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2015年2月28日 (土)

認知症講座 第3回

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 この絵、いいでしょうと言いたくなるね。でも、模写です。新聞の広告写真から。

田中歯科へ

 今日、2回目。今回は2回で終わり。先週下の歯を掃除して、今日は上。私の歯の手入れがよかったとも思えないが・・・。(手抜きをしている)のだ。

認知症講座

 認知症の講座で、今日は3回目。2回目は俳句会の定例日で出られなかった。全部で4回。今日は3回目。今日は成年後見人制度についてと、介護保険についての講座。まあ、常識的な内容です。
 昔の民法に「後見人制度」がありましたが、「成人後見人制度」はそれを変えたものだったんですね(質問して分かりました)。それだけが新しく知ったこと。私は民法に対する特別法かと思っていました。私の「小六法」も買い換えないといけないなあ。
 認知症の知識もさることながら、私自身が認知症にならないように気をつけなければいけないのです。でも、どう気をつけるの?

気になる俳句

   朧にて落つるハンマー音おくれ  加藤楸邨

ぼんくら俳句

     認知症講座終れば吾も朧

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2015年2月27日 (金)

ボランティア懇談会

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ショップみちくさのボランティア懇談会

 精神障害者の施設では、スタッフもボランティアも、身内に精神障害者を持つ人が多い。かく云うぼんくら蛙も、亡妻が精神障害者でした。そんな関係で、身につまされるような話も出るわけですね。ぼんくら蛙は老人性の難聴になってしまったから、聞きにくいんだけれどさ。

 私は少し早く切り上げて家に帰り、干してある布団や洗濯物を取り込み、水彩画の会へ急ぐ。しかしねえ、早描きの私も、絵を完成させるほどの時間はありませんでした。したがって今日も、朝に描いた絵だけです。

気になる俳句

   ナマイキな成人の日の妹よ  飛鳥紫苑

ぼんくら俳句

     のどかさに飛行機尖がって飛んでいる

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2015年2月26日 (木)

第57回川越俳句会

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 坂道 東松山市

ボランティアグループ定例会

第57回川越俳句会

 2月23日に桑原三郎先生を囲む川越俳句会があったようです。私は出席はせず、投句のみ行っています。その結果が送られてきたので、報告します。

高得点句

6点句

  啓蟄やまっすぐだけではつまらない  山崎加津子

5点句

  薄氷やこの世の端を流れつつ  桑原三郎
  抱えたる冬大根にバーコード   白土令子
  浅春や柱を猫の使いこみ   横山かつ代
  雪しんしん肩甲骨を動かして  林 生子
  菜の花の沖に浮上す潜水艦  益子さとし
  自転車を押すタンポポの明るい日  田中美佐子

4点句

  物言へぬ時代が来るぞと白マスク  渡辺秀雄
  万作や飴の中より金太郎     岡田一夫
  回れ右右向け右と空っ風     渡辺秀雄
  座布団に残る体温節分会    小林カズエ
  薄氷やにはとりの声引き吊って 前田美智子
  毛糸球帰ってこない子が一人  縣 康子
  二月尽降り際に席ふり返る   横山かつ代
  たんこぶの直ぐに膨れて春来る 前田美智子

 渡辺さんの2句、縣さんの句、戦争を知る人の匂いがする。

ぼんくら蛙の投句と得点は次のようでした。

  枯芝生わが影にある帽子かな  1点
  今生は酒仙とならむ寒椿     2点
  晩酌に早くも開花予想かな   2点
  踏み込めば枯葉の下に霜柱  0点
  講演会帰りに大根買うつもり  3点

 

 

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2015年2月25日 (水)

元気でも終わりは近い

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 石神井公園。 私としては実験的な絵のつもり。

 我家から川越駅まで歩く。1時間15分。かなりのスピードで歩いているつもりですが、足が衰えているのか何なのか、去年の暮れに歩いたときは55分くらいで歩けた
たと思っています。それにしても随分差があるなあ。私にとって、1時間4キロなどというスピードは、とろとろ歩きという感覚です。それはいまでもそれは変わりません。このところ歩くスピードが落ちているのかなあ。

 川越の紀伊国屋書店には、毎月25日過ぎに通っています。月刊俳句総合誌の『俳句』が25日から店頭に並びます。1時読むのをやめたのですが、俳句会全体の流れを読むためには、1誌くらいは読んでいなくてはいけないと思って、今は『俳句』にしています。

 俳句なんて私には何も分からないのですけれど、このごろ、芭蕉の偉大さというものを感じます。貞丈や談林派の言葉遊びから抜け出て、人生の無常歌い上げる姿勢、今の俳人にどれだけあるのでしょうかね。

 俳句には言葉遊びという面もあって、それはそれでいいと思います。でもね、それだけでは深みは出ません。坪内ねん
てんさん、それでいいのですか?

  しょせん俳句の作法など縁無き素性、なんの考えもなく、ただ書いているだけです。

気になる俳句

   
      春の水漬けて一人の食器なる

 

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2015年2月24日 (火)

河津桜

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 蝋梅のある登山道 場所は奥武蔵、ユガテ。逆光で最も影が濃くなるところを、白く残しました。

河津桜

 歳をとるとどんなことが分からなくなるかといえば、たとえば「河津桜」は、はたしてこれでいいのかなあ、と疑問を持ちます。私の持っている「日本の樹木」という大きめの図鑑には、「河津桜」がありません。あれ? と思って広辞苑を引いてみると、やはり「河津桜」という項目はありません。確か「河津桜」は伊豆半島の「伊豆七滝」あたりで咲く早咲きの桜だ、という記憶はあるのです。でも、信頼する図鑑や辞書に、そんな項目が無い。こうなると自分の知識に自信が持てなくて、間違っているのかなあ、などと不安になってしまうのです。

 とはいえ、他の言葉は知らないし、河津桜で話を進めます。

 桜といえば、日本全国どこへ行ってもソメイヨシノという感じでしたが、最近は河津桜が人気だと思っています。あちこちに河津桜が増えているような気がします。狭山市でも、入間川の河川敷に何十本かの河津桜が植えられているところがあります。テレビで、東京だったかさいたま市だったかの、満開の河津桜が紹介されました。さては、と思い、入間川の河津桜を見に行きましたが、ウーム残念、今にも咲きそうですが、まだでした。

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 その後、知人と会食。新しい知り合いなので、お互いに遠慮がちに、しかし好奇心を持って、楽しいひととき。

山の会、班長会

 会員の高齢化、行ける山が限られてきたこと、など、話題に。後は、急に上ってしまった観光バスの利用方法などについて。

気になる俳句

   卒然と風湧き出でし柳かな   松本たかし

ぼんくら俳句

     花の木のほんのり赤き芽吹きかな
     対岸の遠き自転車糸柳
     春の川向うの水面の色が濃い
     枯木立といえど芽吹きの気配かな


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2015年2月23日 (月)

しだれ梅


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 東松山の風景

しだれ梅

 ショップみちくさのボラ。

 みちくさの近くに、農家(と思われる)家があり、立派な庭を持っている。その庭にしだれ梅があって、毎年見事な花を咲かせる。私が通う道筋とは違うので、うっかりすると見損なってしまう。思い出して、寄り道をしてみた。

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 残念ながらまだ満開ではありませんでした。これらの花がみんな1軒の庭ですからネエ。

マッサン

 私は朝ドラの「マッサン」を見ていませんが、興味のある方は「轟亭の小人閑居日記」というブログを見られてはいかがでしょうか。昨日と今日のブログに、テレビには出ない「マッサン」に関する情報が書かれています。おそらく明日の記事も「マッサン」関係ではないかな?

気になる俳句

   水にまだ何も泳がず猫柳  橋本花風

 私が少年時代を過ごした秋田の田舎では、残雪の川岸で、猫柳が綿毛を膨らませていました。そういえば、そのころ泳ぐ魚に気がついたことがない。


ぼんくら俳句

     黒々と土まだ芽の出ない芋の種
     垣根には毛糸の帽子主待つ
     春風や馬は優しい目をしたる 





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2015年2月22日 (日)

歩く会・小金井公園など

歩く会

 武蔵関駅から武蔵関公園、東伏見公園、小金井公園などを歩く。

 雨という天気予報だったので、参加する人はいるかどうか気になったが、集合の駅まで行ってみたところ、案外なことに9名参加。今回案内役、新座のTさん、狭山市駅まで来ていた。天気予報と違ったのは、雨が降らなかったこと、気温が上がらなかったこと、かな。

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 以上は武蔵関公園。3枚目の水鳥は「キンクロハジロ」らしい。隊列を組んでいるようで面白いと思いました。

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 東伏見稲荷です。

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 小金井公園の梅

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 江戸東京建物園(小金井公園内)。奥に見えるのが、風呂屋。

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 これが風呂屋の内部。ああ、こんなだったなあ。富士山の絵と、この脱衣籠。

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 懐かしいといえばこの建物、三省堂。私が神田の古本屋を漁っていたころ、まだ神田にありました。

 江戸東京たてもの園では、特別企画「ジブリの立体建造物展」をやっていました。私にはこれがよかった。立体建造物ではなくて、その元になる絵とか、バックの絵です。その監修をしたのが男鹿和雄。最近私は、自分の描く絵に余白を残したいと思うようになっていてその参考になる絵がありました。思わず「男鹿和雄画集」買ってしまいました。貧乏人の私には、高かったけれどね。どうも、本に対してはガードが甘いんだなあ。男鹿というのは本名ではないでしょう。男鹿半島の男鹿かな、と思ったのですが、帰ってから略歴をみると案の定、秋田生まれでした。

気になる俳句

   水鳥の沼が曇りて吾くもる  橋本多佳子

ぼんくら俳句

     日脚伸ぶ囲炉裏火におう民家園













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2015年2月21日 (土)

つばさ俳句会 2月定例会

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 我らの一団です。実験的に色を塗らない部分を作ってみました。それで不自然に成らなければ、スケッチをする上でのテクニックの一つには成るでしょう。

つばさ俳句会

高得点句

8点句
   屈伸の膝に音あり福寿草  小野綾子
7点句
   大きく息を吸ってそのまま梅真白  斉藤京子
6点句
   春近し空気を吸って水飲んで  桑原三郎
5点句
   狐火に下りのカーブ続きけり  大河原弘樹
   人悼む山ふところに葱焼いて  桑原三郎
4点句
   欄干に猿いて向こう岸の春   田中一進
   余寒なほ頚骨背骨腰の骨   桑原三郎
   日向ぼこゴリラの赤ちゃんゴリラ顔 前田美智子
   探し物こんなところに雪やみぬ  宮原洋子
   日脚伸ぶ外階段に猫丸く   来栖たつ子

私の投句

   振袖がタクシー止める成人日  2点
   今生のいまが幸せ日向ぼこ  2点
   苺大福ここではいつもこのお店  0点
   ややあって老人去りぬ冬ベンチ  3点
   気がつけばトンネル長し冬の旅  0点

 「今生のいまが幸せ日向ぼこ」は、鈴木真砂女に「今生のいまが幸せ紫木蓮」が有るのだそうで、私は知りませんでした。有名な句だそうで私の俳句に対する無知がさらけ出された感じ。鈴木真砂女はほとんど読んでいませんでした。真砂所のは「一般的な今が幸せ」で、私のは「日向ぼこをしている特定の今が幸せ」。意味にかなりの違いがあると思いますが、真似しているというそしりは免れないでしょうな。

  日向ぼこ今生の幸せ今ここに

とか何とか、考えなくてはいけませんな。

 「ややあって老人去りぬ冬ベンチ」というのは、投句した後で気がついたのですが「冬ベンチ」というのはいけませんね。そんな季語はないといわれそう。

  ややあって爺去りぬベンチ冬桜

とでもすれば傑作かな?

私の選句

  風冴ゆる石碑の文字と指の先  小野綾子
  薄氷の挟みこみたる木の葉かな  前田美智子
  虎落笛遮二無二扉閉まりけり  大河原弘樹
  底冷えや体育館のモップの柄  白土令子
  風花や明日は優しき妹ならむ  長谷川浩子
  老妻は湯婆ばかり可愛がる  伊達天
        湯婆・・・ユタンポ
  春近し空気を吸って水飲んで  桑原三郎
  ちょっとだけ猫の傾いで紅椿  前田美智子

  パンジーの花壇が枕の落下点  横山かつ代





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2015年2月20日 (金)

V連世話人会

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 都幾川(東松山市) 
 手前の河原失敗したと思って、あれこれ手を加えてみたけれど、水彩というのは、描き込めば描きこむほどおかしくなるんだよね。私の撮った写真には人物はいなかったのだけれど、こんな絵では、どうしたって人物が欲しいよ。

田中歯科へ。定期健診。

V連(狭山市ボランティア団体連絡会)世話人会。

 会議が終った後で、狭山市を活性化するにはどうしたらいいか、などということを中心に、雑談を長々とする。結論は出ません。

気になる俳句

   切れ凧のなほ頭を立てて流さるる  鷲谷七菜子

 流されて、しかし、やはり落ちるのです。

ぼんくら俳句

     春の雲歯科医の椅子で見ていたり


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2015年2月19日 (木)

今日はいやになりました。

 今日は案外長い記事を書いて写真もたくさん載せたのに、ページが移動しますとか言うメッセージが現れて,記事が消えました。

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毎日新聞の今朝の写真から。


気になる俳句

   違い棚に同じ人形冬近し   桂 信子

ぼんくら俳句

     春風や肥満猫のっそりと池の傍
     そよ風や鴨寄る赤い橋の下
     坂上の家に日当たるイヌフグり
     風渡る音のみがして芽吹きかな

今日はこれでおしまい。文章は書く気がしません。

 


   

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2015年2月18日 (水)

展示用の絵を描く

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 図書館から借りた俳句の本に載っていた写真を絵にしました。

 スーパーに買い物に行ったり、図書館に本を返しに行って、新しく借りてきたり、数独をしたり、本を読んだり、テレビを見たり、鼻毛を抜いたり、インスタントコーヒーを飲んだり・・・つまり、暇な1日でした。天気が悪いから、散歩も出来はしない。
 そんな中で有一したと言えるのは、3月1日から智光山公園「緑の相談室」に展示する絵を描いた事ぐらい。(ブランコの絵ではありませんよ)。われわれのグループで、1人2点、私は雑な絵はたくさん描いているけれど、いざ展示するとなると、適当なのが無いのです。1点は今あるもので間に合わせるとして、あと1点がなかった。文化祭だとかなんだとかに出したものは出せないしね。展示する絵は、2点ともこのブログに載せた絵を、大きく描きなおしたものです。

気になる俳句

   雪晴れて杉一つ一つ立ちにけり  川端康成

 文人は手すさびに俳句を書いたりする人が多い。専門の俳人は「文人俳句」などといって、幾分軽く見たりするけれど、いいのが多いよね。あの川端康成にも、こんな俳句があったんだ。雪を被った杉に意志があるようだ。

ぼんくら俳句

     春の雪折り畳んで入る湯船かな


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2015年2月17日 (火)

小説の読み方

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 この絵このまえ行った石神井公園の写真から描いたのですが、少し季節を変えてみました。枯れ木ばかりじゃ面白くないものね。

小説の読み方

 私は若いころから、本だけは読みました。今はずいぶん読書量が落ちましたけれど、年間50冊なら読んでいると思います。でも、昔からの癖で、わかって読んでいるかというと、そうでもないんだ。ただ、活字を追っているだけです。
 いまはほとんど小説を読まないのだけれど、若いころは小説中心だった。一応は古今東西に渡ります。古代エジプトのサホーの詩から始まって、ギリシャ悲劇、ギリシャ喜劇、かなりマニアックな中世のペルシャの文学、たとえばオマル・ハイヤームの「ルパイヤート」とか、インドの「カーマスートラ」とかね。
 自慢たらしく書くけれど、それがいいことだったかどうかといえば、かなり疑問ですな。人生経験をつんでから読めば分かるようなことも、当時は分かりゃしません。「ジャンクリストフ」にしても「レミゼレブル」にしても、「アンナカレニナ」でも、何が分かったかといえば、分かっちゃいないんだよ。
 なまじ若いころ読んでいるものだから、ドストエフスキー? うん、読んだよ。え? マルタン・デ・ガールの「チボウ家の人々」、うんアレはネエ、などと話をあわせることぐらいは出来るわけだ。
 優れた知性の持ち主が、全精力を傾けて書いたような本が、何も知らない青二才が分かるわけ無いんだ。それなのに、「読んだ」「読んだ」で、あらためて読もうとはしない。本当はもったいない話だよね。
 と、ここまでは書いたのだが、でもね、大河小説の長さを考えたら、アレは若いころだから読めたのかなあ、ていう気もするよ。いま「ジャンクリストフ」を読みなさいといわれたって、「ウーン」だよ。
 上手くいかないものですなあ。若いころは、分からなくても読める。歳をとったら多少は分かるとしても、読む根気が無い。

気になる俳句

   父の日のパパを一人にしてあげる  坂井 法

ぼんくら俳句

     いっときは雪になりけりすぐ止みぬ
     雪嶺や遥かなるもの美しき

 

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2015年2月16日 (月)

芋を植える

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 絵は東松山・神戸大橋

 最近は定規で線を引いて描くこともある。この絵も定規を使っていますが、これって、案外時間がかかるんだよね。

芋を植える

 障がい者施設(ショップみちくさ)の畑に、皆でジャガイモを植える。少し早すぎるような気もするのだが、種芋自体は先月の中旬から売り出していたみたい。何週間か前に買っておいた種芋を、今日、植えることにした。まだ寒いから、当分は芽が出ないと思う。予報では、明日は雨か雪だそうだし、晴れの日がだいぶ続いたから土は軽い。作業しやすい日と判断した。

気になる俳句

   思想までレースで編んで 夏至の女  
   軍港の黄昏 水仙と鉄匂う
   永遠は掌に乗るでしょうか 花梨の庭

                       以上 伊丹公子
      (伊丹美樹彦氏夫人、亡くなられたようです)

ぼんくら俳句

     空青し施設の畑に芋植える

 本当は薯と書くべきです(俳句では)。馬鈴薯だからね。芋と書いたら、里芋か山芋になります。でもねえ・・・馬鈴薯だけれども、私の感覚では芋だよ。



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2015年2月15日 (日)

東松山散策

 東松山の散歩道を探ってみました。予定では、箭弓稲荷神社から岩殿観音に行くつもりでした。いい加減な地図を片手に歩いたのですが、いろいろ細い道を通りながらたどるというコースなので、中々道が見つからない。それでなくても私は方向音痴だからね、なんともお手上げでした。何回も道を間違え30分でいけるところを2時間かかったりして、岩殿観音に着く前に疲れ果ててギブアップ。次回はインターネットなどで道をしっかり調べて、逆コースを行ってみましょう。

 途中で道を間違えたとき、たまたま近くにいた小学上級生くらいの二人に、「唐子中央公園」に行く道を聞いてみました。私はすぐ近くにあると思ったのですが、方向違いのほうに歩いていたので、かなり離れていたようです。二人は案内してあげるといって、子供用自転車に乗って先導してくれました。15分くらいです。私に気を使って、ゆっくり走ってくれるのですが、子供用とはいえ自転車ですからね。私は常にジョギング状態。ジョギングなんてしたことは無いけれど、私は自分の体力に感心しました。78歳ではじめてのジョギングだよ。

 この子どもたちに何か御礼をしなくては、と思うのですが、何も持ってないしネエ、せめてスタンドの清涼飲料水でもと思ったのに、「飲み物は持っているから要らない」と断られました。私には「ありがとう、気をつけて帰ってね」というしかありません。二人とも、本当にありがとうね。小学校に連絡して、表彰してもらいたいくらいだ。

 その後も道を間違えたりしたけれど、いい加減いやになってきたので、途中で通った神戸大橋まで戻り、普通、爺ならやらないようなコースを下り、都幾川の河原で遅れの昼食。後はもう、帰りました。

 歩いた時間、ジョギングや昼食時間を含めて5時間半。昼食が30分くらいでしょうから、正味5時間かな。1時間に4キロしか歩かないような、とろとろ歩きではないよ。15分はジョギングも入っている。

 「みちくさで」作業をしていると指がつったりするような、加齢によると思われる障害はあるのだが、足のほうはまだ元気だね。

 と、まあ、自慢をしてもね、電車で狭山市駅に着いたときは、何としても飲みたくなっちゃって、「餃子の満州」に寄っちゃった。この歳になって人生の第1の楽しみは酒だ、なんて思うんだ。

 食うために生きるのか、生きるために食うのかという質問に、小学生ならば、「生きるために食う」と答えれば、いい子いい子だ。でもね、中年くらいになると、案外、食うために生きるのかな、なんて思ったりする。今の私なんかは、飲むために生きているんだね。

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箭弓稲荷神社。4月中旬にはボタン園が、見事なはず。

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 都幾川

気になる俳句

   雲海の音なき怒濤尾根を越す   福田蓼汀

ぼんくら俳句

     つば広の帽子靡かせ空っ風

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2015年2月14日 (土)

認知症を学び地域で支えよう 講座

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 場所は石神井公園なのですが、こういう絵なら、どこでもいいんですよね。

講座 「認知症を学び地域で支えよう」を受講

 貰った資料の副題に「認知症サポーター養成講座」なんて書いてある。私などは認知症のサポーターに成ろうというよりは、自分が認知症にならないように注意しなければならないのだ。講座は4回の予定だが、そのうち、第2回目には出席できない。

 認知症というのは認知障害が6ヶ月以上継続した場合を言うのだそうです。その点は知りませんでした。認知症のうちアルツハイマーが5割、脳血管性認知症が3割だそうです。脳血管性認知症の場合は、まだらボケになるのだそうだ。私なんか、いくらかはまだらボケだよ。かつて私は「まだら呆け始まっている桜かな」という俳句を作ったことがある。

 アルツハイマー型の場合は、進行を遅らせる方法がある。脳血管性認知症の場合は、治療が可能な場合がある。・・・テレビなどでも、そのようなことは言っていますね。

 認知症の中核症状としては
「記憶障害」(これは俺も相当あるぞ)、見当識障害(これだってあるよ、道が分からなくなったり、するからね。若いときから方向感覚が悪いのだ・・・ん? 昔から認知症だった?)、そして最後に、人間関係が分からなくなる。

 その中核障害があることによって、行動、心理障害が現れる。これはいろいろあるけれど、老人介護施設などへ行って私などが経験するのは、何かを取られたなどという妄想ですね。

 認知症患者への接し方は、まず受容する、そして共感する、患者の言うことを傾聴する。というようなことです。

 認知症の人に接するにあったって、以上のようなことは、まあ、常識の範囲内といっていいでしょう。

 言われたことの中身は分からなくても、馬鹿にされた、怒られた、無視された、というようなことは、感情として残るものです。「認知症になれば何も分からなくなるのだから、それはそれでいい」などという人がいますが、少し繊細な観察眼を持っているならば、認知症の人には認知症になってしまった悲しみがあることが、分かるはず。

 何が何パーセントとか言うことを除けば、知っているような話ですが、分かりやすくてよかった。・・・考えてみると、講演などでは、聞くほうは知っていることしか分からないのかもしれない。

 講座が終って、3本のモールを渡されてロバを作るという作業をやったのですが、私はこれがぜんぜんできませんでした。工程のうち、初めの②の部分でつまずきました。だからその後は全部駄目です。私の座った位置からは、指導する人の手に隠れて、モールの様子が全く見えませんでした・・・というか、俺はきっと呆けているのだな?

気になる俳句

   蝿とんでくるや箪笥の角よけて  京極杞陽

ぼんくら俳句

     寄せ鍋や断酒する人お気の毒



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2015年2月13日 (金)

不得意な絵

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 実は、こう言う絵が一番苦手です。街中の様子や家並みなど、どうにも描きにくい。でも、たまにはそんな絵にもチャレンジしようかと思って描いたものです。絵は石神井公園近くの人気の少ない町並み。
 今日「水彩画の会」で描きました。いつもと違い、定規を使っています。時間がかかるよね、こういうの。それでも時間内に仕上げて、他の人には早いといわれました。苦手なものを描いても雑なんだね。

気になる俳句

   落葉焚き多摩の横山煙攻め  加藤渓谷

 最近は下手に焚火をすると、消防署に通報されたりするんだ。ダイオキシンがどうだとか言われたりもする。山が煙攻めになるほどの落
葉焚きなど、できやしない。

ぼんくら俳句

     流さるる落葉の上に蟻ひとつ
     頂上や吹き上げられて蝶ひとつ


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2015年2月12日 (木)

本を読むのも楽じゃない

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 絵の場所は石神井公園。両端の大木はメタセコイヤ

本を読むのも楽じゃない

 狭山台図書館の俳句の本をあらまし読んでしまおうと考えて、このところ、せっせと俳句の本を借りている。しかし、なかなか大変だ。狭山台図書館で目にするだけとおもっても、俳句関係の本は10冊や20冊ではない。本によっては無味乾燥で面白くないのもあるし、私には理解できない俳句も多い。解説を読んでも、分からなかったりする。それに、視力が弱っているから、目が疲れるし、長くは読めない。読み終わる前に、新しい本も出版されるからネエ、追いつかないかも知れないや。

ケータイ、思わぬところ(トイレの棚)にありました。電源が切れていたので、呼び出し音が鳴りませんでした。

気になる俳句

   花売車どこへ押せども母貧し   寺山修司

ぼんくら俳句

     湖を見下ろす宿の温め酒
     池の端に柳の芽吹く昼下がり
     さくらんぼ種を転がす舌の上
     切株の切られしばかり下萌ゆる

 毎日書いている俳句、ほとんど捨てるのですけれどね。多作多捨が基本だそうです。


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2015年2月11日 (水)

石神井公園

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 近頃少し寝坊になって、朝飯前に描くには時間が足りないのです。少し乱暴になります。

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 智光山公園の福寿草と白鷺

 次は石神井公園

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ケータイが行方不明

 どうやら昨日どこかへ落としてきたようだ。家の電話で呼び出しても、鳴っている気配がない。2-3日様子を見て、いよいよないとなったら、どうにかしなくては・・・。私は、使いこなしてはいなかったけれどね。

気になる俳句

   麦踏や背の子もしたる頬被   有働木母寺

ぼんくら俳句

     春うららカメラマン多き池のふち
     水鳥は鳴かず烏は鳴きやまず
     肥満犬引かれて歩く春うらら
     春の池櫂は大きく円を描き
     春の池影深く飛ぶ烏かな










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2015年2月10日 (火)

タイトルの無い一日

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 航空公園で残雪を搔いている人

 朝食前に描くには、描く時間が足りないよ。もっと省略をしなくてはいけません。そうすると、俳画のようになっちゃうかな。俳句を書くのだから俳画でもいいようなものだけれど、私の求めるのは、違うんだよ。

 稲荷山公園に散歩の行って、植物画同好会の絵を見てきました。山の会関系で2人ボラ関係で1人、計3人の知人が絵を展示していました。上手なのですけれど、技術の上下はあっても同じ方向の絵をもとめているようです。
 絵手紙の教室などでも、皆さん同じような絵を描くようになりますね。水彩画の教室でも、先生の指導によって、皆同じような絵になるところもあります。たとえば、中心を描いたら、周りはふんわりとぼかした絵にするという教室もありました。技術的には、さほど難しいとは思いませんが、それはそれで魅力があります。しかし、みんなおんなじ絵というのはネエ・・・。
 私たちのグループは違います。各人が勝手に、自分が描きたいように描きます。だから、絵だけを見ても、これが誰の絵かすぐ分かります。私は自分の絵に特徴なんて無いと思っているのですが、他の人が見ると分かるんですね。いまさら画家になるわけではないのだから、描きたいように描く、私はそれでいいのだと思っています。 私はそんな絵の会が好きです。みんな先生と同じような絵を描くようになったって、つまらないよね。

気になる俳句

   鴨の声昏るるに早き水の上  角川源義

 海くれて鴨の声ほのかに白し(芭蕉)が有名すぎて、鴨の句で何をとるか、迷います。

ぼんくら俳句

     さざ波や争わぬとき鴨しずか
     次々に鴨の一団着水す



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2015年2月 9日 (月)

寒いね

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  雪の日の蝋梅

精障者作業所ショップみちくさへ。

 木工をしているとき、鋸を持つ指がつってしまい、中々直らなかった。特に中指のつり方がはげしい。こんなことは初めてです。やっぱり、加齢ですかね。木の枝と竹を利用した作品、写真を撮っておくべきだった。

気になる俳句

   葱切って夜の刃物を目覚めさす  服部圭伺

ぼんくら俳句

     はるおぼろこんなところにさがしもの


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2015年2月 8日 (日)

雪と蝋梅

山の会山行・宝登山

 われわれの山の会も高齢化してしまって、低山徘徊の会というのが実情です。今日は秩父線野上駅から長瀞アルプス(たいそうな名前をつけるものだよね)を経て宝登山に登り、蝋梅を見て帰ってきました。
 雨か雪という予報があったのに、「予報は良い方に外れたよね」などと言いながら上り始めたのです。でもね、雪が本当に降ってきちゃった。予報どおりでした。

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 長瀞アルプスを経由して宝登山に登るには、最後にこのような階段が幾つかあります。山なれない人は、ここであごを出すわけです。体力があれば何ということはないのですけれどね。歳を取ると体力差が大きくなります。ただし、体力があるからといって長生きできるという保証はないのです。
 「ぎゃあら百年」という言葉を御存知でしょうか? あっちが悪い、こっちが痛いといっているような人のほうが、百年も生きるということです。私は元気ですから、今のところ「ぎゃあら」には入らないんですね。「あんなに元気だったのに」といわれて死ぬのと、「よく頑張ってここまで生きましたね」といわれて死ぬのと、どっちがいいかは分かりません。ただ、人間の最後に死があるということだけは、避けようの無い事実です。
 歳をとるとね、つい、生とか死とかを書いてしまうんです。こんな事を書くつもりは全くなかったんですよ。筆のすべりというやつですね。

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 なんだか支離滅裂になっちゃたね。まあ、いいでしょう。私の頭の中をあらわしているのです。

気になる俳句

   犬となら北風の街どこまでも   犬俳句

 作者については「犬俳句」というブログ名しか分かりません。森村誠一の「写真俳句」ぶろぐから。
 私のブログの「気になる俳句」は、評価の定着した俳句を歳時記から拾うことも多いけれども、そうじゃないのも多いです。今日は、そうじゃないほうです。でも、良い俳句だと思って拾っているわけです。

ぼんくら俳句

     山旅の蝋梅に雪降り積みぬ
     雪載せて蝋梅園の香の強し 


 













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2015年2月 7日 (土)

講演会「里山資本主義のススメ」

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 老いては仲良く・・航空公園

里山資本主義のススメ  講師 井上恭介
                 会場 駿河台大学
 

 講師は『里山資本主義』を藻谷恭介と共著。NHKチーフ・プロデューサー。

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 本をの内容と、大方同じことを言っています。田舎でも山里でも、あるもので勝負をしようと言うこと。田舎では、エネルギーは買うもの。原料を安く売って、エネルギーと、高い加工品を買うのが、これまでの田舎だった。これまでは物作りも、分業し、質のよいものを大量に作るという方法を進めてきた。人々のつながりも分断された。それを見直そう、という。
 本当は田舎にも、結構大量のエネルギーがある。たとえば樹木。これを徹底的に利用すれば、かなりのエネルギーが得られる。その成功例を示しながら話す。物を作るのでも、大量に作るのではなく、身近にあるもので、少量を手作りする。あえて規模を大きくしない。(ジャムで成功している例など)。じいちゃんばあちゃんが自家用に作ってあまった野菜を、あちこちから引き受けて介護施設などの食事時に利用する。それで、爺ちゃん婆ちゃんは喜ぶし、回りとのつながりも生まれる。分断された人脈を、地域でつないでいく・・・。と、さまざまな例を引きながらの講義でした。

 『里山資本主義』はこの数年間の読んだ本の中で、最も感銘を受けたものです。だから今日は講演会に行くことにしました。受講者は600名。講師は、こんなに大勢の前で話したことが無い、といっていた。
 質問者の中には、資本主義はもう終っているのに、まだそのことに気づかない経済学の大御所がいる、といっている人がいました。終わっているかどうかはともかく、クライマックスは過ぎたと思うし、これまでと同じ方法で続けることは出来なくなると思います。安倍さん、大富豪が儲かれば、そのおこぼれが一般大衆も受けられる、などという考えは駄目だと思いますよ。
 話の中で不用になった木材の屑でべレットを作って燃料とし、成功している例があった。しかし飯能市では、べレットを作ったけれども赤字になった。成功例と成功しなかった例と、どこが違うのか、という趣旨の質問もあった。講師は、成功例では、べレットをほとんど無料で作っている。現地を見学することを進めていました。

気になる俳句

   冴えかへるもののひとつに夜の鼻  加藤楸邨

ぼんくら俳句

     ボール出て少女跳び出す梅の花



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2015年2月 6日 (金)

小林一茶

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 今朝は6時50分に目覚めました。普段より2時間ほど遅い。布団から離れる前に描く絵も、せいぜい30分くらいしか時間が取れない。起きる前に、絵だけ描いているわけではないのです。早く描くために、鉛筆やペンは使わず、筆だけで描いて見ました。彩の森公園です。

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 航空公園の蝋梅。残雪も有るのです。

『小林一茶』青木美智男・著、岩波新書

 これも、狭山台図書館の本です。

 著者は世間の一茶像を、「慈愛に満ちた眼差しを向ける優しい」だという。私は一茶に親近感を持っている。慈愛に満ちたなどという「上から目線」ではなく、弱いものに共感する「下から目線」の一茶に引かれているのである。実は著者も、「下から目線」の一茶として捕らえている。だから、共感することは多いわけだ。

 いろいろ共感する句は多いのだが、その内の幾つかを引いて行きます。

  もったいなや昼寝して聞田うへ唄

 この句は読んだことがありますね。農民が苦労して田植えをしているのに、自分は俳諧に身をやつし、生産もしないで生きていることを、一茶はもったいないと言ったわけです。その一茶の生活は

  痩脛を抱合わせけり桐一葉
  よりかかる度に冷つく柱哉
  炭もはや俵たく夜となりにけり
  おもしろや隣もおなじはかり炭

 裏長屋で、貧しい人同士、肩を寄せ合って生きるような生活。隙間風が入るような長屋で、柱に寄りかかれば、柱が冷たい。膝を抱えているばかり。暖房といえば炭しかない時代だが、その炭も満足には買えない。一俵の炭がなくなれば、その炭の俵を燃やして暖を採る。さらに貧しくなれば、俵で炭を買うことも出来ない。一升づつの量り売りで買う。それは隣も同じだ。
 そんな長屋に住む人たち、「ぼて振り」などが多いわけです。ぼて振りというのは、天秤棒を担いで行商をする人で、江戸時代、最下層の人の仕事でした。でも、天秤棒を担いでものを売り歩く人は、昭和のはじめくらいまではいましたよ。
 しかし「出代(でがわり)」というのは知りませんでした。3月ごろ江戸では年季奉公の交代があるんだそうです。信州や越後から来る人が多かったそうですね。10歳にもならずに奉公に来る人や、60を過ぎてもまだ奉公に来る人などもいたらしい。毎年同じ時期に来るものだから、江戸の人たちには、椋鳥などといって、馬鹿にされたそうです。

  椋鳥と人に呼ばるる寒かな

 そんな一茶も、俳人としては著名な人になって行きます。
 晩年はロシアやアメリカが日本に国交を求める時代になり、国粋主義的な思想を持つにいたったようです。もう少し生きていたら、尊皇攘夷などといっていたかもしれません。一茶にそんな面があったなんて、私は何も知りませんでした。

  けふからは日本の雁ぞ楽に寝よ

 この句は知っていたのですが、オロシャなんぞと違って日本はいい国だ、だからゆったりとした気持ちになりなさい、という意味があったんですね。

気になる俳句は、もう書きました。

ぼんくら俳句

     蝋梅に雪降り雪残る
     雲間より日差しの降りて鴨の池

  





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2015年2月 5日 (木)

清崎敏郎の俳句

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 鎌北湖の釣り人

清崎敏郎の俳句

 ボランティアの予定だったが、朝、はやばやと中止の報が入る。
 で、鈴木貞雄著の『俳句の作り方』を読む。狭山台図書館の俳句の本をあらまし読んでしまおうと思い立ち、先日借りた本である。
 著者・鈴木貞雄の師は清崎敏郎で、その師は富安風生である。そのためこの本には清崎敏郎と富安風生の句が多い。
 清崎敏郎の句を読んでいて、ひとつの特徴に気がついた。それは、清崎敏郎が、無いもを読む俳人だということである。

   ゐずなりし先ほどまではゐし千鳥
   かかりゐし雲なくなりぬ辛夷の芽
   年木樵る音かつづきてゐしが止む
   大寒の日は山膚にふるるなし
   梅の影床几の上にいつかなし
   心にいま萍を見てゐるにあらず
   春灯の衣桁に何もなかりけり
   高々と引きゆく鶴の声もなし

 1句目、先ほどまでいた千鳥がいなくなった。2句目かかっていた雲がなくなった。3句目年木(松のことかな?)を切る音らしいのが聞こえていたが聞こえなくなった。4句目、大寒の日光は山膚にささない。5句目、梅の影が床几(簡素な腰掛)の上に落ちていたが、いつの間にかなくなった。6句目、浮き草を見ていたわけではないですよ。7句目、衣桁にはなにもかかっていない。・・衣桁・・着物はたたんで箪笥などに仕舞うのが筋だが普段着るものや、仕舞う前の時間、ちょっと引っ掛けて置く和家具。8句目、鶴は声も出さずに渡ってゆく。

 というわけで、この本に引用されている清崎敏郎の俳句の半分くらいは、無いものをうたっているのですね。清崎敏郎の句集は読んだことがないけれど、一つの特徴と言えるのではないか。

気になる俳句

 今日書いた清崎敏郎の俳句が、気になる俳句です。

ぼんくら俳句

     ちょっとだけためらって出る雪の朝
     カーテン閉ず降りつのる雪止みたれば

 ハハ、2句目は真似しちゃったよ。 



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2015年2月 4日 (水)

ユガテ・鎌北湖・蝋梅の香


山行・奥武蔵

 同行はAさん、Kさんぼんくらカエルの3人。山の会、4月の山行の下見。

コース

 西武線東吾野駅-ユガテ-鎌北湖-宿谷滝公園-物見山-日和田山-高麗駅

 実は宿谷滝公園には行きましたが、すぐ近くの宿谷滝に行っていません。物見山の頂上近くで迂回路を通り、頂上には登りません。日和田山も、頂上直下の神社よりは高いところに行きましたが、本当の頂上よりは下を迂回。
 こう書くと、なあんだ、なんて思われるかもしれないけれど、中々の長いコースです。たとえば東吾野からユガテには峠越えをしなければならないし、ユガテから鎌北湖も峠越えです。鎌北湖から宿谷滝公園にも登って降りて、そこから物見山はかなりの急登、体力を消耗します。もちろん日和田山へも物見山から降りて登って、ということになります。

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 蝋梅が香ります。

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 鎌北湖湖の写真で見える湖面はほとんど凍っています。こちら側は日陰ることが多いのでしょうか。凍っていない方では釣り人もいました。

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 宿谷滝公園。ここの日当たりのいいところで昼食。

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 残念、顔は映っていませんでした。この鳥、何の鳥?

気になる俳句

   金平糖降ってきそうな天の川  狭山市、童句

 今朝、歩いて稲荷山公園駅へ行く途中の街灯に書いてありました。狭山市の小学生か中学生が作った童句です。天の川の星が金平糖に見えたのかな。
 童句とは童話作家土谷由紀夫が名づけた、子どもの心を持った俳句のこと。

ぼんくら俳句

     飛行機音立春のよわき日をゆれる




       










 

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2015年2月 3日 (火)

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朝食前に描く絵では時々起こることですが、色を置く時間が足りなくなったりします。今日もそれですね。かくして私の絵はますます乱暴になる。
 武甲山の見える風景ですが、場所は小鹿野町。

今日節分

 長女の誕生日。長女と次女の誕生日はかろうじて覚えているけれど、孫たちとなると、もういけませんな。それにしても、アイツ何歳になるんだ? 数えれば分かるけれども、、やめておこう。テキも、もう若くはないぞ。

こぶし福祉会、かすみ川食堂へ、包丁研ぎボラ。

 精障者作業所「コパン」や、持込の包丁などを含め、今日研いだのは15丁。

 帰りに、入間市役所で木曜スケッチ会の展示を見てから、狭山市の中央公民館に寄って写真展を見るつもりでした。
 でも、果たせませんでした。木曜スケッチ展は見たのです。けれども、中央公民館に行くのはちょっと時間が・・・という感じです。これから帰って、風呂を沸かして飯を作って、明日の山行の用意もしてと考えると、時間的に、ウーン無理だな、明日に備えて早く寝なくてはならないし・・・テナことになってしまった。写真展のほうはまた後でと思ったけれど、これ、4日が最終日なんだよね。知っている人が何人もいるのに、見にいけませんでしたという結果だな。

イスラム国も非道ですね。

 このようなグループは、先鋭的に、ますます極端なほうに走って行き、内部分裂して、極端さを競うような、どちらがより先鋭的かで争うようなことになり、民衆の支持は離れていくものと思われます。オウム真理教の極悪さが分かった後でも、入信者があったように、イスラム国に参加する若者が、これからもいるのでしょう。しかし、民衆の支持は得られません。最終的には、浅間山荘に立てこもった赤軍派みたいなことになるのではないかと思います。でもネエ、規模も違うし、そうなるまでの時間と人々の苦しみとを考えると、暗澹とした気持ちになります。
 それにしても、北朝鮮よく持ってるネエ。金正日体制、つぶれるしかない運命だと思うのだけれども、彼が生きている間は維持できちゃうんだろうか。

 資本主義も行き詰まっていると思うけれども、これはまだ、当分持つんだろうなあ。資本主義がつぶれるとき、革命が起きるとは思わない。だらだらと変わって行って、100年くらい過ぎてから気がついたら、変わっていたんだ、と気がつくような形ではないかな。
 私は頭が悪いから、感覚でしか言えない。間違える可能性のほうが多い。でもね、資本主義のクライマックスは終った、というのは、確かなような気がする。

気になる俳句

   もうあかん追儺の豆に歯が立たず   小寺正一

 追儺(ツイナ)節分の豆まきのことです。この句、思わず笑っちゃうよね。え? あなたは笑わない・・・若いんだなあ。

ぼんくら俳句

     噴水の硬き柱や寒の内

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 彩の森公園


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2015年2月 2日 (月)

浪花節

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 この絵に題名をつけるとしたら「公園の二人」とでもしますか。彩の森公園です。

精障者作業所「ショップみちくさ」へ。

 畑に植える種芋などを買いに行く。いくらなんでも、ジャガイモを植えるのはまだ早すぎると思うのだけれど、家庭菜園などが流行ってから、時季はどんどん早くなっているような気がする。苗などは今が適期だと思って買いに行っても、もう売っていない事が多いんだよね。私は百姓の専門家ではないから、分からないことが多いんだけれど、何だか変だなあ。
 とにかく今
日は、種芋を確保することが目的。植えるのはまた後日。
 廃材利用の椅子、筆立て、小物入れなど作って、みちくさは午後2時で引き上げる。あちこちからかき集めた廃材を、捨てるよりはいいからと、何か形にする廃材整理です。

浪花節について

 毎日ブログを書く前に、覗くブログが幾つかあります。そのひとつに「ほぼ日刊イトイ新聞」というのがあります。糸井重里(だったかな)が書いているわけだけれど、今日のブログに「浪花節」といっても今では分からない人が多いのではないか、といった意味のことが書いてありした。
 ああ、そうなのか、という感じです。言われてみれば確かに、浪花節なんて、このところ聞いたことがないなあ。私の若いころは、落語、漫才、浪花節があって、どちらかと言えば浪花節が1番人気だったような気がします。私は落語派でしたけれどね。
 いや、落語も漫才も浪花節も、古いタイプの好みで、若い人の1番人気は映画でありま
した。
 浪花節のことを浪曲といいました。玉川勝太郎という浪曲師がいて、ラジオの「浪曲道場」などという番組で人気を博しました。まあ浪曲の「のど自慢」ですね。
 しかし、当時の第1の人気者といったら広沢寅蔵だったと思います。「イトイ新聞」にもその一説が書いてありました・・・旅行けば駿河の国に茶の香り・・・なんてね。私はその先も知っているんだよ、ということで、続きを書きます・・・名代なるかな東海道、名所古跡の多いところ・・・これ、広沢寅蔵の曲なんです。
 この曲で広沢寅蔵は清水次郎長の子分、森の石松を謳いあげるのです。その人柄たるや・・・ドジで間抜けでおっちょこちょい・・・森の石松といったって、浪曲の分からない人には、何のことか分からないでしょう。解説なんかしませんよ。ざまあみろ・・・。
 なにが「ざまあみろ」かわからないけれど、その広沢寅蔵にお妾さんがいて、お妾さんの兄貴が、私が琴の修行をしているころの、三味線の方の親方でした。
 その親方が言いました。「昔は娘義太夫なんてものが流行ったんだ。お前らにはその粋な姿が分からないだろう」
 はい、分かりません。時代は変わるのです。
 私の孫などは、おしめをしながらパソコンでゲームをしていました。70歳ぐらいに成ってからパソコンを覚えた人間とは、しょせん違うのですね。もはや過去にしがみついて忘れられる年代なのです。古いことは記憶しているのに、新しいことはすぐ忘れてしまうのです。あああ・・・。

気になる俳句

   ひと鉢に光を集め春隣  光と風のそよぎ(ブログ名)

ぼんくら俳句

     ちびりちびりと熱燗いも煮えて来る

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2015年2月 1日 (日)

車椅子と仲間の会新年会

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 絵は毎日新聞の写真jから

車椅子と仲間の会・新年会

 会場は徳樹庵。実は、誰よりも我家から近い。
 終って2次会も徳樹庵の他の部屋で。会長の刈谷さん、何度か書いたことがあると思うのですが、実は両手、両足がない。義手と義足です。電撃性紫斑病という病気でした。この病気にかかって生き残った人は、日本では10例といないという病気から復活し、今では車椅子の会以外でも、さまざまな活動をしています。私は昨年、こぶし福祉会の評議員を退きましたが、その後も引き受けてくれています。
 2次会では手術の後で感染症を防ぐための入浴の話が出ました。これが、たわしのようなもので体を洗われる、本当に苦しいものだったようです。私だったら、もう死ぬほうがいいからそんなことはやめてくれ、と言いたくなるようなことです。そんな過去を踏まえて今の刈谷さんがあるのですね。

気になる俳句

   仕事始めの鉋屑焚き上げし  金尾梅の門

 いまさら仕事始めでもないのだけれど、今日は新年会だったので、まあいいでしょう。

ぼんくら俳句

     パソコンやミカンの皮を剥きしまま



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