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2014年1月31日 (金)

夢の話

1月31日(金)

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航空公園のスケッチ。ここまでラフにやれば、何でもいいやになるね。

 蝋梅が咲いたというので、所沢の航空公園に行ってきました。蝋梅園のそばで、保育園の子どもたちが、長距離走をしていました。所沢のほとんどの保育園が集まっているのでしょうか、保育園の名前が書かれた 20本くらいの幟にが立っていました。ひょっとしたら私の1番下の孫もいるかもしれないと思ったけれど、この大勢の人の中では見つけることも出来ませんな。

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 舗装されたところを走っているのが競技者で、芝生を走っているのは応援団。伴走者は保育園の先生でしょう。

夢の話

 夜見る本物の夢の話です。77歳の爺さんには、将来の夢なんてありません。穏やかに、大きな病気をしないで、いつかぽっくりいけたら、と言うくらいが将来の夢です。

 で、まあ、夢の話。
 どういうわけか、私は失敗している夢をよくみます。仕事の失敗もあれば仕事以外の失敗もあります。昨日も失敗した夢を見て、苦しんでいるうちに目が覚めたのですが、どんな失敗だったかは、もう忘れてしまいました。目覚めたときは確かに分かっていたんですがね。
 失敗でなくても、たとえば他人が皆階段を上がっていくのに、私一人がどこまでも階段を下りている、と言った類の夢も見ます。
 反対に、成功した夢とか、何かを成し遂げて得意になっている夢などは、未だかって見たことはありません。ほかの人はそんな夢をみるのでしょうかねえ。私の夢はいつも思うようにはならないのです。
 科学的な根拠があるとは思えない夢判断などでは、鯉とか蛇の夢を見るとお金が入るとかいう。そういう夢なら何度か見たことがあります。でも、お金が入ったことは無いね。鯉だの蛇だのと言えば、フロイト流では、性欲の表れと言うことになります。湖でボートに乗っているような夢もそうですね。これも私はみたことがあります。
 色のついた夢も、時々見ます。色つきの夢を見る人は、芸術的センスがあるなどという説もあるようですが、ヒステリー性格の人が見るなどと言う説もある。まあどちらもあんまり関係ないような気がします。
 私が失敗の夢ばかり見るように、成功の夢ばかり見る人が果たしているのかなあ、と言うことが気になります。

駄句駄句
    蝋梅園走る園児の声届く
    声援は一人送れて走る子に  無季
    枯れ芝のベンチでしてるストレッチ
    枯れ芝生人間と犬ただ歩く
    オーボエの練習してる枯れ芝生

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2014年1月30日 (木)

さよならは柔らかいことば

1月30日(木)

新聞の折り込み広告から。
 なんとなくバランスが悪いと思ったら眉毛までの髪の毛が、目の位置くらいまで降りていなければいけません。そこから眉が始まって・・・と言った具合に顔がもう少し下から始まらないとね。これでは髪と耳の関係も、まったくおかしい。

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「さよなら」は柔らかなことば

 昨日 さよならは柔らかいことば春の風 と言う俳句を書いて、今日のタイトルはそれで思いつきました。

 戦後進駐軍が占領に来ると言うので、私の田舎では農耕用の牛馬を殺すことが流行りました。アメリカ人は肉食民族だから牛馬は徴発されてしまう。その前に、自分たちで食ってしまおうと言うわけです。こんな事実、今では誰も書きはしない。
 とにかくアメリカ軍が来ると言うので、迎合するつもりもあるのか、単純に浮かれただけなのか、田舎でも英語が流行りました。なあに私の田舎で、英語を話せる人は一人もいません。おはようは「グット、モーニング」だそうだ。 さよならは「グット・バイ」だなどと、きわめて日本語的な発音でしゃべったものです。
 当時、「グットバイ」などという童謡がはやったような気がします。「グットバイ・グットバイ・グットバイバイ・父さんお出かけ・手を振って・お靴を履いたらグトバイバイ」と言う歌詞だったような気がしますが,記憶はあやふやです。グットバイというのが、いくらかしゃれた言い方に聞こえたのですね。
 昨日書いた井伏鱒二の訳詩の最後「さよならだけが人生だ」と言うところを、太宰治が「グットバイだけが人生だ」と訳しなおして話題になった・・・かな? それとも、太宰には「グットバイ」と言う作品があったんだっけ?
 今は人と別れるとき「グットバイ」なんていう人はいないでしょうなあ。「グッバイ」もないやね。「バイバイ」ぐらいはあるかな。特に幼児の場合。いい大人の場合はあったとしても「バーイ」くらいではないか。
 それにひきかえ「さよなら」は皆使いますね。簡単に「じゃあ」と言うのもあるけれど、「さよなら」は普通の別れのことばです。もともとの意味は「左様ならばお別れいたそう」だそうですが、そんなことを普段は考えません。ただし今でも丁寧にいうなら「さようなら」ですが、私たちは真ん中の「う」は言わずに、単に「さよなら」と言います。元のことばは文語の硬さがあったわけですが、「さよなら」は柔らかに口語の中に溶け込んでいます。そして、やまとことばの柔らかさがあります。良いことばです。

  寒暁や失敗続きの夢覚める
  術無き身酒を飲むなり寒のうち

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2014年1月29日 (水)

秩父の散歩

1月29日(水)

先日行った宝登山です

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秩父市、荒川の河川敷散歩

 秩父市の荒川には大きなつり橋があります。そこから川伝いに上流へ移動して最初の橋・・・こんな説明をするのは橋の名前も町名も覚えてこなかったから・・・とにかくその上流の橋から、大きなつり橋のあるところまで、荒川の河原を歩いてきました。ややっこしい説明だけれど、分かりますかネエ。

 そこには新しく出来た(と言っても、ずいぶん昔)高い橋と、昔からある低い橋があります。橋が2重になっていると言う感じ。ちちぶしには、こんな感じの橋が多い。
 その低い橋のそばから、河原に無理をして下りました。下りるべきところではないのですが、何とかなると思ったのです。でも、無理でしたね。途中で転んで、1回転して軟着陸。どこかで傷を作り、左手小指の先から血が出ていました。バンドエイドでもあればよかったのだけれども、あいにく無いので、ティシュペーパーで抑えて止血。

 それだけ苦労して降りたのだから、ラフスケッチくらいはしなくてはいけません。河川敷の石に座って、酒を飲みながら食事をし、食事をしながらスケッチ。

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 ここから、吊り橋のところまで、河原の石の上を歩きました。河原には明らかに車の通った後があり、車が入る以上は登るところがあるはずなので、進んでいくと、吊り橋の近くで上に出られました。

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 帰りには芦ヶ久保駅で途中下車。新聞で紹介されていた、人工的に作られた芦ヶ久保の氷柱を見てきました。以前に見た三十槌(ミソツチ)の氷柱は天然の氷柱で、それに比べると、芦ヶ久保のはなんといっても、わざとらしい。入場料200円。ただし、甘酒などがつきます。

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今日の駄句

 寒の朝開店前の長い列
        駅前のパチンコ屋
 枯れ草や老婆一人で坂登る
 沿線に山羊繋がれて枯れ尾花
 トンネルを抜ければ強し冬日射し
 トンネルを出てトンネルに冬の旅
 1月の秩父の川の美しき
 1月の空旧道の橋低し
 春めくや少女のリボン蝶結び
 さよならは柔らかなことば春の風
        春ではないが、昨日今日は春の陽気
 

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2014年1月28日 (火)

酒の話をもう少し

1月28日(火)

奥入瀬渓谷へ行ったときに泊まったホテルの庭です。

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酒の話をもう少し

 ビールと言うのは慣れが必要ですね。初めて飲んだときは苦いと思いました。でも今は、風呂上りなどはビールが1番です。はじめはビール、と言うやつですね。
 ウイスキーをはじめて飲んだときは口の中を火の塊が走り回っているようでした。やはり慣れが必要です。
 ぶどう酒は不味くはないが、特に旨いと言う気もしない。私にとって、いつでもどこでも旨いのは日本酒です。

 これから先は、私のあやふやな記憶を基にして書きます。言葉や漢字の違いなど、いい加減です。
 昔から酒の好きな人は多いから、、詩や歌、いろいろありますね。その中で私が最も好きなのは、井伏鱒二訳の漢詩。

  この杯を受けてくれ
  どうかなみなみと注がしておくれ
  花に嵐のたとえもあるぞ
  さよならだけが人生だ

 誰でも知っているのが、若山牧水の短歌

  しらたまの歯に染みとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり

 大伴旅人には酒を誉むる歌6首がある。そのうちの1首。

  いわむすべなすすべ知らずきわまりて尊きものは酒にしあるらし

旅人のやつ、大宰府でやけ酒飲んでやがんの。当時の酒はどぶろくみたいのだったのかな。清酒はまだ出来ていなかったんだ。

 酒の話は書けばきりがない。今回はこれぐらいでやめておきます。このブログを書きおえたら、もう1杯飲んで寝ましょう。

智光山公園でちゃちゃとスケッチ。
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    鴨の群れ鳴き交わしつつ歩きけり
    近づけばすぐに乱れる鴨の陣
    街路樹の枝伐られたる枯れケヤキ
    枯れ草の土手行く影の長きかな
    寒林の上に青空ヘリの音
    川上はまぶしき夕日鴨の声
    川下に遠き校舎や枯れススキ


 

 

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2014年1月27日 (月)

続・続・酒について

1月27日(月)

昔、奥日光で撮った写真を絵にしました
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続・続・酒について

 今日は、酒は酒ですが予定を変更して、アルコール依存症の話。
 こんなことを言えば自慢になりますが、私は献血を100回以上しています。80回くらいのときに血液を調べてくれた先生に言われました。「かえるさんはお酒を飲まれないんですか?きれいな血液ですね」。「90回くらいのときにも、他の先生に言われました。「お酒は飲まれないんですか?」。そのときの答えは、2回とも同じようなもの。「いえ、たくさん飲みます」「どのくらい?」「3合くらい」「毎日ですか?」「はい、休肝日なしです」。90回くらいのときの先生が言いました。「毎日2合くらいまでなら、死ぬまで症状の出ない人もいます。でも、3合だといつか必ず出ますよ」。だからいつか出るだろうと覚悟している。3合というのだって、幾分控えめに言っているのだ。
 週刊朝日の1月31日号にアルコール依存症に関する記事が出たらしい。以下に書く6つの項目のうち3つ以上当てはまれば、アルコール依存症の疑いあり、と言うことだ。以下、6つの項目。仮に番号を振ります。
①お酒を飲めない状況でも飲酒の欲求を感じる。
②意思に反して飲み始め、予定よりも長時間、あるいは大量に飲む。
③お酒を飲まないでいると、手が震えたり、汗をかいたり、眠れなくなる。
④酒を飲み続けることによって、酒に強くなった。
⑤酒で、仕事や付き合いや、その他重要なことで支障をきたしたことがある。
⑥飲みすぎで、心や体の病気になったのに、それでも飲む。
 ふーん。そうかねえ。
 ①については、私は案外平気。飲んではいけないところでは飲まない。去年、新宿御苑に花見に行ったとき、入り口でアルコール所持の検査があった。私はペットボトルに入れていたけれど、水だと思われてパス。ペットボトルに口をつけて飲めば飲めたんだけれど、私は飲みませんでした。そんな飲み方をしたって、美味しくないもん。
 ②これはあるね。今日は2合くらいと思っても、飲んでいるうちに量は過ぎる。
 ③経験ありません。
 ④はじめから強かった。琴職人になりたてのころ、先輩が「今日はかえるに酒の飲み方を教えてやる」と言われて飲みに行き、結局その先輩を介抱しながら帰った。まだ10代である。そのころは、社会人になってしまえば、まして職人の世界では、10代で酒を飲むなんて、あたりまえでした。
 ⑤そんな経験はありません。
 ⑥病気になっても飲むというのはあるけれど、酒のせいで病気になったと言うのはない。
 自分ではアルコール依存症だと思っているのだけれど、この6項目では、思い当たるのは1つしかない。依存症じゃないのかなあ。

 精障者作業所、しょっぷみちくせへ。

      手を出せば指の冷たき炬燵かな

糸井重里のブログから。
 いつも人は「よろこんでくれる人」をよろかばせたいと思って探しているのかもしれない。


 

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2014年1月26日 (日)

林芙美子記念館からとげ抜き地蔵へ

1月26日(日)

林芙美子記念館からとげ抜き地蔵へ

1月の歩く会。

Hさんの案内。コース
 
西武線中居駅下車。林芙美子記念館ーおとめ山公園ー明日館ー目白庭園ーカテドラル大聖堂ー芭蕉庵ー早稲田大学ー都電荒川線(早稲田から庚申塚まで)-とげ抜き地蔵ー巣鴨駅。

林芙美子旧宅の茶の間と入り口。見学者はこの入り口からは入れません。趣味のよい美しい家。宮大工に作らせたと言う。ボランテイアの解説者がいました。

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 目白庭園、小さいがよい庭園です。塀の外を電車が走っているのに、そんなことを感じさせない別世界。ここで昼食。

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カテドラル大聖堂にあるピエタ像のコピー

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 こんなところに芭蕉庵がある。芭蕉は江戸の水道工事を請け負ったことがあるらしいが、そのときのものかと思う。

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久ぶりの都電です。

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     日照雨とげ抜き地蔵にボケの花

 ボケの花は春の季語ですが、目黒庭園では、今、真っ赤に咲いていました。とげ抜き地蔵のところにはなかったけれどね。

酒の話はまた後で。

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2014年1月25日 (土)

続・酒について

1月25日(土)

今日は暖かくなると言う予報だったのに、陽も差さず、寒かったよ。

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続・酒について

 私が始めて酒を飲んだのは、小学校の5年か6年のころです。「今日はお祭りだから、お前もいいだろう」と言って、疎開先の歳若い叔父が、湯飲みに酒をついでくれました。味は覚えていませんが、別段むせたりはしなかったと思います。しかし飲んだ後に立ち上がったとき、足元が頼りないと思ったことを覚えています。
 ずいぶん昔の話なので、今は違うと思うのですが、全国の成人一人当たりのアルコール類の消費量が多い県はどこか、と言うような調査をしたことがあって、秋田県が3種類のアルコールでトップでした。1つは日本酒。あと2つは何だったかなあ。女の人が飲むのでぶどう酒が入っていたような気がするが・・・。まあそんな具合で、のん兵衛の多い県でした。
 これも昔の話です。私の田舎では
玄関先で済むような用事で来た人に、「まあ1杯」と言って、湯飲みで酒を差し出します。それを飲んで帰ろうとすると、「1杯だけと言うことはないでしょう、駆けつけ3杯というじゃないですか」と言ってまた酒を注ぐのです。(標準語にしてあります)。極端な話が、金槌を借りに来て湯飲みで3杯の酒を飲んで帰るような土地柄でした。特に雄物川流域ではそうでした。たぶんそのころの平均寿命、雄物川流域が非常に短かったような気がします。
 私が上京した後ですが、小学生の私に酒を飲ませた叔父が、どこで知り合ったのか鹿児島の女性と結婚しました。結婚式のとき女性の酒好きの兄弟が秋田に来て、一緒に酒を飲んだそうです。そのときは「俺たちの方が強かった」と言うのが叔父の弁でした。
 私も成人し、ずいぶん久しぶりに帰郷すると、別の叔父が言いました。「お前たちの方では、宴会の出席者1人当たり4合も出せば、大宴会になるだろう。俺たちの方では1升出さなければ文句が出る」。だから私は、東京で飲むときには強いほうでも、田舎では「少しは飲める」と言うことにしていました。
 酒の話・まだ続きます。

 酒の話はいくらでも続くね。実は今日、私の属する自治会の会合があり、その後新年会がありました。新年会に出ていれば、ブログに酒の話を書くのではなく、今頃は実際に酒を飲んでいたでしょう。もっとも、ブログを書きながら、傍らにコップ酒はありますがね。

     凍て空に昼の月あり我は地に
     次々に人は逝きたり寒の空

1句目は旧作の推敲です。

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2014年1月24日 (金)

酒について

1月24日(金)

 水彩画の会。
 われわれのグループの中では、絵を描くスピードは私がダントツで早い。他の人は絵の教室で1作を仕上げるのに、2回か3回、あるいはそれ以上に掛かる。私は必ず1回で仕上げる。今日は3時間くらいの間に2つ仕上げた。朝描いた分もあわせると、今日は3作品である。早いのが良い訳ではないけれどね。その分乱暴ですから。でも、私はもっと早くなりたいと思っているのです。そのためには、もっと省略の効いた絵を描きたいのです。
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酒について
 この話題なら書くことはいくらでもありそうです。
 私は酒に酔って正体をなくした記憶がない。酒に酔って、どうやって家に帰ったかわからない、と言うような記憶もない。15年前に亡くなった妻が、私の酔っ払った姿を見たことがないと言った。知人のSさんに、「ぼんくらカエルと飲んでも酔わないから
つまらない」と言われた。なんだか知らないけれど、酒に強いのです。
 私は、1合の酒でほろ酔いになる人が、1番幸せだと思いますね。酒を飲まないと言うのはつまらない。人生の楽しみをひとつ失っている人。そうかといってむやみに強いのは、肝臓や腎臓の心配をしなければならないし、どの道ろくなことはない。

 今日はこれだけにしますが、「酒について」はこれからも続けます。

     酒好きでお汁粉も好き冬の夜
     冬の5時「よい子の皆さん帰りましょう」

 

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2014年1月23日 (木)

暖房について

1月23日(木)

 何十年ぶりだろうか、元同じ会社で働いていたS君が電話をかけてきてくれて、嬉しかった。今でも三味線作りの現役だという。私より11歳若い。電話で話しているうちに、亡くなった人の話題になる。私に最も近い存在だったF君、新潟で琴作りの会社を継いだТ君、三味線作りのSD君。全員私より若い。歯が欠けるように、と言うけれど、本当にそんな感じだ。寂しい。

暖房について

 いつも書いているので読む人は食傷気味だろうけれど、私は貧乏である。だから我家の暖房はコタツが中心である。エアコンはめったにつけない。つけても力が弱くて、なかなか温まらない。
 風呂の脱衣場が寒いのはいけないそうですね。もう歳なんだから、下手をすりゃあ死んじゃうなんてことも考えると、脱衣所を暖めるストーブくらいは買おうかと思っている。ピンピンコロリは理想だけれど、死ななくてもいいところで死ぬのは、やっぱり嫌ですね。
 また貧しさの話になるけれど、戦後なんて、どこの家にも大した暖房器具はなかった。せいぜい火鉢くらいだね。田舎なら囲炉裏だ。
 通っていた小学校の教室には薪ストーブがあった。これは暖かかったです。でも、隙間風は入ったなあ。窓ガラスだって、割れたものを全部入れ替えることが出来ないで、一部はベニヤ板でふさいでいた。廊下などは立て付けの悪いガラス窓の隙間から雪が吹き込んで、うっすらと凍っていたりしたものだ。そんな中で、一年間上履きは藁草履だけで足袋をはかない子は、学校から表彰されました。私などは軟弱だから足袋をはきましたけれどね。
 今このブログを書いているとき、足元は50センチ四方くらいの足温シートとでもいうんですかね、そんなものを使っています。実は去年買ったのですが、忘れていて、今日はじめて使いました。これはいいですなあ。

ボラグループ定例会、新年昼食会。

     新年会爺にはとても食べきれぬ
     飲めるけど食べれず爺の新年会

能登の海 以前撮った写真から
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2014年1月22日 (水)

三種の神器

1月22日(水)

三種の神器

 三種の神器と言ったて、もちろん皇室とは関係がない。われわれ庶民の話だ。戦後、電化製品が出始めたころ、三種の神器と言う言葉がはやった。ずいぶん昔の話なのではっきり覚えてはいないが、確かテレビと洗濯機と掃除機だったような気がする。今ではどこの家にでもあるようなものだけれども、当時は手に入れるのが大変だった。
 中野の丸井本店では力道山と木村のプロレス・テレビ中継をして、あまりの観客の多さに二階が抜けてしまい、新聞種になった。蕎麦屋さんなどでテレビを買うと「ただいまテレビ放映中」などと表に張り出して、人寄せに使った。ことほど左様にテレビなど一般家庭で買えるようになるまでには、時間が掛かったのである。
 そういえば行きつけの風呂屋で従業員の小母さんが、いくらか得意げに掃除機を使っていたっけ。
 各家庭に三種の神器が行きわっ立った後、新三種の神器なんていうのもあったような気がするが、忘れてしまった。クーラーと冷蔵庫と車かな・・・。いや、分からん。
 今なら何んだろうね。円盤型の人が触れなくても勝手に動く掃除機なんか、面白そうだね。だけど、価値観が多様化しているから、三種なんて決めるわけには行かないのかな。

長野の農村風景②
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     挨拶は「寒いね」ばかりのウオーキング

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2014年1月21日 (火)

歩くこと

1月21日(火)

 私は山が好きである。しかし77歳ともなると、山も疲れるようになって、そう遠くない将来に登れなくなるだろうと思っている。いつ登れなくなるかは分からないけれど、せめて歩くことは続けて、出来ることなら死ぬまで歩きたいものだ。そう思って、せっせと歩いている。
 我家からのウオーキングの定番は、片道1時間の智光山公園。ほぼ似た時間の彩の森公園(入間市)。入間川河川敷にある安比奈公園(川越市)などである。そのほか、入間川の土手はよく歩く。入間川の土手と言えば、電車で飯能まで行き、駅の裏側から入間川に出て、川沿いに狭山に向かって歩くと言うのもいいコースだ。
 電車やバスなどを利用すれば、飯能にはいいコースが幾つかある。飯能河原、天覧山、宮沢湖というコース。少し山っぽいが、散歩感覚で充分だ。最後に宮沢湖を一周して喜楽の湯に入るのも楽しい。天覧山から多峰之主山へ向かうコースもなかなかいい。ただし登山靴が欲しくなる。歩くのと山に登るのとの中間くらいの感じだ。そのほか加治丘陵を歩くコースなど、飯能は歩いて楽しいコースが多い。巾着田や聖天院、高麗神社などもあるし、宮沢湖の周辺もあるしネエ。
 西武線で秩父まで行けば、これもまた歩くコースは多いネエ。いちいちここに書ききれないほどだ。今日はそのうち、長瀞周辺を歩きました。
 長瀞駅から、宝登山に登り少し早すぎる蝋梅を見て、宝登山奥の院に寄りそこの店で熱燗など飲んで、駅まで下り、石畳を上長瀞まで歩きました。

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冬の長瀞には人がいませんネエ。

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    枯れススキ同じ向きして頭垂れ
    ワンカップ車窓の枯野流れ行く
    川上に向いて倒れる枯れススキ
    冬の駅頼りなさ気に婆一人
    うっとうしき眼鏡はずせば枯れ木山
    苺大福いつもの店に寄って行く
    石畳冬の長瀞ひと気なく
    岩畳ただ冷え冷えと風渡る
    薄雲に日は力なく冬の午後
    予期せざるツララに出会う川の道
    気がつけばトンネル長し冬の旅
    枯木立おとぎ話のような山
    川沿いに家と道あり走り梅
    駅員の手袋白し息白し
    小さき川橋に風情のススキかな

今日の絵、長野の農村(昔撮った写真から)
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2014年1月20日 (月)

雪について

1月20日(月)

雪について

 私の住むあたりでも、明日は雪が降るかもしれないという。そんなとき、私は雪の降ることを期待する方である。
 私は雪深い秋田の山間部に生まれた。しかし2歳の時には東京である。そのまま過ごせば、雪を懐かしいなどと感ずることはなかったはずだ。しかし昭和19年12月、疎開のため秋田のふるさとに引っ越した。それから東京に帰るまで6年かかった。少年時代の入り口が東京で、中身が秋田で、終わりが東京である。少年時代の中身を過ごした土地が、感覚としては故郷であり、そこでの経験は懐かしいものとなる。その最たるものが雪。
 母の実家に落ち着いた私は、根雪が珍しくて嬉しくて、興奮して外に出たのに、近所の子どもは誰も外に出てこない。その土地に住んでいれば、雪なんて迷惑なことばかり多く、何も嬉しいことはないのです。私もすぐに、それを実感しましたけれど・・・。
 それから6年間、田舎に住み着いて、重苦しい雪の生活にもなれました。子どもながらに、なれない雪下ろしをしたり、下手なスキーを履いたり、雪道の歩き方も上手になったりしました。
 テレビなどを見ると、雪下ろしの道具もいろいろあるようですが、私がいたころはスコップとシャベルだけでした。屋根の雪を下ろすのも、方向を考えなくてはいけません。やみくもに下ろすと雪の重さで家が傾く危険があります。屋根の稜線の、風下の方から下ろすのです。雪は稜線の風下の方に多く積もります。落ち葉などの吹き溜まりは、風下の低いところに出来ますよね。あれと同じです。
 雪の降る前に、雪囲いをします。家の周りを板や萱などで取り囲み、雪が直接家の壁や窓などを押し付けないようにするのです。これをすると、家中が暗くなって、昼間でも電灯なしでは過ごせません。
 どこの家にも車などはない時代ですから、道の除雪なども行いません。雪が降り積もれば、その分だけ、道が高くなります。玄関から外へ出るためには、道の高さにあわせて、雪の階段を作ります。積雪は年によって大いに違います。大雪の年は、2階の窓から雪の上に出入りすることになります。
 私はスキーがありましたが、ストックもなければ、スキー靴もありませんでした。長靴でスキーを履きました。戦後のことです。その長靴も、子供用などないのです。大人用のぶかぶかの長靴で、スキーを履いていたものです。斜面などで転ぶと、長靴が脱げることもありました。すると、長靴がスキーを履いて勝手に降りて行ったりしました。こっちは残された1本のスキーを担いで、片足は足袋裸足でその長靴を追いかけるわけです。
 子どものころスキーをしたのに、私はゲレンデで滑ったことがありません。東京に帰って何十年もしてから、日光だったかでカントリースキーをしました。初心者のグループで、さすがにそこでは、私は上手い方でした。でも、今やったらどうだろう。77歳の爺さんでは、スキーを履いて、満足に歩けるかどうか。
 田舎にいたときは、雪は迷惑なものでしたが、都会に住んで何十年もすると、懐かしいものに変わります。再び雪国に住みたいなどとは思いませんが、見に行くのは好きです。ここ何年かは奥日光へ行っています。今年はどこか違うところへ行きたいと思っています。さてどこがいいかなあ、なるべくお金をかけずにいけるところは・・・。

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    寒すずめ陽の差す朝のベランダに

 

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2014年1月19日 (日)

風呂について

1月19日(日)

風呂について

 私は風呂が好きである。しかし、長風呂は出来ない。つまり、カラスの行水なのである。現役時代は琴作りの職人だった。仕事で体が汚れるから、家に帰ったらまず第1に風呂に入る。その習慣があるから、今でも晩飯の前には風呂に入る。
 今は毎日風呂に入るのが当たり前のように思っているけれども、昔はそうでもなかったね。中学3年生のとき、私は疎開先から東京に戻ってきた。そのころは銭湯に行っていた。1週間に1回くらいだったと思う。石鹸だって、満足なものがなくて、ざらざらして砂の入っているような洗濯石鹸を使った。そのうち化粧石鹸も普及してきて、顔だけは化粧石鹸で洗うようになった。
 自宅に風呂かあるようになったのは、ずうっと後のことだ。前回の東京オリンピックに間に合わせようと今の環七通りを作った。そのとき我家は環七に下になり、優先的に都営アパートに引っ越すことになった。そのアパートにも風呂はなかった。
 私が所帯を持ったのは大宮だったけれども、間借りのスタートである。風呂はなかった。そこから同じ市内の借家に引っ越したのだけれども、私は大家に「風呂場はあるか」と聞いた。大家は「ある」と言う。引っ越してみて驚きましたね。確かに風呂場はありましたよ。でも、風呂桶もバーナーもない。仕方がないので風呂を買いました。今から40年位前だったでしょうか。それから毎日風呂に入れることになったのです。
 今は贅沢だなあ。自分一人のカラスの行水のために、毎日風呂を立てる。そして風呂上りの一杯が旨い。貧乏と言っても、昔とは違うネエ。

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近頃、絵の材料がなくてね、何を描こうか苦労します。

    寒風に髪なびかせて女の子
    寒風に口一文字の交差点
    パソコンの脇に湯飲みの温め酒

   

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2014年1月18日 (土)

新年句会報告

1月18日(土)

つばさ、踏青合同新年句会報告。
 
この句会は3句一組で行われます。高得点を得た句。

1位・17点

  枯れ木山だんだん素直になる自分
  ながらえば陽のあるうちの柚子湯かな
  水仙を彼と思って梳る
               宮井洋子さん

2位から6位まで・すべて12点

  おでん酒句論の果ては国自慢
  水音も秩父訛や炬燵舟
  太箸の取る山のもの海のもの
               伊達天さん

  注連飾り紙といふこの強きもの
  捲くりたる本閉じやすし冬日向
  足踏みをして山河あり初日の出
               斉藤京子さん

  雑煮餅喉のちからを信じつつ
  両膝は手の置きどころ玉子酒
  次の世は近くて遠し寒の菊
               桑原三郎先生

  金の鯉ゆらりと年を越えむとす
  大日如来両眼赫っと寒気満つ
  木の影の皆曲がりゐて初氷
    栗原憲司さん(狭山市俳句協会会長)

  冬青空叩けばピシッと割れるかも
  手を合わす人の数だけ初日の出
  去年今年栞はさまず本閉じる
               佐山 豊さん

7位・11点

  鴨の池カラスの声もしておりぬ
  小春日や犬が乗ってる乳母車
  柚子の木に夕日が掛かる三日かな
          なんと、ぼんくらカエルでした。

入賞は7位まで。

なんと私は、桑原先生の特選3句のうち2句を頂きました。鴨の家と、柚子の木。

私の選句は次の7句

 膝に来し猫と寒さを分かちけり 前田美智子
 眼差しの遠き木曽馬雪を食む 横山けんじ
 ながらえば陽のあるうちの柚子湯かな 宮井洋子
 冬座敷日射しも猫もそっと入る 縣康子
 足踏みをして山河あり初日の出 斉藤京子
 寒木瓜や星のささやき聞こえますか 来栖たつ子
 うつつなし夢もまたなし日向ぼこ 高橋俊忘

このうち「寒木瓜や」の句は私以外は誰も採らないと思いながら頂きました。事実その通りでしたが、私はいい句だと思います。
 


  
 

 

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2014年1月17日 (金)

ナショナリズムにならないで

1月17日(金)

高台から見下ろした風景
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○狭山台胃腸科外科へ。いつもの血圧の薬をもらいに。

○ボランティア団体連絡会の世話人会出席。

○ナショナリズムにならないで!
 中国や韓国がナショナリズムになって嫌日を煽っているからといって、日本は、嫌中国、嫌韓国にならないで欲しい。いがみ合うことによっては何も生まれない。一発触発の危機は避けるべきものであって、煽ってはいけない。一部の人は、まるで楽しんでいるように見える。マスコミの一部も煽っていますね。危険です。せめて日本は冷静でいて欲しい。
 安倍首相は思慮が足りない。靖国参拝を非難するのは、中国や韓国の、日本批判のカードだ
。いたずらに、相手にカードを切らせるようなことをして、瀬戸際外交をしようというのでは、北朝鮮と大して変わらなくなってしまうではないか。それを承知の上で安倍首相は参拝をした。非難は覚悟の上であろう。でもね、あえてそれをするほど、靖国参拝は重要なことなのか。安倍総理にとっては重要なんでしょうね。「国のために尊い命をささげた人々」を参拝するのは、どこの国でもやっていると言うわけだ。そういわれれば、もっとものように思える。
 とはいうけれど、それは違うんだよ。靖国神社には、戦犯も一緒に祭られているじゃないか。安倍総理の中では戦犯は戦勝国が作ったものと言う思いがあるだろう。しかしそれは、日本の中でしか通用しない考えだ。戦犯は、国際法上の犯罪者なのだ。そのことを忘れてはいけない。どんな理由をつけようと、日本は外国で戦争をしていたのだ。負け戦になってから、沖縄での戦いはあったけれど、日本は侵略をしていたのだ。認めたくなくても、事実は事実として認めるしかないじゃないか。
 総理の行動は困ったものだが、国民は冷静に行きたいものだ。日本を戦争に導いたのは、思慮の足りない、むやみに高揚したナショナリズムだと思っている。ナショナリズムは私の最も嫌うものである。

     冬雲の静かに動く朝の窓
     花の鉢窓際に置き日向ぼこ

 

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2014年1月16日 (木)

寒満月

1月16日(木)

新聞広告写真を元に一部、作りました。

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町内の回覧物など、仕分けして配る。

 ところで下の写真今朝6時に写したもの。月が林の中に沈むところです。満月と思ったんですが満月ではなかったんですね。
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そして次の写真、今度は本当の満月です。今夜6時半の写真です。

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今夜が本当の満月。でも、感激は今朝の月だな。

     早朝の寒満月は林なか
     林なか燃えつつ沈む冬満月

  

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2014年1月15日 (水)

雑学的知識

1月15日(水)

武甲さんの見える風景
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 つばさ・踏青合同新年句会も間近になったので、句会当日必要な書類作りととその他の雑用をする。たいしたことはないのだけれど、ほぼ、小一日掛かりました。私はパソコンの名手じゃないからねえ。

 ある人に言われた。「ぼんくらカエルは雑学がある」。まあ、けなしてる口でしょうな。自慢じゃないけれど、私ぁ頭が悪いから、まともな本を読んだって、雑学的な知識になってしまう。
 たとえば最近読んだ本『人口から読む日本の歴史』(鬼頭宏・著)。この本から幾つか雑学的知識を引いてみましょう。
 縄文時代早期(約1万年前)日本の人口は2万人くらい。縄文中期26万1千人くらい。縄文晩期7万6千人くらい。中期より減っちゃった。弥生時代。59万4千人。この時代に増えて奈良時代は451万2千人。江戸時代に3千万人台になる。もちろん正確なものではないけれど、まあそんなもんだと言うことです。
 驚くのは生まれたばかりの平均余命。縄文時代は14.6歳。乳幼児の死亡率が高かったから。弥生時代になってもさほど変わらなかったと言う説がある。17世紀(江戸時代だよ)になっても20代後半か30歳そこそこ。18世紀で30代半ば、19世紀で30代後半。
 人生50年と言ったが、0歳児の
平均余命が50歳を超えたのは1947年。戦後2年目だ。

 ついでに、もうひとつ最近読んだ本『文章心得帖』(鶴見俊輔・著)から。
 この本に紹介されている岸田吟行(岸田劉生の父)『呉淞日記』(ウースン日記と読むらしい)の文章。
・・・もうすぐお正月だ。
 きょうのような日は、ゆどうふに、どじょうなべかなにかうまいもので、くだらねえじょうだんでもいって、4,5人集まって、酒でものむほうが、からにいるよりか、よさそうだ。ここにいては面白くねェ。早く日本へかえって、上野へいって格さん、とみさん等と、一盃のみたいもんだ・・・。(からにいるよりもの「から」は「唐」の。「ウースン」は上海の川)。
 これが慶応2年の文章だから驚く。この日記、市販されているのだろうか。読みたいネエ。

     雑学がわれにふさわし小正月

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2014年1月14日 (火)

ベランダの物置を解体

1月14日(火)

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べランダの物置を解体する

 ベランダに置くには少し大きすぎる物置、間口110センチ高さ180センチを解体しました。現役時代の琴の道具などを入れておいたものです。 現役をやめるときに大部分は人にあげてしまったし、残ったものもボラの仕事場に持って行ったりして大方散逸しました。たとえば今日、物置解体の必要なスパナをボランティア先(ショップみちくさ)に、取りに行く始末です。
 薄い鉄板で出来ているのですが、大きいので、結構重い。解体するために、あっちへ動かし、こっちへ動かしボルトとナットをはずすためにしゃがんだり背伸びしたり。今足腰が痛いのは、昨日の山のせいではありません。解体で、なれない筋肉を使ったせいです。特にしゃがむ姿勢での作業が、老体にはひびきますね。

     月凍てる物置壊している時も
     凍て空に昼の月あり爪を切る

物置解体で爪の間が黒くなり、気になって切ったのです。

 

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2014年1月13日 (月)

山行・丸山

1月13日(月)

山行、丸山

 西武線沿線、芦ヶ久保から果樹公園村を通って、丸山、大野峠から下山して芦ヶ久保、と言うコース。コースの説明がちょっとおおまか過ぎますか。

 丸山、標高960.3メートル。このあたりでは雪が降ったのですね。まだ溶けきれず、滑りやすい硬さの雪が残っていました。

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     てらてらと凍雪光る山の道

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2014年1月12日 (日)

『人口から読む日本の歴史』

1月12日(日)

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左側の子の目の位置がおかしいね。

 『人口から読む日本の歴史』(鬼頭宏・著)興味を持って読めました。人口の変動を論じて、文明批評になっているんですね。
 現在は人口減少の時代に入っていますが、日本ではこれまでも何度か人口の減少を経験しているようです。人口減少には、飢饉とか疫病の流行とかさまざまな要因がありますが、文明が変わるときには人口が減るようです。これまでに人口が減ったのは3度くらい。今回は4回目となるようです。
 著者は言う。「ひとつの文明が終わろうとしている。いや、正確には最後の仕上げの段階に差しかかっていると言うべきだろう。二世紀以上前にヨーロッパの一隅に生まれ、世界のあらゆる地域をいやおうなく巻き込んで成長してきたひとつの文明が、いま、最終局面に入ろうとしているのである」。
 賛成です。私程度の人間でも、それを感じるのです。TPPというのも、その完成を早めるだけのものと私は考えます(著者が言っているわけではない)。
 また、著者は言う。「われわれにとっての課題は少子化高齢化をどのようにして防ぐか、ということではない。(中略)われわれがなすべきことは明確である。人口をどの程度の水準へと誘導するかということ、およびどのような成熟社会を構築するかと言うことである」。
 いつまでも経済成長があると思っているアベノミクスなんて、大局的に見たらどうかと思いますね。「足るを知らなければならない」。日本人が私くらいの貧乏を平気になったら、皆幸せになれると思うけどね。富は分かち合えればいいんだよ。

     冬の日の日曜画家は窓のそば
     あんなにも連凧揚がる河川敷




 

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2014年1月11日 (土)

特養さくらの新年会

1月11日(土)

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 午後、特養さくらの新年会。我々のボラグループでは、今日二つの新年会があって、一つは老人介護施設ケアセンター、他の一つは特養さくらでした。人間に身をやつしているカエルとSさんがさくらの方に行きました。

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職員の餅つきなんですが、あまり搗いたことのない人が多いですネエ。利用者さんの見守りのため、私は壁際にいたので、横からしか写真は撮れません。

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オカメとヒョットコの踊りでは、一緒の踊りだす利用者さんもいたりして。

 実は今日、山の会の新年会でした。軽く山歩きをして啓明荘で餅つきをするというのが、最近の山の会のパターンです。いつもは第2日曜なので明日とばかり思っていたのに、都合で、今年は土曜日になっていました。そのことをすっかり忘れて、今日のボラを入れてしまいました。利用者さんの何割かはボケが入っていますが、私も負けず劣らずボケています。

最後に以前に描いた興福寺の阿修羅像、額装して見ました。まだブログに載せたことは無いと思うので、アップします。

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カエルの絵としたら、上出来の方でしょうね。

    窓際で足の裏干す日向ぼこ
    施設祭へっぴり腰で餅を搗く 

 

 

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2014年1月10日 (金)

水彩画の会

1月10日(金)

智光山公園
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この絵、現場を知っている人は上のほうの階段が長すぎることに気がつくでしょう。私もペンで描いてすぐ気がついたのですが、消しゴムが効きません。そのまま押し通しました。だから左上の建物がじっさいよりも高い位置にあります。これが朝の仕事。

午前中は広報の仕分けと配布で、ほぼ2時間、終わったのは12時半くらいでした。その間3回も洗濯機を回し、ベランダに干して、いやあー忙しかったね。

午後は水彩画の会。画材、何の用意もなし。やむをえず、自分の背負って行った街歩きようのザックを椅子の上においてスケッチ。
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    とりあえずリュックをスケッチ寒の内

俳句もとりあえず、だ。  

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2014年1月 9日 (木)

散歩以外は何もしません

1月9日(木)

今日も新聞折込広告の写真から
     010
 このところこんな絵ばかりだ。少し飽きたね。実は今日、絵を休もうかと思った。目が覚めたのが6時半で、新聞読んだり、寝ながらできるストレッチをしたりして、朝食前の絵を描く時間がなくなってしまった。別段描きたいものもないし・・・。でも、朝飯食ってしまったら、暇なんだよね。だから折り込み広告の写真を見て、これを描いて見ようか、てなことです。

 そうそう、朝飯食った、と言ったけれど、実は「飯」食ってないんだ。飯を炊こうと思って米びつを見たら、空っぽなんだ。気がつかなかった。だから、おかずを作って食べました。餅もあるのですが、昨日も雑煮を食ったしなァ、なんとなくその気分ではなかった。マンションの前に食料中心の100円ショップもあって、105円で白飯もあるのだが、それも気が進まなかったんですネエ。
 絵を描いてからベルクへ行って、我が生まれ故郷、羽後町産のあきたこまちを買い、昼にそれを食べました。私が米の飯を食べるのは、原則として1日1回です。

 午後、智光山公園に散歩。片道1時間公園内で1時間、公園内ではワンカップを飲んだりする時間もあるので、歩行時間は全部で2時間半くらいかな。

公園でのクロッキー
     011

    柔らかにこぶし芽ぐ組む風吹きぬ
    削られて尖がって雪の武甲山
    上池と下池があり鴨の群れ
    公園の鳥の影さす枯れ芝生
    枯れ枝に柔らかき空昼の月

最後の句、上の絵です。



  

 

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2014年1月 8日 (水)

横手地方の若勢(ワカゼ)

1月8日(水)

新聞の折り込み広告から
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外出は買い物だけ。完全休養。

横手地方の若勢(ワカゼ)

 戦争中母の実家に疎開した。そのとき母の実家には7人の若勢と5人の女中がいた。大変な豪農である。若勢というのは、作男とでも言った方が通りがいいと思うが、要するに農業の手伝いをするために雇われている若い人である。
 若勢が7人と書いたが、実は1人は年寄りで、屋敷内に小さな家を建ててもらい、所帯を持っていた。おそらく、長年勤めたのだろう。
 終戦直前に母が亡くなり、私と弟は父の郷里に引っ越した。父の家には若勢はいなかった。祖父が破産したからである。しかしそれまでは若勢がいたものらしい。
 戦後しばらくたって、母の実家を訪れたことがあった。そこで「鶴いさば」という人にあった。「いさば」というのは「漁場」とでも書くのだろうか。方言で「魚屋」ということである。魚屋といっても店を持っているわけではなく、天秤棒を担いでお得意様を回って歩くのである。
 その「鶴いさば」が、かつて母の実家で若勢をしていたが、父の実家でも若勢をしていたことがあるのだという。父方の祖父の自慢になるのだが、たいそう字の上手な人で、橋の標識に掘られた字や石碑の字などをさして、「これはお前の爺さんの字だ」などといわれたものだ。
 「鶴いさば」が父方の家の若勢をしていたとき、祖父は、鶴いさばが新しく買った笠に「字を書いてやる」といって、ちびた筆で笠に字を書こうとした。その筆を見て恐れをなした鶴いさばが、「新しい筆を買ってくるから待ってくれ」と言ったところ「弘法は筆を選ばずということがあるだろう」といって、そのまま書いてしまった。
 東京から貴族議員の何とか言う人が視察に来たとき、鶴いさばはその笠をかぶって仕事をしていた。そして貴族議員に「ちょっと来い」と呼び止められた。偉い人なので笠を脇に置いていこうとしたら、「お前なんか来なくてもいいから、その笠をもってこい」といわれた。貴族議員はその傘をつくづくと見て、「こんな田舎に、これほどの字を書く者がいるものだろうか」といったという。
 ところで、問題は「若勢」です。貧しい農家の人が働き口を求めて、あるいは借金のかたに、富農の仕事をするのだろうと私は思っていました。大方それでいいのだと思うのですが、同じ人が別々の土地で若勢をしていたというのが、少し不思議でした。
 『庶民の発見』(宮本常一・著)によれば、秋田県横手市には「若勢市」というものがあったそうです。貧しい農家の若者が春彼岸の野菜市へ出て行って、野菜と同じように自分を売り込み、地主と交渉をし、雇われたという。なるほど、だから両方の若勢をやれたのか。

 後日談。母の実家は農地改革で大部分の農地を失い、残された農地を従兄が耕すことになった。そして、かつての小作人だった人たちに言われていた。「あの人は1日仕事すれば、肩が痛いの、腰が痛いのといって、3日も寝てるようだ」。そんなくらいだから、残された田の一部を売ったりして、子どもたちを学校にやったようだ。
 母方の祖父も字が上手だったそうだが、私はまったく下手である。生前の父にそのことを言ったら、父は「俺も下手だが、お前のお母さんも下手だった。どっちに似ても下手だ」とのことであった。親の代から下手になったんです。隔世遺伝でもすればよかったのに。

    松開けていまごろ雑煮食っており
                 (独り者の悲哀です)



 

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2014年1月 7日 (火)

句集発送・かすみ川食堂のボラ

1月7日(火)

新聞の折り込み広告の写真から
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 午前10時、発送作業終了。私はおっちょこちょいだから、今回の句集作りもいろいろと齟齬があった。でも、いちいち書かない。面倒でもあり、恥ずかしくもあり、だ。

 午後、精障者のための福祉法人、こぶし福祉会が経営する「かすみがわ食堂」へ。つき1回の包丁研ぎ。ついでに精障者作業所「コパン」の包丁も。

 帰りは例によって、入間川の土手を散歩しながら帰る。
     004

自転車道の対岸にも遊歩道が作られて、途中の河原で、ちょっとスケッチしてみました。

    ガラス拭く手を止めてする御慶かな
    次々にバイク分け入る枯れススキ
    手に持てばねぎは冷たし夕薄暮

 

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2014年1月 6日 (月)

ボラはじめ・句集完成

1月6日(月)

ボラはじめ
 精障者作業所ショップみちくさへ。畑。木工など。畑はYさん、Kさん。木工はMさんが相手。

夕方帰ってからは句集作り。なんとか完成。

句集最後のページに載せたイラスト
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     正月の富士はいささか恥ずかしげ

今朝畑で見た富士は雲が掛かって、くっきりというわけにはいきませんでした。


        

         

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2014年1月 5日 (日)

句集校正

1月5日(日)

新聞の広告写真を絵にしました
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 MさんとYさんに集まってもらって、昨日大急ぎで作った句集のプリントを校正してもらう。どんなに注意したつもりでも、間違いは必ずあるものですね。まして私はおっちょこちょいだから・・・。
 校正を終わってから、句集に添える新年会に関する文書の文言などを相談。例年通りなのだけれども、多少の違いもある。新年会の進め方、役割などの話も。
 その他、例会について、建設的な意見がありました。
 小冊子の句集は選句用紙を添えて、明後日には発送できると思います。

     松の内句会の相談しておりぬ

 

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2014年1月 4日 (土)

パソコンの日

1月4日(土)

智光山公園の鴨
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もちろん以前に撮った写真からです。

 つばさ、踏青合同新年句会の投句締切日が昨日。しかし例年、締め切りの次の日にも何通か投句が来る。それを振り切るほど強気に出られる句会ではない。今日の午前中に到着したものは、期日内に到着した扱いで、午後はパソコンにかじりつく。とにかく9時近くまでパソコンと格闘です。句集の小冊子を作る以外にもやるべきこともあり、まだ終わったわけではないが、何とかめどがついた。今日が1番忙しい日になった。

     パソコンや手先足先冷たくて

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2014年1月 3日 (金)

継母96歳

1月3日(金)

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継母に年始
 継母は今、鷺宮に義妹と共に住んでいる。96歳。車椅子が必要になったというのは、電話で知っていた。11月に、急に腰が痛くなったのだという。しかし今はだいぶよくなったということで、家の中なら一人で歩ける。呆けは、まったく無い。私の方が呆けているくらいだ。
 行きはバスに乗ったが、バス停二つ分なので、帰りは歩く。

鷺宮神社に寄ってみました。三日目でもこの人出 。
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お炊き上げ、達磨さんもいますね。
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隣は福蔵寺(だったかな?)というお寺。敷地も広い立派な寺でしたが、こちらは嘘のように静かです。

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     柚子の木に夕日が掛かる三日かな

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2014年1月 2日 (木)

かきぞめ

1月2日(木)

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「書初め」ならぬ「描き初め」です。
 上はいつもの通り、今朝布団の上で、下は午後、智光山公園で。
 去年はペンを使ったり筆だけで描いたり、いろいろ試してみました。今年は、描く対象や、そのときの気分で、自由に描きます。上の絵はペンを使っています。下は筆だけで、クロッキー的なスケッチです。

    三が日朝寝朝寝で過ごしけり

 まだ三が日過ぎていないのに、こんな俳句作っていいの? いいか悪いか知らないけれど、俳句に義理を立てて明日は朝寝をしましょう。

 

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2014年1月 1日 (水)

謹賀新年

2014年・元日

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    子の家で年越しそばを食っており
    膝痛も少しはありて年明ける
 

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