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2016年4月26日 (火)

余白について

今日の絵 芝川

Img156

  この絵の左下は、あえて色を載せなかった。つまり余白です。ところで私のスキャナーは余白を理解しないので、時々困ってしまいます。たとえば4月15日は

Img148

  この絵でした。ところが、スキャナーが余白を理解しないので、初めはこんな絵になっちゃたんです。
    Img157

  この絵の場合どう解決したかと言えば、画用紙の周りに赤いサインペンで線を引き、スキャンしました。そうすると赤い線を含めた画像としてスキャナーが取り込んでくれます。で、赤い線を捨てるようにトリミングしたのが15日の絵になったわけです。
  そんな状態ですから、朝に絵をかくときも、スキャナーが画用紙のはじまで取り込んでくれるように気にして絵を描くようになります。それでもダメなときは、デジカメで写してパソコンに取り込み、ブログに載せる場合もあります。

閑話休題

  ヨーロッパの絵は余白という考えが無いんですってね。水墨画なんか余白が大切ですよね。絵なら「余白」、音楽や話術なら「間」。こういうものを欧米人はどう理解しているのでしょうかね。余白を無駄と思うのでしょうか。

  人生も余白が必要ですね。余白を無駄と思ったら味気ない人生になります。それを無駄というならば、無駄は無駄じゃない。

  今や余白の人生を生きている蛙です。

気になる俳句

 若草に寝転ぶ大き褥なる 野波つよし

ぼんく
ら俳句

   寝転べば若草匂う大地かな
   若草や寝転ぶ我は野生の児
   緑陰に本読みおれば蟻が這う 

  




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