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2016年6月 8日 (水)

車座って何だ?

今日の絵

Img194
   毎日新聞の今朝の写真から

よかった!

  北海道で置き去りにされた小学生が無事に発見されたというニュース。ストーカーに刺傷された女子大生の意識が戻ったというニュース。とりあえずよかった。心の傷や体の傷の残るとは思うが…。

こぶし福祉会「かすみ川食堂」へ。

  包丁研ぎ。本当は昨日行くはずだったが、病院通いで遅くなり、行けなかった。なにしろ3時までだからね。ついでに、リバー
サイドから I さんに送付する物があるというので、私が I さんに送るはずだった原稿も、一緒に送ってもらう。実は I さんの住所を書いた手帳、探したが見つからなかった。近頃探し物が多いんだ。呆けの証拠だよ。

車座について

  大岡信の『詩をよむ鍵』を読んでいる。その中に「車座社会に生きる日本人」という章がある。
  大岡信の乗った国際線の飛行機の中で、旅慣れた感じの男女7-8人の日本人が、前の席の人の背もたれを倒して、車座になりトランプかないかをやっていたというのである。そこから大岡信は、日本人は何かというと車座になりたがること、車座の中は和気あいあいで何事も許しあうが、車座の外の人間には全く無関心っであるなどと論を進める。なるほどそうですね。
  日本人の作るグループの閉鎖性と排他性、俳句や短歌の結社の状態。その閉鎖性を超えようとする動きなどに論は進むのだが、私は他のことが気になった。
  この章を読みだして私がすぐ思ったのは、江戸時代の百姓一揆である。一揆の参加者の名前を書くとき大きな紙の中央に円を書き、それを囲むように名前を書いたものがあったという。誰が中心か、誰が指導者かわからなくするためである。
  宴会などのとき、今は知らないが私などの若いころは、「今日は無礼講で行こう」などと言われたものである。地位の上下などに関係なく、自由に楽しくやりましょうということだ。これも車座でしょう。実際には、どこまで地位を気にしなくてよかったかは、疑問ですけれどね。
  他の国のことは知りません。とにかく日本人というのは地位の上下に非常に敏感でしたね。私の若い時には、何かの集まりがあれば、誰が上座に着くかその次に座るのは誰かなんてことを気にしたんです。かなり下っ端の方まで、誰が誰より上だとか下だとか、今から考えると、あほらしい気がします。
  江戸時代なんかそれどころじゃないですね。松井了以の『犬張
子』その他の著作を読むと、仏の地位にも上下があるし、死者同士が会談するなどという場面でも、やれ誰が上座だとか誰が誰より下座だとかでもめたりします。
  そんな上下関係のわずらわしさを避けるために、車座というのはよい知恵だと思うのですね。
  大岡信は、その点には全くい触れていません。
  何時だったか、どこかで国際会議をするとき、誰が中心ということでは無く、皆平等の立場だということを示すために、テーブルを5角形に並べたという記事を読んだような気がします。これは車座の思想ですね。

気になる俳句

 桑の実ややうやくゆるき峠道 五十崎古郷

ぼんくら俳句

   蒸風呂にローズマリーの香りかな
   桑の実を踏みつぶしたる遊歩道
   椋鳥の群れて桑の実ついばみぬ

 


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