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2014年8月 7日 (木)

本のないお話・2

     本のないお話・2

   お父さんの仕事

 みち子のお父さんは、琴を作る職人でした。住んでいる家の庭に、小さな仕事場があって、そこで琴を作っていたのです。琴は桐の木で作ります。それから、シタンとかコウキとか言う木を使います。シタンやコウキは石みたいに硬くて水に入れると沈みます。
 みち子は小さいときから、お父さんの仕事場に行くのが好きでした。仕事のじゃまになるときは、
「あっちへ行きなさい」
 と言われます。でも、お父さんのそばにしゃがんでカンナやノコギリやノミで、木を削ったりするのを、見ることができるときもありました。仕事場にはいろいろな道具があります。みち子の手のひらに隠れるような、小さなカンナもあります。ある時そのカンナで板を削らせてもらったら、みち子の力でもちゃんと削ることが出来ました。
 そのころ、みち子は国民学校に二年生でした。今の小学校のことを、太平洋戦争のときには、国民学校といっていたのです。そうです。みち子がみなさんくらいの時には、日本は戦争をしていたのです。ですからこのお話は、戦争中のお話です。
 みち子が一年生のときは、お母さんが鉛筆を削ってくれました。二年生になると、お母さんが肥後守と言う小刀を買ってくれました。そのころ流行っていた小刀で、刃が柄のなかに折りたためるようになっていました。みち子のクラスの男の子は、たいてい肥後守を持っていました。女の子も何人かが持っていました。お転婆で、男の子とけんかをしても負けないみち子が、肥後守を欲しくないはずがありません。お母さんは、それをちゃんと知っていたのです。
 そんなことを知らないお父さんも、みち子に小刀を作ってくれました。切り出し小刀の刃を買ってきて、柄と鞘をつけ、刃先を研いで作ってくれたのです。ところが、みち子が肥後守を持っているのを知って、なんだかつまらなそうな顔をしました。そして、
「これを使え、こっちの方が切れるぞ」
 と言いました。
 本当に、お父さんの作ってくれた小刀の方が良く切れました。だから家では、切り出し小刀で鉛筆を削ります。でも学校には、肥後守を持っていきます。皆と同じものだからです。

 ある日みち子が学校から帰ってくると、お父さんが畳の上に湯飲みを置いて、お酒を飲んでいました。このごろはお酒が手に入らないので、大切にしていたことを、みち子は知っていました。それなのに昼間からお酒を飲むなんて、いったいどうしたのでしょう。お父さんは何かぶつぶつとつぶやいています。
「ふん、何が『琴屋こっちへおまわり』だい。こちとらは犬ころじゃねえんだ。勝手口へまわしておいて、『はい、これがお代だよ』なんていいやがる。御用聞きじゃねえんだ。勝手口はねえだろう。べらぼうめ、お前なんかに琴の良し悪しが分かってたまるかってんだ」
 お父さんは江戸っ子なので、悪口を言うときには、べらんめえ口調になるのです。
 みち子は台所のお母さんに聞きました。
「ねえ、お父さんはどうしたの?」
「それがね、大川さんにお琴を届けに行って、帰ってきたらあの調子なの。よほど面白くないことがあったらしいわ。高い琴を頼まれたので、喜んでいたのだけれどねえ」
 みち子は知らなかったのですが、ここ何年かは、琴があんまり売れなくなっていたのです。それなのに戦争になったら、かえって高い琴が売れるのです。不思議なことに、安い琴と高い琴が混ざって売れるのではなく、高い琴だけが売れるのです。
「心配していたけれど、戦争になったら。かえって景気が良いや。もっとも、丸山さんは別だけれど、今買ってくれる人は、どうせたいして弾きやしないんだ」
 いつか晩御飯のとき、お父さんが言っていました。
「そんなこと、どうして分かるの?」
「練習用に安い琴を買って、演奏会のときに良い琴を使うとか、下手なうちは安い琴を使って、上手になったら高い琴を使うのが普通なのさ。あの人たちは、初めから高い琴だけだもの」
 初めに買ってくれたのは、軍人の丸山さんの奥さんでした。お父さんの琴をとても気に入ってくれて、軍人や、軍のために必要なものを作る工場のえらい人を、何人も紹介してくれました。お父さんとお母さんの話のなかに「丸山さん」と言う言葉が良く出てくるので、みち子もその名前を知っていました。今日琴を持っていった大川さんも、丸山さんの紹介だったのです。
「おい、酒がないぞ」
 お父さんが怒鳴ります。
「もうありませんよ」
 お母さんが答えます。
「買って来い」
「いまどき、お酒なんか簡単には買えませんよ。あなただって知ってるでしょう」
 お父さんはまだ飲み足りなそうでしたが、、何かぐずぐず言いながら畳に横になり、そのまま眠ってしまいました。
                              続く


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