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2014年11月 9日 (日)

芋ずる式に文章ができる

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 この近くを前にも一度描いたことがあるのですが、成木川と入間川の合流地点です。この右側が入間川で、その上流に飯能河原があります。
 成木川から上流は名栗川といってもいいのかと思うのですが、飯能河原には入間川という標識がありました。
 川は、流れる土地によって名前を変える場合があります。江戸時代までは名栗川が入間川になり、入間川を吉野川という呼称に変えて、それが隅田川になり昔の利根川と合流して大川になりました。入間川は今では荒川の支流扱いですが、昔の上方では、関東の大河川として知られていたようです。「入間川」という狂言もあるし、相撲だって、「入間川部屋」というのがあります。
 江戸時代の初めまで、荒川は利根川の支流でした。そして利根川は関東平野を流れ、河口近くで隅田川に合流していました。

 昔の地図を思い出してください。千葉県の先端は安房という地名でした。次にあるのが上総です。そして下総。これは何を意味しているでしょうか。京都から近いほうが上で、遠いほうが下です。上方から見て、房総半島の付け根の方が、遠いところと感じられていたのです。
 つまり、関東平野の中心部は湿地帯で、旅行者などが通りにくいところだったのです。京都から東北へ行く場合、三浦半島から船で房総半島に渡る方法と、北の山よりの道を通るのが普通だったわけです。そのために、狭山市に鎌倉街道があるわけですね。利根川や荒川の水がすべて関東平野を流れていたのだから、湿地帯も出来るわけです。今もその名残が、川口市からさいたま市にかけて、見沼田んぼとして残っています。

 江戸時代の初め、関東軍代の伊那氏が河川の改修工事を行い、荒川を入間川につなぎ、利根川を鬼怒川につなぎました。だから、今の荒川の流域は、元来は入間川の流域であり、利根川は鬼怒川の流域なのですね。

 関東軍代というのは、関東地方特有のものと思います。江戸幕府は関東地方に強力な大名などは置きたくなかったわけです。だから小さな藩ばかり多い。これは犯罪者にとって都合が良かったわけですな。他藩に逃げ込めば、捕まる心配がなくなるのです。それでは困るので、伊那氏には、警察権を行使するため他藩に入ることを許したわけです。
 でもね、関東地方にやくざが多かったのは、小藩ばかりだったからという説があります。国定忠治とか大前田英五郎とか、笹川繁蔵(これでいいのかな?)飯岡助五郎、なんてね。

 伊那氏は後に改易されます。

 今日は、こんなことを書くつもりはなかったのだけれども、筆の勢いって言うんですよね、こういうの。
 とにかく、今日は書く事がないと思っていたんです。でも、パソコンの前に座れば何とかなるさという気持で始めたら、その結果で、怪しげな薀蓄を語ることになりました。
 いつも言うことですが、ブログ等に書かれることは私程度のあやふやな知識が多いのです。自分で発表するときは、きちんと調べてくださいね。

ぼんくら俳句

     山行も中止になりて野分かな
     川上の二川合流冬に入る

  俳句も、じつは何も出来ていなかったんです。今日は雨でなければ、金時山に行くはずでした。2句目は、今日の絵をアップしてから浮かびました。でも、較べたら2句目の方がいいよね。



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