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2015年3月 3日 (火)

絵と写真の間系

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 最近の私の絵ではめずらしく点景の人物がいません。私は朝起き抜けに描いているわけですから、本当のスケッチではなく、写真を見て描くわけです。その写真は、できる限り自分の撮った写真ということにしています。もとは人のいない風景を描いていましたが、なぜか今は人物を入れたいのです。
 この絵は入間市の彩の森公園です。絵にする写真を撮るとき、この場所に人が現れたらいいななどと思って待ち構えることがあります。でもね、いい人が来たなどと思っていても、なかなか上手くいきません。私が構えているのを知ると、「あっ」などといって、私の撮影の邪魔をしないように、そそくさと離れてゆくのです。本当はあなたを撮りたいのに・・・。だから撮るのは、たいがい後姿。どこの誰か分かるような絵は、本人の同意を得なければ描かないつもり。でも、後姿でも、知ってる人なら分かるんだろうなあという絵になってしまう。
 私の写真は、デジカメのバカチョンカメラです。写真を撮るのは、絵を描くためとブログに載せるため。自分を写すことや記念写真には興味がありません。

気になる俳句

 気になる俳句といっても、好きな俳句のことです。嫌いな俳句は書きません。ほどほどに有名なのはいいのですが、あんまり有名すぎるのは書きません。「古池や蛙飛び込む水の音」なんて、書いたってしょうがないものね。

 ところで、今日書くつもりだったのは次の3句です。

  割るるまで空閉じ込めて石鹸玉   草子洗
  おみくじに結ばれている春の空   草子洗
  ほほといふ口して三人官女かな   高田正子

 いずれも月刊『俳句』3月号から。こういうのを「ただごと俳句」と言うのかも知れません。でも、分かりやすくて、あかるくて、私はこういうのが好きです。
 草子洗は、なんと読むのでしょうか。ほぼ、無名に近い若手俳人でしょう。高田正子は多少は知られているのかな。第3回星野立子賞受賞作品の中の1句です。

 私が毎日読んでいるブログのひとつに、「清水哲男の増殖する俳句歳時記」というのがあります。以前は清水哲男一人で毎日書いていましたが、今は曜日ごとに書き手が変わります。火曜日の担当は土肥あき子。高田正子の句を4句取り上げてその中に、

  ほほというふ口して三人官女かな

 がありました。俳句なんて鑑賞の仕方もみんなばらばらで一致するのは少ないのですが、たまたま同じ句に惹かれたわけですね。

 土肥あき子には、戦後まもなく生まれて消えた、ざら紙の少年雑誌『小国民の友』に関する考察を書いた文があります。私は田舎の伯父の家に疎開していて、正月とお祭りにだけもらえる小遣いを握って町へ行き、その『小国民の友』を買いました。『少年倶楽部』などが復刊される前の話です。

ぼんくら俳句

     人ごとに見上げて過ぎる枝垂れ梅
     春朧黄泉行きのバス誰も乗る



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コメント

人物写真は、肖像権の問題があるので、気を遣いますね。
子供のいる光景などは、撮って数年してから、人前に出すようにしています。
水彩画、すてきですね。91になる母が絵を描いていました。
画才は娘に伝わらず、あこがれだけが残っています。

投稿: こはる | 2015年3月 4日 (水) 17時04分

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