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2014年8月31日 (日)

やはり、戦争が・・・。

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 絵は石神井公園。この絵、実は朝飯前の仕事ではありません。寝坊して、朝飯前に描くのをやめました。寝坊といっても6時前には起きているんだよ。今日はやめと思ったのですが、何となく気になり、時間があったので、朝食後に描きました。

災害列島

 今日で8月は終わり。今月は、何といっても広島の土石流。被災された方には、言葉もありません。こんなときよく言われるのは、他人事ではなく自分の問題として、考えなくてはならない、感じなくてはならない、ということです。でも、正直に言います。そんなことって可能なのかな。広島の被災者の苦しみ、想像し同情はしますが、他人の苦しみです。

 福島の被災。お気の毒です。未だに地元に帰れない人、帰るあての無い人、本当に大変だと思います。でも、私の苦しみではないのです。

 3年前の大津波のあと、私はできることならボランティアに行きたいと思いました。しかし、経済事情がそれを許しませんでした。私は貧乏でも平気だと思っていますが、こんなときには自分の貧しさが残念です。私は、ボランティアに行くなら、ある程度継続していくべきだと考えている人間です。1回限りでも、行かないよりは行く方がよほどいいのです。ただ私が行く場合は、たとえ月に1回でも、継続していきたいものだと思いました。それが出来そうもないと思ったのです。地元で、やれる事をやるしかない、というのが、私の結論でした。決して無関心だとは思いません。しかし、自分のことではないのです。

 私が自分のこととして感じられるのは、70年前の戦争です。その悲惨さを、多少なりとも経験している。私の経験などは、戦地に行った人、戦災で死んだ人に比べれば、何のことはないのです。しかし、あんなことは2度とやってはいけない、という思いは今も胸にあります。

 過去はすべて風化します。忘れるなといっても忘れるのが人間です。広島も、福島も、戦争も、いずれは忘れられます。大正11年の関東大震災だって、いまや語り継ぐ人さえいません。ただ、知識として、記憶にとどめるだけです。

 この後、このブログでも、私は戦争に関することをつぶやくことはあるでしょう。それは私が経験したことだから、私の原風景だから・・・。福島のことも、広島のことも、経験した人は、生きている限り、語り続けてください。後の世の人々の、しっかりした知識として残していくために・・・。

○ 孫に会いに行ってきました。元気だねえ、男の子は。

ぼんくら俳句

       気持ちよく脚長き子やつくつくし
       空の青昨日見た絵に似て深し
       捕虫網持つ子の赤き帽子かな



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2014年8月30日 (土)

石神井公園にて

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 智光山公園で、走る子どもをイラスト風に。でも、真ん中の子以外は子どもに見えないなあ。子どもとしては顔と頭が小さすぎたね。

石神井公園

 石神井公園で素人画家に会った。遠慮しながら写真を撮ろうとしたら、「もっと撮れ」とけしかける。

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 この笠は私のために、わざわざかぶって見せたもの。日本製ではない様に思ったが、千葉県で使っているものなんだって。美しい油絵で、わざわざその絵を写真に撮れといって、自分は脇に退く。

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「石神井公園の三宝寺池が好き。この絵は空を描きたいのだ」という。そして笠やらイーゼルやら、ひょうたんの自慢。

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 時代のついたイーゼル。そして水筒。

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 ひょうたんをくくりつけたり、絵の具を置いているのは、昔の人が荷物を運ぶときに使った背負子だよ。

ぼんくら俳句

      はるかなる桔梗摘みし日の山はるか
      婆乗せて爺漕ぐボート蝉時雨
      飲みすぎは分かっています蝉時雨
      水脈を引き水鳥が行きまた戻る
      黒揚羽ふと現れて秋の池
      酒飲めばみんみん蝉の鳴きやまず

 若い二人が、池の周りを散歩している。老夫婦も連れ立って、散策。好きだなあ、こういう風景。でも、私はベンチに座り、独りで酒を飲んでいる。








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2014年8月29日 (金)

若いっていいね

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 絵は新聞の折り込み広告写真から

ぼんくら俳句

      公園の若き二人に木の葉降る

 本当はまだ木の葉なんて降らないけどさ。都合で降らしちゃった。
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稲荷山公園の若い二人。若いっていいね。二人に幸あれ。




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2014年8月28日 (木)

忖度の論理

   

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ボラグループ、涼しくなってからの暑気払い

 会場・川越の「小江戸・蔵里」。一ヶ月前、決めるときには、こんなに涼しくなるなんて思っていませんでしたからね。私は紀伊国屋書店によってから行くので、早めに家を出る。で、10分くらい前に会場に着いたのに、まだ誰も来ていない。西武線で人身事故があり、電車が遅れたらしい。私だけでも時間前に会場に着いてよかった。店員がやきもきしていました。

忖度の論理・ 忖度(ソンタク)「他人の心を推し量ること」(広辞苑)

 もはや旧聞に属するが、さいたま市三橋公民館での話。公民館に俳句教室があり、作品を公民館便りに掲載してきた。そしてあるとき、互選で第1位に選ばれたのが、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」だった。公民館は「世論が大きく分かれている問題で、一方の意見だけを載せられない」と判断して、この俳句を載せなかったそうです。気にしてる方は、新聞などで御存知と思います。月刊『俳句』で金子兜太が取り上げていたので、私も書く気になりました。

 こういうのを「忖度の論理」と言うのですね。私たちは、なるべくなら相手の気持ちを傷つけたくないから、必要がなければ、相手の意に逆らうようなことは言いません。しかしそればかり気にしていると、自分の意見を言わない人間になってしまいます。いつでも、相手に合わせることしか考えない。世間にあわせることしか考えない。
 空気を読めない、というのは否定的に捉えられますが、空気のままにしか考えられないというのも、問題ではないですか。空気のままに、日本は太平洋戦争まで突き進んでしまったのです。
 空気というのは逆らえないのです。逆らうには、大変な勇気がいるのです。

 三橋公民館の館長、役人ですねえ。空気に過剰に反応してしまった。保身のためでもありますよね。

 実は私、20年ほど前に似たような経験をしています。
 狭山市に『文芸狭山』というのが出来て、はじめのうち、私は投稿していました。あるとき随筆の中に「人類にとって核兵器は不要である。しかし国単位では、核兵器が必要だという。人類にとって必要ないものを国が必要とするならば、いったい国とはなんだろうか」というような意味のことを書いた。それは単なる感想であって、随筆の主題でもなかった。しかし、公民館長は、その部分を削れといってきた。無政府主義といえば言えるわけですね。
 あほらしいので、それ以後『文芸狭山』への投稿はやめた。

 20年前でこれですよ。今ではあちこちで、過剰な自主規制をしているのでしょう。考えてみると、怖いことです。役所の出す文書で、一般の人が、たとえば9条守れと発言できなくなる、それが空気になっている。役人はなおさら言わないけれどね。

 実は、日本を支配するのは、空気なんです。戦争の空気が流れ出したら、もう止められなくなります。東条英機だって、空気に流されたんだと思います。指導者などではないのです。マスコミも、空気のままに流されたと、私は思います。当時は、戦争反対なんていえない空気が出来上がっていたんですけどね。

ぼんくら俳句

      百日紅まだ半分は枝にあり

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2014年8月27日 (水)

霧雨

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 絵は智光山公園

 降りだすと、よく降りますなあ。我が家の当たりは集中豪雨はなかったけれど、今日は1日霧雨です。

 なんとなく気力がなくて、1日寝ていたわけでもないが、どうしても必要な最小限のことだけをして過ごす。ブログもまともに書く気がしない。やっぱり夏ばてなのかなあ。夏風邪も長いなあ。でも、このあと酒は飲むよ。

ぼんくら俳句

      四・五本の秋のひまわり雨に濡れ


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2014年8月26日 (火)

箇条書き

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 絵は智光山公園

 朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、学校へ行きました。と言えば、下手な子どもの作文。今日はそれをやってみましょう。

 朝起きて、しばらくボーとした後、まず新聞を読みます。たいがい4時台には起きます。
 
それから絵です。布団の上に座ったまま上の絵を描きました。布団の上に新聞紙を敷き、F6のスケッチブックを置き、またその上にB5くらいのスケッチブックを開いて置いて、小さな絵を描くわけです。
 描き終ると数独をします。今朝やったのは、「超難問ナンプレ、トリプルAAA・4」の問題023。これは1回では正解にたどり着きませんでした。1回で出来るときも出来ないときもあります。今日は出来なかったのですが、繰り返してやるほどの時間はありません。正解はあとでやり直すとして、取りあえずお終い。
 次は脚、特に膝のストレッチ。全部で10種類のストレッチで、8種類は寝たままで出来るもの。最後に立ち上がって、残り2種類をやる。これで布団から起きるわけですね。私にとって酒を止められるのも辛いけれど、外を歩けなくなるなどと言うのは、それに劣らぬほど辛い。だからストレッチは頑張ります。ストレッチが終るころ、テレビでは、「花子とアン」が終っています。

 こんな調子で書き出したら、書き切れやしない。だから後は、はしょります。

 朝食。狭山台胃腸科外科へ月一回の血圧検査。図書館へ行って、鷹羽狩行の俳句の本2冊借りる。ベルクで買い物。夕方風呂に入って、さあこれから飯を食おうと思ったら、電話。「山の会の班長会の時間なのにどうしたの?」。忘れてました。あわてて着替えて、駅前の中華料理屋「紅梅」に駆けつける。

 あいまに、『つながる脳』藤井直敬・著、新潮文庫、など少し読みました。脳科学の本と言うことですが、68ページまで読んだところでは、まるで哲学書のようです。ナンプレの問題は、正解にたどり着きました。晩飯を作っているとき、足元に変なものが落ちました。何のことはない、風呂の後に差し込んだ、痔の座薬が尻から落ちたのです。・・・こんなことまで書く必要はない!!っうの!

 このような一日でありました。

ぼんくら俳句

      深酒はやめず夏風邪長引かせ


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2014年8月25日 (月)

夏ばて?

 先週の火曜か水曜辺りから、風邪を引いている。熱は出ないからなんと言うことはないのだが、中々直りませんね。それに今日は、下痢も加わりました。今は収まってますけどね。夏ばてと言うものですかね。

 精障者作業施設ショップみちくさへ。畑をほおって置くことは出来ないので・・・。雨の中、ナスやトマトを収穫。体調がすぐれないということで、畑だけで帰る。

 絵はありません。

ぼんくら俳句

      秋の雨風邪も長引く齢かな

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2014年8月24日 (日)

宇宙の話

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 絵は新聞の写真から。名前を書くと女優さんに怒られそうだから、書きません。

宇宙の話

 宇宙はビックバンで始まったと言うのは、いまや常識。
 実際には宇宙が誕生して、直後にビックバンが始まったんだってね。今、『人類が生まれるための12の偶然』と言う本を読んでいる。眞淳平・著、松井孝典・監修、岩波ジュニア新書を読んでいる。
 ジュニア向けだから易しいかというと、そうはいかないや。77歳を今年中には越えるという歳だから、ジュニヤほどみずみずしい脳みそなんぞ、持っていないや。まして、アルコール焼けしているんだ。
 何もないところから宇宙が誕生して、10の44乗分の1秒後大きさが、10の33乗分の1センチだってさ。そこから急速に膨張して、10の33乗分の1秒後には約1センチの大きさになったんだって。素粒子の大きさは10に18乗分の1メートル以下で、学者はそれを「大きさがない」と計算するそうです。年たら10の44乗分の1秒なんて、大きさなんてものは、ないより小さいと言いたくなる。
 宇宙が誕生するまでは、時間も空間もなかったって言うんだからね、こんなこと、感覚としては分かりようがない。永遠とか無限とか言うことは感覚として分からないが、時間も空間もないなんていうのは、言葉としては知っていたけれど、解説書を読んだところで、感覚はついていけない。
 生命は45億年前くらいに誕生したそうです。その時期だけに誕生し、それ以後は新しく生命が誕生するなんてことは起こらなかったそうです。私などは、昔生命が誕生したのなら、今だって場合によっては誕生するのではないかと考えていたけれど、そんなことはないらしいですね。条件がいろいろとあるんだ。
 太陽系が出来たころ太陽の光度は今より30パーセント低かったそうです。太陽は今でも光度を増していて、このまま行くと、10億年後は地球の表面温度は100度に達するんだそうだ。そのだいぶ前に、人類は滅びるのだろうけれどね。

ぼんくら俳句

      酒飲んで独りで唄う秋の宵

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2014年8月23日 (土)

川越の鷹匠?

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 秩父ミューズパークの銀杏並木、もう黄葉しはじめていました。

 長女一家来る。この時期にしては暑さが厳しくないので、川越に散歩に出る。
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 喜多院の参道で・・・ん? 川越の鷹匠? 聞けば、この鷹はまだ1歳だそうです。許可を貰って撮っても、いい写真は撮れませんね。

ぼんくら俳句

      八月のトカゲ線路を越えにけり




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2014年8月22日 (金)

「おばあさん」を読む

 

本日、絵はありません。

 『おばあさん』ニェムツォブァー著、来栖継・訳、岩波文庫を読む。文庫とはいえ細かい字で約450ページ。かなりの長編である。
 チェコ人なら大概1度は読んでいると言われる小説だそうで、国民文学、日本で言えば『坊ちゃん』みたいなものか。おばあさんは、素朴で、善意に満ちて、学校の教育は受けていないけれども、経験から得た深い知恵がある。そんな主人公がチェコの片田舎で、生きて死んでいく話。こんな地味な作品が、チェコの人々に愛されるとすると、チェコ人は・・・。

秩父ミューズパーク

 秩父ミューズパークの百日紅が見ごろだとテレビで放送していたので、行って見ました。ミューズパークの裾野の方に、樹齢の若い百日紅が咲いていて、見つけるのに一苦労。普通のコースを歩いていたら見つからないね。花も、盛りを過ぎたのかな。なんにしても樹齢が若くて、草花みたいだ。
 ここから秩父市街へ歩いてゆくのは、巡礼の道を通る。秩父には巡礼の道が幾つかあるが、ここはほとんど人が通っていない荒れた道だ。倒木をまたいだりくぐったり。スパッツが欲しかったね。くもが顔にかからないように、手ごろな棒を振り回しながら下りました。結構長い道です。そういえは、地図には健脚の道と書いてあった。

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 一番下は街中の花。何の花か知らないけれど、こっちの方がきれいだよ。

ぼんくら俳句

      人気無き巡礼古道くもの糸
 人気無きは「ヒトケナキ」と読んでください。「ニンキナキ」ではありません。









 

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2014年8月21日 (木)

何時までも暑いね

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 高谷池。(火打山中腹)

 ぼんくらカエルは暑さに弱い。寒いときは平気で歩き回るけれど、暑いときにはダレルね。グータラ生活だよ。夏風邪も引いているし。

 こっちはグータラしていられるけれど、広島は大変ですね。お見舞い申し上げます。もともと日本列島は災害列島だったけれども、近頃は其れが増幅されているようです。子どもが何人も犠牲になっている、言葉もありません。土石流って、無残です。

ぼんくら俳句

      切花のすぐに萎れる暑さかな


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2014年8月20日 (水)

夏風邪

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 西武線沿線風景。画面の3分の1を占める手前の木の葉は失敗ですね。

○ 近頃は風邪も引いたことがないのに、夏風邪になってしまいました。暑い盛りに風邪なんて、ますますむし暑くなる。いやだね。
 それにしても、鼻水ってやつは、いくらでも出るね。何処へ行くのもティシュは離せず、身の回りはちり紙の山だ。

ぼんくら俳句

      深酒のあいまに夏風邪ひきもする


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2014年8月19日 (火)

少し真面目にいきましょか

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○ 昨日の明け方、むやみに喉が痛かった。今は鼻水が止まらない。咳も少し。夏風邪ですな。

 風邪のせいなのかな、頭が混乱して、真面目なことを考えちゃったよ。

 安倍さんは、企業が景気良くなると日本の景気も良くなると考えている。でも、本当にそうなのかねえ。いくらかは従業員にも金は回ってくるだろうけれども・・・。
 もともと大企業の従業員は、中小企業、零細企業に働く人より給料は高めだよね。その人たちの給料が少しぐらい上がったって、いったい何を買いたくなるというのだろう。貧乏人を持って任ずる私でも、生活に必要なものは持っている。これといって買いたい物もない。大企業の従業員が買うとしたら、趣味に関するものくらいかなあ。荷物を家に置ききれず、レンタル倉庫など借りている時代である。これ以上何を消費しろと言うのですか。無駄遣いを期待されても、出来る人も出来ない人もいるさ。
 人口は減っているんですよね。内需が盛り上がらないのは当たり前だよ。
 女性が子どもを産みたがらないのも当たり前だね。企業は労働力が欲しくて、出来るならば使い捨ての労働力が良くて、地方から人を集めて、出来るだけ安い給料で人を働かせるわけだ。そんな中で女性が苦労して、キャリアを身につけても、結婚して子どもを生んで、仕事に復帰しようとしても、パートのおばさんにしかなれない。パートの小母さんが悪いわけではない。それなりの苦労もある。ただ、キャリアがキャリアとして通用しなくなる世の中だった。・・・すくなくともこれまでは。
 契約社員を認めたことによる、安い労働力の増加も問題。こんな給料では結婚できない、と言うような社員が増えているのじゃないのかな。子どもを持てないのは当たり前だよね。昔は会社を首になっても、直ちに住む家も無くなると言うことはなかった。今はそれさえあるんだ。人口はこれからも減りますよ。
 非正規雇用社員の身分を安定させること、首になってもホームレスにならない方法を考えること、そのような人の生活を安定させることが出来れば、子どもも生まれるだろうし、物も買うでしょう。
 買いたい物のない人の給料をあげても、消費はたいして増えない。マネーゲームに金が流れるくらいだ。
 いずれにしても、右肩上がりの経済成長なんて望めないでしょうね。経済成長がなくても幸せに暮らせる社会になることが必要でしょう。
 奪い合えば足りず、分かち合えばあまる。

ぼんくら俳句

     夏風邪の咳はあれども今日の酒


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2014年8月18日 (月)

お盆明け

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 智光山公園を散歩する家族。この家族には明日も登場してもらう予定。

お盆明け

 ショップみちくさの1週間の休みが終わり、どこかへ出かけた人は、お土産など持って、出てきました。
 畑は、なす、胡瓜、トマトの収穫。胡瓜はもう終ったと思ったのだけれど、育ちすぎて売り物にならないようなのが2本採れる。待っていた人が、それでも欲しいといったので、売ってしまいました。なすもトマトも、終わりに近い。大変なのは草むしり。

 木工は、初めてのジグソウパズル作り。

ぼんくら俳句

     もくもくと施設の子らとむしる草
     草刈の草の上飛ぶ赤とんぼ
     止める人無くて深酒秋の夜


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2014年8月17日 (日)

事後処理

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 絵は荒川。皆野駅近く。

○ 昨日は俳句大会が「何はともあれ無事に終った」といった意味のことを書いたが、実はそうでもなかった。順位を間違えていたのだ。今朝電話でTさんから指摘を受け、調べたらそのとおりだ。昨日会場で言ってくれればいいのに・・・。
 関係する皆さんに誤りと訂正の葉書を送ったり、Kさん、Rさんに連絡してTさんに賞品を送るように手配する。事後処理に追われた半日でした。

 午後、長谷川浩子さんから電話あり。そんな事情は知らないはずなのに、まるで私の苦労を知っているみたいに、昔片田さんという人が事務局をやっていて、とても苦労をしていたという話をしてくれた。

 今回は、別に私一人でやっていたわけではないけれど、私に責任があることは明らかです。こんなとき言い訳をしてもしょうがないんだよね。謝るしかない。

○ くしゃくしゃするときは、山か散歩に限る。で、3時ごろから、智光山公園往復。

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 智光山公園の池のカエル。いつも、公園の池で鳴き交わしている。私はお仲間なのに、このカエルはなじみがない。カエルと言ったら、私には何と言ったってトノサマガエルである。ふるさとで見るかえるは、9割以上がトノサマガエルだった。関東ではそうではないんだよね。ぼんくらカエルは、トノサマガエルであります。

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 この二人、夫婦のようです。御主人は尺八を吹いているようです。

駄句

 頭はチョッピリ俳句モード。ただし、駄句ばかり。

      朝風や自転車の前を赤とんぼ
      池の面をとんぼと尺八這い渡る
      秋暑し携帯電話不携帯
      緑陰のベンチに水筒忘れられ
      この池は蝦蟇の池なり鳴き交わす
      小雀やひと葉ふわりと落ちにけり
      秋暑し徘徊捜す広報車















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2014年8月16日 (土)

つばさ・夏季俳句大会

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 奥に見えるのは妙高山。木道の先に見えるのは火打山登山者の泊まる、高谷池ヒュッテ。重いリュックを背負う人、高谷池ヒュッテに荷物を預けサブザックで散策する人など。

○ つばさ・踏青 俳句大会

1位 長谷川浩子さん 22点

     仏壇に少し向きたる扇風機
     ストローが水に折れたる晩夏かな
     逝く夏の切手舐めれば丸まれり

2位   小山敏男さん

      待たされしこと口にせずビール注ぐ
      遠山に半夏の雨の透きとほる
      休み小田は寄らずに抜けて青田風 


3位  
松尾和子さん
 
 

      水神の亀が大暑を背負い来る
      何にでもマヨネーズかけ梅雨長し
      恐らくは偽の家系図紙魚走る

4  折原野歩留さん

     活けられて重さ加はる濃紫陽花
     晩年の父の形や籐寝椅子
     ままごとの続きのやうに梅を干す

5位 栗原憲司さん

     日の余熱まだある胡瓜揉みにけり
     まくなぎを払へば山の暮れてゐる
     くちなしの花人ごゑも雨に濡れ

6位 田之上ヨリ子さん

     捕虫網兄先頭にペダル踏む
     水打って退屈そうな店主かな
     夏帽子リュックにかぶせ駅の椅子

 

7位 横田周子さん

     踝を出して少女の浴衣かな
     自転車の空気が甘い大西日
     神殿に焼け焦げのあり八月来


8位 前田美智子さん

     少しずつ動き出したる蟇
     青芒揺れる長さとなりにけり
     投身のやうにつまづく夏の闇

9位
 斉藤京子さん

     山の日や草生す山の日が暮れて
     かなかなや土着野菜に塩を振り
     みどりごの言葉だいじにだいじにひろしま忌

10位 ぼんくら蛙

     雷鳴のほどには濡れず庭の土
     雨催紫深き茄子をもぐ
     外つ国の人も浴衣で蔵の街


 以上、10位まで入賞。8位、9位、10位は同じ得点(9点)でしたが、投句が早かった順位。

ぼんくら蛙の選句

 
 待たされしこと口にせずビール注ぐ  小山敏男
 この星も絶滅危惧種広島忌       佐山 豊
  野良猫がちょいと振り向く星祭     江口武夫
 水打って退屈そうな店主かな     田之上ヨリ子
 それはそれ一気に崩すかき氷     宮井洋子
 恐らくは偽の家系図紙魚走る     松尾和子
 ホースからじかに水飲む昭和の日  岡田一夫

俳句大会第2部

 今坂柳二・桑原三郎対談 『50句競作のころ』

 昭和50年ごろ、雑誌『俳句研究』では、雑誌『俳句』の角川俳句賞に対抗しようと50句競作を打ち出したということです。その、第2回目の、昭和49年11月号で、今坂先生が入選、桑原先生が佳作1席だったとか。
 つばさ俳句会はその前、昭和45年ごろからあったということです。なお、桑原先生の『犀』は赤尾兎子が亡くなったとき、関東地方のその弟子が、桑原先生を中心にして立ち上げたものだそうです。

第3部

懇親会 主として、横坂けんじをしのぶ会。

 今日は短い時間の中で、例年になく盛りだくさんで、裏方としては、苦労しました。これまでは、横坂けんじさんに、助けてもらっていたのです。其れが、横坂さんをしのぶ会ですからね。いろいろ齟齬もありましたが、何とか無事に終えられて、ほっとしています。

 あ、今日の俳句作ってなかった。まあいいや、今日は勘弁してください。 
       

     



     

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2014年8月15日 (金)

墓参

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 暑いので迷ったのだが、結局墓参りに行くことにした。いつも思うのですが、葬式や墓参などは、生きている人のためにやるもので、そんなことをしたからといって、死者は嬉しくも悲しくもない。要は、こちらの気がすむかどうかなのだ。我家の墓は高尾なので、半日強かかる。ま、熱中症にならないように気を使いながら行ってきました。墓の前で、亡妻、父、母、弟たちをチョッピリ思い出して。私は、子どものころから、よほど一人で生きていくように出来ているんだなあ。(母に早く死なれ、父とは離れ、親戚の家で過ごしていた)。

駄句

     敗戦忌墓参の人は杖突いて
     秋の雲夏の雲あり秋暑し


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2014年8月14日 (木)

痔だってさ

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 動物の絵は、私は下手だなあ。これではぬいぐるみだよ。

 お盆にはお坊さんに来て貰っている。今日、10時ごろおいでになり、仏前であわただしく経を読み、次に回る。書き入れだものナア。

 とにかく早かったので、午前中に狭山台胃腸科外科に行く。直腸と言うのは何処から何処までなのか分からない。特に肛門付近の境、何処から直腸になるのだろう? 本来は明日か19日に行く予定だったけれど、暇ができたから行きましょうと言うことですね。最悪は癌かと思ったけれど、こんなものは先に延ばしてもしょうがない。どっちにしたって、はっきりさせなければ前へ進めないのである。結果は「痔」だってさ。

 癌だったら、ぼんくら日記が、闘病日記になるところだった。痔の闘病日記では、しまらないや。

駄句

     宵闇のじわじわ暑き雨催


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2014年8月13日 (水)

俳句大会最後の打ち合わせ

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 絵は智光山公園です。

 Yさん、Sさんと共につばさ俳句会夏季大会最終うちあわせ。小さい会なのに、やるとなれば、いろいろ雑用はあるのです。大会当日の欠席者の選句なども、あらかじめ1欄表に記入しました。
 あとは大会当日、齟齬がないようにうと言うことですが、あるに決まってますよ。私が司会をするのですからね。少々の失敗などには動じないずうずうしさが、私にはあると言うことです。でも、寝るときになると、いろいろ後悔したりはするんですよ・・・。

 心配なことがひとつあります。私は直腸癌になったかもしれない、と言うことです.気がついたのは新潟の山の縦走から帰った日でした。つまり7月の30日夜。肛門の入り口にできものがあります。直腸がんの検査では、医師が肛門に指を入れて検査をするようですが、私の場合は、腫瘍が出来ているのが、外から見ても分かるのではないかと思います。痔かな、癌かな、その辺の事情が私には分かりません。直腸とは何処からどこまでを言うのでしょうか。忙しくて中々診てもらう機会がなく、15日か、19日に診てもらおうと思っています。

駄句

      被爆地を海が繋いで敗戦日
      秋めくや電気バリカンで髪を刈る
      高山の紫の花白い花
      湿原のワタスゲ池塘を配しつつ
      頂上に神棲みたもう五月晴れ



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2014年8月12日 (火)

小指の長さ

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 奥に見える青い山は妙高山。下手な絵だけれど、描いちゃったもの、しょうがないや。

 『サルの小指はなぜヒトより長いのか』石浦章一・著、新潮文庫。まだ読み終わってはいないが、明日には終るでしょう。本の題名は思わせぶりだが、内容は遺伝子に関する本です。著者は東大の教授で、東大の、主として一年生相手に講義した内容が本になっています。相手は、ちょっと優秀な高校を出た子供たちと言うことですね。
 川越の紀伊国屋書店で、私が立ち読みしたのは、小指の長さに興味があったからで、した。でも本の中身は、小指の長さなどほとんど関係がなくて、著者は、そういう題の方が人を惹きつけやすいと思ったから、そんな題にしたのでしょう。私は立ち読みだけで済ますつもりで手に取ったに過ぎないのですが、遺伝の話が面白く書かれていると思ったので、買うことにしました。
 第1講義から第9講義までが本になっていますが、第7講義まで読み終えたところです。小指の長さについては、立ち読みしたときには、何処に書いてあるのか分かりませんでした。今は、どこかに書いて
あったなと言う記憶はあるのですが、このブログを書くにあたって見つけようとしたのですが、どこかに書いてあったいう記憶が残るのみで、見つけることが出来ませんでした。つまり、どうでもいいようなエピソードのひとつとして、小指の問題が取り上げられていたに過ぎません。
 立ち読みした理由は、私の小指が異常に長いということです。手相と言うのもありましてね、普通の人は頭脳線が1本ですが私は左右とも2本あります。と言うか、左手などは3本といってもいいくらいです。そんなことで興味を持って、他人の手を見せてもらうこともあるのですが、何十人か見たと思います。頭脳線と小指に関して、私と同じような手を見たことがありません。
 小指は、薬指の第一関節の線辺りで終るのが普通のようです。私の見た範囲では、其れより短い人も結構います。でも、私は長いのですね。薬指の第一関節から上に、1センチあるいはそれ以上長いのです。私はどちらかと言うと、薬指も長いのです。ずいぶん人の手相を見せてもらいましたが、こんな手相はありませんでした。
 たった一つの例外は、ピカソの手相です。何かの写真で見たのですが、薬指の長さ、小指の長さが私と同じでした。手相が当てにならないのは、私にはピカソほどの才能がないということですなあ。
 まあそんな訳で、この本を読んだのですが、小指は、サルが枝を掴んでぶら下がるために長いんだってさ。だから、小指が短い方が、進化してるんだって。してみると、私はサルに近い人間です。サルはスケベなんだよ。でも、私にはオスの能力はもうないけどね。今はスケベに憧れるだけさ。

駄句

       秋めくや電気バリカンで髪を刈る

 これまでは市内の温泉『大和の湯』で散髪をしていました。だ散髪だけで髭もそらないわけですが、1000円でした。大和の湯がなくなって、散髪をする場所がなくなりました。で、1900円で電気バリカンを買いました。2回やれば元が取れるんだね。今日1回やりました。あと一回、楽勝だなあ。.


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2014年8月11日 (月)

野菜の収穫

003

 火打山登山道に入って、最初の見所、黒沢橋から見た風景。太い倒木が沢に架かっています。

 精障者作業所「ショップみちくさ」は1週間の夏季休暇。ナスやトマトは、人間の休みに関係なく育ちます。で、一人で畑へ。今日の収穫は、私個人で消費します。

001

 なす11本、790グラム。ミニトマト1900グラム。赤とピンクと黄色の3種類。なすとトマト、当分買わなくてもいいや。何はともあれ、無農薬ですから、安心です。

「本のないお話」、今日、最終回。

駄句

     青き葉の吹き寄せられて野分あと




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「本のないお話」・6

       「本のないお話」・6

      お握りを食べて

 みち子たちは、もとの家の方に帰ることにしました。けれども、建物がみんな燃えてしまった街では、方角が良く分かりません。
 帰る途中、道端のあちこちに、逃げ遅れて焼け死んだ人が倒れていました。赤ん坊をおんぶしたまま倒れている人もいました。防空壕のなかで死んだ人が、担架で運び出されていました。担架に乗せられた人の首が、胴体から離れて、道に転がり落ちるのも見ました。
 家の近くまで行っても、本当に家のあったところは、なかなか分かりません。
「お母さん、あの木、久保田さんの家の松ノ木みたい」
 焼けただれた松ノ木を見つけて、やっと自分の家があったところがわかりました。
 男手のある人たちは、焼け残ったトタン板や棒切れを集めて、掘っ立て小屋を作っていました。焼け残ったのは、コンクリート作りの、公園の便所くらいです。その便所に陣取った人たちもいました。
 みち子たちは何も出来ず、ただぼんやりと座っていました。けれども容赦なく夜は近づいてきます。仕方なく、玄関があったところの土台石に沿って土の土手を作り、二人がやっと寝られるだけの窪みを作りました。二人はそこに横になり、拾ってきたトタン板で、近所の人にふたをしてもらいました。トタン板が風で飛ばされないように、石の重しもをてもらいました。
 逃げるときかぶっていた布団は、何処でなくしたのか、もう、持ってはいませんでした。
防空頭巾を枕にして地べたに寝たのですが、疲れていたので、ぐっすりと寝ました。朝になると、下からトタン板をドンとつつきます。すると近くの人が気づいて、石の重しを取り、トタン板をはずしてくれます。
 こうして何日か過ぎました。ある日、役所から、お父さんが戦死したと言う知らせが届きました。お母さんが、遺骨の入った箱を貰ってきました。その箱があまり軽いので、中を開けてみると、「御霊」と書かれた紙が入っていただけでした。
 その晩、トタン板をかぶせてもらったあとで、お母さんがみち子の手を握りながら言いました。
「私は信じない。お父さんが本当に死んだのなら、遺骨があるはずだもの。紙切れなんて、私は信じない」
「そうよ。お父さんが死ぬはずないわ。みち子がお嫁に行くときは、すばらしい琴を作ってあげるって、お父さんはいつも言ってた。私の琴を作る前に死ぬはずがないわ」
 みち子は本気でそう思いました。だから二人は、お父さんが死んだなどとは、信じないことにしました。

 次の日、山梨の伯父さんが尋ねてきました。
「やあ、二人とも無事でよかった。本当に良かった」
 でも、お父さんの遺骨の箱を見ると、びっくりして口をつぐみました。そして、リュックサックを背負ったまま、手を合わせました。
「俺のところは田んぼはないんだ。畑ばかりだから、米は陸稲だ。量も採れない。なけなしの米で作ってきたんだ。食えよ」
 伯父さんはリュックからお握りを出して、二人に渡しました。みち子は、そのお握りを、指についた飯粒まで、全部食べました。家の焼け跡を見たときにも、お父さんの遺骨の箱を見たときにも流れなかった涙が、あとから、あとから、あふれ出るのでした。

      楽しいお話を作ろう

「お話はこれでおしまいです」
 山田先生はそういって口を閉じました。しばらく、みんなは何も言いませんでした。それから誰かがつぶやきました。
「みち子は、そのあと、どうなったのかなあ」
「先生、その後のお話もしてください」
「その続きを話してください」
 みんなは口々に言いました。でも、先生は黙って窓の外を見ていました。なんだか、泣いているみたいでした。
「分かった。みち子は先生だ」
 正夫が言いました。みんなはびっくりして正夫を見ました。
「だって、先生は山田みち子先生だもの。山梨の伯父さんが迎えに来たんだもの。だって、先生のお母さんは山梨にいるんだもの・・・」
 先生は何も答えず、ただ遠くを見ていました。先生はやっぱり泣いているのでした。

 やがて先生は、みんなに向かって言いました。
「人間は誰でも、自分のお話を持っています。本に書いてあるお話もあれば、書いてないお話もあります。
誰かに聞いてもらえるお話もあれば、誰のも聞いてもらえないお話もあります。たとえば空襲で逃げ遅れて死んだ人も、自分のお話を持っていたのに、誰にも聞いてもらえませんでした。皆さんもこれから、お話を作りながら生きていくのです。出来るだけ楽しいお話を作ってください。何年かあとで先生と会ったとき、今度はそのお話を、先生にしてください。
 先生の顔は、もう、いつものニコニコした顔に戻っていました。
                            
                                終わり

 

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2014年8月10日 (日)

大型で強い台風ビルの谷

001

 埼玉県議会便りの表紙の写真を絵にしてみました。

○ 大型で強い台風が、四国と中国地方に上陸。埼玉辺りでも、その影響で、かぜは一日中、雨は断続的に続きました。
 そう言えば何時だったか「大型で強い
台風ビルの谷」と言う俳句を作ったことがあったっけ。
 山の会の定例山行日でしたが、台風で中止。といって、外へ出て行く気もせず、一日中家で過ごす。この機会に俳句大会の必要な刷り物を全部やってしまおうと思って、句番号表、各人の得点表、選句表、順意表などを作る。句番号表以外は、句会当日完成させるもの。
 明日、欠席者の選句締め切り。13日実行委員最後の打ち合わせ。めどがつきました。

○ 「本のないお話」・5をアップ。あと一回で終るかな。
 戦争の本当の被害者は、兵隊に取られた人、原爆や空襲で命を失った人である。私などは、空襲には遭ったけれども、のうのうと生きている。それでも「本のないお話」は書かなければならなかった。戦争を知る最後の世代として、あんな馬鹿なことを繰り返してはならないと言う意味をこめて、どうしても書かなければならなかったものです。
 戦争の被害を受けた人は、皆言うべき事を持っています。しかし、それを言える人は、ごく少数でした。言える場を持たず、言える機会を持たず、言える言葉を持たずに、黙って死んでいくのです。そして人間は過ちを繰り返すのです。
 人類は永遠に生きられるわけではありません。いつか滅びるのです。しかし、自分で自分を滅ばしていいものでしょうか。良いわけはないけれど、いつかその日が来るように思います。しかもそれは、案外近いかもしれない・・・。

駄句

      夕映えの雲に紅さす野分あと



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「本のないお話」・5

      「本のないお話」・5

    東京大空襲

 毎日のように空襲がありました。昨日まで元気に登校していた友達が、何の前触れもなく、学校に姿を見せなくなることがありました。空襲で亡くなるのです。疎開して行く」友達もいました。残っている子どもたちも、近いうちに学童疎開になると言う話です。
 お母さんがみち子に、疎開の相談をしました。
「お父さんは兵隊に行ってしまったし、このままだと、みち子は学童疎開になるし、家中が離れ離れになるわね」
「そんなの、嫌だわ」
「山梨の伯父さんを知っているでしょう。あの伯父さんがね、来てもいいて言うの。みち子はどう思う」
 お父さんが兵隊に取られてからというもの、お母さんは何でもみち子の相談します。お母さんは末っ子です。山梨の伯父さんはお母さんの一番上の兄さんで、富士山の裾野で開拓をしているのです。荒地や畑を切り開いて畑を作っています。伯父さんは背は低いけれど、がっちりと肩幅の広い人です。お母さんは痩せて背が高いので、兄弟でもずいぶん違うんだなあと思っていました。
 去年は、開拓地で採れた野菜と、山ぶどうで作ったというぶどう酒を持ってきてくれました。お父さんとぶどう酒を飲みながら、何かしきりに話して、大声で、
「アハハハ」
 と笑いました。
「あ、伯父さん、のどちんこが見えた」
 みち子が冗談を言うと、
「女の子がそんなことを言ってはいけない。アハハハ」
 と、また笑いました。
「あの伯父さんなら、私好きよ」
「でも、開拓地だから、生活は苦しいのよ」
「苦しくても、東京にいるより安心なんでしょう?」
「そうね。お父さんが帰ってくるまで、伯父さんの所に行きましょう」

 そんな話をした晩にも、空襲がありました。焼夷弾がこれまでになく近くに落ちてくるような気がします。みち子とお母さんは、びっくりして、布団をかぶって逃げました。
 でも、その日の空襲では、みち子の家の辺りは無事でした。みち子たちが帰ってくると、警防団の人たちに、
「あんな空襲で逃げ出すなんて、臆病者だ」
 と笑われてしまいました。
 それから二、三日して、また空襲がありました。でも、今逃げ出したら、また臆病者だと笑われるかもしれません。じっと辛抱していました。
 けれども、攻撃はますます近くなってきます。どうにもたまらなくなって、みち子は隣雲の班長さんの家に、もう逃げていいかどうか聞きに行きました。ところが驚いたことに、班長さんたちはもう逃げたあとでした。そればかりではありません。警防団の人も含めて、隣組の人は、誰一人残っている気配がありません。
 みち子が青くなって帰ってくると、さすがにお母さんは、逃げる用意をして、玄関でみち子を待っていました。二人は防空頭巾の上から布団をかぶり、まだ火の回っていない方に向けて走り出しました。
 みち子たちは、上野の山を目指してて逃げました。あっちからも、こっちからも、上野の山に向かって逃げる人がいました。
 逃げる途中の街角で、何人かの人が並んでいました。見るとポンプの井戸があって、男の人が二人でバケツに水を汲み、先頭の人にかけてやっていました。みち子たちも列に並んで、水をかけてもらいました。
「私とお母さんに、もっと水をかけてください」
 と、みち子が言うと、バケツのおじさんは、ギロリとみち子をにらみました。
「皆並んでいるんだぞ。一人に一杯だけだ!もう、火が回ってくる、早く逃げろ!」

 それから先は、何処をどう走って上野の山まで逃げたのか、何も思い出せません。上野の山で、何回か寝たような気もします。何か食べたのでしょうか。それさえも覚えていませんでした。ただ、いつまでもいつまでも、家々が燃え続け、不気味な赤い空を見ていたことだけを覚えています。

 気がつくと、あたり一面、焼け野原でした。

                            続く
 

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2014年8月 9日 (土)

花の踊り子

     

002

 小ぶりのひまわりを貰い、名も知らぬ草と一緒に一輪挿しに活けて見ました。絵に描いてみると、なんだかこの花バレリーナみたい。

001

 箱庭というのはあるけれど、これは何という? 坪庭と言ったら意味が違ってしまうしナア。御近所の家の前です。

駄句

      緑陰を編みあげし髪揺らし行く




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「本のないお話」・4

      「本のないお話」・4

    道具を埋めるお父さん

 戦争中でも、みち子たちの学校には給食がありました。一年生のときは、給食にご飯が出ました。家から、おかずと、空の弁当箱を持っていきます。お昼になると、1年生から順番に、小使いさんの部屋の前に行きます。大きな釜にご飯を炊いていて、小使いさんが空の弁当箱にご飯を入れてくれます。2年生になると、ご飯の代わりに、コッペパン一個になりました。そのころには、おかずうを持ってくる生徒はいなくなりました。ジャムもバターもつけないパンを、水を飲みながら食べるのです。
 やがて土曜日は、玄米パンになりました。すぐに水曜日も玄米パンになりました。それから給食がなくなりました。
 家では、皆雑炊を食べていました。雑炊は、どろどろしたお湯の中に、ありあわせの野菜が入り、お米がほんの少し混ざっていました。雑炊も配給で、三食ごとに雑炊を作るお店の前に鍋を持って並ぶのです。お店の人が、その家の配給の分だけ、大きな柄杓で雑炊をすくって、鍋に入れてくれます。みち子も、よく鍋を持って並びました。戦争が終って何年もたってから、豚の餌を見たとき、あのときの雑炊に似ていると思いました。

 そのころお父さんは、強制疎開の家を壊す仕事はやめて、メガホンと荷札を売る仕事をしていました。
 メガホンは、警防団の人が、
「空襲警報発令!」
 とか、
「警戒警報発令!」
 などと叫んで歩くために必要でした。また、配給のお知らせや、そのほかなんでも、メガホンで知らせあいました。
 荷札は、疎開する人が荷物を送るために必要でした。疎開する人は多いし、荷物は乱暴に扱われるので、紙ではなく、ベニヤ板の荷札を使うのです。
 荷札はその四隅を止める四本の細い釘と一緒に売りました。釘は、錐で穴を開けてから打たなければ曲がってしまうような細い釘です。そんな釘でも、荷札を買ってくれる人の要望で付けることになったのです。そして、そんな釘しか手に入れることが出来なかったのです。

 お父さんは自転車に、メガホンと荷札を積んで、東京中を売り歩きました。ある日は、荒川の近くに行っていました。ふと気がつくと、「警戒警報」も「空襲警報」もなかったのに、アメリカの飛行機B29が、真上にいました。警報はいつでも遅れ気味なのです。B29が焼夷弾を落とすのが見えました。お父さんは手元のメガホンで、
「焼夷弾落下!」
 と叫びながら、自転車で、全速力で逃げました。荒川の土手まで来たとき、焼夷弾は、目の前の荒川に落ちました。あわてていたので、焼夷弾が落ちるほうへ逃げたのでした。
 家に帰ってその話をしたお父さんが言いました。
「今日は命拾いをした。お前たちの疎開先を早く見つけなくちゃいけないなあ」

 昭和二十年一月、お父さんは補充兵として入隊することになりました。お父さんは、カンナやノミを丁寧に研いで、油を引き、新聞紙にくるんで油紙をしいたりんご箱に入れました。さらにその箱を油紙で包み、庭に穴を掘ってその中に埋めました。
 そのころは、ラップもビニールもありません。濡らしたくないものは油をしみこませた紙に包んだのです。
「道具はね、使う人がいなくなると不思議に早く錆びるんだ。なんでかなあ」
 みち子がそばに行くと、お父さんが話しかけました。
「まして土の中に埋めたら、錆が早いだろうなあ。そうかといって、出して置いたら空襲でやられるかもしれないし」
 最後は独り言のようにつぶやきました。
「俺は、満足な琴は一つも作れなかった・・・」
「元気で帰っててきて、もっともっと、良い琴をたくさん作ってください」
 いつの間にかそばに来ていたお母さんが言いました。
「うん。死にやしないさ。だけど、また琴を作れるような時代が来るのかなあ・・・」
「来ますとも。きっと、来ますとも」
 そういうお母さんは少し涙声でした。
                            続く

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2014年8月 8日 (金)

水彩画の会

001

 水彩画の会で描いたもの。8月3日の朝に描いたものと似ています。

             006

 どちらがいいかねえ。朝、ちょっと書いたものと、絵の会で描いたものと、違いはないねえ。

駄句

     雪渓を映して朝の池塘かな

「本のないお話」・3 アップしました。




      

       

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本のないお話・3

       本のないお話・3

    さよなら、さっちゃん

 昭和19年、みち子は三年生になりました。同級生のさっちゃんはみち子とは大の仲よしです。
 その日も、二人は石蹴りをして遊んでいました。そこへ何人かの男の子がやってきて、みち子に声をかけました。
「兵隊ごっこしようぜ」
「ええ、私は航空兵になる」
「ばかだな。女の子は従軍看護婦さんだよ」
「看護婦さんはいや。工兵でもいいわ。工兵なら橋を架けたり出来るから」
「でも、私は看護婦さんをやりたい」
 いつも優しい、さっちゃんが言いました。
「お前は駄目だ。お前の家は強制疎開なのに、まだ疎開していないじゃないか。お前は非国民だ」
 ひとりの男の子が言いました。みち子は、はっとしました。さっちゃんの家が強制疎開になるなんて、少しも知りませんでした。
「非国民じゃないもん。疎開するもん」
 さっちゃんは真っ赤になり、下を向いて、小さな声で言いました。
 疎開と言うのは、空襲を避けて田舎の方へ引っ越すことです。強制疎開というのは、一定の区域を決めて、そこに住む人たちを強制的に立ち退かせることです。強制疎開と決まった区域の人たちは、立ち退く先があってもなくても、決められた日まで引っ越さなくてはならないのです。みち子の家は東京の市ヶ谷と言うところにありました。近くに陸軍の大事な施設があり、そこを守るためなのかどうか、みち子の家の道路の向こう側が、強制疎開になりました。
「そうだ、非国民だ」
 他の男の子たちも、口を揃えて言いました。
 非国民と言うのは、戦争中では最も強い非難の言葉でした。国を挙げて戦争をしているのに、その戦争に協力しないとんでもない人、という意味がありました。
「引っ越すもん。非国民じゃないもん」
 さっちゃんはもう一度小さな声で言うと、泣きながら家の方へ走っていきました。
「あんたたちなんかと遊ばないよーだ」
 みち子は男の子たちに赤んベえをして、さっちゃんのあとを追いました。

 そのころ、みち子のお父さんは大工の手伝いをしていました。琴は大川さんに売ったのが最後で、それっきり売れなくなったのです。戦争になって琴が売れたのは、ほんの僅かな間だったのです。
 大工の手伝いといっても、空襲の激しい東京で、家を建てる人はいません。だから、強制疎開の家を壊す仕事をしているのです。さっちゃんの家が強制疎開になると聞いて、はっとしたのは、お父さんがさっちゃんの家を壊すのではないかと思ったからです。
 昨日、お父さんがお母さんにいっていました。
「俺は今の仕事はいやだ。まだちゃんと人の住める家を壊すなんて、いくら何でももったいないや。屋根をはがして、壁をぶち抜いて、梁に縄をかけて皆で引き倒すんだ。その家を建てた大工が見たら、何と思うかねえ。皆で縄を引っ張っていると、柱がギイギイいうんだ。家が泣いているように聞こえるよ。職人は物を作るのが仕事だよ。それなのに今の俺と来たら、家を壊しているんだ。情けないったらありゃあしない。皿一枚でも、わざと割るのはいやなもんだ」

 さっちゃんが家に帰ると、さっちゃんのお父さんとお母さんは荷造りをしていました。さっちゃんを見てお母さんは腰を伸ばして言いました。
「おや、また泣いて帰ってきたの。泣き虫だねえ」
「おばさん、男の子が悪いの。だって、強制疎開なのにまだ疎開していないから非国民だなんて、みんなでいじめるんだもの」
 さっちゃんを追ってきたみち子が言いました。それを聞いて、さっちゃんのお父さんが怒り出しました。
「うちは非国民なんかじゃない。明日疎開する。だから荷造りしてるんだ」
「そうなのよ、みち子ちゃん。お父さんの友達の紹介で、やっと引越し先が決まったの。お父さんも私も東京の人だから、強制疎開といわれても、急には疎開先も見つからなくてね」
 まるで大人に話すように、さっちゃんのお母さんが言いました。
「みち子ちゃん、さち子と仲良くしてくれてありがとう。疎開先で落ち着いたら、さち子に手紙を書かせるから、あなたもお手紙くださいね」
「はい」
 頭をコックリすると、みち子は走ってうちへ帰りました。さっちゃんとお別れ言うのが辛くて、黙って走りました。涙があふれそうでした。

 その日の夕方、さっちゃんがお手玉を三つ持ってきました。
「みち子ちゃんと遊んだお手玉よ。お母さんが作ってくれたものなの。六つあるから半分上げる。そうすれば、離れていても同じお手玉で遊べるもの」
 みち子は缶詰の空き缶を持ってき、て中に入っているおはじきを、新聞紙の上に広げて言いました。
「ねえ、これも半分ずつにしましょう」
                        続く








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2014年8月 7日 (木)

立秋

001

 火打山への道

 今日立秋だなんていわれても、あくまで暦の上だけの話。今日から先は残暑見舞いだなんて、ぴんと来ないね。

 「本のないお話」の 2 をアップしました。ついでに読んでね。

駄句

     今日からは残暑だなんて嘘だ嘘だ


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本のないお話・2

     本のないお話・2

   お父さんの仕事

 みち子のお父さんは、琴を作る職人でした。住んでいる家の庭に、小さな仕事場があって、そこで琴を作っていたのです。琴は桐の木で作ります。それから、シタンとかコウキとか言う木を使います。シタンやコウキは石みたいに硬くて水に入れると沈みます。
 みち子は小さいときから、お父さんの仕事場に行くのが好きでした。仕事のじゃまになるときは、
「あっちへ行きなさい」
 と言われます。でも、お父さんのそばにしゃがんでカンナやノコギリやノミで、木を削ったりするのを、見ることができるときもありました。仕事場にはいろいろな道具があります。みち子の手のひらに隠れるような、小さなカンナもあります。ある時そのカンナで板を削らせてもらったら、みち子の力でもちゃんと削ることが出来ました。
 そのころ、みち子は国民学校に二年生でした。今の小学校のことを、太平洋戦争のときには、国民学校といっていたのです。そうです。みち子がみなさんくらいの時には、日本は戦争をしていたのです。ですからこのお話は、戦争中のお話です。
 みち子が一年生のときは、お母さんが鉛筆を削ってくれました。二年生になると、お母さんが肥後守と言う小刀を買ってくれました。そのころ流行っていた小刀で、刃が柄のなかに折りたためるようになっていました。みち子のクラスの男の子は、たいてい肥後守を持っていました。女の子も何人かが持っていました。お転婆で、男の子とけんかをしても負けないみち子が、肥後守を欲しくないはずがありません。お母さんは、それをちゃんと知っていたのです。
 そんなことを知らないお父さんも、みち子に小刀を作ってくれました。切り出し小刀の刃を買ってきて、柄と鞘をつけ、刃先を研いで作ってくれたのです。ところが、みち子が肥後守を持っているのを知って、なんだかつまらなそうな顔をしました。そして、
「これを使え、こっちの方が切れるぞ」
 と言いました。
 本当に、お父さんの作ってくれた小刀の方が良く切れました。だから家では、切り出し小刀で鉛筆を削ります。でも学校には、肥後守を持っていきます。皆と同じものだからです。

 ある日みち子が学校から帰ってくると、お父さんが畳の上に湯飲みを置いて、お酒を飲んでいました。このごろはお酒が手に入らないので、大切にしていたことを、みち子は知っていました。それなのに昼間からお酒を飲むなんて、いったいどうしたのでしょう。お父さんは何かぶつぶつとつぶやいています。
「ふん、何が『琴屋こっちへおまわり』だい。こちとらは犬ころじゃねえんだ。勝手口へまわしておいて、『はい、これがお代だよ』なんていいやがる。御用聞きじゃねえんだ。勝手口はねえだろう。べらぼうめ、お前なんかに琴の良し悪しが分かってたまるかってんだ」
 お父さんは江戸っ子なので、悪口を言うときには、べらんめえ口調になるのです。
 みち子は台所のお母さんに聞きました。
「ねえ、お父さんはどうしたの?」
「それがね、大川さんにお琴を届けに行って、帰ってきたらあの調子なの。よほど面白くないことがあったらしいわ。高い琴を頼まれたので、喜んでいたのだけれどねえ」
 みち子は知らなかったのですが、ここ何年かは、琴があんまり売れなくなっていたのです。それなのに戦争になったら、かえって高い琴が売れるのです。不思議なことに、安い琴と高い琴が混ざって売れるのではなく、高い琴だけが売れるのです。
「心配していたけれど、戦争になったら。かえって景気が良いや。もっとも、丸山さんは別だけれど、今買ってくれる人は、どうせたいして弾きやしないんだ」
 いつか晩御飯のとき、お父さんが言っていました。
「そんなこと、どうして分かるの?」
「練習用に安い琴を買って、演奏会のときに良い琴を使うとか、下手なうちは安い琴を使って、上手になったら高い琴を使うのが普通なのさ。あの人たちは、初めから高い琴だけだもの」
 初めに買ってくれたのは、軍人の丸山さんの奥さんでした。お父さんの琴をとても気に入ってくれて、軍人や、軍のために必要なものを作る工場のえらい人を、何人も紹介してくれました。お父さんとお母さんの話のなかに「丸山さん」と言う言葉が良く出てくるので、みち子もその名前を知っていました。今日琴を持っていった大川さんも、丸山さんの紹介だったのです。
「おい、酒がないぞ」
 お父さんが怒鳴ります。
「もうありませんよ」
 お母さんが答えます。
「買って来い」
「いまどき、お酒なんか簡単には買えませんよ。あなただって知ってるでしょう」
 お父さんはまだ飲み足りなそうでしたが、、何かぐずぐず言いながら畳に横になり、そのまま眠ってしまいました。
                              続く


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2014年8月 6日 (水)

本のないお話

    

本のないお話(1)

   終業式の後で

 三年三組の教室はとても賑やかでした。今、終業式が終わったばかりです。終業式では、担任の山田美智子先生が、山梨へ行ってしまうという話がありました。この学校では、担任の先生はたいてい二年くらい同じクラスを受け持ちます。だからみんなは、四年生になっても、山田先生が担任になるのだとばかり思っていました。それなのに、終業式で、山田先生が学校を辞めると発表されたのです。

 教室のドアが開いて、山田先生が入ってきました。
「先生、どうして学校辞めるの?」
「何で今まで内緒にしていたの?」
 みんなは口々に聞きました。
「今まで黙っていてごめんなさい。言うと寂しくなるので、わざと言いませんでした。実は先生のお母さんが、ずっと遠い山梨の田舎に住んでいます。そのお母さんが歳を取って、体が弱くなったので、先生が一緒に住むことになったのです」
 先生が静かに話しました。
「私が皆さんくらいの時、日本は戦争をしていました。それから戦争が終って、誰もが苦しい生活をしていました。そんななかで、お母さんは苦労をして私を育ててくれました。今度は私がお母さんの世話をしようと思います。ですから田舎へ行くことに決めたのです」
「先生のお母さんは病気なの?」
 和子が聞きました。
「ええ、悪いところもあるようです。でも、先生は学校を辞めますが、皆さんは今までと同じ元気な四年生になってください。みんなのことはいつまでも忘れませんよ。やめる話は、それくらいにしましょうね。落ち着いたら先生がみなさんにお手紙を出します。もなさんも、きっとご返事をくださいね」
 みんなは、もっともっと話を聞きたいと思いました。でも、先生はそれ以上話してくれそうもありません。クラス中がシーンとしました。いつもは賑やかな正夫も、なんだか淋しくなってきました。その淋しさがたまらなくなって、わざと大きな声で言いました。
「先生、今日は本を読んでもらう日です」
「あっ、そうだ。お話の日だ」
「本を読んでください」
 宏も、次郎も言いました。山田先生は一週に一度、みんなに本を読んでやっていたのです。みんなはそれをとても楽しみにしていました。
 教室が少しざわざわしてきました。
「そうですね、お話の日ですね。だけど、今日は本を読みません」
 いつもの、少しいたずらっぽい目をして先生が言いました。
「ずるい。お話が無しだなんてずるいと思います」
 びっくりするほど大きな声で、正夫が言いました。先生はくすりと笑いました。
「本は読まないけれど、お話はします。今日は先生の知っているお話をします。本のないお話です」
 みんなはお話しが聞けると知ってほっとしました。でも、本のないお話って、どんなお話でしょうか。クラス中がまっすぐに先生の方を見ました。先生は静かに話し始めました。それは、次のようなお話でした。
                       続く

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広島原爆忌

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 今日原爆忌。ブログなどでは、あの人もこの人も触れているでしょう。でも、今日がどんな日か分からない人も多い時代になった。安倍総理が広島で何事か言ったようですが、あの人は言葉の人ですね。危ない方へ日本を導いているではないですか。

 いつも書いていることではあるが、戦争でも原爆でも、あるいは震災でも原発事故でも、いくら語り継ごうとしても、知識でしかなくなる。私がいくら力んでも、明治維新や日露戦争については、あやふやな知識以上のものは持ち合わせない。明治維新についての皮膚感覚など持ちようがないのだ。せめて知識だけはしっかり伝えたいと思う。

 私は戦争反対の気持ちをこめて、3つの作品を書いている。このブログなどはどうでもいいのだが、その3作品は、大したものではないけれど、気持ちをこめて書いただけに、出来れば読んでもらいたいと思っている。

 今日から1週間くらいの予定で、そのなかの1作品「本のないお話」をアップします。一応童話と言うカテゴリーにしましたが、小説とするほうが適当かも知れません。登場人物は架空で、筋を運ぶためのフィクションはあリます。しかし、作品のなかに出てくるエピソードは、私自身が経験したか、経験した人から直接聞いた話で構成されています。又聞きの類は排除しました。最後の部分を書く時には、本当に泣きながら書きました。泣きながら書いたからといって、作品の価値があがるものではありませんが、私としては、書いておかなければならなかった作品です。

 ブログを書き始めたときに、一度アップしましたが、もう消えていますので、改めてもう一度、と言うわけです。

駄句

     原爆忌健忘症の国にいて






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2014年8月 5日 (火)

炎天

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 高谷池ヒュッテ

 7月28.29.30日の山行では、高谷池ヒュッテと、黒沢池ヒュッテに泊まりました。高谷池ヒュッテは絵になりますが、黒沢池ヒュッテは描く気がしません。内部はそれなりに考えられた作りで、感心するところもあったのですが、外観は安っぽいドーム型で絵にしたいとは思いませんでした。
 かえるのたわごとは匿名のブログなので、政治家などを除いて、他人の悪口などはなるべく書かないように気をつけています。自分の身分を明かさないで他人を批判するのは、卑怯だと思うからです。でも、黒沢池ヒュッテの親父については一言いいたい。
 朝、黒沢池ヒュッテでは4時半に朝食。山小屋で朝食が早いのは利用者にも都合が良い。われわれのグループは、朝食を終えて5時に出発。妙高山に登頂し、ヒュッテ前に10時半頃到着。朝が早かったので、ヒュッテ前のベンチで昼食にすることにした。11時か11時半には下山開始のつもりである。朝、出発前に黒沢池ヒュッテで用意してもらった昼食を食べようとしていると、ヒュッテの親父が出てきて、「昼には40人ほどの学生が来るので、ここで昼食を取るな」と言って、われわれを追い払った。
 昼まで居る訳ではないのにね、飯くらい食わせてもいいと思うよ。前日泊まっているのだし、食うのは親父の用意した昼食だよ。それに前日は、1時半頃小屋に着いたけれども、宿泊手続きは3時からということで、外で待っていたのだ。それなのに、人を追い払うときには11時でも出てくるんだね。われわれが昼食を終えて下山を開始したときには、小屋にはまだ誰も来ていなかった。厭な、頑固親父だね。

○ こぶし福祉会、かすみ川食堂の包丁研ぎボラ。この暑い日、バス代かけて只で包丁研いで、バス代かけて帰ってくる。でもこれ、只だからやれるんだね。お金貰うんでは、ばかばかしくてやってられないよ。

駄句

     何という炎天雲さえ動かぬ
     片影にバス待つ我は風が欲し
     炎天や死者も生者も知己多し

 知己も鬼籍に入る人が多い齢です。そのうち私も・・・。



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2014年8月 4日 (月)

七夕の竹を貰う

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 池塘のある風景(高谷池ヒュッテ)
 ヒュッテの屋根は分かりやすい色にしています。じっさいはもっと地味です。山小屋は緊急避難意味もあるのだから、もっと派手な色がいいと言う意見もありました。目立たずに自然と調和する色と言う考え方もあるので、なんともいえません。私は、たとえば屋根がオレンジ色だとしても、自然との調和が崩れるとも思いません。それはそれでいいかな、と言う感じ。この絵では山小屋だけペンで描いていますが、オレンジ色だったら、それはしないかな。

 七夕の竹は朝7時から業者が取り外す。七夕飾りを挙げたり降ろしたりするのは、われわれ素人でも出来るが、あの太い竹をしっかり立てたりするのは、やはり専門家でなければできない。取り外した竹を要所要所に置いておき、今度は別の業者がそれを回収に来る。
 私はショップみちくさの自主作品作りの材料として、その竹が欲しい。社協の駐車場は、いくつかある竹の一時保管場所だ。で、今朝8時過ぎ社協に出かけ、みちくさで使いたい竹をワゴン車に乗せられるくらいの長さに切って、20本くらいを片隅に寄せ、教材として使わせてくれるように紙に書いて貼り、社協の職員にもその旨を伝えてひとまず帰る。
 みちくさではいつものように畑へ行き、ナスやトマトの収穫をして、Kさんの運転で社協へ。
 去年は竹を持っていかれてしまったが、今年は社協の職員も協力的だし、昨日七夕祭り本部にもお願いしたし、竹はそのまま残っていた。よかった。

駄句

 昨日のタイトル「七夕は裏方だけで見ず仕舞い」はそのままで俳句になっていたんですね。五七五で季語も入っている。気がつかなかったな。

     祭後の七夕の竹貰いけり

 今日のブログを読んだ人には意味が分かるけれど、この俳句だけでは何のことか分かりませんね。

     

 

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2014年8月 3日 (日)

七夕は裏方だけで見ず仕舞い

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 池塘のある風景(火打山)。ここから頂上まで、まだ2時間ほどかかります。

○ 今日も10時半から社協の七夕飾りを揚げに行く。

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 優雅賞というものを贈られたようです。飾りを揚げてすぐ帰ってしまったので、七夕祭りは、昨日も今日も見ていません。

○ 午後、次女がアイスクリームを持って来る。孫が熱を出したらしく、一人で来る。孫を喜ばせようとスイカを用意していたけれど、空振りでした。次女と二人では食べきれはしない。
 次女には、何はともあれパソコンを見てもらう。呆けた爺が一人でやっていると、何かとわからないことが出てくるのだ。
 アイスクリームとスイカは明日食べよう。一人でね。トホホ。

駄句

     祀られる星にも命何願う
     山小屋の窓は小さし真の闇







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2014年8月 2日 (土)

入間川の七夕

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 絵は妙高山の登山道。岩のゴロゴロした陰気な谷歩きを抜け、草原の斜面に出た辺り。全部こんな道だったら楽しいのだけれど・・・。

○ 今日の昼から狭山市の七夕が始まる。七夕通り11時から交通規制で、いっせいに七夕飾りを道路を横断して揚げる。11時からV連男子3人と、社協職員で飾りを揚げる。暑い、暑い。

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 この面は社協。裏はV連。つまり、私たちが作ったもの。
                                    
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 これから狭山市の七夕祭りが始まる。狭山市の七夕、元は入間川の七夕と言った。歴史は江戸時代に始まる。平塚の七夕より古いのです。でも、街のちからが違うから、とても一緒にはなりません。それでも、西武線沿線では有名です。
 夜10時に交通規制が解除になる。で、この飾り、一度下ろさなくてはならない。9時半にその作業をする。つまり、私はもう一度出かけたと言うこと。

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 これは9時15分ころの様子。明日の11時、また揚げに行かなくてはならない。

駄句

     三日月を残して花火果てにけり







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2014年8月 1日 (金)

日打山・妙高山、山行。続き

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 絵は妙高山登山道

 30日、妙高山へ登山です。Sさん夫妻、Aさんと、ぼんくらかえる。Hさんは黒沢ヒュッテの近くで待つことに。

 大倉乗越まで登り、そこから急なくだりがあって、その向こうに妙高山が聳えている。山容の大きさに圧倒される。あそこに登るのか、楽じゃないな、と言うのが正直な感想。大体ここまで登ってもう降りたくないよ。それなのに100メートルか150メートり標高を下げてから登り返さなくてはいけない。
 乗越(ノッコシ)から降ると右へ山の斜面を横切る道(トラバース)に入る。これがかなり危険な道。転落したら助かりそうもない所もある。
 やがて雪渓を横切り、次の雪渓を登る。


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 雪渓を登ると、径はやがて、雨が降ったら水路になること間違い無しの、岩ゴロゴロの険しい道になる。これが長い。きつくて陰気な道です。頂上付近まで近づいて、やっと、高山らしい山の魅力を見せるようになる。

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 頂上からの眺望はさすがです。アルプスの山々など見えるのですが、水蒸気の多い季節柄、ちょっとガスっているのが残念。写真にはあまり上手く取れませんでした。

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 妙高山山頂から5分ばかり行ったところからSさん夫妻が手を振っています。ブログの写真で分かるでしょうか。実はこちらの方が、山頂と定められているところより、ほんの僅かに標高が高いらしい。

 天候に恵まれた3日間の山行でした。

○ 昨日(31日)と今日(1日)のこと

 31日。精障者作業所「みちくさ」の畑へ。トマト、なすの収穫があるので、ほおって置けません。
 発送した句集の校正ミスがあり、お詫びのことばを添えて訂正の葉書を発送。
 8月1日。入間川七夕の竹に飾り付けをするため、社協へ。

 3日間の山行で、脚は大丈夫なのだが、ザックを背負い続けたため肩が痛いですね。アンメルツなど、塗っています。

駄句

    果樹園の広がる盆地夏の雲
    夏の雲稜線崩して湧いており
    深緑遠き滝見る路線バス
    廃屋の壁に自転車草いきれ
    草茂るときに隠れて谷の音
    ぬかる道抜けて明るき花畑
    木道にワタスゲこんなに白し
    果樹園に上がる水煙夏の午後

















 

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