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2014年2月28日 (金)

羅宇屋

2月28日(金)

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後楽園でのスナップ写真から 今日、水彩画の会

羅宇屋
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 上野、池之端でこの屋台がつながれているのを見て、「あ、羅宇屋だ」と思った。羅宇屋なんて知っている人は、それこそほんの一握りでしょうね。私と同年代でも知っているのは、ごく限られた土地に住んでいた人くらいでしょう。でも、この屋台、現役なのかな。

 羅宇とは、キセルの一部です。

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 ずいぶんいい加減な絵ですが、左端がキセルの雁首、右端が吸い口。真ん中の細い部分が竹でできていて「羅宇」と言います。管で穴が開いていればいいのですから、竹とは限りませんが、私が見たキセルは、ほとんど竹でできていました。羅宇屋というのはここを掃除するのです。

 私は小学校の2年まで市谷に住んでいましたが、屋台の上の方からピーという鋭い音で蒸気を吐きながら、羅宇屋が来たものでした。その蒸気で羅宇のタバコのヤニを取り去るのです。

 キセルを使って、刻みタバコを吸う人たちは、紙巻タバコは不味いと言って嫌いました。そのキセルを長年使っていると間の羅宇にヤニが詰まります。これを羅宇屋が蒸気で掃除するのです。掃除後はタバコの味がまったく変わると言います。一部の都会地位外では羅宇屋などいません。紙縒りを使ったりして、自分で掃除していました。

 池之端でこの屋台を見たとき、あの「ピー」という音を思い出すとともに、懐かしさを感じた。

 そう言えば立川談誌が参議員になったころ、「俺が刻みタバコを残した」といって自慢していたけれど、今でも刻みタバコはあるのだろうか。

 キセルでタバコを吸っていた人たちは、刻みタバコを丸めてキセルに詰め、火をつけて、あらまし吸ったところで、そのタバコを手のひらの上に吹き出し、手のひらの上で転がしながら、次のたばこをキセルに詰め、手のひらのタバコを火種にして次のタバコを吸っていた。普通に考えると火傷しそうだけれど、案外これは、なんでもなく出来るのです。

駄句

    洗濯の白きを干せば初蝶来

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2014年2月27日 (木)

第53回川越句会

2月27日(木)

○ボラグループ定例会

○第53回川越句会

 川越句会は桑原三郎先生を中心とする超結社の句会で、年に4回ほど開くようだ。私は前世話人の横坂けんじさんに促されて、45-6回目くらいから投句だけしている。53回目の句会は2月24日にあったらしい。その結果が送られてきた。どうせ誰かが書いているだろうし、旧聞に属するが、一応書いておきます。

5点以上の高得点句

 冬の月表土を削るという除染  鶴見喜代子
 霜柱踏んでこの世を確かめる  神田春子
 二ん月や釘打って喉からからに  桑原三郎
 雪だるま廊下にバケツ持たされて 岡田一夫
 ごはごはの顔して冬の夜汽車かな 前田美智子
 朧夜やソファーに沈む鉄アレー  岡田一夫
 雪虫が張りついている覗き窓  水庭幸子
 歩に合わぬ寺の飛び石寒鴉  横田周子

桑原先生が採った句

 白き息吐きつ閻魔堂よりをんな  渡辺芳雄
 梅真白ぞうきんバケツ逆さまに  横田周子
 春立てり蒲鉾は板食み出して  前田美智子
 ぬかるみに日当たっている余寒かな 松尾和子
 だんだんに大きくなりし牡丹雪  斉藤京子
 鮟鱇の残りし口の憮然とす   前田美智子
 さざなみを立てて煮立ちし蜆汁 松尾和子
 ふつつかやセーターの目に足取られ 縣康子
 薄紙に包む臍の緒寒明くる   高橋橙子
 朧夜やソファーに沈む鉄アレー 岡田一夫
 真っ白なテーブルクロス室の花 白土令子

私の句は3点句2点句、1点句など。3点句もきわめて平凡な句で、ここに書くのはやめておきます。

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駄句

    春風やハンググライダーよ浮き上がれ
    小糠雨名のみの春はまだ続く

 

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2014年2月26日 (水)

下見

2月26日(水)

3月の歩く会の下見

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以上 小石川後楽園 枝垂桜があるのだが、歩く会のときに咲いているかどうか。

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 湯島天神の絵馬 こんなのが幾つもあるんですよ。天神様は儲かるネエ。湯島天神は梅祭り。梅の古木は無いのだけれどもね。

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 近頃不忍池はかもめが多い。3月の終わり、不忍通りを通れば桜は咲いている。上野の山で見なくても・・・。

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歩く会で案内するかどうかは別にして、上野へ来ると、どうしてもここへ来てしまう。左は地獄門の考える人。右は独立彫像の考える人。

 歩く会では、小石川植物園、旧伊勢屋質店(樋口一葉が通った)、樋口一葉旧居あと(昔の井戸など)、湯島天神、旧岩崎邸庭園、アメ横(バナナや海産物などを売っている方ではなく、輸入雑貨や装身具などを扱う細い路地)などを案内することになるかな。東大赤門や三四郎池へ行く余裕が、果たしてあるかどうか。

駄句

    梅の香や絵馬に埋もれるばかりなり

 

 

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2014年2月25日 (火)

木橋

2月25日(火)

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 大して強い風も吹かないのに・・・やはり飛び上がることは出来ないようでした。安比奈親水公園。

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 安比奈公園には入間川の水を分水た小さな流れがある。そこに木の橋が三つ。石橋が1つ。さまざまな人が橋を渡ります。

 前後に大きく手を振りながら、しかし、ゆっくり渡る人。大股で速歩する人。2・3人でのんびり話しながらわたる人。そばにいる釣り人に話しかける人。橋の上から川を覗く人。

そこで、駄句

    そよ風や木橋の上にドラマあり
    釣り人の足に猫寄る春うらら
    クレーンの動き始める春の午後
    人影も木陰も遠く春朧
    家々の屋根に残雪夕茜

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2014年2月24日 (月)

カネミ油症

2月24日(月)

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 スピードスケート女子団体

 精障者作業所「ショップみちくさ」のボラ。

カネミ油症事件の判決

 カネミ油症といっても、古いことで、いい加減忘れてしまったけれど、食害事件ですよね。事件が起きたのが1968年で、損害賠償の請求権は1969年を起点とし、1989年に消滅する。だから、今になって賠償せよとの裁判を起こしても、駄目ですよ、といった内容の判決が、福岡高裁で出た。

 でもね、今度訴えた人たちは、2004年以降にカネミ油脂症と認められた人たちです。時効の起算点は2005年ではないのですか。事件が起きた次の年を起算点にして、それが動かせないというのであれば、1989年を過ぎてからカネミ油脂症と認められた人には、救いが無くなるではないか。起算点は、カネミ油脂症と認められたときから始まると、私は思います。そうしなければ、具体的妥当性に欠けるではないですか。福岡高裁の判決はおかしい。

駄句でーす

     春風や父母の齢をとうに越え
     一人よし仲間もよくて春の風

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2014年2月23日 (日)

歩く会

2月23日(日)

 府中の旧鎌倉街道、国分尼寺跡、武蔵野国府跡、高安寺、郷土の森公園など散策。

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 伝・旧鎌倉街道(府中市)

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 高安寺・水子地蔵と風車

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 以上3枚・郷土の森公園。

 まったく別の話

 このブログに「手斧」の話を書いたばかりだが、今日「黒田官兵衛」のテレビを見ていたら、手斧を使っている場面があった。見て、私は思わず噴出してしまった。なんという手斧の使い方だろうか。私が初めて手斧を使ったとき、親方に怒鳴られた。「なんだお前は! 犬がセンズリを搔いてるみたいな使い方するな」。まさにそれだ。というより、それ以下だ。あれでは手斧は何の役にもたたないや。

 ところで「手斧で削る」と書いたら、なんと読みますか。普通の人だったら「ておのでけずる」と読みますよね。これを「ちょうなではつる」と読むのが正しいといったら、どう思いますかね。「削る」を「はつる」と読ませるのは無理があるなあ。

さて、駄句を並べます

    はだれ雪水子地蔵の風車
    いにしえの鎌倉街道はだれ雪




 

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2014年2月22日 (土)

つばさ俳句会

2月22日(土)

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 一昨日の智光山公園の写真を絵にしました。

つばさ俳句会

 先週の俳句会が雪で延期になり、今日行いました。まず、高得点句から。

11点
 足跡はいつも前向き雪深し  桑原三郎
               私は頂きませんでした。
7点句
 給湯の始め冷たき水仙花     浩子

6点句
 飛び石の上に雪積む誰も来ない  かつ代

5点句
 白梅のあわあわと咲く野川かな  洋子
 葛湯吹く母の齢を昨日越え    綾子
 枯草に影を落として軍用機    かつ代
 春を呼ぶ天窓少しあけておく   美智子
 もうすこしゐていいですか冬苺  浩子
 木の瘤に水の沁み込むはだれ雪  けんじ
 二ん月の肉のつかない筋肉よ   けんじ

 この中で私の頂いた句は、「飛び石の上に雪積む誰も来ない」「白梅のあわあわと咲く野川かな」「木の瘤に水の沁み込むはだれ雪」などです。
 「飛び石」の句は孤独感があると思って頂いたのですが、桑原先生の評は「誰か来る方が面白い」ということでした。そうかもしれないけれど、孤独感は無くなる。
 「白梅」の句にある「野川」は深大寺のそばを流れている固有名詞の川だと思うのですが、洋子さんが休みなので、確かめることが出来ませんでした。
 私は頂かなかったのですが、「春を呼ぶ」の句と「もうすこしゐていいですか」の句はよい句だとおもいました。

 私の結果は、皆1点か2点止まり。提出した句からいえば、順当というところで、納得しています。その句。

 てらてらと凍て雪光るそっと踏む
    山での雪を詠ったのですが、街に大雪が降った後では、誰もそう取ってはくれないでしょう
 上池と下池があり鴨の群
 手に持てばネギは冷たし夕薄暮
    薄暮と夕は意味がダブルと指摘されました。
 削られて尖って雪の武甲山

で、また今日の駄句

      残雪といえど幾日路地の雪 

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2014年2月21日 (金)

「けずる」と「はつる」

2月21日(金)

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 マンサク?

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 温室のブーゲンビリア

 いずれの写真も、昨日、智光山公園で撮ったもの。

 今日の午後、ボランティア団体連絡会の世話人会に出席。

「けずる」と「はつる」

 昨日「シャベル」と「スコップ」について書いた、続きのようなものです。

 「けずる」のほうは、かんなで板を削る、小刀で鉛筆を削るの「削る」で、誰にも分かる。「はつる」のほうは、一部の職業の人に使われる言葉で、知っている人の少ない言葉と思います。

 たとえば建築現場で、打ち固めたコンクリートの一部が不要になったり、はみ出したコンクリートを除くときに、たがねと大きな玄翁で叩き削ることがあります。これを「はつる」と言います。鋳物を作る工場でも、「はつる」と言う言葉があるそうです。何かを叩き削る必要があるのでしょう。木工関係では、手斧(チョウナ。一字であらわす難しい漢字はあるのですが、今はこの字を使うことが多い)で木材を叩き削るときに「はつる」を使います。

 とは言うものの、木工関係で手斧を使うのは、ごく限られた職種でしょう 。私の現役時代は、琴を作っていたわけで、3種類の手斧を使いました。建築現場の手伝いをしたときに、その中の最も小型の、片手で使う手斧を使っていたら、現場の職人たちが珍しがって、わざわざ見物に来ました。当時でも、それほど珍しいものになっていたのです。ある博物館で、手斧の使い方の解説を分かりやすくするため、専門家に頼んで描いてもらったと思われる、色つきのきれいな絵がありました。しかしその絵は明らかに間違った使い方で、そんな使い方をしたら、怪我がさけられないような絵になっていました。係員に注意してその絵を撤去してもらったことがあります。

 手斧を使う姿は、一般の人にはそれほど珍しいものになっている。コンリートを「はつる」のは、たぶん今でもあると思いますが、鋳物屋の方はどうなのかなあ。宮大工などは、今でも手斧を使うのではないかな。

 しゃれた料理屋などで、梁や柱の表面を手斧仕上げにして波打たせている場合がありますが、あれは機械でやっています。

 ところで、この「はつる」ですが、漢字で書くと「削る」になるのです。ただ削るのと、叩き削るのでは、かなり意味が違うし、言葉も違うのに、漢字は同じです。これは、字を扱うのがインテリの仕事だからではないかと私は思っています。「はつる」などという動作は、インテリの目には届かなかったのでしょう。

 これとは逆に、ほとんど同じような意味なのに、わずかな違いを捉えて、違う字を使う場合は、結構多い。たとえば、坂を上る、山に登る、煙が昇る、など。そういえば、髭を剃るといいますが、これだって、削るに近いのではないでしょうか。

 インテリの眼の届くところにあれば、表現は細やかになり、遠くなれば荒っぽくなると言うことではないでしょうかね。

 行きがかりだから、ついでに書いてしまいましょう。俚諺、ことわざなどと言うものも、多くはインテリによって作られたと思います。たとえば「柳に枝折れなし」と言うのはどうでしょう。この場合の柳は、しだれ柳でしょうね。「柳は風に逆らわず」で、だから風では折れない。雪なども細枝に積もれないから、「柳に枝折れなし」などとどこかのインテリが言ったのでしょう。ところがじっさいの柳は、枝折れがあるのです。太枝が折れるのです。柳は案外もろい。本当に柳のことを知っていれば、そんな俚諺は作られなかったはずです。今度の雪でも、どこかで枝折れしている柳があるでしょう。

 言葉はインテリがいじるけれども、時には逆の場合もあります。「蝶番」と書いて、なんと読むでしょうか。「チョウツガイ」ですよね。扉の吊り元につく金具のことです。でも「番」と言う字を「ツガイ」とは読みにくいですよね。だから、家具屋や建具屋は「チョウバン」と読むのが普通です。本当は「チョウツガイ」だなどと知らない人もいます。さらに近頃はホームセンターなどでも「丁番」などと書いて売っています。いずれ「チョウツガイ」などという言い方は消えていくのではないでしょうか。

      寄せられて雪の嶺ある舗道かな

 


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2014年2月20日 (木)

シャベルとスコップ

2月20日(木)

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 入間川 飯能駅近くですが、右上の家並みはむやみに複雑で、絵にするに当たっては、簡略化、ごまかしをしています。これは昨日。

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 こちらは智光山公園 今日です。

シャベルとスコップ

 知人の書いたブログで、先の平らな雪かき道具を「シャベル」と書いてあったので、それは「シャベル」ではなく「スコップ」だろうとコメントを入れました。すると次の日のブログで、インターネットで調べた結果として、「シャベル」と「スコップ」は呼び方が違うだけで同じもの、と言うことでした。我家の字書類(「広辞苑」「新明解国語辞典」「平凡世界大百科事典」で調べてみたのですが、すべて知人のブログの通りで、まあ、勝負で言えば、完敗ですな。

 今日は珍しく図書館へ行き、ちょっと調べてみました。気になることがあったのです。別にこだわるわけではないのですが、この先話を進めるに当たって、今日のこの文章の場合だけ、先のとがったほうをシャベル、平らな方をスコップと呼ぶことにします。

 スコップとシャベルで私がこだわるのは、用途が違うことです。わたしが言うシャベルでは、穴掘りが出来ますが、スコップでは無理です。だから、植木屋や、土方などの現場ではどう呼んでいるかということです。(土方と言う言葉は差別用語だそうですが「土方」を差別用語と感じる人が「建築土木労働者」といったら差別用語ではなくなるのでしょうか。「土方」を差別用語と感じる人は、「建築土木労働者」といっても、差別感を持っていると思います)。

 私はアルバイトで、何ヶ月か植木屋の手伝いをしたことがあります。そこではシャベルとスコップの言葉を使い分けていました。先のとがった方をシャベル、平らな方をスコップと言っていました。土方などもおそらく言葉を使い分けていると思います。親方が穴を掘ろうと思って「シャベルを持って来い」といったのに、先の平らなスコップを持っていったのでは話になりません。機会を見て、聞いてみたいと思います。

 エンサイクロペディア ニッポニカから(意訳)
シャベル 正式にはショベル。スコップはオランダ語。
日本は外国人居留地の外国人が石炭をすくうために持ち込んだと思われる。
その後日本でも製造され、独自の工夫を加え、非常に優秀なため、外国に輸出された。
シャベル型をした移植ごてはシャベルとは別である。

 この、最後の移植ごては、今では小さいシャベルとと言っているのではないだろうか。

平凡社世界大百科事典から引用
 「スコップとも呼ばれるが本来、スコップは刃先が平らでシャベルよりも深みがあり、(後略)」

 これだと、私のこれまで理解してきたところと一致する。我家の平凡社大百科事典は1972年版で相当に古い。図書館のは奥付を見なかったので、何年版か分からない。ただし、これによって、元は刃先の平らなものをスコップと呼んでいたことが分かる。用途が違い、形も違うのだから、呼び名も違っていいと私は思っている。

 一般の人にはほとんどシャベルと同じに見えるもので、第三の道具がある。シャベルは両側が内側に婉曲し、先も、わずかに内側に曲がる。第三の道具はしゃべるよりもわずかに幅が狭く先は直線である。シャベルは穴を掘るのに便利で、先が内側へ曲がっていることも、土をすくうのに便利である。しかし、垂直に掘り下げたいときには先の丸みが問題になる。第三の道具は、シャベルで作った穴を垂直にするときに便利である。

 さらにこの第三の道具は内側から外側に向けては先が鋭く研がれている。穴などを掘っていると木の根が出てきたりするものだ。細い根ならばともかく、少し太い根になると、シャベルで切断するのは難しい。第三の道具はそれが出来る。

 私も歳で、健忘症が進んでいる。第三の道具の名前を、どうしても思い出せない。シャベルやスコップの仲間のうちではあるけれど、どうやら百科事典などには載っていないようだ。特殊な道具だからやむを得ないと思うが、今でも使われているはずである。

 現場ではそんなところですが、現実にシャベルもスコップも混同して使われているようだ。なぜだろうか。 辞書を作ったりするのは、知識人であって、労働者ではない、ということに原因がありそうな気がする。

 この点については、あらためて書くことになるでしょう。長くなったので、今日はこれまで。

     雪原に遠き秩父嶺たそがれる
     木の根から先にはじまる雪消かな
     セキレイや薄氷を歩いて割らざりき
     雀らの雪をついばむベンチ下
 



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2014年2月19日 (水)

芭蕉の蛙について

2月19日(水)

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 名栗湖周辺 この先は歩く気にならず引き返しました。

芭蕉の蛙

 去年、俳句の総合誌で「古池や蛙飛び込む水の音」の蛙が、複数か単数かが問題になったんだそうですね。私は俳句もいい加減にやっているので、総合誌も満足に見ていません。そんなことは知りませんでした。
 私はその論争が起きる少し前に『雷鼓』と言う目立たない雑誌に、芭蕉の蛙について書いた随筆を載せてもらいました。

 そこで取り上げたことは、飛び込んだカエルはアマガエルのような小型ではなく、と言ってガマガエルのような大型でもなく、トノサマカエルくらいの、中型のかえるではないか、と言うこと。

 もう1つは、蛙が単数だったか複数だったかと言うこと。芭蕉の句の印象を言うなら、まず静寂があって、蛙の飛び込む音がポチャンとひとつだけして、またもとの静寂に戻ると言う印象です。

 しかし、現実にはどうだったろうか。農薬などを使わない芭蕉の時代、古池に蛙が1匹だけとは考えにくい。秋田の田舎育ちの私は、田んぼの畦に足を踏み入れると、蛙が次から次へと水に飛び込むことを経験している。1匹の蛙が水に飛び込めば、危険を感じるのか、周りの蛙は次々に水に飛び込むのである。ひとしきり蛙が飛び込んだ後で、元の静寂に戻ると言うのが現実ではないだろうか、と言うのが私の主張でした。

 ただし、私の考える中型の蛙はトノサマカエルであり、関東地方にはトノサマカエルの空白地帯だと言う。関東でトノサマカエルといっているのは、トウキョウダルマガエルというのだそうだ。地方へ行けばあれほど一般的な蛙が、関東地方に限っていないと言うのは、本当かなあ、と疑問には思う。しかし、成人してからの大部分を関東地方ですごしているけれども、確かにトノサマカエルを見たことは無いのである。

 そんな類のことを『雷鼓』には書いた。その反応はそんなことをごちゃごちゃ言わずに、素直に句を鑑賞しろというものでした。ごもっともです。
 それにしても、芭蕉の蛙は単数か複数かなんていう問題を提起した人、私の文を読んだのではないだろうねえ。ちょっと気になりました。
どうでもいいんだけどサ。

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 わたしゃ売られて行くわいな、かどうか知らないけれど、この馬、何処へ行くのかな。

     寒風や空の硬さの下で吹く


 

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2014年2月18日 (火)

さわらびの湯

2月18日(火)

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 次女と孫ですが、顔無しです。顔無しや頭の下はすぐに首、首無しや顔から下はすぐに胸、胸無しや首から下はすぐに腹・・・なんてね。

 名栗湖にいきました。本当は秩父に行きたかったけれども、西武線は途中の正丸までしか運転されていませんでした。名栗湖も雪のため、通れるところはほんのわずかだけ。一周は出来ません。写真を撮って、さわらびの湯へ。

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 除雪をしています。

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 さわらびの湯は貸しきり状態。私が湯殿に入るとき、上がる人とすれ違って、私が上がるとき、入る人とすれ違いました。大浴場も、露天風呂も、ミストサウナも私の独占です。今日は大変な赤字でしょうね。

     残雪や川が曲がれば道曲がる
     山の湯の雨だれ見ればしずり雪

 

 

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2014年2月17日 (月)

俺は雪かき爺だぞ

2月17日(月)

雪の岩畳(長瀞)
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 岩畳は凹凸が多いから雪の下はどうなっているか分からない。うかつに足を踏み込めないのだ。平地ならば無造作に足を踏み入れる私だが、岩畳ではそうもいかない。長瀞のとばくちから、上流に向けて撮った写真を絵にしてみました。1回目の雪の後です。

 精障者小規模作業所「みちくさ」へ。今日も雪かきだよ。何日雪かきを続けているのだろうね。水曜日から木曜日にかけてまた降るんだってさ。雪が降れば喜ぶ、子どものような私だが、この降りかたは関東平野の雪ではないね。放って置けば根雪だよ。

 
 作業所の前に雪がある
 偏屈爺さん雪かけば

 大判小判がザックザックザックザク
         (「花さか爺さん」の替え歌です)

 と、出てくれればいいけどね、そんなはずは無いや。筋肉痛になるワイ。

     連日の雪かき雪また降るという

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2014年2月16日 (日)

今日も雪かき・なんでもかきますわよ

2月16日(日)

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 雪を含んだ池(長瀞)
雪の色は薄い青を使う方が本当の色に近いと思います。しかしそれではあまりに寒々とした絵になるので、私はもっぱら薄い紫を使います。

雪かき

 昨日の行動のせいで、ズボンやらシャツやら、洗濯物が山ほど出ました。午前中は洗濯やら買い物やら、家事一般。
 洗濯物を干しながら、ベランダから、マンション脇の歩道を見ると、まだ雪かきがされていません。あそこのマンションは大勢いるのに(80世帯)誰も雪き掻きをしないなんていわれるのは癪だから、午後は歩道の雪かき。

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 ちょっとは自慢したいネエ。この歩道の雪かき77歳の爺が一人でやったんだよ。この写真をよく見ると人が二人見えて先の人は黄色いシャツを着ている。私が雪かきをしたのは、そのまた先の信号のあるところまでなんだ。われながら、大した元気だ。誰も誉めてくれないから、自分で誉めるしか無いや。
 それにしても雪かきをしているところを通り抜ける人、知り合い以外は、ほとんど無言ですね。特に若い人、通りやすいように雪かきの手を休めて脇に寄っても、何も言わずに通りすぎてゆく。こちらが脇に寄ったのだから、「すみません」くらい言ったらよさそうだけれど、それもない。知らない人には声をかけないと言うルールでもあるのかね。

 まあそれは年寄りの僻みとして、私は何でもかきますなあ。ブログを書く。絵を描く。頭を搔く。恥を搔く。義理なんぞはとっくに欠いているしね。新しく、雪も搔く事になりました。

    春の雪搔けば光の暖かく



 

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2014年2月15日 (土)

かくして私のアルチューは進化するのです

2月15日(土)

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これは今日の雪ではない。先日の雪の景であります。

 昨日から今日にかけて、また、ひどい雪ですなあ。今日の雪は水をたくさん含んだびしょびしょの雪だ。
 朝、俳句の会を延期する方がよさそうだと感じて、何人かの人に電話。他の人にも連絡してくれるように頼む。「会は来週の土曜日、会場はおって連絡」と言う内容。
 電話一段落して、雪かき開始。雨が降っているので、古い山用のレインコートを引っ張り出して着用。登山靴を履いて、雪かき開始。雪が重いや。2時間近くかけてマンションからメイン道路に出るまでの雪かきをする。交差点のところまでネ。山で使うのをあきらめたレインコートは、雨が沁みるんだ。パンツの中まで濡れちゃった。
 雪かきが終わって風呂に入って、何はともあれ、ビール。旨いネエ。五臓六腑にしみわたる。

 さて、俳句の会の会場はどうするか。今日の予定はキャンセルしなくてはならない。休日なのでインターネットでは出来ない。とにかく予定の30分前のキャンセルである。行かなくてはしょうがない。バスは不通。で、社会福祉会館へ歩いてゆく。
 とにかくびしょびしょの雪で、水の逃げ場が無い。雪かきの後も、車のわだちの跡ももう、川ですね。防水の登山靴を履いていたって、水は向こう脛まで来る。靴の上から水が入ってくるのだ。靴の中で水が踊っている。ズボンは膝まで濡れる。あえて、ざぶざぶと歩いた。それでも普段より時間が掛かる。小一時間掛かって社会福祉会館につく。手続きを済まし、駅前まで来ると、餃子の満州が店を開けている。そこで、餃子とビール。旨いネエ。

 帰りも当然歩きです。気にしたってどうにもなりはしない。ズボンが濡れるのもかまわず、雪と水を跳ね返して歩く。家について、また風呂だ。そして、今度は日本酒。ああ、旨い。

 こうして私はアルチュー街道を驀進しているのであります。

     雪かきの後のビールの沁みわたる
     べた雪の轍の跡の水の径


 

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2014年2月14日 (金)

『ユーモアのレッスン』

2月14日(金)

今日のスケッチはありません。

 水彩画の会、雪のため中止。中止は中止だが、会場予約やキャンセルのどのため、雪の中、社協まで出向く。いまどき、インターネットでの予約や解約が出来ないのです。
 明日の俳句の会も気になるのですが、今坂代表と話し合って、とにかく来た人だけでやろうと言うことに。

 『ユーモアのレッスン』外山慈比古・著(中公新書)。著者が好きなので買ったが、ユーモアや笑いについて書くのは難しいネエ。私もベルグソンの『笑い』をはじめ、何冊か読んでいる。スタンダールも何か書いているし、パニョル(フランスの劇作家、と思う)も書いている。日本人のも読んでいる。笑いに興味があるからです。パニョルの優越の表情と言うのは分かりやすいけれども、それだけかどうか。ユーモアと笑い、イコールではないけどね。
 ゆとりを持って、斜に構えて、視点をずらして、ずばりと言わないとことばに寄るユーモアは生まれにくい。ことばによらないユーモアと言うのもありますけどね。この本では取り上げられていないな。
 著者が作ったんでしょうね、面白い俳句パロディーがありましたので紹介します。
     秋深き隣は小便長き人

ところで、私の今日の駄句

    青い傘赤い傘行く雪の朝
    笹の葉の一葉一葉に雪積もる
    ワイパーで雪を払いし車行く

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2014年2月13日 (木)

毎日寒いね

2月13日(木)

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昨日山を降りて「四里餅」と言う和風の饅頭などを売る店によりました。その店内の木工作品。
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彩の森公園
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また明日あたり雪が降るそうですね。

    駅前の像残雪をしかと抱く
    残雪やだみ声で鳴く鴉二羽


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2014年2月12日 (水)

今日の自句自解

2月12日(水)

 俳句の素人の私などが自句自解するのを許してください。本当は山行をしたのでそれを書くべきなのですが、山行の写真を処理する時間がもうありません。つまり、眠いんだよ。 
 その理由。TBSテレビ未来遺産「脳科学ミステリー」を見てしまったので、深夜になりました。爺の普段の生活では、とっくに寝ている時間です。大脳の問題は興味があって、4時間番組を最後まで見てしまいました。

 山行は、天覧山、多峰之主山、御岳八幡です。Aさん、Kさん同行。写真などは、いずれまた、と言う感じ。

 とりあえず、今日の俳句

    残雪の山にふくらむ藪椿
    残雪や空に筋雲拡がりぬ
    残雪の山や歩幅を狭くして
    ぐずぐずと雪は崩れる春の山
    山靴は雪を崩して登りけり

 今日作った5句。1句目、季重なりですが、やむをえないと私は思っています。この5句の中で残すとすれば、2句目と3句目と思っています。「空に筋雲拡がりぬ」では「空」が無駄なことばと思います。しかし「残雪の山や筋雲拡がりぬ」では、なんとなくしっくりこないので、後で推敲するとして、とりあえずこのまま。

 その他の句、省略。寝ます。      

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2014年2月11日 (火)

一番下の孫が来ました

2月11日(火)

水路に雪を流している人(長瀞)
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次女と孫が来ました

 昼ごろ、次女と孫が来ました。1番下の孫です。長女のところに孫が二人いて高校生や中学生になり、とうの昔に爺離れしています。次女の孫は4歳。まだ爺と遊んでくれます。

 次女には早速プリンターを見てもらいました。
 2台のパソコンを1台のプリンターで使っているので、こういうことに疎い私としては、何かと不便はあるのです。ブログなんか書いていたって、いつもやっていることしか出来はしないのだ。何か不具合があると、あちこち弄り回して、結局どうにもならなかったりする。そこへ行くと若い人は、パソコンに慣れているネエ。
 困っていることの全部ではないが、大方は何とかなりました。帰ってから気がついて、あれもこれも聞いておけばよかった、なんていうのはありますがね。

    自らの晩酌に焼く目刺かな
    雪の夜も地球は自転をするらしき

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2014年2月10日 (月)

酒と変身願望

2月10日(月)

雪の長瀞、岩畳から荒川を見ず、反対側を見る
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雪かき
 昨日雪かきをして、幼稚園向きの低山に登って、長瀞を歩いた。家に帰って風呂に入ると、普段に無く足腰の疲れを感じた。雪の中をたぶん2万歩くらい歩いているからね。家から稲荷屋も公園までの往復も歩きだった。飯能駅から天覧山下までも、往復歩いたしね。新雪を踏みながら歩いたり、踏み後が硬くなって滑りそうなところを歩いたりだから、いつになく疲れるんだ。明日はどうなるかと思ったんだけれど、ナアに、一晩寝たら何も感じなかった。
 今日は精障者作業所「みちくさ」へ。午前中は、やっぱり雪かきだ。そして疲れた。さて、明日はどうなるか。一杯飲んだ気分でいえば、まあ、たいしたことは無いね。

酒と変身願望
 さっきテレビを見ていたら、「酒を好む人は変身願望がある」とその筋の専門家がおっしゃってましたナ。確かに酒を飲んで人が変わったりするの場合は、当たっていると思うけど・・・。でもナア、私の場合はどうなんだろう。ある人に言われた。「ぼんくらかえると飲んでもつまらない、普段と変わらないから」。でも、他の人にはこう言われた。「ぼんくらカエルは、飲んでからの方が面白い」。うーん。どっちがどうなんだろう。酒を飲めば、正気でもブレーキが少し外れるから、いくらかは口数が多くなるかもしれない。と言って、別に喋り上戸になるわけではない。

    雪の日に雪の絵を描き手酌酒

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2014年2月 9日 (日)

雪の天覧山・雪の長瀞

2月9日(日)

 大雪ですね。朝9時半、マンション前の雪かきを30分ほど手伝って、出かけました。我がマンション、80世帯くらいあって雪かきをしたのは6-7人かな。私は30分で切り上げてしまって、残った人に、ちょっと悪かったかな。30分の中では、雪かきの量は私が1番多かったと思うけどね。

 私は雪が降ると元気になっちゃう。子どもみたいなものだ。
 稲荷山公園から電車に乗って、とりあえず飯能へ。行き先は飯能についてから、バスなどの発射時刻をみて決める予定でした。飯能発西武秩父行きは、雪のため途中で折り返しらしい。これはだめ。名栗湖方面、バスの時間が合わず、だめ。宮沢湖はこの前行っているしで、天覧山から多峰之主山に向かうことに。飯能駅から全部歩き。

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 天覧山のふもとの能仁寺

 このコース。何人かの足跡はある。でも、途中で気がつきました。スパッツを忘れてきたのです。このままではズボンのすそがぬれて重くなるよ。

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 16羅漢のいるコース。あと一息で頂上です。
 
 天覧山の頂上でどうするかだいぶ迷ったのですが、別に行けないわけではないけれど、下山することにしました。
 で、飯能駅まで帰ったのですが、さて、何処で昼飯を食うか。山で食べるようにカップヌードルを買ってありました。結局は芦ヶ久保行きの電車に乗って、中で食べることにしました。飯能から西武秩父方面に行く電車は、4人がけのボックスになっていますから、その1つに陣取って、車窓の雪を見ながら食べようというわけです。どうせ乗客は少ないから、ワンボックスを一人で占領しても、誰の迷惑にもなりません。
 電車は芦ヶ久保までのはずだったのですが、途中の車内放送で、芦ヶ久保から秩父までの安全点検が済んだので、電車は西武秩父に行きますとのこと。
 そんなわけで西部秩父まで行って、ついでに秩父鉄道お花畑駅に行ったら、長瀞方面行きの電車が発車間際。切符を買う余裕が無いので、改札口で無札乗車証明書(お花畑駅では、いつでもこれを用意している)をもらって、飛び乗る。行きがかりで予定外の長瀞行きです。

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私はこの橋を渡りました。そんな具合に新雪に無造作に足を突っ込んで歩き回ったので、結局ズボンのすそはぐしょぐしょです。

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 かまくらの中で少年がおそばを食べています。隣にいるのはお母さん。駅から長瀞までのお土産やさんなどが商店街なのですが、子どもがかまくらを作って遊ぶほど、閑散としているのです。

 西武秩父駅の商店街、仲見世通りといったかなは、ほとんどしまっていておかげでいつも寄る地酒屋にも寄れず、アルコール抜きの、とんだ御清遊になりました。

    雪かきをすればはるかに山の声
    新雪を踏んで靴裏の軋みかな
 

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2014年2月 8日 (土)

雪・求道者、飯田竜太

2月8日(土)

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 降りますナア。火曜日の夕方にはかなり本格的な降りになったが、ボタン雪でした。今日は朝から、粉雪と言うにはちょっと湿気が多いにしても、粉雪に近い雪。気温が低いのですネ。明日の朝まで降るそうですから、かなり積もるのでしょう。

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午後5時我が家のベランダから。

6時になると

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部屋の中からガラス越しだと

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こんな具合です。

救道者・飯田竜太

 飯田竜太・著『俳句は初心』(角川学芸出版)を読んでいます。以前読んだ『俳句入門三十三講』飯田竜太・著(講談社学術文庫)で分かっていたのですが、飯田竜太は俳句の求道者ですね。芭蕉と同じです。私などはちゃらんぽらんに俳句を作っているし、それしか能は無いけれど、自分とは反対のものを読んでみたくなる訳です。
 何事によらず、物事に真摯に向き合う人には、人をひきつける力があります。ちゃらんぽらんに、適当に生きて、それでもいいと思っている私ですが、真摯に生きている人を見て、感心するくらいの気持ちは持ち続けたいと思います。自戒。

 ところで飯田竜太は俳句上達のためには、「1年間毎日俳句を作れ、一日に何句作っても、残すのはその中の一句に絞れ」と言う意味のことを言っています。
 私はブログに駄句をたくさん書いたりしますね。一句しか書かないときは無理やり搾り出して書いているのです。自分で駄句だと分かっています。ブログに書くのは第1稿、推敲も絞るのも、後の話・・・・なんてね、だから駄目なんだ。

それでも懲りずに、今日も駄句駄句。

    雪降るやイベント中止の知らせあり
       福祉大会中止、車椅子の会新年会中止、山行中止
    雪の中消防自動車急ぎ行く
    ベランダの手すりにも雪積もるかな
    雪かきをする人の背に降りしきる

 

 

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2014年2月 7日 (金)

『日本語は面白い』「すっぱだか」と「まっぱだか」

2月7日(金)

 スケッチは阿川佐和子嬢です。例によって?左右の目の高さが違ってしまいました。似ているような似ていないような・・・。
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『日本語は面白い』柴田武・著(岩波新書)

 若い頃の5分の1程度の読書量だと思いますが、歳の割には本を読む方かと思います。読んだ本を、ときどきはこのブログでも取り上げますが、書評を書くつりはありません。読んでいて気になったことなどを、ちょこっと書いたりはしています。今日もそのようなものです。
 この本の終わりに近いところで、「すっぱだか」と「まっぱだか」と言う小見出しの文があります。この用語を見たとき、私は反射的に「まっぱだか」がもともとの東京ことば、「すっぱだか」が後に東京ことばになったと思いました。ところが、著者の説くところは反対なんですね。

 著者は自分が生まれ育ったところで身につけたことばを「母語」と言うべきだと主張します。多くの日本人にとって母国語と言えば「日本語」ですがその「日本語」を解釈するに当たっても、人は「母語」、生まれ育った土地の方言を基にして理解すると言うようなことだと思います。
 著者は名古屋育ちだそうです。著者の「母語」では「まっぱだか」だそうで、「すっぱだか」は後で学んだ東京ことばだそうです。

 私の場合、「母語」が何処のことばなのか、決めがたい。秋田で生まれ、2歳のときには東京にいた。小学校2年まで東京で過ごし、2年の終わりごろ戦争のため秋田に疎開した。中学3年になってすぐ、東京に戻ってきた。少年時代に過ごした土地の言葉が「母語」になると思うけれど、私の場合、少年時代の始まりは東京で、中は秋田で、終わりは東京である。どっちが「母語」なんだろう。

 それはともかく、「まっぱだか」が東京のことばと思ったのには、それなりの理由はあります。それは「まんまんなか」と「どまんなか」と言うことばからの連想です。「まんまんなか」と言うのは東京のことばでした。そこに「どまんなか」という関西系のことばが入ってきました。今では東京でも「どまんなか」と言う方が普通で、「まんまんなか」というのは死語になりつつあります。
 その「まんまんなか」の「ま」と「まっぱだか」の「ま」が同じだったために、「まっぱだか」のほうが本来の東京語と思ったのでした。

 なお著者は「まっぱだか」はすっぽんぽん、「すっぱだか」は下ばきくらいつけていてもいいと感じているようです。私の感覚では、その区別はありません。両方とも同じすぽんぽんです。

     枯れ枝と電線のカラス鳴き交わす

 

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2014年2月 6日 (木)

認知症の悲しみ

2月6日(木)

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でするアイスホッケーの練習風景。新聞写真から。

老人介護施設、狭山ケアセンターへ。

 今日は、私の手を強く握り締めて話そうとしない人がいました。手を握り、自分の胸に押し付け、少し眠いのかうとうととしかけて、また握り返す。5分、10分、けして離そうとしない。気の済むまで握らせようと思うのですが、結局最後までは付き合えず、手を握られたまま背中に回って、手を離しました。何かを訴えたいのです。こちらはそれが分からない。認知症になった人には、認知症になった悲しみがあります。認知症だから何も分からないなどと思う人は、想像力が鈍い。

     春寒しゴーストライター名乗り出る

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2014年2月 5日 (水)

宮沢湖

2月5日(水)

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昨日入間川の土手ですれ違った人。

宮沢湖

 山行の予定だったのですが、昨日の雪で中止に。一人でその辺の山にと思ったのですが、思い直して、宮沢湖の温泉に浸かってみたくなりました。天覧山に登って、そこから宮沢湖に向かうと言うコースもあるのですが、どちらかと言うと、溶ける前に宮沢湖の雪が見たいという気持ち。で、とにかくまっすぐに宮沢湖に向かうことにしました。

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最後の1枚は狭山市の稲荷山公園。男の子は半ズボンです。元気だネエ。

     近づけば雫となりて枝の雪

 

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2014年2月 4日 (火)

雪ですね

2月4日(火)

 これも長瀞なのです。岩畳に立って荒川の反対側を見ると池塘のような池や水溜りが見えます。

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雪が降る

 こぶし福祉会のかすみ川食堂へ、包丁研ぎのボラ。行くときは雨が霙に変わってきた。帰りは雪。いつも帰りは、霞川の土手を歩き、入間川との合流地点からは、入間川沿いに歩いて帰る。今日は雪だからよそうかと思ったが、歩いちゃいました。

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かすみ川食堂の裏、霞川の土手。

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雪の中で工事、大変だネエ。

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70分くらい歩いて家の近くまで来るころには、雪は本降りに。

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カーレキノコラズハナガサクという状態です。

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我家のベランダから見ると、こんな具合。

    急がばや霙となりて傘重し
    雪の日の食堂の客早く退く
    爺一人傘さして行く土手の道
    足跡は二人雪降る歩道橋
    雪降ればまず白くなる芝生かな

 

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2014年2月 3日 (月)

雄の名残

2月3日(月)

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 昨日に引き続き若い女性です。新聞の広告写真からですっけれどね。私の絵の場合、風景は自分の撮った写真から、人物は新聞などの写真から、と言うことになっています。人物は、圧倒的に若い女性です。女性は若くて可愛ければ、それだけで描く気がします。男性は何かしら味のある顔で無ければいけません。中年以後ですね。いい男なんて、ちっとも興味が無い。
 実のところ、私の体は雄の能力がなくなりました。すっかり、聖人君子になったのです。雄ではなくなったのに、まだ雄の気持ちは持っていて、女性が好きですネエ。

    ぼんくらは馬鹿だが少し温かい

これでも俳句かなあ。違うような気がするネエ。ぼんくらカエルはこのブログの作者名。

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2014年2月 2日 (日)

俳句12年

2月2日(日)

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俳句12年

 あと2ヶ月ほどで、俳句を初めて12年になります。もし才能があって、物になるものならとっくに物になっている時間です。しかし、未だに俳句が何であるかよく分かりません。反面、俳句なんて何ほどのものだ、と言う不遜な気持ちもありますけれどね。

 子規は月並み俳句を廃したけれど、今の俳句は、大方月並みでしょ? ときどき月並み以上の俳句を作る人が少しだけいて、大方はだめさ。そういうだめなわれわれは、一生のうち1句くらい、月並みでない俳句を作れたら万々歳と言うことでしょう。ちょっとひねった言い方をしたり、人が言わなかったことを言ったというだけでは、だめです。私なんか、無理だな。

 実は今日、過去の俳句を見直そうと思って、パソコンやUSBなどに入っている俳句をプリントアウトしました。俳句は2002年からはじめたと思うのですが、2007年以前の句は何処にあるのか散逸してしまって、見つかりません。

 そこで分かったこと。2007年と今と、俳句は別段上手になってはいません。ただ、幾つかの約束事を覚えたに過ぎません。感性は衰えていると思います。

      春隣舗装の道路だけ歩く

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2014年2月 1日 (土)

ののしりあい

2月1日(土)

長瀞です
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ののしる

 現役時代当時の社長の連れられて、琴や三味線の使う材料となる木を買いに、1週間ほどタイへ行きました。帰りには社長の友達がいると言う台湾により、いろいろなところを案内してもらいました。そこでの出来事。
 ある朝、ホテルの外の大声で目を覚ましました。中国語なので何を言っているのかは分かりません。とにかくあらん限りの大声でののしりあっているのです。なんだろうと思ったら、中国人の社長の友人が言いました。あれは夫婦喧嘩だ。中国では、夫婦喧嘩はああしてほかの人に訴えるのだよ。
 今、中国と日本は国際的に罵り合っています。私は、台湾で見た夫婦喧嘩を思い出しました。日本と中国は夫婦などではないけれど、ののしるのが中国。しかけられて日本はまんまとのりました。

    せせらぎに逆らい歩く鴨一羽
    さくさくと落ち葉踏む音人来る気配

 

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