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2013年9月30日 (月)

秋耕

9月30日(月)

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広告写真から

秋耕
 みちくさの畑へ。草やら収穫の終わったオクラやトマト、きゅうりの苗で畑が荒れている。ほうっても置けないのでみちくさの畑へ。トマト、きゅうり、オクラの苗を抜き、支柱を解き、ある程度草を抜いて、シャベルで天地換え。今日で全部終わらせられなかった。なかなか大変です。
 なす苗を切り返しておいたが、秋茄子が成りだしました。

   秋耕やトカゲが走る黒い土

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2013年9月29日 (日)

『あの戦争は何だったのか』

9月29日(日)

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智光山公園です

所沢の航空公園に行ってきました
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   秋の蝶となりのベンチの声大き
   公園に鳩追う子ども法師蝉

『あの戦争は何だったのか』保坂正康・著
 戦争とは太平洋戦争のこと。何であんな馬鹿なことをはじめたのか、それを検証しようと言うのです。世の中全体の狂気の中で、それを指導した人たち、皆秀才なんだ。ただし、学校秀才ですね。世界を広く見ることができない。自分に都合のよい情報だけを信じる。客観的な意見を言う人は遠ざけられる。戦略もなく、ただずるずると戦争を始める。終わり方を考えない。武器が不足でも精神力で勝つ。東条英機の好きな精神力。
 小学生の私の制服の金ボタンまで供出させられた物不足。竹槍の練習。日本は負けたことのない国だから、今度も負けない。神州不滅。蒙古来襲の時に台風が来たように、いざとなれば神風が吹く。そして大和魂。幼稚園でまず覚えた歌は「僕は4つで小さいけれど、今に大きくなったなら、勲章下げて剣下げて、お馬に乗ってハイドウドウ。
 精神力と言う魔法は強かったね。戦争が負けても2-3年の間、大人たちは「物量で負けたけれど、精神力は日本のほうが強かった」と言う人が多かった。子供の私もそんなものかと思ったが、小学校も上級くらいになれば、遠くから鉄砲で狙われているのに、必勝の信念などといって刀を振り回すのが精神力だなんて、おかしなことだと気がつく。一国の指導者達が、冷静な判断のできない人、できない状態だったんだね。








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2013年9月28日 (土)

秋日和

9月28日(土)

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積水ハウス広告の写真から描いて見ました。

厚労省、社会的弱者支援保証金を3割削減へ(毎日新聞)
 
え、本当かい? 消費税は上げる、企業の税金は割り引く、それで弱者の補助金は減らす・・・・なんだろうねえ。弱者は早く死ねということか。

秋日和
 智光山公園に散歩。
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かわせみを狙うカメラマン。チャンスと見ると、わっと集まり、なーんだ、となるとカメラだけ残してそばを離れる。

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秋日和、駄句駄句
   両側のコスモス道に傾けり
   道の果てえのころ草の知るところ
   秋日和かわせみ狙いのカメラマン
   つるみ派と孤独派秋のカメラマン
   メヒシバにシジミ蝶くる秋日和
   シジミ蝶多き野原の秋日和
   寝転べば目の上に来る秋の草
   飛行機音電線の上に秋の雲
   秋の野は静かなれども音さまざま
   どこからかマイクの声や秋日和
   影さして蝶に気がつく酔芙蓉
   石榴の実紅し凛として紅し
   秋日和犬が乗ってる乳母車














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2013年9月27日 (金)

『人間の浅知恵』

9月27日(金)

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ここは王子稲荷だったかな。歩く会で言ったところだけれど、もう忘れちゃった。

午後、水彩画の会

『人間の浅知恵』徳間孝夫・著

 著者は毎日新聞の記者だった人。世界中を飛び歩いたようで、見聞が広く、なるほどと思うような話が多い。こちらは知らないことばかりだ。中国の権力者たちには好感を持っていないようですな。反面、アメリカの批判はほとんどない。ブッシュさんの正義など少しは触れてほしかったな。

   絵描き歌のようには描けず秋日和

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2013年9月26日 (木)

忘れ物多き齢

9月26日(木)

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昨日の椅子にぬいぐるみの象

午前、ボランティアグループ定例会。

午後、老人介護施設ケアセンターでボラ。

 ボラグループの定例会、もう少しで忘れるところでした。家でテレビを見ていて、ふと気がついたら、定時には間に合わない時間になっていました。急いでいって、10分遅刻。
 先日は、地元の自治会役員会を失念。
 その後、ボランティア団体連合会の役員会も失念。

 人はこうして呆けていくのです。

   忘れ物多き齢やそぞろ寒

「そぞろ寒」というのは秋の季語ですが、本当は、もう少し寒いときですね。

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2013年9月25日 (水)

ぬいぐるみの椅子

9月25日(水)

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飛鳥山公園。22日、彼岸なのに子供たちは水着で遊んでいます。あの日はまだ暑かった。

精障者作業所、ショップみちくさへ。
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こんなものを作りました。ぬいぐるみの椅子にいいでしょう。さて、何を座らせるか?材料は、木の枝、コンパネ、孟宗竹。

   あさがおの大き紫雨模様

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2013年9月24日 (火)

墓参・『縄文人に学ぶ』

9月24日(火)

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名主の滝・男滝
 色はパステルを使ったが、水彩にすべきだったかな。

墓参
 遅ればせながら墓参。我が家の墓に眠るもの。父母、弟たち、妻。

自治会便りの配布
 各ブロック宛にまとめて。赤十字共同募金の要請と一緒に。墓参から帰っても、用事が待っていました。

『縄文人に学ぶ』上田篤・著
 内容は縄文人に学ぶと言うより、縄文時代はこんな社会だった、と言うようなもの。検証はできない問題なので、わずかな遺品や、文献、似ていると思われる少数民族の風習、などからの想像や類推で論が成り立っている。
 縄文時代についてほとんど知らないのだけれど、私としては、賛成できるところとできないところがあります。
 たとえば縄文以前に日本にたどり着いた人々は死に絶えたと言う説など、受け入れがたい。4万年、ないし3万5千年前に古代人(と言っても、ホモ・サピエンス)が日本に渡ってきたことになっていますが、ちょしゃによれば、氷河期にその人たちは大型獣を追って日本に来た。その後氷河期が終わり日本は大陸から離れ、大型獣が死に絶えた。だからその人たちは食料を得られずに死んだ、と言うのである。
 そんなことはないでしょう。大型獣を追ってきたと言っても、小型獣だって獲っただろうし、木の実や草の芽なども食べたはずだ。第一そこで死に絶えたならば、大陸から離れた日本に、縄文人が大挙して海を渡って押しかけたことになる。そのほうがおかしい。1万年にわたる縄文時代、大陸から流れ着く人々がいたことは確かだが、人間が入れ替わるほどだとは思えない。
 縄文の世界は母系だったと言う説には賛成。平安時代には妻問婚でしたよね。室町時代に婿取り婚から嫁取り婚にかわったらしいことは、吉田兼好の『徒然草』読んだときに感じました。
 相撲はスポーツから祭りになったと言うけれど、逆じゃないのかなあ。祭りからスポーツになって、いまだに祭りの気分を残しているというところじゃないの?
 現在日本の風習やら行事やらを縄文時代からのものとするのが著者の言わんとするところだろうか。
 終わりのほうで著者は心理学者、河合はやお(フルトリという漢字と雄)の言葉を引用している。「父性原理は『よい子だけがわが子』で、母性原理は『わが子はすべてよい子』である、という」。なるほど。それに続いて、対立する勢力があって、その上にちょこんと実力のない権威がある、と言うのが本来の天皇制、見たいな事を著者は言っている(と思う・・・意訳が過ぎたか?)。この部分は賛成。

   朝の雨五臓六腑にしみわたる
   供えたる花の上飛ぶ秋の蝶
   秋の雲霊園多きバス路線



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2013年9月23日 (月)

よく走る孫

9月23日(月)

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 このような絵では、場所はどこ? なんていう事は関係ないよね。どこでもいいや。掃除するおじさんです。あ、それも、言わなくても分かる・・・。
 近頃、風景画の中に人間を入れるのが好きです。でも、この絵などは風景画といえるのかなあ。

 午前中、自治会の広報の仕事。

 午後、次女の家へ。家の前で3歳の孫、遠くから走ってくる。結構早い。この前までは幼児の雰囲気だったけれど、今は子供だ。変化は早い。

   借景の枝先に紅葉始まりぬ

 次女の家に庭は狭い。裏窓から隣の庭を借景とする。

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歩く会

9月22日(日)

 とにかく、呆けましたなあ。

 歩く会を終えて、家に帰り、1丁目自治会の広報通信などの配布などの用事を思い出し、明日やるといっていたのですが、今日のうちに印刷されたものなどを自治会館に取りに行きました。そして風呂に入り、食事を作って食べ、次女のところには明日行くよとメールをし・・・
 パソコンを立ち上げてその日のニュースなどを読み、いつも読むブログなども読んで、その中には今日案内してくれたTさんの「あしながおばさん通信」などもあり、「いつもなら私のほうが早いのに、今日は彼女のほうが早いなあ」と思ったりしたのに、そのまま自分のブログは書かずに寝てしまいました。ちゃんと布団を敷いて寝ているのですよ。こうして人は呆けていくのです。
 いつものように夜中に目が覚めて、あれ? と思って、今ブログを書き出しました。

歩く会
 そんなわけで、とにかく歩く会。六義園、旧古川庭園、飛鳥山公園、王子稲荷、名主の滝など歩いてきました。六義園と旧古川庭園は、去年だったかな、私が一度案内しています。その他のところは初めて。途中都電荒川線などに本当に久しぶりに乗って、歩数は1万6千歩あまり(同行した人たちの歩数計でカウント)散歩でした。

写真は気が向いたら明日載せます。

   松手入れ松の上から初めけり
   老いてする庭園めぐり赤とんぼ
 

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2013年9月21日 (土)

つばさ俳句会報告

9月21日(土)

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大宮公園です

つばさ俳句会報告

本当は報告なんてしたくない。散々な成績でした。

私の句は

 チングルマ阿弥陀ヶ池に霧立ちぬ  2点、
 湿原の木道のうえ赤とんぼ      1点
 夜の秋秘湯の宿の水の音      0点
 淋しさにタカネナデシコ寄り沿いぬ 0点

高得点句

 桃匂ふ手のひら二枚月命日  綾子
 走者あり白髪白シャツ日照り雨  柳二
 空蝉の体内に入る夕日かな  三郎
 人間の命短くて桐の秋  美智子
 からすうりのはな見て来しは言わず  京子
 座っているだけでよろしい生身魂  美智子
 新涼や白木の匂う大社  令子
 誉め合いて人生後期夕薄暮  綾子
 自転車のドミノ倒しに秋暑し  綾子
 かなかなや保護されました迷子の子  たつ子

今日の私の句
 

   まだ残暑続くつもりの彼岸かな
           季重なりですけれどね

ここまで書いたら電話がかかってきて、今夜は1丁目自治会の役員会でした。失念。

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2013年9月20日 (金)

『読みの整理学』・二宮金次郎は薪を背負って音読?

9月20日(金)

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曼珠沙華の写真を撮ろうとしている・・・。ただし、ここは巾着田ではなく、ユガテです。

おもてなし

 オリンピック開催が決まって、しきりに「おもてなし」と言う言葉を聞くようになった。日本はおもてなしの心を持つ国なんだってさ。でもね、毎日新聞で、面白い記事を見つけちゃった。世界の大手企業250社で、外国人がトップになっている企業が25%あるんだって。日本では225社の大企業でトップが外国人というのは、ほんの数社だそうです。日本の「おもてなし」はすぐに帰るお客様ようで、居座って組織の主力になったりするのは歓迎されないんだって。(14日毎日新聞コラム「発信箱・王とキング」福本容子)。

『読みの整理学』外山滋比古

 この著者の本はよく読むほうです。今回の本は、読むことについて、既知を読むのと未知を読むこととの違い、未知を読むことの大切さ、その難しさについて書かれています。
 本の内容の主題とは違うところでちょっと気になることがありました。読書には音読と黙読がありますが、昔の人は音読が多かった。著者は昭和10年代までは新聞などを音読する人がいたといいますが、これは昭和20年代でもいましたね。私の祖母なども音読していましたし、電車の中などで、本を、ぶつぶつ口を動かしながら読んでいる人を見かけることもありました。
 映画やテレビドラマなどで上級武士が書見をしている場面など、口を動かしている場面など見たことがありません。しかし、あれはひょっとしたら、口をぶつぶつ動かしていたかも知れない・・・。
 二宮金次郎は薪を背負いながら本を読んでいます。あの銅像の金次郎、ひょっとしたら音読していたかもしれないぞ。どうも、そんな気がしてきた。
 本の内容とは関係ないのですけれどね、へんなことが気になるのです。

   咲き満ちて林床埋める曼珠沙華

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2013年9月19日 (木)

山歩き・ピークハンターではありません

9月19日(木)

ユガテ、鎌北湖、巾着田

 実は、17,18,19の2泊3日で北岳へいこうと誘われていました。しかし、ボラなどの用事があり、残念ながらいけませんでした。同じく用事があっていけなかったKさんが、低山歩きを企画して、Aさん、Hさんなどを誘い、4人での山行。

コース
東吾野ーユガテーエビヶ坂ー鎌北湖 鎌北湖から登り返して 北向地蔵ー(ピークを避けて)物見山ー(ピークを避けて)日和田山ー巾着田
 ピークを避けてというのは、ピークのすぐそばを通りながら、あえて登らなかったと言うくらいの意味。

 巾着田は、おそらく昨日いったと思われる人のブログで、入場料はまだとっていなかった、とありました。今日私たちは、300円をとられて入場しました。管理する人たちの話では、彼岸の中日くらいが本当の見ごろと言うことでした。

 デジカメの調子がおかしくなり、中央が呆けるようになりましたが、何枚かアップしておきましょう。

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おっと、これは彼岸花ではないわいな。

   釣り人の湖畔に並ぶ彼岸花
   木漏れ日の山道続く法師蝉

 今日のコース。ほとんど木漏れ日の道でした。眺望は日和田山の頂上直下の社殿前くらいかな。特にエビヶ坂経由の鎌北湖までの道は、あまり歩かれていないようで、幾分か藪漕ぎに近い荒れた道でした。鎌北湖は釣り人がズラリ。

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2013年9月18日 (水)

指揮者のしぐさ

9月18日(水)

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大宮公園のボート池。
 今ではボートはないけれど、かってはこの池にボートが浮かんでいた。水草が半分ほどふさいでいる今も、名前はボート池である。

 3時まで精障者作業所「みちくさ」。4時からリバーサイドで「こぶし祭り実行委員会」。

   秋日和指揮者のしぐさして通る

 昨日この池が見える斜面の上のベンチで、コンビニのおにぎりを食べました。家の周りの道を変なしぐさをして通り人がいました。近くに弓道場があるけれど、それとは違うし、なんだべなあーと思ったんです。今朝テレビで、小沢征爾の指揮する姿を見て、あれだと思いました。


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2013年9月17日 (火)

大宮公園

9月17日(火)

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 私がこれまで住んだ場所と言えば、秋田の羽後町、東京の市ヶ谷、高円寺、埼玉の大宮市、狭山市などです。その他にも短い期間住んだところは幾つかありますが、3年以上も暮らしたと言えば、こんなものですね。
 このうち大宮は所帯を持った場所で、いろいろ思い出もあります。しかしそこで生活していたのは40年以上前になります。忘れたことも多いし、町もずいぶん変化しています。
 今日、大宮公園に行ってきました。私が住んでいたころは、大宮公園は1つだけでした。でも今は大宮公園に接して、大宮第2公園があり、第2公園に接して第3公園があります。これがそれぞれ広くて、いい公園です。大宮公園は桜と松。第2公園、第3公園は芝生が多い。

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 第2公園の池のほとり。中央に池があるのですが、木の生えている辺りは、いつもなら芝生のはずです。台風の影響で、池が何倍かになっていました。

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 こちらは第3公園。実は第3公園に入ったのは今日が初めて。これ、雨でできた水溜りです。上の写真に飛び石の道があり、その道をたどっていくと下の写真の中央やや左よりの木の橋にたどりつくのです。第2公園、第3公園は見沼田んぼの1部を利用して作ったのだと思います。もともとが湿地帯だから、水も溜まりやすいのでしょう。

   嵐あと水道の水生温し
   どんぐりを払って座るベンチかな
   木漏れ日のベンチの上の法師蝉
   青きままどんぐりあまた落ちており
   赤とんぼ出水の上を低く飛ぶ
   草原に出水残して嵐去る








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2013年9月16日 (月)

『言語学の教室』

9月16日(月)

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 バレンティンというのかな、56号、57号日本プロ野球のホームラン新記録。前に二人か三人王の記録を抜きそうな人がいたのに、投手は四球で逃げて、あれはみっともなかった。

 『言語学の教室』西村義樹・野矢茂樹、著

これまで読んだ言語学とは一味違う言語学。「雨に降られた」と言えるのに「財布に落ちられた」と言わないわけなどを解き明かそうと言うのだ。いろんな言葉が出てきます。「おなら」がどうしたとかね。
 日本語や英語だと「財布を落とした」と言えるけれども、インドネシア語では、そのような表現はできないのだそうです。インドネシア語では、知らぬ間に落ちたことを「落とす」とは言わないらしい。「落とす」と言えば、「落とそうと思って落とした」ことになるらしいのです。
 あることをどこの国の言葉なら表現できて、どこの言葉ではできない、と言うようなことを研究するのが目的ではないが、そんなことを知るのも、ちょっと面白い。It is diffcult to read this book. と This book is diffcult to read. は、私には両方とも同じ意味で、ニアンスの違いなどは分かりません。後のほうの文は「タフ構文」と言うのだそうです。そして「タフ構文」は日本語では言えないのだそうです。つまり「この本は読むのが難しい」と言うだけの意味ではないのですね。
 著者の西村義樹は認知言語学の先生で、認知言語学というのは「言語の違いはそれを話す人の思考様式、行動様式を反映」するものとして研究するものらしい。哲学や心理学にも近いみたいです。
 内容に興味はあるけれど、次々に新しい単語、語彙が出てきて、ちょっと難しかったです。新しく出てくるたびにちゃんと解説はあるのだけれど、こっちは呼吸を10回もすれば忘れちゃうからね。あやふやなままで読むから、だんだん分からなくなる。

嵐あと
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   異常気象これで終わるか嵐来る
   物は舞う鳥影は無く嵐かな
   秩父嶺の稜線さやか嵐あと
   嵐後の夕焼けマンションの上までも






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2013年9月15日 (日)

雨読

9月15日(日)

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昨日の絵にパステルで色を載せてみました。

 晴耕雨読と言いますが、今日は雨読です。と言っても、まともな本をまじめな顔をして読むと言うのではありません。手当たりしだい読み散らすと言うことですな。台風が近づいている不安定な天気なのに、わざわざ出ることもないさ、と言う気分。

   強弱をつけて雨降る野分まえ

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2013年9月14日 (土)

読めば読んだで疑問が生まれ

9月14日(土)

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広告写真から

読めば読んだで疑問が生まれ

 『日本人になった祖先たち』篠田謙一・著によれば、新人(ホモサピエンス)は10万年から20万年前にアフリカで誕生したそうだ。そしてアフリカからユーラシア大陸に渡ったのが、6万年から7万年前だと言う。人間の細胞の中に同居するミトコンドリアのDNA分析から分かったことだそうだ。新人の誕生や出アフリカはそれまで考えられていたよりは、ずっと最近のことになる。
 著者によれば、出アフリカはたぶん1回だけだったろうと言う。そのときの人数は、学者によっては150人くらいだったと言う。それがあたっているかどうかは知らないが、案外少人数だったと言うことになる。それがユーラシア大陸に広がり、1万5千年前にはアメリカにわたり、1万3千年前には南アメリカの南端まで達したと言う。

 先日読んだ『一神教VS多神教』では、白人は黒人社会の中に生まれた白子で被差別人種だったと言う。それで北に追いやられたと言うことになっている。ただしこれは科学的に証明できる説ではない。理論上そう考えるということである。黄色人種はその白人がまた変化したものだと言う。もちろんこれも証明はできない。
 出アフリカの150人?は白人だった・・・とはいえないなあ。出アフリカの後、一部はアフリカに帰ったようだから(DNA分析の結果)。白子が黒人に戻ってアフリカに帰ったなんて考えられない。
 ちょっと横道だが、岸田秀は古代文明を発生させたエジプト人は黒人だったらしいと言う。もちろん証明できない。そういえばメソポタミアのシュメール人も黒人だったという説がある。インドの少数民族ドラブィダ族と同種の人たちではなかったか、などという説もあるようだ。
 岸田秀の説は歴史に関するもので、証明の仕様はないわけだ。証明云々は別にして、説得力はありました。

 さて、『日本人の祖先』にかえる。出アフリカの後人間が日本に来たのは、3万5千年前から4万年前だと言う。日本は大陸と地続きだったわけだから到達するのに難しくはなかっただろう。日本海は内海みたいだったのかなあ。いわばその人たちが原日本人で、縄文文化を築くことになる。そのころには日本は大陸とは海で隔てられていただろう。
 関東の縄文人のDNAは非常に多様なんですってね。その点、北海道のアイヌとは違うのだそうだ。日本列島ができるとき、最初に切断されたのは、たしか津軽海峡だったはずだね。そんなことでDNAの違いが出たのかなあ。これは私の勝手な想像です。その縄文人と稲作を持ってきた中国南部の人知が混血し、
弥生人が出来上がった・・・かな?
 大和政権ができてからは中国の中原との往来や渡来人との混血で、現在の日本人が出来上がったと言うことかな。著者はそんなことまで言っていないが、私の想像で、通説とも合うのでしょう。

 そうすると、その前に読んだ『アイヌは原日本人か』梅原猛・植原和郎共著、との関係はどうなるのかな。

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   ひょうたんの四五十ほどもぶら下がり
   秋の雨舗道ほんのり濡れるほど

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2013年9月13日 (金)

また夏だよ

9月13日(金)

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エゾナキウサギ。毎日新聞の写真から

 昨日今日、暑いねえ。また夏がぶり返した。

 午後「みちくさバザー」打ち合わせ。この「みちくさ」はいつもいく精障者作業所ではなくてV連主催、社会福祉協議会で行われるバザーです。

   百日紅まだ咲く力残りおり

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2013年9月12日 (木)

『一神教VS多神教』

8月12日(木)

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『一神教VS多神教』岸田秀・聞き手、三浦雅士、朝日文庫

 精神分析的な方法で一神教と多神教を読み解く書。

 一神教を砂漠の宗教、多神教を湿潤な森林の宗教とする考ある。私はそれで、何となく分かったような気がしていた。岸田秀はそれを否定しているわけではないが、差別されたもの、迫害されたものが、現実には無い絶対神を求めるようになると言う。

 一神教はどうしても独善的、排他的になる傾向がある。これは私も感じていたことである。それが正義と結びつく、と言う。言われてみればもっともだ。凝り固まった正義感と言うものがいかに厄介なものであるかは、歴史が証明している。正義のための戦いが、いかに残酷だったか、と言うことです。正義のためだから、残酷もできてしまう。一神教の危うさですね。

 戦前の日本、天皇制と言う擬似一神教だったと言う。なるほど、そういわれればそうだ。正義感には敵意がこもっていると言う。だから戦闘的になるのかな。

 岸田秀は『ものぐさ精神分析』と言うのが処女作だそうで、そういえば、だいぶ話題になった本である。私は読まなかったが、その内容を嫌悪する人もいたようだ。なんだか読んでみたくなった。

   耳鳴りが激しくなって秋暑し

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2013年9月11日 (水)

布ぞうり教室

9月11日(水)

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 バンザイ

精障者作業所「みちくさ」へ。

 午前中は布ぞうり作りを習う人が3人で、さながら布ぞうり作りの教室。月謝、ただ。でも、日本酒4合瓶を持ってきてくれた人がいました。

午後は、みちくさバザーや、こぶし祭り用に木工製品作り。庭椅子2セット。

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 コンパネとありあわせの木で作りました。コンパネというのはビルの壁などを作るとき、コンクリートが外に流れ出さないようにして、壁の形を決める、使い捨ての建築資材です。それを利用するのですから、安くできるわけですね。

   コスモスや布ぞうり編む教室に
   秋の蝶小雨の重さ羽にあり





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2013年9月10日 (火)

さすがに疲れました

9月10日(月)

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 昨日に引き続きマンション生垣の刈り込み。何日前だったか生垣が高すぎて信号が見えないというご近所の苦情を受けて、信号に関係ありそうな部分だけ30センチほど、生垣を低くしました。このときは何人かでやりましたが、ガソリンエンジンで動く刈り込み機を使ったのは、私だけです。これは能率はいいけれど重いのです。
 その日は一部を刈り込んだだけですが、生垣の段差30センチをそのままほおっておくこともできない、と考えるのは私。みっともないからね。でも、Sさん以外は協力してくれる気なし。Sさん80歳を超えているんですよ。昨日は、誰にも頼まず一人でやりました。今日はSさんに声をかけて、刈り込みをしました。Sさんのほか女性のYさんが手伝ってくれました。刈り込み自体は全部私がやるのですが、出た木の屑を二人で片付けてくれました。これが大変なのです。おかげで、マンションの生垣刈り込みを今日の12時で全部終わることができました。
 何でこんなに刈り込んだのだ、と言うような批判の声は、すでに届いています。マンション管理組合の総会では当然、追及されることになるでしょう。でもね、ご近所の苦情を放っておくわけにも行きません。
 
それに生垣の管理上の問題。自主管理で、素人の私たちが刈り込むのですから徒長枝だけを切るような結果になっています。そうすると、年々生垣は大きくなるのです。そして仕舞には、脚立に乗って刈り込みをしなければならなくなります。我がマンションの生垣はその寸前まで来ていました。どうしても生垣を低くする必要があったのです。

市の広報の配布の日
 刈り込みを終えてマンションの部屋に帰ると、入り口の前に、広報の荷物が置いてありました。しょうがない、これもやらなきゃ。とにかく、昼飯食って少し休んで、広報を仕分け、各ブロックに届け、終わって、今度は我がマンションの仕分けと配布。

 全部終わったら4時になっていました。さすがに疲れましたねえ。市内の温泉に行こうかと思ったのだけれどその気力もなし。わが家の風呂を沸かしのんびり入って・・・(とはいえ、カラスの行水です)、発泡酒。旨いなあ、こんなときのアルコールは・・・。

   疲れたる身にこそ沁むる秋の酒

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sasugani

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2013年9月 9日 (月)

いやあ、参りました

9月9日(月)

 今日は、私のブログとしては、まじめなことを長々と書いたのです。でもそれは、保存しそこなってパアになっちゃいました。

 もう疲れました。毎日新聞夕刊の『近事片々』からフレーズをいただいた俳句と、智光山公園のスケッチだけを再録します。

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   雑草の音なく濡れる秋の雨

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何で皆おんなじ方向ばかり向くんだろう

8月9日(月)

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 智光山公園です。どちらかといえば女性が男性に付き添っている場合が多いのですが、この夫婦(だと思います)は男性が女性のサポートをしています。

 朝、みちくさの畑のオクラを収穫し開店前のみちくさに持っていく。

 午前中マンション生垣の刈り込みをする。途中までやって放っておくことはできないので、生垣の剪定を一人でやる。明日もやるが、Sさんが手伝ってくれることになっている。刈り込み事体は私がやりますが、Sさんには刈り込んだ枝の始末などをしてもらいます。肉体的には刈り込むほうが大変ですが、刈り込んだ後の枝の始末のほうが、時間はかかります。ちなみに今日は、刈り込みに45分、枝の整理清掃に1時間半かかりました。Sさんは80歳を超えているのです。それに比べたら、「疲れた」などといっているほかの人、私より若いんだよ。
 生垣を20センチから30センチぐらい刈り込んでいるのですから、管理組合の総会のとき、いずれ批判は出ます。その矢面に私は立つわけですけれど、やらなければならないことはやらなければなりません。76年も生きていれば、少々のことでは堪えなくなりますからね。

 午後1時半ごろまでに、今日の刈り込みは終えて、昼風呂に入り、デレーッとして午後を過ごそうと思っていました。でも、そうはできませんでした。
 風呂に入っていると電話。裸のまま受話器をとると、広報の仕事が待っていました。明日は市の広報の来る日ですが、その前に1丁目自治会のいくつかのお知らせを配らなければなりません。
 何はともあれ、それを仕分けして、配って、後は酒飲んで、デレーですな。

 今日一日、ちっとばかり疲れたねえ。

     雑草の音なく濡れる秋の雨

 毎日新聞夕刊の「近事片々」から、フレーズをいただいちゃった。借り物だけどいい俳句だなあ、これ。



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2013年9月 8日 (日)

一人吟行

9月8日(日)

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スケッチは智光山公園です。

一人吟行

   遠足の園児のザック大きくて
   鉄塔の並ぶ遠山酔芙蓉
   中腹に寺の屋根見ゆナナカマド
   黄金田にまだ間がありて秋の雨
   子供太鼓強く響いて秋祭り
   黄金田を電車一輌ひた走る
   つずら折の道少し見え百日紅
   白鷺の細く立ちたる水辺かな
   青芝にさくら落ち葉のちらちらと
   田舎道しのついて降る秋の雨

オリンピックは東京に決まったようですね。テレビでは朝から大騒ぎ。私は開催日まで生きているかどうか?

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2013年9月 7日 (土)

生垣の刈り込み・オリンピック

9月7日(土)

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 愛用の広辞苑と三省堂国語辞典。ガムテープなどで補強してあります。置き方によってはもっとぼろぼろに見えるのだけれど、ぼろを強調してもしょうがないから、このくらいにしておきました。

 マンション生垣の剪定。生垣の高さを30センチくらい低くしています。先日ご近所から信号が見難いという抗議を受けて、角の5分の1くらいを刈り込みました。その続きをやりました。だけど、みんな疲れちゃってだめなんだって。私より若いのにね。
 
今日は一人で2時間くらい。途中までやったものは、やはり最後までやり通さなくてはね。今日も5分の1くらい。
 残り5分の3は、来週中に何とかしましょう。

 オリンピックの開催地、明日決まるのだそうですね。不思議なのは、マスコミなどに反対意見が出ないこと。前回の東京オリンピックのときには、ずいぶん反対意見もあったよ。
  私自身は賛成でも反対でもなくて、どうでもいいんだけど、反対意見が出ないと言うのが不気味だ。何かみんな、ひとつの方向に向くようになっているのかなあ。小泉さんのときも、安倍のミックスも、ほとんど反対らしい反対がない。みんなが同じ方向を見るときって、本当は危ないんだ。

   山行は中止となりて秋の雨

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2013年9月 6日 (金)

池のほとり

8月6日(金)

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 午後、暇があったので、久しぶりに智光山公園に行き、心字池(と言ったと思う)のほとりで、ベンチに座り、ぼんやりと時を過ごしました。アルコールはもちろん途中で買いました。

   秋雨にまた鳴き交わす牛蛙
   木の影を揺らすさざ波秋の池
   水辺の草シオカラトンボ来て止まる
   孤独なる老人鴨に餌をやる
   秋の池に動く影あり人歩く
   のほほんと池見る耳に秋の蝉
   池の水静かに寄せて法師蝉

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2013年9月 5日 (木)

『里山資本主義』

9月5日(木)

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『里山資本主義』 藻谷浩介・NHK広島取材班

 刺激的な本である。誰にでも読んでもらいたいような本だが、地方の小さな自治体の長などには特にお勧めだ。

 人間の価値を金で計るような風潮には10代のうちから違和感を持っていた。そんな人はきっと大勢いるのだろう。それから60年。世の中にはさまざまな変化がありました。土地神話の時代、投機の対象として土地が選ばれた。あれも変だと思いましたね。オランダのチューリップの球根が高値で取引されたこと、それが一夜にしてブームが去ったことを、私は本を読んで、たまたま知っていました。土地もそうなるだろうと思っていました。バブルの時代。リーマンショック。投資が投機になって、大金持ちになるのはマネーゲームをする人ばかり。犬の指を宝石で飾るような人が出てくる。そして貧富の差は広がる。

 どう考えても変です。アメリカ型の資本主義を全世界に行き渡らせれば、世界は豊かになるのでしょうか、今話題のNPPといったかな、あれだって、アメリカ型資本主義をもっと徹底して、その行き詰まりを早めるだけではないかと私には思える。

 安倍さんの政策は企業が儲けやすいように、そうすれば日本は豊かになる、と言っているようです。確かに企業が豊かになるのはいいですよ。その豊かさを少しは庶民に回してくれればね。経済が伸びている間、私たちは確かに豊かになりました。でも、それも頭打ちでしょう。資源を食いつぶしていつまでも伸び続けられるわけがない。成長が止まるとやっていけないような経済は、いずれ行き詰るしかない。

 

 思い出すのは、日本の農業政策。米あまりだからと言って打ち出したのが、減反政策でした。たとえば農薬を使わなければ補助金を出す、などという政策は政治家には思い浮かばなかったのでしょう。農薬を使わなくなれば、農薬を作っている企業は困るものね。今農産物の無農薬は立派な宣伝文句になりますが、この道を開いたのは、消費者であり、個々の農家なのですね。地産地消、これも同じうなものです。考えてみれば、こんなこともアメリカ型資本主義に対する小さな抵抗でした。

 アメリカ型資本主義を残否定することは不可能だし、確かに便利な面を持っている。しかしそれだけでは行き詰る。そこで出てきたのが『里山資本主義』。

 オーストリアでは原発を持たない、稼動させないと言うことが、憲法で決められているのだそうです。そこでどうするか、木を徹底的に利用するのだそうです。エネルギーとしても、建築資材としても木を利用する。
 集成材というのがあります。木の繊維にそって小さな木を張り合わせて厚い丈夫な板などにした建築資材です。最近この集成材を縦の繊維と横の繊維を組み合わせる方法に変えて、革命的な建築資材が生み出されたそうです。この集成材で5階建て、6階建てのビルが建ち、鉄筋コンクリートに負けない強度と、耐火性を備えているそうです。そういうビルがオーストリア、イギリス、イタリア現に建てられていると言うのです。
 これは、ここ10年くらいの間の変化だそうです。原発や石油に頼らないエネルギー政策を取りながら、オーストリアの個人の所得は、日本より上だそうです。
 日本はオーストリア以上の森林国。小さな自治体がその気になったら、できることはあるのではないか。

 実は日本にも、里山を徹底的に利用することで、町を立て直そうとしている人が何人もいて、じょじょに増えていると言うことです。
 その例の一つ。岡山県真庭市、銘建工業の中島さん。真庭の木で建築資材(集成材)を作り、出たくずでべレット(燃料)を作る。鉋屑やら樹皮やらを燃やして発電し、電気代はそれでまかない、あまりは電力会社に売る。そしていまや縦横の繊維を組み合わせた新しい集成材を作る。そして建築基準の見直しを迫っている。真庭市は中島さんたちの活躍もあって、活気を取り戻していると言う。

 とまあ、いろいろ考えさせられる本でした。

   秋の蚊に肩を刺されて畑仕事
   蒸し暑き秋なり今日も雨もよい

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布ぞうり

9月4日8(水)

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 このブログは5日の朝に書いています。昨夜は書き忘れて眠ってしまいました。眠る直前までブログのことを気にしていたのに、布団を敷いたらコロッと寝ちゃいました。歳が歳なのでこんなことがあると、何でも「ボケ」の始まりかななどと考えてしまいます。

 精障者作業所「みちくさ」へ。

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 布ぞうり作りを覚えたいという人が来て、教えながら私も一足作ってみました。ちょっと歪んでますね。教えるほうがこれではね。授業料はいくら、と聞くので、「ただです」と言うと、次にくるときに酒を持ってくる、と言う。酒なら、もらうかな。

 畑では遅く種をまいたオクラの収穫期。育ちは早いし、たくさん取れます。大きくなりすぎて、食べられなくなるものも結構多い。
 ミニトマトは、まだ採れています。

 また今日も竜巻があったんですね。2日続きの竜巻なんて、これまでにあったんだろうか?

   飛行機の轟音に負けずと蝉の声

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2013年9月 3日 (火)

出来事を書くか、考えたことを書くか?

8月3日(火)

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 この絵では何がなんだか分からないでしょうね。半透明のビニール袋に、パソコンプリンターのインクが入っているのです。解説したって、やっぱり分からないような絵だねえ。ビニール袋に入っているものが、なすとかりんごとかだったら、もう少し分かりやすくなるんだけどね。説明しても分からないような絵では、やっぱりしょうがないね。

 こぶし福祉会「かすみ川食堂」へ。例によって包丁砥ぎです。かすみ川食堂の包丁、精障者作業所「コパン」の包丁。それに個人の包丁3本など。

 急いで帰って、マンション垣根の刈り込み。近所の住民から苦情あり、「垣根の生垣が大きくなりすぎて、交通信号などが見難い」と。急遽刈り込むことにしたのだが、相談がまとまったのが午前11時。私はそれから「かすみ川食堂」へ行かなければならなかった。

 午後3時、Sさん、Iさん、私の3人で刈り込み開始。4時過ぎ音を聞きつけて、YさんKさんが手伝いに。問題になった部分については、何とか5時過ぎに終了。「今日はビールが旨いぞ」などと言いながら解散。

 風呂に入って、ウイスキーのゆずレモン割りを3杯飲んで(これが旨いんだ)、発泡酒500ミリリットルを飲み、おつまみ兼夕食を食べ、日本酒を湯飲みに入れて、陶然としてこのブログを書いている。実は日本酒、書きながらすでに飲んでしまった(まだ飲むぞ)。

 で、ここまでは、今日行ったこと。考えたことは書いていない。それでは何も考えなかったかといえば、そうでもない。たとえば、アメリカ型の資本主義は、もう行き詰っているだろうとか、えーと、何だけなあ、ほかにも考えたのだけれど、つまり、まあ、考えたことは書かないということになりますねえ。

 でも、まれには考えたことだけ書いて、出来事は書かないなんて日もあるんですよ。

 とは言うものの一番多いのは、「今日はないを書こうか、書くことがないや」と悩むことです。

今日の俳句

  残暑きびし刈り込みを深くする

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2013年9月 2日 (月)

今年の天候はめちゃくちゃだね

9月2日(月)

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 今年の天候はめちゃくちゃですね。温暖化の影響? 何か知らないけれど、むやみに暑いし、集中豪雨はあるし、今日は竜巻だものなあ。いい加減にしてくれないかなあ。被災された方には、お悔やみを申し上げます。

   忘れ傘枝にぶら下げ百日紅

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2013年9月 1日 (日)

感覚で分かることと、知識として分かること

9月1日(日)

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夕暮れの、せせらぎ子供公園(入間川河川敷・奥富地区)

  ただ濡れる自転車で遭うにわか雨

 「車椅子と仲間の会」
 主としてバス旅行の話。参加者が増えたので、バスの車椅子席と椅子席の調整など。車椅子でなければならない人、椅子席に座れる人などの調整。

 今日、関東大震災の日。
 関東大震災から90年だそうだ。関東大震災について、私は知識でしか理解できない。太平洋戦争についてならば、貧しいながらも、感覚で理解できる。あの戦争を感覚で理解できる最後の世代である。今の日本で、明治維新を感覚で理解できる人はいないだろう。私などは福島の原発についてだって、かなりの部分、知識だけです。
 感覚で理解することと、知識で理解することとの開きは、どうしても大きい。経験を風化させないといっても、どうしようもないのですね。残るのは、知識を大切にすることです。その知識を感覚に近いところまで深めるような、感受性が大切です。感受性というのは人命を員数で数えるような人には育ちません。
 アメリカがシリアに対してどのような決定をしようと、必ず支持を表明するであろう一部の政治家たち、人命を員数だと思っているんじゃないの?


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