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2014年3月13日 (木)

仮面か分身か『私とは何か』平野啓一郎・著

3月13日(木)

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 トルストイとその奥さんソフィヤなんですが、トルストイの目が片目になっちゃったね。もっと濃く墨を入れなきゃ駄目だ。毎日新聞の写真から。

○狭山ケアセンターのボラ。利用者の話し相手。

○『私とは何か―個人から分人へ』平野啓一郎著

 私はかねてから人間は幾つもの仮面を持っていると考えていた。妻に対しては夫の仮面、子供に対しては親の仮面、世間に対しては琴職人の仮面、その他、その場その場の仮面ですな。

 たぶん30年以上も前に、なると思うけれどその考えを「変身」という題で、月刊「ずいひつ」誌に載せたことがある。その最後に、さまざまな仮面を取って、夜一人でコーヒーなどを飲むときが本当の自分だ、というような随筆だったと思っている。コーヒーというところが可愛い。今の私なら、とうぜん酒だよ。

 何年位前からだろうか「自分さがし」なんていう言葉がはやったんですね。これなどは変身願望なのでしょう。ほかにもっと素敵な自分があるかと思うのだなあ。でもそれは、新しい仮面が欲しいということだと私は思いました。本当の自分なんて、探したって出て来はしない。格好はいいけれど、中身の無い言葉だと思った。

 最近、それぞれの場面で違う自分があることを、「仮面」ではなく「分身」だとする説が現れたことを、新聞の書評で知り探していた。その本を先日、川越の紀伊国屋書店で見つけて買った。偶然だが、それは著者のサイン入りの本である。そんな本が売られることもあるのですね。
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 早速読み出したけれど、仮面をつけるというより、分身という方が正しいような気がしてきました。私は仮面という言葉を使っていましたが、仮面をつけたからといって自分が無くなるわけではなく、たとえば妻向けの自分、子供向けの自分ということでした。いろいろな仮面をひっくるめて、全部自分ということです。分身という方が適当かもしれません。

駄句

     光る風昨日はありて今日はなし

 

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