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2012年4月15日 (日)

旅について

4月15日(日)

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昨日の俳句
 峰ごとに靄たつ秩父音もなし


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上下とも入間川河川敷にて

○今日の俳句

 春眠の夢に破られ2度3度
 この道も袋小路や雪柳
 蘂の赤少し濃くなる花の土手
 橋桁の下から覗く桜かな

「蘂」は「しべ」です。

○旅について

 今では旅といえば日常生活を離れて、物見遊山に出かけるものがほとんどだ。それが当たり前すぎて、物見遊山などという言葉はあまり使う人がいない。

 しかし昔の旅はそうでもなかった。昔といっても、大昔のことだけれどね。だいたい庶民が物見遊山などできたのは、江戸時代を遡ることはないだろう。江戸時代でも、よほど豊かな人であろう。あとは1生に1度くらい信仰にかこつけて、旅行にでると言うことはあったかも知れない。「弥次喜多道中」や「東海道53次」が売れたのは、旅に対する憧れがあったからだろう。幕末には「ぬけ参り」なんていうのもあったけれどね。

 昭和の初め頃までは、一生に3回旅行に行ける女の人は、もっとも恵まれた人だったらしい。最初の旅行は修学旅行。2度目は新婚旅行。そして最後は夫と共に行く熟年旅行だそうである。それほど、旅行というものは大変なものだったのである。

 しかし、物見遊山ができなくても、昔から旅はあった。生きるための旅である。生まれた土地で食っていけなくなった者は、旅に出るしかなかった。旅に出る者は、生きて帰れるかどうか分からない。水杯を交わしたりしたわけだ。芸能者になったり、得度を受けない坊主になったり、乞食の旅である。

 それ以外には、修行の旅というのがありましたけれどね。江戸時代には、たとえば職人は、修行のために旅に出た。ほかの土地で新しい親方につくのである。いくつかの土地で修行をして、ひとまわりして帰ってくれば、彼の腕は以前とは比べものにならないほど磨かれている。

 「可愛い子には旅をさせろ」ということばがある。今の人は、「旅は楽しいものだから、子供には楽しい旅をさせなさい」という意味に取るそうだ。まるで逆ですね。旅をするというのは、他人の飯を食ってくるということである。「他人の飯には棘がある」その棘のある飯を食って、修行してこいということだ。甘やかしているだけではいけないよ、ということなのだ。

 今、修行の旅に多少似ているのは留学だろうね。棘のある飯を食うわけではないが、保護者のいないところで過ごさなくてはならないからね。受け入れ先に寄るけれど・・・。

 話は変わるが、鳩山さんがイランに行ったけれど、ああ言うのも旅というのだろうか。鳩山さんの行動は、我々でも危ないと思ったのに、本人はのこのことお出かけになる。そして案の定味噌を付けて帰ってきた。この人、経験から学ばないね。

 この方、善意からでたことであれば結果がどうなっても許されるような、暖かな家庭に育ったんでしょうな。ところが政治家というのは、結果が問われます。向いてないんだよ。鳩山さん、政治家をお辞めなさい。あなたは本当にいい人です。個人としてつきあうなら、こんないい人はいないでしょう。政治家としてはダメだ。成長する過程で、棘のある飯を食ったことがないでしょう。政治家を辞めて、物見遊山の旅などされてはいかが?

   

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コメント

峰ごとに靄たつ秩父音もなし
この句、とてもいいですね~~
好きです、情景が浮かびますね

投稿: さーや | 2012年4月15日 (日) 23時58分

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