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2014年12月11日 (木)

新年句会案内状・資本主義の終わり

001

 絵は新宿御苑

新年句会案内状

 やるべきことは後回しにし、どうでもいいことをせっせとやる、それが私の生活スタイル。
今日、つばさ俳句会、踏青俳句会の合同新年句会の案内状を作る。もうぎりぎりの尻に火のついた状態。
 つばさ誌への出句7句も、過去の句や新しい句から選んで郵送。

 私は俳句を生きがいにしているわけではない。このブログなどを見ている人は、案外そう思う人もいるかもしれないけれど、俳句が何ほどのものだ、という気持ちはあります。
 俳句に限らず、私は何事もほどほどにしています。なんでも成功したり、著名になったりする人は、心血を注いでやるのでしょうね。私はなにごともちゃらんぽらん。困ったことに、それでいいのだと思っています。
 ちゃらんぽらんといっても、努力をしないという意味ではありませんよ。ほどほどの努力はするということです。ただ、まなじりを決してやる、などということはないのです。ほどほどにいい加減で、ほどほどに真面目で、ほどほどに楽しみ、ボランティアなどもほどほどにして、ほどほどのところで、おさらばをする。それでいいじゃないかと思っています。

資本主義は終るか?

 資本主義社会が、クライマックスを過ぎていることは確かでしょう。もう行き詰っていると、漠然と感じていた。私が感じるくらいだから、かなりの人が感じているに違いない。感覚の鋭い芸術家などは、とうに感じているのではないか。私などは何も分からず、ただ感覚的にそう思うだけだが、その理由によって、アベノミクスなどは信じない。

 先日『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫・著、集英社新書を買ったのも、そのような思いからだ。
 これから読むのだけれど、とりあえずその前書きを読んだ。『はじめに―資本主義が死ぬとき』。その文章は「資本主義の死期が近づいているのではないか」の1行ではじまる。そうだよな、と私は思う。
 私の貧しい理解力では正しく伝えられないかもしれないが、以下はその前書きの要旨である。
 資本主義は中心と周辺から構成され、周辺を広げることによって、中心が利潤をあげ、資本の自己増殖をするシステム。つまり、先進国が後進国から利益を上げていくこと(私の解釈です)。アフリカのグローバリゼイションが叫ばれる今、もはや地理的なフロンティアは残っていない。また株式市場でも、あまりにせわしなく変動するため、資本の自己増殖は不可能になっている。残るのは貧困層からの吸い上げで、中間層を貧困層に落としていくこと(これも私の解釈)。
 こうした現実を見れば、資本主義は終わりに近づいているといえる。
 この事実から目をそらし、対症療法をすれば、必ずしっぺ返しを受ける。安倍のミックスなんて、これだよね。
 以上、私の理解する、前書きの要約です。

気になる俳句

  湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎

ぼんくら俳句

     湯上りに湯豆腐があり酒旨し

 本当は久保田万太郎の名句のあとに同じ湯豆腐の句を出すなんて、その差が歴然でいやになっちゃうのだけれど、これが実力だもの、しょうがないや。

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