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2014年1月30日 (木)

さよならは柔らかいことば

1月30日(木)

新聞の折り込み広告から。
 なんとなくバランスが悪いと思ったら眉毛までの髪の毛が、目の位置くらいまで降りていなければいけません。そこから眉が始まって・・・と言った具合に顔がもう少し下から始まらないとね。これでは髪と耳の関係も、まったくおかしい。

   001

「さよなら」は柔らかなことば

 昨日 さよならは柔らかいことば春の風 と言う俳句を書いて、今日のタイトルはそれで思いつきました。

 戦後進駐軍が占領に来ると言うので、私の田舎では農耕用の牛馬を殺すことが流行りました。アメリカ人は肉食民族だから牛馬は徴発されてしまう。その前に、自分たちで食ってしまおうと言うわけです。こんな事実、今では誰も書きはしない。
 とにかくアメリカ軍が来ると言うので、迎合するつもりもあるのか、単純に浮かれただけなのか、田舎でも英語が流行りました。なあに私の田舎で、英語を話せる人は一人もいません。おはようは「グット、モーニング」だそうだ。 さよならは「グット・バイ」だなどと、きわめて日本語的な発音でしゃべったものです。
 当時、「グットバイ」などという童謡がはやったような気がします。「グットバイ・グットバイ・グットバイバイ・父さんお出かけ・手を振って・お靴を履いたらグトバイバイ」と言う歌詞だったような気がしますが,記憶はあやふやです。グットバイというのが、いくらかしゃれた言い方に聞こえたのですね。
 昨日書いた井伏鱒二の訳詩の最後「さよならだけが人生だ」と言うところを、太宰治が「グットバイだけが人生だ」と訳しなおして話題になった・・・かな? それとも、太宰には「グットバイ」と言う作品があったんだっけ?
 今は人と別れるとき「グットバイ」なんていう人はいないでしょうなあ。「グッバイ」もないやね。「バイバイ」ぐらいはあるかな。特に幼児の場合。いい大人の場合はあったとしても「バーイ」くらいではないか。
 それにひきかえ「さよなら」は皆使いますね。簡単に「じゃあ」と言うのもあるけれど、「さよなら」は普通の別れのことばです。もともとの意味は「左様ならばお別れいたそう」だそうですが、そんなことを普段は考えません。ただし今でも丁寧にいうなら「さようなら」ですが、私たちは真ん中の「う」は言わずに、単に「さよなら」と言います。元のことばは文語の硬さがあったわけですが、「さよなら」は柔らかに口語の中に溶け込んでいます。そして、やまとことばの柔らかさがあります。良いことばです。

  寒暁や失敗続きの夢覚める
  術無き身酒を飲むなり寒のうち

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