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2016年9月22日 (木)

特攻隊員の残した言葉

今日の絵

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   新宿御苑です

特攻隊員の残した言葉

  昨日、書きそこなったものです。

  池内 紀著『きまぐれ歴史散歩』(中公新書)を読んだ。鹿児島県知覧を訪ねている。今やもう知っている人も少ないだろうけれど、特攻隊の基地があったところである。
  その本の中に、他の著書からだけれども、、特攻隊員の残した言葉として、次の二つが引用されている。

まず一つめ

  あんまり緑が美しい
  今日これから
  死にに行く事すら
  忘れてしまいそうだ

もう一つ

  真青な空
  ぼかんと浮かぶ雲
  六月の知覧は
  もうセミの声がして
  夏を思わせる

  著者、池内 紀は「出撃していった青年たちには、ほとんど死の意識はなかったのではなかろうか」と書いている。それはどうかな? 末期の眼で見るとき、風景は特に美しく見えるというではないか。
  私は学徒動員の手記とか特攻隊員の手記などいくつか読んだことはあるが、健忘症ですからね、何も覚えていない。それらの本も遠うの昔にどこかへやってしまった。

  琴造りの現役だったころ、ラジオを聴きながら仕事をしていた。視聴者の投稿を紹介する番組などもあって、、ある時、次のような投稿が取り上げられた。
 「私の姉は、妹の私から見ても美人でした。我が家の裏庭には竹藪があって、その裏にはグランドがありました。グランドには兵舎があって、兵隊さんがいました。噂では、特攻隊の人たちだということでした。姉と私は時々裏庭に出て、その兵隊さんたちと話をすることもありました。親しくなった兵隊さんが、いつの間にかいなくなったりするのでした。
 やがて戦争が終わり、兵舎には誰もいなくなりました。姉は嫁ぎ、私は久しぶりに裏庭に出てみました。すると、竹に小刀で彫り付けたような文字らしいものが見えました。それは
 《○○コ(姉の名)サマ アスタチマス スキデシタコトヲ イヘズニタチマス》と判読できました。」

  随筆を書いていたころ、私が主として発表していた雑誌の紙面に、従兄が特攻隊員だったという人の手記が掲載されました。その従兄の短歌、

    音もなく我より去りしものなれど
    書いて偲びぬ明日という字を

気になる俳句

八月十五日あのとき御昼食べたっけ 桑原三郎

  敗戦日を詠んでも,こんなとぼけた句もある。私の先生すじの句です。

ぼんくら俳句

   あえぎつつ我ら歩けり敗戦日

      旧作です。今日は出来ませんでした。




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