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2014年10月14日 (火)

カラス

021

○ 朝だけ、「みちくさ」へ。「みちくさ」の畑のナスが気になって出かけた。いくら成長の遅い秋茄子とはいえ、こんなにほおって置いたらお化けナスになっているのではないか・・・大丈夫でした。

○ カラス

 海外からの報道番組で、アナウンサーが言いました。「この国のカラスは日本のカラスと違って都会には出ない」。
 日本だって、カラスが都会に進出したのは、そう古いことではない。前回の東京オリンピックのころである。東京の本郷3丁目でカラスを目にしたとき、正直言って私はギョッとした。いま、本郷3丁目の道路を蛇が這っていたら、誰でもギョッとするだろう。私がカラスを見て驚いたのは、それと同じ「ギョッ」なのである。それほど、カラスは都会になじまない鳥だった。
 カラスは頭の良い鳥だという。都会に出れば残飯にありつけることを知って、人間に近づかないという習性を捨てて、進出したものであろう。

 ムクドリは団地の芝生などに集団でやってきますが、昔から人間の近くにやってくるような習性があったのでしょうか。ひょっとしたらこれも、最近身につけた習性ではないのかなあ。

 スズメは相当昔から人間の側にいたようですね。一茶の句がありますね。「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」。

 雷鳥は登山道で、人間の前を横切ることがある。何も人間が通るときに出てこなくてもいいじゃないかと思うが、あれは、そうじゃないんだってね。人間が来るのを待って、来たら横切るんだってサ。人間は危害を加えないし、人間がいれば、危険な動物は近寄らないからなんだって。頭いいねえ。

 ツバメは人家の軒下などに巣を作る。人間の側にいれば猛禽に襲われないからだそうです。

 鳥も動物も、習性を変えることはあるんだよね。大昔、狼の一部が人間に近づいて、犬になった例もある。狼を捕まえて、人間が飼育し、品種改良して犬になったわけではないんだろう。犬になってからは品種改良しただろうけれどね。

 犬やツバメは、何時の時代かに人間と共生するようになったんだね。

ぼんくら俳句

      嵐あと遠山の稜線隠れなし

 同じ意味で「遠山の稜線しるき野分あと」とすれば、俳句っぽい表現になります。だから避けました。

      嵐後の風受けて読むベンチかな
      天高し波静かなる入間川

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