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2014年4月10日 (木)

『逝きし世の面影』

4月10日(木)

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 これでも長瀞なんです。岩畳から荒川とは反対側を見ると、池塘のような池が見えます。

○広報配りと狭山ケアセンターのボラが重なってしまい、忙しい1日になりました。

○『逝きし世の面影』

 若いころは本の虫でしたが、今はそれほどではない。しかし、常に、何か読んでいる本はある。私にとって、本は買って読むものであり、図書館で借りる本は、読むためというより調べるための本になる。しかし、貧乏人だから買うのは、文庫本か新書、あるいは○○選書と言った類のものだ。とはいえ、文庫と言っても高いのがあるんねえ。今読んでいる『逝きし世の面影』渡辺京二・著(平凡社ライブラリー)は本体1900円で税込みで2000円を越える。

 『逝きし世の面影』は、江戸末期から明治の初めに来日した、外国人が「日本について何を感じたか」を広く調べ上げて書かれている。この時代の外国人の目に映った日本、と言うものには昔から興味がある。しかしここで取り上げられた本で私が読んだのは、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』とゴンチャロフの『日本渡航記』くらいのものだ。後は、断片的に知っているのがあると言う程度ですね。

 ・・・チェンバレンは明治初期の日本人を評して(表面的には大きく変わったけれど)「国民の性格は(江戸時代とくらべて)依然としてそのままであり、本質的には少しも変化を示していない」と言う。その例としてチェンバレンがあげたのは、知的訓練を従順に受け入れる習性、国家と君主に対する忠誠心、付和雷同を常とする集団行動癖、さらには「外国を模範として真似するという国民性の根深い傾向」だそうである。

 なるほどねえ。「国家と君主」と言うところを「国家と会社」とか「国家と学校」などに変えれば、ほとんど今でも通ずるよね。「付和雷同する集団行動癖」などは先の戦争で懲りたはずなんだけれど、なくならないものだねえ。

駄句

     突風に花も帽子も吹かれたる

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