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2014年4月30日 (水)

あのころの食事の話

4月30日(水)

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 模写 広告の絵から こういうのもいいですね。

○ あのころの食事  一昨日と昨日の続きのようなもの

 戦争に負けたのが1945年。その前後は大変な食糧難だったけれど、1950年ころには、かなり回復していた。回復したと言っても、職人の昼食は、コッペパンだったりかけうどんだったりするわけだ。いうまでもなく、朝食も夕食も貧しかった。

 当時、育ち盛りの子どもは、ご飯を3杯くらい食べるのが普通でした。今考えるとずいぶん大食いのようですが、他のお菜がほとんどないという状態で、米からだけ栄養を取っていたのです。味噌汁と漬物はありましたがね。それだけ米を食べれば、配給では足りません。お金があれば闇米を買いますが、なければ芋などを食べました。焼き芋は嗜好品ではなくて主食です。「代用食」と言っていたなあ。こんなことば、今では死語になりましたね。

 たまに秋刀魚などを食べるときは、1匹を2人で分けるのです。頭の方と尻尾の方にね。たとえば1つの玉子でも、私は弟とは2人で分け合って食べました。

 そのころの朝食で人気があったのは、納豆でした。朝食のころになると、「ナット・ナトー」と言う声がして、納豆売りが通ります。主婦や使いの子どもが外へ出て、その納豆を買うわけです。なかなか良質のたんぱく質が取れないような食生活ですから、納豆のようなものを本質的に体が欲するんでしょうね。そういえば納豆売りは、新聞配達とともに、中学生くらいの子どものアルバイトとしても人気がありました。

駄句

     雨催歩き疲れて四月尽
 

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