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2012年1月11日 (水)

聞き書き 長堀釜太郎 5

1月11日(水)

〈昨日の続き〉

聞き書き 長堀釜太郎 5

○戦後の仕事

・・・日本に帰ったのは昭和20年11月の初めだった。帰ってすぐに仕事を始めたね。

・・・戦後も仕事はあったねえ。東京は焼け野原で、バラックなんかどんどん建てなきゃならなかった。大工なんか大忙しだ。腕も何にもなくても、景気の良さにつられて大工の真似事をして、金を貰っているような、にわか大工もたくさんいた。製材機械もほとんど無いから、大工が忙しい分、木挽きも忙しかった。

・・・そのうち製材機械も出てきたけれど、それからでも結構忙しかったなあ。農家から仕事を頼まれるんだよ。戦後は食糧難で、この辺には東京の人がさかんに買い出しにきていた。農家は景気が良かったんだ。戦争中は家の建て直しなんて出きなかったから、痛んでいるところがたくさんあった。

・・・農家が家を建てたり、傷んでいるところを直したりするときには、なるべく自分の山の木を使いたいんだよ。この辺じゃ林のことを山と言うんだよ。これ方言なんだってな。とにかく自分の家の木を使いたいわけだよ。ところが製材所に頼むと、製材所は自分の材木を売りたいから、工賃を高めに取ったり、丸太を運ぶ運送代を高くしたりするんだ。だから、結局のところ、おれたちに挽かせた方が安くなったりするんだ。

・・・農家に行くと、食い物が助かるんだよ。なにしろ食い物のない時代だ。向こうも事情を知っているから、「弁当持たずにきてくれ」って言ってくれる。昼飯をごちそうになって、帰りには何か持たせてくれる。おかげで、食い物については、あまり困らなかった。

・・・家を建てるときは、普通に使うのは4分板で、天井板なんかは2分3厘だ(1分は3ミリ、4分は1センチ2ミリ)。製材機械と違って、木挽きの挽く板は、下手な奴が挽くと厚さがむらになる。下手をすれば挽き初めは2分3厘でも、弾き終わりは裏の方なんか何にもなくなったりする。口の悪い奴に、板じゃなくてくさびだ、なんて言われちゃう。

・・・しかし農家の仕事が良かったのも、せいぜい昭和30年くらいまでだった。その後も4-5年は農家の仕事もあったけれど、半日くらいで終わるような仕事ばかりさ。さすがにそのころになると、板は製材所から買うような時代になった。だから、またボートの仕事なんかしていた。

・・・ミツウロコってのを知ってるかい? そうそう、練炭だよ。練炭の商標でミツウロコってのがあったよな。三角形があって、三菱のマークだと、その三角を菱形でつくるけれど、ミツウロコは菱形の代わりに三角形3っつだ。あの三角形は魚の鱗なんだってな。

・・・その練炭を扱っている倉庫が隅田川のほとりにあって、それを積む舟を造っていた。この方がまだ仕事はあったけれど、なんとなくじり貧って言う感じだった。木挽きではやっていけない時代がきていたんだ。職人は景気のいいときがあっても、短いよ。苦しいときの方が多いんだ。

・・・そのころ、行きつけの鍛冶屋の爺さんが、「琴をやったらどうだ、琴は忙しいよ」って教えてくれた。それで、つてを頼って琴の製材をやるようになった。そのころは琴の全盛時代だったね。またしばらくは忙しい日が続いた。

                   続く

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