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2015年2月 6日 (金)

小林一茶

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 今朝は6時50分に目覚めました。普段より2時間ほど遅い。布団から離れる前に描く絵も、せいぜい30分くらいしか時間が取れない。起きる前に、絵だけ描いているわけではないのです。早く描くために、鉛筆やペンは使わず、筆だけで描いて見ました。彩の森公園です。

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 航空公園の蝋梅。残雪も有るのです。

『小林一茶』青木美智男・著、岩波新書

 これも、狭山台図書館の本です。

 著者は世間の一茶像を、「慈愛に満ちた眼差しを向ける優しい」だという。私は一茶に親近感を持っている。慈愛に満ちたなどという「上から目線」ではなく、弱いものに共感する「下から目線」の一茶に引かれているのである。実は著者も、「下から目線」の一茶として捕らえている。だから、共感することは多いわけだ。

 いろいろ共感する句は多いのだが、その内の幾つかを引いて行きます。

  もったいなや昼寝して聞田うへ唄

 この句は読んだことがありますね。農民が苦労して田植えをしているのに、自分は俳諧に身をやつし、生産もしないで生きていることを、一茶はもったいないと言ったわけです。その一茶の生活は

  痩脛を抱合わせけり桐一葉
  よりかかる度に冷つく柱哉
  炭もはや俵たく夜となりにけり
  おもしろや隣もおなじはかり炭

 裏長屋で、貧しい人同士、肩を寄せ合って生きるような生活。隙間風が入るような長屋で、柱に寄りかかれば、柱が冷たい。膝を抱えているばかり。暖房といえば炭しかない時代だが、その炭も満足には買えない。一俵の炭がなくなれば、その炭の俵を燃やして暖を採る。さらに貧しくなれば、俵で炭を買うことも出来ない。一升づつの量り売りで買う。それは隣も同じだ。
 そんな長屋に住む人たち、「ぼて振り」などが多いわけです。ぼて振りというのは、天秤棒を担いで行商をする人で、江戸時代、最下層の人の仕事でした。でも、天秤棒を担いでものを売り歩く人は、昭和のはじめくらいまではいましたよ。
 しかし「出代(でがわり)」というのは知りませんでした。3月ごろ江戸では年季奉公の交代があるんだそうです。信州や越後から来る人が多かったそうですね。10歳にもならずに奉公に来る人や、60を過ぎてもまだ奉公に来る人などもいたらしい。毎年同じ時期に来るものだから、江戸の人たちには、椋鳥などといって、馬鹿にされたそうです。

  椋鳥と人に呼ばるる寒かな

 そんな一茶も、俳人としては著名な人になって行きます。
 晩年はロシアやアメリカが日本に国交を求める時代になり、国粋主義的な思想を持つにいたったようです。もう少し生きていたら、尊皇攘夷などといっていたかもしれません。一茶にそんな面があったなんて、私は何も知りませんでした。

  けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ

 この句は知っていたのですが、オロシャなんぞと違って日本はいい国だ、だからゆったりとした気持ちになりなさい、という意味があったんですね。

気になる俳句は、もう書きました。

ぼんくら俳句

     蝋梅に雪降り雪残る
     雲間より日差しの降りて鴨の池

  





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