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2014年3月16日 (日)

仮面と分身・『私とは何か』平野啓一郎著

3月16日(日)

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○『私とは何か・・個人から分人へ』平野啓一郎著

 前にも書きましたが、私は、人間というものはいろいろな仮面を持っていて 、常にその仮面を使っていると考えていました。。子供に対しては父親の仮面、妻に対しては夫の仮面、世間に対しては琴職人の仮面、などなど、いろいろな仮面があるわけです。(妻はとうの昔に死んでいるし、子どもたちは結婚して別に住んでいる。琴職人もはるか昔に辞めてしまった。過去の私の話です)。Aさん向けの仮面、Bさん向けの仮面、絵の会向けの仮面、山の会向けの仮面、とかね。

 ただし私の言う仮面は、かっちりした仮面ではなくて、仮面の下に素顔が透けて見えるような仮面を考えていました。Aさんがかぶる子供向けの仮面、Bさんがかぶる子供向け仮面、そしてぼんくらかえるがかぶる子供向け仮面は、同じ仮面ではないということです。子供向けの仮面をかぶったからといって、子どもに接する態度がAさん、Bさん、ぼんくらカエルが同じになるというのではないのです。でもね、分人という考えを取り入れると、どうもその方が説明しやすいなあ。

 たとえば私の考えで言えば、自分探しなんていうのはあほらしい。仮面を全部剥いだら透明人間が残るだけだ。自分探しなどといっても、新しい仮面を欲しがるだけのこと。本当の自分なんてありはしないよ、ということになる。

 しかし、分人説に従えば、私が考えたどの仮面も自分の分人、自分さがしをして新しい仮面を手に入れれば、それも自分ということになる。つまり、本当の自分というものは、透明人間である必要がなくなるわけです。ウーン、まだ全部分かったとはいえないけれど、分人説に乗り換える方がよさそうだな。

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智光山公園のしだれ梅

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駄句駄句

     彼方より犬の遠吠え春の宵
     黄緑の黄が濃かりけり糸柳
     ベンチの背嬰をあやして声通る
     バトミントン木立ちの向こうも春の色
     残り鴨羽繕いする日向かな
     三々五々木の橋渡る春の野辺
     木の橋を渡って梅の坂の道
     公園の中に日時計春の午後
     蕗の薹こんなに出てる伸び過ぎて
     春夕焼どこかの火事に消防車

 

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