧客なら向うから来るんだろうけれどね、こっちは貧乏人だから、そうはいかない。要するに外国の国債で最初に振り込んだ金額が5%増えたら現金化できる。それが出来なければ、私が死んだときに遺産相続人が受け取るという生命保険です。ちゃんと理解されている、だって。当たり前だよ。呆けてはいるけれどさ。タオルをもらって帰りました。

川越へ

  朝描く絵のスケッチブックを買いに。まだあると思っていたのに、スケッチブック切れていたんだ。

気になる俳句

秋夕映の海より来たり鮃の死 森澄雄

ぼんくら俳句

   秋暑し猫虐待のニュースかな
   ビル街に秋夕焼けの影伸びる

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2017年8月28日 (月)

茄子の株・きゅうりの株も引っこ抜く

少し古い絵

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  描いたのは2012年1月 十和田湖と核の旅館の庭園内の流れで会う。台風の後なので、水量が多い。奥入瀬川の清流も、周りから泥が流れ込んで、清流とは言えなかった。
  その時の俳句「名瀑も泥の色です嵐あと」。銚子大滝などです。

苗を抜く

  精傷者作業所「みちくさ」の畑へ。ナス、キュウリ、インゲンの苗を抜く。いま収穫できるのはオクラと大葉(シソの葉)くらい。そのオクラも芽が出るときに猛暑で雨が降らず、やっと芽が出たら今度は雨ばかりで、満足に育たなかった。大して期待は出来ない。

その他

  午後、田中歯科。定期健診。
  社協へ。つばさ俳句会の教室使用料を払う。
  あとは買い物などですね。

気になる俳句

被爆の壁赤し蝉がら吹きすがる 多田裕計

ぼんくら俳句

   空蝉の木を抱く力強きかな

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2017年8月27日 (日)

根性ガマの油論

今日の絵

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  毎朝とは言えないが、一年で300日くらい絵を描いていると、描く種がなくなってくるんだよね。苦し紛れにこんな絵を描きました。絵を飾ってある壁ですね。

大和魂

  近頃は「大和魂」なんて言う人はいなくなりましたね。でも「根性」という人はいますね。昔の「大和魂」と同じ意味で使っているように思います。

  いつものことですが、今日も何か書こうというあてもなく、漫然とブログを開きました。さて、それからどうしよう。手元の手帳をぺらぺらとめくっていたら、「大和魂」「夏目漱石」なんて言葉が書いてありました。ああそうか、それを書こうというのが今日のブログ。

  先の戦争の指導者、東条英機は大和魂が好きでした。戦力の劣勢は大和魂で補う、というような考えの持ち主だったようです。圧倒的な戦力の差を精神力で対抗しようというのですから、冷静な理性を失っているとしか言えませんよね。
  少し話は変わるのですが、夏目漱石は最初の小説「吾輩は猫である」のなかで、大和魂についてシニカルな意見を言っています。苦沙弥先生が「○○に大和魂、○○にも大和魂、泥棒にも大和魂」てなことを言っています。例によって記憶で書いているのです。○○が何であったか覚えてはいません。ただ、泥棒にも大和魂といったことは確かです。とすると明治維新以後、ずっと、大和魂なんてことが言われていたんでしょうね。
  戦争中の標語、いろいろ思い出します。「討ちてしやまん」「一億一心火の玉だ」「八紘一宇」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」。いろいろあるねえ。そういえば「月月火水木金金」なんてのもあったよ。つまり、土曜、日曜は無いんだ。毎日お国に奉仕して働けということさ。
  圧倒的な戦力差に、大和魂では勝つことが出来なかったから、当然の結果、日本は負けました。
  それでもなお、庶民の間では、「日本は物量で負けたけれども、精神力では勝っていた」という人が多かったんです。ほとんど皆、忘れていますけどね。この場合、精神力とは何を指すかといえば「必勝の信念」というやつです。大人たちがそういうものだから、私も、精神力では日本が勝っていたのだと思っていました。
  その間違いに気づかせてくれたのが、数日前にこのブログでも書いた、南博・著『日本人の心理』(岩波新書)でした。理性を欠いた信念が、冷静な判断に勝っているわけがありませんよね。

  戦後はさすがにj大和魂という言葉を使うことは少なくなりましたが、根性論というのはときどき流行りますな。根性さえあれば何でもできるような理屈ですね。私はそのような現象を指して「根性ガマの油論」と名付けました。ガマの油というのは、皮膚に関することでは、何にでも効くんですよね。火傷、切り傷、湿疹など、あれに効いてこれに効かないということが無い、大変優れた薬です。

  こんな書き方をすると、私は、根性なんか必要ないと言っているようにとられがちですが、違いますよ。精神力が必要ないなんて言うつもりはないんです。精神力(根性)だけで何でも解決できるというような考えに反対しているだけです。

気になる俳句

秋風や書かねば言葉消えやすし 野見山朱鳥

ぼんくら俳句

   遠山は雲とまがいぬ秋の風
   入間川波きらきらと秋の風
   赤とんぼ釣り師の帽子に止まりけり


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2017年8月26日 (土)

良寛の歌

今日の絵

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  井の頭公園です・この絵なら、どこでもいいんだけれど

良寛の歌

  『良寛全歌集』谷川敏明著(春秋社)を読む。

  俳句で一茶、和歌では良寛というのが、私にとってはセットみたいなもので、ともに子供などに優しかったという印象。
  二人の生き方は本当はずいぶん違うけどね。一茶は俗臭ふんぷん。その中での悟り・・・悟りまで行っているかどうか。良寛は超俗・・・少なくとも超俗を目指した人。そんな違いがあるけれども、二人とも弱い者に対する思いやりを持っていたところが、共通しているように思う・・・これもちょっと違うかな。一茶は思いやり、共感。良寛は同じ目線、同じ仲間という感じ。

子供を詠む

  私の印象では、良寛には子供と遊ぶような歌が多かったような気がするが、全歌集を読んでみるとそれほどでもいないですね。

   子供らと手毬つきつつ霞立つ永き春日を暮らしつるかも

   子供らとはじきをしつつ長月のとふかあまりの夜を明かしけり

     はじき・・おはじき 長月・・旧暦9月 とふか・・10日

  その他いくつかありますけどね。省略。

次は酒の歌

   うま酒に肴持て来よいつもいつも草に庵に宿は貸さまし
     これは有名ですね

   漢詩を作れつくれと君は言へど御酒し飲まねば出来ずぞありける
     漢詩・・カラウタ 御酒・・ミキ

   大御酒三杯五杯たべ酔ひぬ酔ひての後は又出来ずけり

  この辺で止めておきましょう。

辞世の歌

   うちつけに飯断つとにはあらねどもかつ休らひて時をし待たむ

  ことさらに断食するというのではないけれど、安らかにして、その時を待ちましょう、といった意味ですね。

  晩年に交流のあった貞心尼の歌

   かひなしと薬も飲まず飯も断ちてみずから雪の消ゆるをや待つ

年譜によれば

  1831年 良寛没 停年74歳
  1872年(明治5年) 貞心尼没 停年75歳

気になる俳句

葛咲くやいたるところに切通 下村槐太

ぼんくら俳句

   釣り人は男ばかりで葛の花
   トランペット秋夕焼けの野に響く 

  


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2017年8月25日 (金)

空気を読む・忖度の論理

今日の絵

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  井の頭公園

  今日、水彩画の会。そこで描いた絵です。この絵を見てYさん、「井の頭公園みたいだね」。「へーえこれでで分かるんだ」。「子どものころ近くに住んでいたからね、井の頭公園で遊んでいたんだ。この絵で、どこだか、だいたい分かるよ」。

空気を読む

  前にも書いたかもしれない。私は図書館から5冊くらい本を借り、2週間以内にそれを読んで、返しに行ってまた5冊借りる。4週間で10冊読むみたいだけれど、そうではないよ。
  5冊借りたうち1冊くらいは、難しくて途中でやめる。あと1冊か2冊、つまらなくてこれも途中でやめてしまう。
  中には、読む前に、読む気をなくす本もある。例えば前回借りた
『集団になるとなんで人間は怠けるのか』だったかなあ、、もうはっきりした書名も思い出せない。著者も忘れた。これから読もうと思ってぱらぱらとページをめくっていたら、「難関の最高学府を出た人は、努力をした人だから頑張る人たちである。学歴の低い人は努力をしない人だから怠ける」みたいな意味のことを書いてあった。あほらしい。私は義務教育終了程度の蛙である。ばかばかしくて読む気がしなくなった。
  
  まあ、そんなこんなで、1月に読む本は4冊から6冊くらいです。義務教育終了程度であり、わずかばかりの年金で、ただ余生を送っている80歳のじじいが、そんなに本を読む必要なんてないんだよね。何だろうねこれは。単なる活字中毒かもしれない。

  ところで問題は「空気を読む」でした。

  今回、図書館から借りた本に『場の空気が読める人、読めない人』福田健著、PHP新書、があります。ハウツーものですね。どうしたら場の空気を読めるようになれるかという話ばかりで、空気を読みすぎる危険については何も書かれていない。そんなことは全然考えていないのでしょうね。
  近頃、忖度などと言う言葉が話題になりましたが、、私が忖度の論理などという言葉に初めて出会ったのは、戦後まもなく(60年くらい前)社会心理学者南博の著書『日本人の心理』(岩波新書)だったと思います。
  忖度というのは、空気を読むことなんですよね。空気を読んで「おもねる」ということです。山本七平だったかな、先の戦争も空気で決まったと言います。日本では重大なことは空気で決まると言います。
  安倍総理は加計学園について、「私は何の指示もしていない」という意味の言葉を繰り返しています。おそらくその通りでしょう。ただ、空気を作ればいいのです。空気ですから、誰にも責任なんかありません。総理の意向を感じさせればいいので、周りは勝手に忖度して、総理の意思に沿った決定をするわけです。

  空気を読むことが、無条件に良いわけではないのです。私は外国のことは本当は分からないのですが、日本人は繊細で他人の気持ちを推察する能力が高いと思います。大変優れた能力だと思いますが、権力者に対しては忖度の論理に陥りやすい欠点もあります。空気なんて、読めればそれでいい、というものではないのです。

気になる俳句

汗のシャツぬげばあらたな夕空あり 宮津昭彦

ぼんくら俳句

   絵筆とる汗吹きながら通い来て

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2017年8月24日 (木)

粛々と惚けは進んでドジ話

今日の絵

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  彩残り公園の噴水、その2

惚けは進むよどこまでも

  今日はボラグループの定例日でした。そんなことは忘れていたので、会長から呼び出しの電話。慌てて自転車で、社協会館に駆けつけ、会場のドアを開けたら、あれ?社協の職員が会議をしている。
  そうか! 例年夏は納涼会をやっている。確か今年はやらないような話だったけれど、やっぱりやるのか。それにしては場所を聞いていない。ひとまず家に帰って誰かのケータイに電話しようと思った。けれども誰のメールアドレスも無いんだねえ。普段からケータイをあんまり扱わないからだ。
  また電話あり。会場は何処だと聞いたら、社協だという。「いったけれどやってなかったじゃない」、「やってたよ」。どうやら私は部屋を間違えてあけ、そうか納涼会だったのか。と勝手に判断したらしい。

午後、1丁目暇人クラブで麻雀、碁、将棋。

気になる俳句

秋あつし鏡の奥にある素顔 桂 信子

ぼんくら俳句

   ずっこけるドジを重ねて残暑かな

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2017年8月23日 (水)

井の頭公園

今日の絵

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  彩の森公園の噴水

  久しぶりに井の頭公園へ。

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  この鳥は「鵜」でしょうかね。

気になる俳句

みんみんの声の円盤廻り出す 有働 亨

ぼんくら俳句

   緑蔭をゆけばみんみん限りなし
   ひと葉散りまたひと葉散るさくらかな
   遠つ国の女がボート漕いでおり  




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2017年8月22日 (火)

やっと真夏日

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  新聞の写真から 何をしてるんっですかね

  昨日今日、やっと真夏日になりました。俳句の方では、とうに秋です。

気になる俳句

忙しさをたのしむ母や夏休み 阿部みどり女

ぼんくら俳句

   やっと真夏日夏休み終わりそう

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2017年8月21日 (月)

眼鏡を掛けずに眼鏡を描く

今日の絵

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  現在愛用している眼鏡です。眼鏡を、眼鏡なしで描いてみようなんて、変なことを思いつき、描いてみました。
  ほかの眼鏡がないわけではないのに、無理して裸眼で描いたから、こんな絵だって苦労しました。老眼で、白内障も進んでいますからね。

「みちくさ」の畑

  精傷者作業所「ショップみちくさ」の畑へ。収穫はナスとオクラとインゲン。ほんの少しづつ。今年は雨の欲しい時に雨は降らず、日光が欲しい時には雨ばかり。畑にとってはさんざんだよ。

気になる俳句

凧きのふの空のありどころ 蕪村

  「凧」は「イカノボリ」と読んでね。「タコ」のことです。漢字の使い方、かなの使い方、違うかもしれません。あやふやな記憶で書いています。インターネットで調べればすぐ分かるのだろうけれども、改めて調べようなどと言う気はないのです。

  ネット上に流れる情報なんてものは、私程度の人間が、いい加減な気持ちで流している場合も多いのです。無暗に信じてはいけません。私の書くものもね・・・ハハ。

ぼんくら俳句

   噴水の昨日と同じ高さまで
     やっぱり蕪村の句の方がいいなあ。
   噴水へ母が手を引き近づける
   せせらぎへ子が手を引いて近づける
   ミンミンや母が仕掛けて子も走る



 

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2017年8月20日 (日)

季語について

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 荒川上流(秩父) 

俳句の季語

  素人の暴論です。
  俳句の季語なんてものは、変なものだと私は思っています。例えば「西瓜」や「朝顔」は秋の季語です。スイカが秋ですかねえ。秋のスイカなんて間が抜けているよ。
  「海の家」は季語ではないらしいけれど、「山の家」は季語の扱いを受けているみたい。何だかこういうのよく分からないんだ。
  「甘酒」いまだに夏の季語です。確かにね、私の子供のころは、海水浴場などで「甘酒」を打っていましたよ。今のような清涼飲料水のない時代ですね。でもね、今の俳人以外の人にとっては、甘酒と言ったら冬でしょう。

  私は65歳で俳句を始めて今は80歳。15年やっているわけですなあ。それでも、いまだに俳句を、外から眺める気分が抜けません。

  俳人は難しい言葉を使うのが好きですねえ。「おじゃくし」は「かと」。私のパソコンでは「かと」の漢字が出て来ないや。「水たまり」が「にわたずみ」。「ひつじ」というのはどういうことかと思ったら、稲刈りをした後の稲の株から生える「ひこばえ」の事だってさ。「櫓」という字の木へんを禾へんにして「ひつじ」と読むのです。「羊」のことじゃないんだよ。そんな言葉、広辞苑には出ていません。そんな字、私の漢和辞典にも出ていません。
  まあいいや。俳句の世界の約束事だからね。作る立場としてはそれを受け入れましょう。でもね、それを俳句関係者以外にも押し付けるのはどうでしょうかね。たとえば、「霧」は秋、「もや」は春ということに俳句の世界ではなっています。だからと言って、一般の人が、春に「霧」といったからと言って、それを間違いだと決めつけるのは、どうでしょうかね。気象用語として、春には使わないなどと言う決まりがあるわけではないでしょう。
  「湖」と書いて「うみ」と読ませるのは、俳句の世界ではごくありふれたことです。だからと言って、普通の文章を読むときに「湖」を「うみ」と呼んでいいはずがありません。俳人は特殊な言葉を使っているという認識くらいはあってもいいかと思うのです。

気になる俳句

夏草や兵共がゆめの跡 芭蕉

   有名過ぎる句を書くときは、なんとなく恥ずかしいね。

ぼんくら俳句

   夏草やマイクが響く河川敷
   夏草や腰から上の人が行く

           

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2017年8月19日 (土)

能登の絵

少し古い絵

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  昨日に引き続き能登半島の海。2012年2月

  その日は埼玉から観光バスで行ったのですが、山脈を越えて横断したせいか、まことの変わりやすい天気でした。晴れ、曇り、雨、小雪、あられ、強風もあったしね。無かったのは雹くらい。その日こんな俳句を作りました。

   変わりやすき天気の果ての夜の月

囲碁の会

  今日やったことといえば、囲碁の会に行ったことくらいかな。午後は雷雨になるかもしれないというから、傘を持って出かけたが、帰りはカンカン照りで、雨傘を日傘にして帰りました。、その後、空模様は変わりましたがね。

気になる俳句

立葵咲き終りたる高さかな 高野素十

ぼんくら俳句

   碁を打ちに行けば高みに立葵

  我が家の近くに貸し農園がある。それは坂の途中にあって我が家からは登りになる。そのい道端に毎年たちあおいが植えられる。立葵の花は下から咲き出して、天辺まで上り詰めて終わるんですね。

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2017年8月18日 (金)

何事もない

少し古い絵

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  能登の海 2012年2月

  もう呆けていますからね、毎日何かを書くなんて、大変なことです。例えば新聞やテレビのニュースに感想を書くくらいなら、毎日でもできますよ。そればかりじゃしょうがないからねえ。とすると、書くことが無くなっちゃうんだ。
  ボランテイァグループとか趣味のグループに属していると、政治と宗教の話はタブーみたいに思えてくる。それでも自分の考えはあるのです。もう、言いましょう。安倍晋三首相、大嫌い。創価学会、公明党も嫌ですね。そんなに政権の側に居たいのですか。野党になる勇気無いんだね。

  今日の行動を言えば、図書館へ行って、5冊返して6冊借りたこと。昼飯を作るのが億劫で、近くの食堂へ行ったこと。スーパーで日常の買いを物したことくらいですね、
  その他では、数独をやって、本を読んで、パソコンで碁を打って、寝転がって鼻毛を抜いて、くらいのものです。

  ここまで書いても,今日載せるぼんくら俳句が浮かばない。

気になる俳句

冷凍酒旅にしあれば妻ものむ 森川暁水

ぼんくら俳句

   生も死も日常茶飯事冷し酒

  80歳にもなると、死なんてことを、いつも身近に考えるんだよ。だから無理やり作れば、こんな俳句になる。

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2017年8月17日 (木)

何のも無いんだよなあ

少し古い絵

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 埼玉牧場の庭にある布袋様

気になる俳句

唖蝉も鳴く蝉ほどはゐるならむ 西東三鬼

ぼんくら俳句

   鉢植えの朝顔ならぶ裏通り
   境内の落蝉みな腹を見せ

  私の歳時記には「落蝉」という季語はありません。でも大きな歳時記にはあるに違いないと思っています。もしなかったとしても歳時記に無いからと言って季語ではないという考えは、私は採りません。それでは、広辞苑に無いから言葉じゃないというのと同じです。俳人には総スカンを食うと思いますけどね。

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2017年8月16日 (水)

とにかく歩きましょう

今日の絵

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  石神井公園です

少し古い絵

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  埼玉県内の湧水池ですが、ボケているから名前が出て来ません。

  パソコンのインクを買う、日常の買い物をする、サンパーク奥富で入浴した。書くとすれば、今日は以上のことしかしていません。欠伸したとか、飯を食ったとか、トイレに入ったとかは別ですよ。今日1日、生きていくために必要なこと以外を言っているのです。
  それぞれ、別々に歩きましたから、全部で1万歩以上にはなっているでしょうね。大きな傘をさしながらだから、結構な労働量にはなっていると思います。
  サンパーク奥富で入浴しても、館内でビールを飲むというわけにはいかないのです。それが不満ですけれど、たまにはしょうがないか。

気になる俳句

もの置けばそこに生まれぬ秋の陰 高浜虚子

  たまには虚子の句も載せなくちゃね。

ぼんくら俳句

   朝の雨出穂期の匂い消して降る

  「出穂期」は「シュッスイキ」と読んでね。



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2017年8月15日 (火)

忘れてはならないことが忘れられて行く

今日の絵

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 入間川河川敷。土手の上には川越狭山自転車道がある。

少し古い絵

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 はっきりしない絵だね。40年くらい前の次女の小学校時代の写真から。描いたのは2012年1月。

気になる俳句

人の如く鶏頭立りに三本 前田普羅

  正岡子規だと”系統の十四五本もありぬべし”となるんだけどね。

ぼんくら俳句

   空襲の記憶の中に葉鶏頭

  今日、敗戦記念日。戦争のことは忘れられていく。どんなに語り継ごうとしても、結局は忘れられる。そもそも、戦争の意悲惨さを安倍総理が理解しているとは思えない。




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2017年8月14日 (月)

東京地酒祭り

少し古い絵

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新聞折り込み広告写真から 2012年1月

草むしり

  先日むしり残した「みちくさ」の畑の草むしり。5時半から7時まで。まだ筋肉痛はある。おまけに、今日は先日とは違って、下着にしみてくるほどの霧雨が降っている。山用のレインコートを上だけ羽織って出かける。
  精傷者作業所「みちくさ」は、11日から20日まで夏休み。だから、わずかの野菜は私が収穫し、持ち帰りました。

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  ニラ、ナス、ミニトマト、シソの葉、インゲン、オクラなどです。

東京地酒祭り

  石神井公園に行ったら「東京地酒祭り」なんて言うのをやっていました。今週いっぱい、というか20日の日曜日までやるんだって。毎年やっているんだとか。それにしては、お客は閑散としたものだ。

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気になる俳句

蚊を打って頬やはらかく癒えしかな 石田波郷

ぼんくら俳句

   木のベンチ休めば腕を蚊が刺すよ
   雨あとのときどき木の実落ちる音








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2017年8月13日 (日)

入間の湯

今日の絵

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  智光山公園です

少し古い絵

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 新聞の折り込み広告から 2012年1月

  一昨日の草むしりの後遺症、足腰がまだ痛い。しかし明日5時起きして、「みちくさ」の畑へ行くつもり。残り僅かの草も毟っておかなければ。11日から来週いっぱい「みちくさ」は夏休み。それでも野菜類は育っちゃうからね。ナスとオクラは採らなくてはしょうがない。それは我が家でいただきましょう。

  自転車で入間の湯へ。かなり遠くて小1時間かかる。脚は痛いけれど、じっとしているのは嫌なので、久しぶりに行きました。やっぱり風呂は良いね。ここは入浴料が430円と安いんだ。アルコールは別に安くはないけれどね。

気になる俳句

へうへうとして水を味ふ 種田山頭火

  たまには、無季自由律も良いでしょう。無季といっても「水」で夏の感じはするね。

ぼんくら俳句

   大飛球夏草球を隠しけり

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2017年8月12日 (土)

蝉時雨

今日の絵

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  昨日のラフスケッチから描いた絵です。

少し古い絵

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 新聞の広告写真から。2012年1月

盆の読経

  徳正寺からの僧侶来る。妻の位牌に読経。南無阿弥陀仏。

足腰が痛い

  昨日の早朝の草むしりで、足腰が痛い。筋肉痛です。私には瞬発力はないし、強力な筋力もない。ただ、持久力だけは自信があったんです。昨日も草むしり1割くらい残しましたが、指の絆創膏が剥がれなければ、全部やってしまうぐらいの元気はあったのです。でも、痛いやあ、足腰が。私も柔になったなあ。

  洗濯をして、掃除をして、徳正寺の僧侶を迎えて、買い物に行って、自転車で智光,山公園に行きました。足腰痛いのにねえ、じっとしていられないんだ。貧乏性というのかなあ。でもね、若い時は結構家でごろごろしていたんですよ。

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気になる俳句

四方の蝉こゑ新たなり驟雨去る 沢田弦四朗

ぼんくら俳句

   蝉時雨青柿一つ落ちている
   みんみんのひときわ高き蝉時雨
   蝉時雨捕虫網の子何狙う
   蝉時雨なかで寂しき法師蝉
   緑陰に捕虫網跨ぐ子魔女ならむ
   輪になってバレーボールや法師蝉
   自転車で帰宅するみち法師蝉
 


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2017年8月11日 (金)

草むしり

少し古い絵

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 2012年1月 新聞折込み広告写真から

草むしり

  昨日。「みちくさ」の畑の草むしりをしなくては、と書いたのだけれど、さっそく今日、やりました。
  5時起床。寝床もそのままに、寝巻を作業着に着かえ「みちくさ」の畑へ。
  雑草のなんという勢いでしょうねえ。一回は畑全体の草を取ったつもりなのに、どれが野菜で、どれが草なのか、訳の分からないほど草が生えている。
  霧雨・・・雨というほどではないのですが、霧だけとも言い切れない、雨とも霧とも言えないくらいのものが、降っている。1,2時間その中にいても、シャツの内側まで浸みることのないほどの、雨というか霧というか、という程度のものが降っていました。ぱらぱらとか、しとしととか、いうのは言い過ぎで、もっと微細です。
  ま、そんな中で草を毟りました。7時半くらいまで頑張りました。毟るのはあと1割くらい思ったところで、左手人差し指に巻いていた絆創膏が剥がれました。あと少しなんです。まさかそんなことも無いだろうけれども、泥と小さな傷で、破傷風の心配もあるので、草むしり、ほんの少し残して引き上げることに。7時半でした。

  帰って、シャワーを浴びて、いやー、疲れてましたねえ。もう何もする気が起きない。朝食を作る元気もない。
  我がマンションの目の前のコンビニに行って、弁当と,おかずと、みそ汁を買って、取りあえず朝食。

  その後も、ゴロゴロしながら本など読んでぢたけれど、なるべく毎日描くようにしている絵にする写真が無いんだよねえ。私は新聞の広告写真などを見て人物を描くことはあるけれど、風景画などは、必ず自分の撮った写真から描くことにしている。その写真のストックがないんだ。

  疲れた体に鞭打って、入間川の河川敷きまで自転車で出かけました。さて、この辺りで写真を撮りましょうと思ったら、なんと、カメラもケータイも忘れているのです。近頃こんなことが多いんだ。惚けだよ。そのくせアルコールは忘れてないのです。

  手帳に鉛筆のラフスケッチ3枚。この内の幾つかは絶対絵にするぞ。できれば3枚とも。

気になる俳句

赤とんぼみな母さがすごとくゆく 細谷源二

ぼんくら俳句

   土手の上じじばば通る酔芙蓉
   犬5匹人は3人酔芙蓉
   酔芙蓉兄は自転車の前走る
   じ・じ・じ・と蝉ゴーギャ!ゴーギャ!と救急車
   月見草川の瀬音を聴いている
   雨のあと今日は赤とんぼの空である
   赤とんぼ明日は何処へ行くんだい
   老人に見え隠れする赤とんぼ

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2017年8月10日 (木)

暇人クラブ「日溜まり」

少し古い絵

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 新聞の折り込み広告の写真から 2012年1月

午後 暇人クラブ「日溜まり」へ。

  ほかに書くことも無いんだ、今日は。雑談と麻雀。

気になる俳句

草刈りの刈すすむうち蓬の香 溝口青男

ぼんくら俳句

   草むしり名もない草は無かりけり

  「みちくさ」の畑の草を、毟らなければいけないと思っています。メンバーさんの拘束時間は、10時から3時まで、くそ暑い日が多いので、さあ草を毟りに行きましょう、とは言えない。「みちくさ」は明日から来週いっぱい夏休み。そのあいだに1日、5時起きして草毟りに行かなくてはなあ。

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2017年8月 9日 (水)

ダラーとしてます

8月9日

今日の絵

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  ショップみちくさのスタッフ某氏 実物より顔が長いや。

  暑いねえ、何もやる気が起きないよ。今日の外出は、日常の買い物でベルク、ほかに狭山台図書館。5冊返して5冊借りる。
  どんな本を借りたか、ここに書いてみましょうか。
   西村和子著「季語で読む枕草子」飯塚書店。
   釘原直樹著「人間はなぜ集団になると怠けるのか」中公新書。
   小原嘉明著「入門!進化生物学」中公新書。
   松田道生著「カラスはなぜ東京が好きなのか」平凡社。
   中村伸郎著「永くもがなの酒びたり」早川書房。
  西村和子は俳人。釘原直樹は心理学者。小原嘉明は動物行動学。松田道生は野鳥研究家。中村伸郎は俳優。
  私は専門がないから、なんでも広く浅くです。「進化生物学」の入門書は今日返した本のなかにもある。2冊にどんな違いがあるのかという興味で借りた。中村伸郎の本は、気楽に読める随筆だと思う。「季語で読む枕草子」はもう半分以上読みました。暇だったからね。

気になる俳句

夏草に汽カン車の車輪来て止まる 山口誓子

  「カン」の字、出すことが出来せません。有名すぎるほどの句ですね。

ぼんくら俳句

山鳩や夏草攻め入る切り通し

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2017年8月 8日 (火)

川越散歩

今日の絵

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  西武線の沿線風景ですなあ

  歳のわりに忙しがっているけれど、本当は近頃、暇が多い。今日も暇でね、どこかに出かけたくなった。本を読むのもいいけれど(80歳の今でも、小説以外の本を月に5-6冊は読むよ)、やはり歳だから長時間読んでもいられない。目が疲れるし、根気も続かない。そこで川越の出かけました。
  川越といったって、特に何が見たいということもない。近いので時々行っているからね。まあ、何となく散歩ですな。で、つい町中の温泉「湯遊ランド」に入っちゃいました。本当はこういうところに入ると金がかかるから、入りたくはないんですよね。でも、誘惑に弱いのはぼんくら蛙いの特徴です。入ってしまうと、風呂なんぞはほどほどにして、飲みたくなるわけですなあ。何しろ、誘惑に弱いのです。

気になる俳句

かくれ住むとて秋蝉の町の上 中村汀女

ぼんくら俳句

   かなかなの声降りてくる蔵の街

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2017年8月 7日 (月)

茄子の収穫

今日の絵

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  新宿御苑の温室で


みちくさの畑

  精傷者作業所「みちくさ」の畑へ。収穫はナス、キュウリ、ミニトマト、インゲン、オオバ、そして今日からオクラ。ナスだけは店で売るくらい獲れたけれど、あとはメンバーさんの昼食の時に食べてもらう程度です。

気になる俳句

山百合を捧げて泳ぎ来る子あり 富安風生

ぼんくら俳句

   山中の屋根も埋もれるしげりかな
   川遊びの子ら電車トンネルへ
   鬼百合や曲折多き山の径
   日照り雨台風接近中と云う
   ハタハタと傘を鳴らして台風来

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2017年8月 6日 (日)

難聴と認知症

今日の絵

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  狭山市駅西口、居酒屋「和」のママとマスター。本当は今日描いた絵ではないのですが、誰を描いてどうだとか、はっきり分かるような絵
の場合は、当人の許可を受けなければね。

難聴と認知症

  私は軽い難聴になった。我々が得る情報は視覚によるものが圧倒的に多いと思っていた。しかし難聴になってみると、耳からの情報も案外多かったのだ思う。新聞やマスコミに取り上げられない身近な情報は、耳からのものが多い。そういう情報が得難くなるということ、話題に入っていけなくなるということ、これは、認知症に近づくということではないだろうか。
  私の場合、1対1で対話することは、聞き返すことはあっても、さほど不便を感じない。しかし、例えば会議だとか、複数の人が話し合うような場では、聞き取るのに私は難渋し、何が何だか分からなくなってくる。
  難聴になって初めて気がついたのだが、我々は他人の話を聞くときに、想像力を相当に働かせているということである。聞き取れない言葉があっても、想像力を働かせて、こんなことを言ったのであろうと想像することができる。
  しかしこれが、複数の人の発言があって、そのすべてを想像力で補うとなると、もう、お手上げです。あっちも、こっちもで、何が何だか分からなくなります。
  会議が苦手な所以、私のようなおしゃべりが無口になってしまう理由です。
  これを私は「老人性寡黙」と名付けました。周囲と生き生きとした会話をできず、コミニケーションが減るわけで、認知症に近づくことになるのでしょうね。

気になる俳句

颱風の心を支ふべき灯を点ず 加藤楸邨

ぼんくら俳句

   のろのろと台風遅し遠花火

  季重なりです。許されよ。

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2017年8月 5日 (土)

狭山市の七夕当日

今日の絵

   実はあるのですが、明日に回します。

七夕

  今日と明日、狭山市の七夕。車をシャットアウトして矢来を揚げたりするのは11時を過ぎてから。その手伝い、その用意のため、午前10時集合。11時過ぎ矢来を揚げる。

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  民生委員制度が出来て100年だなんて、しらなかったよ。戦後っ出来たものだと思っていたからね。大正デモクラシーのころだったの意か。この矢来の裏が、私の描いた絵などがありますが、紹介するほどのものではありません。

  その後、私は焼き鳥の手伝い、などをして家に帰ったのはほぼ7時。

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  その後、風呂を沸かして入り、晩飯を作って酒など飲みながら過ごせば、もう11時だ。今日はもうおしまいだ。ブログは書いていますけどね。

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   矢来を全部見たわけではないけれど、私の最もお気に入りの絵はこれ。中央中の七夕飾りです。

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駅前からの写真。この道に直角にクロスする道があって、それがメインの七夕通り。

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七夕通りはこんな状態。田舎の祭りなのに身動きができないほどだ。

気になる俳句

七夕や髪濡れしまま人に逢ふ 橋本多佳子

ぼんくら俳句

   エレベーター七夕見てきたとその子言う

   







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2017年8月 4日 (金)

七夕準備

今日の絵

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  新聞の写真から。
  場所は北八ヶ岳。森林は苔におおわれて湿潤です。「瞑想の森」というのが、この地を訪れたときの私の感想です。人物は吉永小百合さん。似せようと思って一生懸命描いたのですが、あまり似てなくて、大きな顔の小百合さんができてしまいました。小百合さんは、私のアイドルなんです。ごめんなさいね、もっと美人に描くべきなのに。顔はもっと小さいよね。

七夕準備

  狭山市の七夕は明日から。今日はその準備で社協へ行きました。

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狭山市駅近くでは、こんな光景も

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  かっては関東の3大七夕といわれた入間川の七夕も、個人商店には勢いがなく、いろいろな団体が七夕飾りを作って、何とか面目を保っているという感じ。

  なぜかわからないが、ほかの画像を入れようと思ってもどうしても入らない。、なので今日はこれでお終い。

気になる俳句

身に貯へん全山の蝉の声 西東三鬼

ぼんくら俳句

   耳鳴りか蝉か、真昼の家を出る

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2017年8月 3日 (木)

何にも浮かびません

今日の絵

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  石とベンチ 智光山公園です。

狭山台1丁目。暇人クラブ、「日溜まり」へ。

  私は頭が完全に休業状態。「日溜まり」は9割がマージャン。私は碁の方がっ好きですが、初めと終わりはマージャン、合間に碁。碁の成績は、強い人にも弱い人にも、負けたり、負けたり、負けたりです。

俳句

  何も浮かびません。いい加減でも何でも、575になって季語が入ればいいや気持ちで無理やり作ってきたのに、今日はその、無理やりがダメです。

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2017年8月 2日 (水)

降ったり止んだり

今日の絵

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  新宿御苑は外人ばかり。日本人なんて少数派だ。

気になる俳句

散れば咲き散れば咲きして百日紅 千代女

ぼんくら俳句

   サルスベリ出るたび雨に降られけり

  サルスベリが出るのではないよ。私が出るのだよ…念のため。

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2017年8月 1日 (火)

奇遇と言うべきか

今日の絵

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     奥武蔵の風景

奇遇

  今日はやるべきことが何もない。新宿御苑にでも行こうかと思った。で、バスで狭山市駅へ行くとТさんに会った。「やあ」と言うことで駅のホームで話が弾む。
  Тさんは一時、私の属する水彩画の会に居た人である。全国万年青(おもと)の会の会長になって、そちらが忙しいということで、水彩画の会を辞めた。
  「万年青」で「おもと」と読ませるのも無理だよねえ。万年青の実生(ミショウ・植栽でなく種から育てること)で新しい品種を作ろうという会があって、Тさんはその会長です。
  狭山市駅のホームで話し始めて、目の前に来た電車に乗って、私は新宿、彼は山手線に乗り換えて大井町へ、と言うことで電車の中でも、話は尽きない。彼が作っている機関紙、(なかなか立派)の説明を受けたりしながらすごす。展示会の写真では東京都知事賞とかいうものもあり、なかなか大変です。秋篠宮も、お見えになったことがあるとか。
  気がついたら、国分寺行きの電車にのっていました。私もおっよこちょいだけれど、彼も同じですね。国分寺から新宿まで、また一緒です。電車の中で読もうと思っていた本もあったのですが、1ページも読まずにおわりました。
  ここまでは、おやおやそんなこともありましたか、と言うことですが、帰りも電車でまた会っちゃたんですよ。どうなってるの? 街で会うことだってごく稀だったんです。それが乗り物で行きも帰りもなんてねえ。
  これを奇遇と言うんでしょうか。奇遇と言うのは私の意識のなかでは、何か良い結果をもたらすような場合に言うような気がします。
  でも、そんなこと何もないよ。万年青なんて、私は全く興味ないしね。ただ話を聞くだけです。それでもオランダのチューリップのようなことが(チューリップの球根が高値で取引されるようになり、バブルが崩壊するようにある日を境にそれが崩壊する)万年青にもあったのだということを知りました。

  新宿御苑の写真など、ブログに載せるものがあれば、明日載せます。

気になる俳句

油蝉ねじゆるみきて鳴きやみぬ 鈴木青園

ぼんくら俳句

   人を待ち蝉を聴きおるベンチかな
   ミンミンやベンチで飯食う独り者
   だみ声のカラス緑陰に鳴き交わす

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