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2012年10月19日 (金)

みちくさバザーの準備・ 『さもしい人間』

10月19日(金)

Img018

智光山公園のカメラマン

V連定例会。

明後日のみちくさバザーの準備。社協職員のKさんが近くの小学校に机と椅子を借りに行く。私はそのトラックに同乗。机24,椅子50を借り受ける。そのうち机12は3階から運ぶのである。結構重い机なんだ。古くて、折りたたみの足などが金属で出来ている。V連役員の中でこんな重い物を持って3階から下りてこられるのは私くらいかな、と思う。山をやっているからだ。V連役員の男子では、私が一番年上なんだけれどね。

『さもしい人間』伊藤恭彦・著、新潮新書

「さもしい」という言葉には、なんとなく抵抗感がある。そして「正義」を説いている。「正義」という言葉に、私は拒絶反応を持つ。正義の戦いほど危ない物はないと思っているからだ。

私はそんな言葉を知らなかったのだが、この本に紹介されている言葉「正義の反対は悪ではない。正義の反対は別の正義だ」というのは、まさに名言である。正義と正義の衝突が戦争なのだ。

この本では、何が正義なのか? それは公正さということのようだ。たとえば貧しい国の貧しい人々が、自分は食べることも出来ない小魚などを使って先進国のドックフードを作る。それを先進国の人々は犬に与える。何かがおかしい。この感覚は著者にいわれるまでもなく、すこし公正さを考える人ならば、誰でも持つものである。

100円ショップで買い物をする私だが、それが最貧国の搾取工場のようなところで作られていたりする。貧しい人の犠牲の上で、貧しい私の生活がある。

国内でも、パートや臨時職員の安い労働の上に立って、正社員がいるし、パートや臨時職員の安い労働力に引かれて、正社員の給料も安めになる。そうしなければ会社の経営が成り立たない。その上に犬を宝石で飾るようなセレブがいる。そんあセレブなんて恥ずかしいことだ。

著者の考えとはすこしばかり離れているのかも知れないが、とにかく現代社会、何かおかしいのである。その制度を正しくしたいというのが著者の正義だ。

私自身はアフリカの人間がシャベルで土を掘っても、日本人がシャベルで土を掘っても、その価値は同じだと思う。しかしその労働に対する評価はまるで違うだろう。どこでどうなっているのか私は知らないが、世の中は不公平に出来ている。私は日本では貧しいが、最貧国の人に比べたら夢のような生活だろう。私もどこかで、誰かを食い物にしているのである。

私は本当に最低額だが、毎月銀行引き落としでユニセフに寄付をしている。赤字の月が多いけれど、晩酌が出来る間はいいかと思っている。それで自分の良心をごまかしているわけだ。私は最貧国の人々と同じ生活は出来ないし、するのは嫌なのだ。だからこれ以上のことは出来ない。

山の端の落暉のなごり秋の風

   落暉(らくき)は日没のことです

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