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2014年5月18日 (日)

5月18日(日)

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 これは常盤貴子なんですけれど、なんだかしっくり来ないとよく見たら、左右の目の高さが違うんです。それと顔が少し細い。こんなのはデッサン力がない証拠。ちょっと気をつければ避けることは出来るのだけれど、朝の時間に描くものです。書き直す余裕はないし、まあいいでしょう。
 絵も、俳句も、ブログの内容も、いい加減な私です。

○ 蛍の思い出

 私が少年時代の大部分をすごしたのは、秋田県雄勝郡明治村新町と言うところで、村の中を、雄物川の支流、新町川が流れていました。この川は小さいくせに暴れ川で、毎年のように洪水を繰り返したいました。そのせいなのか、小さい川なのに、今は国が管理する1級河川になっています。
 この川、沢山の蛍がいましたねえ。

 蛍は取ろうと思えば簡単に取れるんですよね。すいすいと光って飛んでいる蛍を団扇や掌で叩くと、蛍はふわふわと地上の草などの舞い落ちる。それを摘み上げればいいだけのことです。箒やギシギシ(その時分川岸などに生えている草)で叩くと、たいていの場合、箒やギシギシの間に捕まって、ピカーピカーと光っている。それを摘み上げればいいのだ。
 採った蛍は、つぶさないようにゆるく握って、家まで持ち帰ったものだ。蛍籠などと言うたいそうなものは使ったことがない。
 その蛍をどうするかと言えば、蚊帳の中に放つのです。当時はどの家も蚊帳を吊っていました。その蚊帳の中で光る蛍を見ながら、こちらは眠りにつくわけです。
 次の朝、蛍のことなど忘れて、蚊帳をたたみ、布団をたたみ、押入れの中に入れるわけです。蛍は当然死ぬでしょう。

 蛍の光は、沢山いると賑やかではありますが、1匹1匹の飛んでいる蛍の光は、小さく光り出して大きくなり、それが又小さくなって消えていく、波状の光ですね。スイッチで電球をつけたり消したりするような光とは違います。そこに儚さがあり、風情があります。
 私たちは飛んでいる蛍はとりましたが、草や木にに止まって光っている蛍は、馬鹿にして取りませんでした。

 昔は放っておいても何処でも蛍はいたと思います。今は保護して管理しているところにいるようです。そのようなところに、どのくらいの量の蛍がいるのか、私は見たことが無いので分かりません。
 いつだったか、家族旅行をしたとき旅館の人が蛍が出るところがあるというので、下の娘を連れて見に行ったことがありました。でも、昔、新町川で見たように沢山いるわけではなくて、しばらく待って、おそらくは平家ボタルと思われるのが1匹すうーと現れました。それを見たとたん娘は、「もう見たからいい、帰ろう」と言い出しました。ガッカリしましたね。こちらは郷愁があるけれど、娘の方は退屈だったのでしょう。

駄句

     生も死も只事として冷奴
     立会いの当たりで決まる涼しさよ
     郷愁の燃えて寂しき蛍かな
     涼しさや窓辺に寄りて昼の酒

 

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