早じまい
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1月30日(月)
スケッチ
その昔の十和田湖の旅から。十和田湖といえば奥入瀬の清流といいたいところですが、これは泊まったホテルの敷地内の流れ。台風のあとだったせいで奥入瀬は濁流でした。
○今日の俳句
霜受けし間引き菜ことに甘きかな
今年は野菜が高いですね。精障者作業所「みちくさ」の畑でも菜っ葉類は上手く育ちません。大根を間引きしました。でも寒さに当たると野菜はおいしくなります。霜に当たった露地物のホウレンソウを「ちぢみホウレンソウ」といって売っていますが、縮んでいても断然こちらがおいしい。
○
俳句の解説で書いてしまったが、精障者作業所「みちくさ」へ。畑と、精障者生活支援センターのコンパネ家具つくり。
○寒さについて
わが家でも今年はエアコンを使う日が増えました。例年だと夏冬を通じて10日くらいしかエアコンを付けません。今年は違いますね。朝30分くらい付けた日が、この1ヶ月で10日くらいあったでしょう。夕方パソコンにむかいながら2-3時間付けた日も、2-3日あったと思います。今は付けていませんけれどね。1日中付けた日はありません。
私は割合寒さに強く、暑さに弱いのです。だから普通は、エアコンは夏に使っていました。今年はそうは行きません。
地球の温暖化はどうなっているのかな? 太陽の黒点の活動かなんかで、これから地球は寒冷化に向かうといっていた人がいるにはいたけどね。
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1月29日(日)
スケッチ
能登半島の旅から(昨日の続き)
○今日の俳句
砂埃に鈍き夕日や空っ風
冬夕日残り時間の少なくて
○所沢から歩く。
登山靴の紐を買いに所沢へ。ついでに娘の家による。孫は私のあぐらの膝の上によく座る。重くなった。
帰りは家まで全部歩く。途中航空公園をぶらぶらしたりして、歩行時間は3時間。速歩です。疲れました。畑の中の道では、強風に煽られた砂埃に見舞われました。
○パソコンの前の座る時間は、2時間を超えるようです。パソコンを始めるときも終わるときも、時計を見ることは珍しいのです。だからこれまでは、全部含めて1時間くらいと思っていました。でも実際は2時間強くらいのようです。
最近はパソコンを始めるとき、倍賞智恵子の唄のCDをかけます。1枚で1時間弱。これが、パソコンでニュースやお気に入りのブログを見ている内に終わってしまいます。
そこで2枚目をかけます。ちなみに今日は2枚目がたった今終わりました。今日は2時間弱か。
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1月28日(土)
スケッチ
能登半島へ旅したときの写真から。私の絵は水のある風景も多いのですが、水は川や湖など 内陸ばかり。海の絵は少ないです。たとえば去年は千葉の九十九里町へ行ったときの絵が一枚あるだけです。
スケッチにかかる時間のことを先日書きましたが、昨日のスケッチや今日のスケッチならば大して時間はかかっていません。15分以上かかっていますが30分未満と言うところです。
○今日の俳句
健康な胃袋があるぶり大根
はだれ雪屋根に残して澄める空
○散歩 智光山公園
家から散歩に出る場合、一番多いのが智光山公園である。わが家からでて、時速6キロくらいのスピードで智光山まで50分。ちょうどよい距離だ。智光山公園内をぶらぶらしたあとで、今日は更にサイボクまで足をのばす。
智光山公園のベンチで針金細工をしている人がいました。左はカラス、右は鳩ですね。ブログに載せるについては、同意を貰っております。
温室内のブーゲンビリア・・・だと思う。
これは温室の外。
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1月26日(木)
スケッチ
石像ですが、こんな色にしてみました。たんなる気まぐれです。川越、見立寺。
○今日の俳句
晴天の寒気の中に布団干す
去るときは雪女郎みな恨み節
○ボラグループ新年会。
会場は新所沢の「寒舎」(上海料理)
○スケッチについて
私は15分くらいでスケッチを描きたいと思っています。外で描くときはそれに近い時間で描けることもありますが、近ごろは家の中で写真を見ながら描いています。いけませんなあ。
写真を見ながら描くというのは、かえって時間がかかるのですね。どうしても形を正確に書こうと思いますからね。外で描いているときは、少々の形のゆがみなど気にしません。写真だと、正確な形が見えちゃうんだものなあ。15分なんてとても無理です。場合によっては2時間くらいかかることもあります。
早いばかりが能ではないとは言うものの、私は早く描きたい。散歩しながら、立ち止まってささっと描いて、歩いて、立ち止まって描いて、というのが私の理想です。
正直なところ外で描かないのは、恥ずかしいから、というのもあります。もう後期高齢者なんだから、そんなこと気にしなけりゃいいのにね。
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1月25日(水)
スケッチ
錦織圭とクルム伊達。毎日新聞の写真から。
○今日の俳句
大寒の時計の振り子よく動く
無骨さに尽くして消える雪女
○『科学と人間の不協和音』池内了・著、角川書店。
現代の科学が抱える問題を分かりやすく解説。
たとえば、科学者は研究費を出してくれる国や企業に飼い慣らされるようになっていること。文化であった科学が文明に組み込まれ、役に立つ技術を求められ、論文よりも特許を求めるようになっていること。自ら特許を欲すること。自発的な研究ができにくくなっていること。等々。
「原発においても地震や津波に対する設計にも限度がもうけられており、それをある原子力工学者は『割り切り』と表現した。割り切らなければ設計などできないというわけだ。(中略)安全ばかりを保証し、福島の原発事故を招いてしまった」。(80ページ)。
「反原発や脱原発を主張する者は(非国民とは言わぬまでも)差別され、変人と見なされ、孤立させられた」。(147ページ)。
「自由主義経済の根本原理である神の見えざる手がイデオロギー化しており、もっと自由に手が動かせるようにと、さまざまな規制が緩和されて豊かな者と貧しい者の格差がより大きくなり、弱肉強食の感が一段と強まっている。しかしそれが自由主義経済の必然の道であるなら、資本主義も先がないといわざるを得ない」。(158ページ)。
全く賛成です。アメリカ型の資本主義はもう行き詰まっていると思います。でも、世界は更にその制度を推し進めようとしている。アメリカ型の資本主義は、すでにアメリカの中でさえ行き詰まっているというのに。
この本は多くの人に読まれるべき本です。
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1月24日(火)
スケッチ
川越・500羅漢から。
喜多院の500羅漢、これで何体描いたことになるのだろう?最初に描いたのは一昨年あたりだったかな。
「まあ、一杯どうだい、酒だよ、この世は、なあ」
「じゃあこれに貰おうか・・・おっとっとっと」
テナ会話でもしているかな。
○今日の俳句
融雪剤バケツで撒きぬ朝の道
しずり雪落ちても鳩は驚かず
屋根雪に陽当たりて遠き雪嶺
猛き草みな頭垂れ雪の朝
冬の日の訪ねあてれば休館日
降る雪やヘッドライトの輪の中に
急ぎつつ息の白きを楽しめり
○雪見は空振り
朝は雪が積もっていました。しめしめ、こんな日は雪見に限る。あまり金をかけずに行けるところ・・・ということで、秩父にしました。
でも、今日の雪は逆でしたね。秩父は雪が降らなかったそうです。智光山にでも散歩に行く方が、雪は見られました。
で、予定変更。三峰口で小鹿野町営バスに飛び乗り、薬師堂へ。薬師の湯に入ろうと思ったのです。
ところが、これもアウト。薬師の湯は定休日だってさ。
近くのうどん屋で、たぬきうどんとビールで昼食。そこで教えて貰って、国民宿舎両神荘へ。ここで日帰り入浴。薬師の湯と同じ温泉だそうです。
両神荘から小鹿野町役場まで散歩。今流に言えば、ウォーキング。
小鹿野町の酒屋の店先ではこんな人形が自転車に乗っていました。さすが小鹿野歌舞伎の町。
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1月23日(月)
スケッチ
昨日写真でアップしたものを、すこしだけ角度を変えて描いてみました。つまり写真を2枚撮っていたということ。(川越祭り会館)
○今日の俳句
寒の雨孤独じゃないから孤独癖
本当に孤独な人は孤独癖があるなどと言わない。
○「スペースきずな」の棚
精障者作業所「みちくさ」へ。
精障者生活支援センター「スペースきずな」の棚を作るため、採寸、ベニヤカットなどをする。
ベニヤといってもコンパネである。コンパネというのはコンクリートを打つための使い捨てのベニヤです。家具用のものではないので使いにくいのですが、予算が取れないので、時々頼まれる障害者施設のものは、何とかコンパネで作ります。それで見場良く作るには、それなりの工夫が必要です。たとえばコンパネの厚さは1センチ2ミリくらいですが、そのままで縦や横の主要な板として使うと、どうしても貧弱に見えます。
今回のは、結構大きいのです。高さ1メートル60センチ。幅2メートル20センチ。奥行き60センチです。3個のパーツに分けて作るつもり。コンパネの大きさは180センチ×90㎝ですから、2メートル20センチの物を作るにはどこかで足さなければなりません。それにその大きさではこぶし福祉会で使っている車には乗せられません。みちくさで作ってきずなに持っていくわけですから、車に乗らなくては話しにならないのです。そこでいくつかのパーツに分けて現場で組み立てるわけですね。
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1月27日(日)
○今日の俳句
雪降るや独り言いう虚しさに
冬の雨駅のホームに鳩1羽
蔵の街共に歩めば冬の雨
○山の会の歩く会。川越7福神めぐり
本川越駅~妙善寺(毘沙門天)~天然寺(寿老人)~中院~喜多院(大黒天)500羅漢と江戸城より移築の建物、春日局の部屋その他を見学~成田山(恵比寿天)~蓮馨寺(福禄寿)~妙昌寺(弁財天)~見立寺(布袋尊)~菓子屋横町~川越祭り会館~蔵里で遅めの昼食。
これは妙昌寺だったかな。もう忘れているのだ。7福神よりこういう物の方が気になるのです。上の写真はぼんくらカエルの女房ではありません。子育て中の叔母さんです。
この布袋様の顔が私に似ているという人がいて、賛成する人がでた。そうかなあ。お腹はこんなに出ていないけれどね。
祭り会館では山車が2台飾ってあり、係員がいろいろと説明してくれました。今飾っている山車は高さ8メートル。2ヶ月ごとに展示を変えるそうです。写真は撮りましたが、すこし暗いので、判然としません。今日のところは載せるのを辞めておきます。ここは一見の価値あり。
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1月21日(土)
○今日の俳句
窓の灯やビニール傘に冬の雨
○新年句会
今日の高得点句は
歳晩や紙幣は古きより使ひ
極楽の入り口見ゆる日向ぼこ
人日や痛むところに手を当てて
21点の浩子さん。ダントツでした。2位は13点でしたからね。つばさの新年句会は、3句ひと組で競います。
私も今回は、結構健闘しました。10点です。
クレーンは肉食である冬夕日
咳ひとつ待合室にいる時間
まだ恋を知らぬ少女の福笑い
桑原三郎先生の短冊を戴きました。短冊の句。
白飯やいづこの山も白暮にて
桑原三郎
懇談会は、真面目に俳句の話。といっても話題は、季語、新旧仮名遣い、時事俳句などで、いつも同じ話題といえば言える。
事務局としては、無事終わってほっとしています。
○スケッチは朝8時よりも前に起きなければならない日は休みます。明日も休みです。
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1月19日(木)
スケッチ
古い写真から描きました。下の娘が小学生だったころの写真です。バックは狭山台北小学校。娘が入学したときは1年生は8クラスでした。それが今では人数が減って廃校です。
○今日の俳句
寒旱やっと終わるか雨催
何日も続いたからから天気が、やっと終わりそう。明日、明後日と雨か雪が降るという。
雨が降るのはいいけれど、時期がちょっとね。明日はV連世話人会。明後日は私が事務局をやっている新年句会ある。そしてその次の日は歩く会。よりによってその3日間だけ天気が悪そうなのだ。
○久しぶりのケアセンター。
風邪のため、今年初めての老人介護施設ケアセンター訪問です。案山子や花などの紙切りをしてみました。
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1月18日(水)
スケッチ
水性ペンで描くと言うことは、一度描いてしまったら消せないと言うことでもある。口がお歯黒みたいになってしまったが、もはやどうにもできません。
絵は毎日新聞の広告写真からです。
○今日の俳句
自らも陽を浴びながら布団干す
冬の陽を浴びた布団に頬を寄せ
木枯らしや目のないどくろが睨むもの
○なおは翔ぶは
なお翔ぶは凍てぬため愛告げんため
折笠美秋
私は毎日ブログを書いていますが、毎日書くというのは、大変といえば大変です。でもまあ、習慣になれば、それなりに何とかなります。
ブログには毎日俳句を書きます。そして、なるべく毎日スケッチを描きます。
俳句の方は、パソコンにむかうまで何も考えていないときでも、むりやり何とか1句を仕立てることができます。スケッチの方はパソコンの前に座ってからでは間に合いません。スケッチを時々休む理由です。
パソコンの前に座って、自分のブログを書く前に、いくつかやることがあります。その1つが、他の人のブログを見ることです。私は俳句に興味がありますから、俳句に関するブログも幾つか覗きます。その中に「日めくり俳句」というブログがあり、榊原風伯という人が選をしています。その、今日の俳句が、
なお翔ぶは凍てぬため愛告げぬため
折笠美秋
でした。ウーン。これだけの俳句、私は生涯作れませんね。作者は筋萎縮症の人のようです。渾身の俳句ですね。私のように、付け焼き刃ででっち上げている俳句とは違います。
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1月17日(火)
○今日の俳句
歯ごたえの無い本読んで老いの春
○スケッチは休み
いつも書いていることですが、私のスケッチは、朝、布団を出る前に描きます。5時頃目覚めて8時過ぎに布団を出ます。今日の場合は4時半頃目覚めたけれど、もう一度寝て、6時半頃の目覚めです。新聞を読んだり、インスタントコーヒーを飲んだりする時間も必要で、スケッチを描く時間がありませんでした。
○歯ごたえ
食い物のない時代に育ったせいもあるのかと思いますが、子供のころ私が食べた肉などというものは、固くてなかなか噛みきれない物でした。固い肉を何度も咬んで、じわっと肉の味がしてくる、噛んで、噛んで呑み込むもの、それが肉でした。
そのほかの食べ物も、昔は固い物が多かったですね。噛みごたえのあるものです。先日連載を終えた「長堀釜太郎」さんの聞き書きで、南島で米軍の捕虜になったとき、米軍の出す食料が噛みごたえが無くて物足りなかった、といった言葉が出てきます。南島で満足なものを食わずに戦争をしていたわけだから、柔らかい物に口が慣れなかったんでしょうね。
近ごろは軟らかい食べ物が喜ばれるようです。私は柔らかい物も好きですが、部分入れ歯のある今でも、時には噛みごたえのある物を食べたいと思います。
話は変わります。読む本も、ある程度は難さが必要ですね。すこしは知的好奇心を満たしてくれる物でないと、長く読んではいられません。暇つぶしで読むのはいいのですが、それだけではつまらないですね。難しすぎては飲み込めないのだけれど、程度問題です。
『さくらえび』さくももこ著、『なぜかボケない人の習慣』斉藤茂太著、『考えすぎない』本田時生著などの本が手許にあります。どれも歯ごたえの無い本だなあ。息抜きに読むにはいいのだけれど、息抜きだけではネエ。
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1月14日(土)
スケッチ
新聞広告の写真からです。
○今日の俳句
日溜まりの散歩の人が「寒いですね」
着ぶくれて湧水公園歩きをり
裸木や新開の道真っ直ぐに
○朝霞市の散歩
歩いたところ
北朝霞駅~朝霞市博物館~東園寺~城山子~滝の根公園~閻魔堂~膝折宿~一乗院
東園寺
城山公園。上は子供や家族連れの遊び場。そのまわりは遊歩道で、散歩する人が通る。その一人に「寒いですね」と話しかけられた。私はそんなに寒いと感じていなかったが「そうですね」と答えた。いつでもどこでもそんな感じだ。
滝の根公園の遊水池。今日1番の見所ですね。
ここから先のコースがややっこっしい。途中ですこし崩れた感じの若者に道を聞く。地図で見ると閻魔堂へ行くには朝霞第1小学校の脇を通るらしい。そこで、第1小学校へ行く道を尋ねる。
「私もここへきてまだ半年くらいなので道は分からないんですが」といいながら携帯を出し、その場で調べだした。「あ、この近くです。私の行く方と同じだから、途中まで一緒に行きましょう」
意外に親切なのである。崩れた感じなどといってはいけません。ラフな服装の方でした。ヘヘ。
閻魔堂は感想を言うほどの物でもありません。
膝折宿の名残が残っているあたり。
一条院はなかなかの寺院です。
これで今日見るべきものは見ました。あとは朝霞駅まで歩くだけと思って表通りに出ると、バス停があり、大泉公園駅行きでした。しかも2分ほどで到着時間。大泉公園なら帰りは便利です。これに乗らない手はありません。で、今日の散歩は終わりです。
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1月13日(金)
○職人の仕事
・・・しかし、職人の仕事も、景気のいいときは10年も続かないもんだね。忙しいときなんか、仕事をやって貰いたくて神様みたいに持ち上げられるけど、暇なときなんか得意先に行ったって、「何しにきたんだ」って顔をされるよ。
・・・親父も腕は良かったけれど、金なんか残さなかった。「職人で蔵を建てた奴はいない」って言うよな。「職人は腕が良いと貧乏する」っても言うね。腕の悪い奴の方が、これではいけないと思って、商売してみたり、他に仕事をやってみたりするから、どっかで当たったりする。
・・・琴だって、忙しいときもあったけれど、知っての通り暇になった。おれだってもう少しやりたかったけれど、昭和61年で辞めた。琴の材料も製剤機械で挽けるようになったせいもあるけれど、そればかりじゃないや。琴自体が暇になった。仕事がないんだからしょうがない、早めの引退だよ。
・・・これも時代でしょうがないんだよ。昔は何処の家にだって石臼があった。あの石臼を作る人も、その目を立てる人も、それだけでくっていけたんだ。今じゃあ日本中捜したって、そんなことで食っていける人はいないや。腕が良いも悪いもありゃあしない。
・・・職人なんて、いい金を取るときがあったって、一生をならしたらサラリーマンの半分だね。いい金を取るときに金を貯めると言ったって、だいたい職人の手間がいいのはインフレの時だ。貯めても貯めても、物価の値上がりに追いつかないよ。おれも自分の家が欲しいと思って、何の遊びもせずに一生懸命貯めたけど、やっと、借地の上に小さい家を建てただけだ。
○新聞に取り上げられる
・・・おれが本に載ったのを知っているだろう。朝日新聞の日曜版「武州手づくり」っていう連載物を本にしたやつだ。新聞に大きな写真付きで取り上げられたり、本に載ったりしたので「良かったね」っていってくれる人がいるけれど、何も良くはないよ。新聞に載ったりするのは、その仕事が亡びようとしているからだ。おれなんか最後の木挽き職人だから取り上げられただけだ。
・・・あの「武州手づくり」の本を倅が2冊買ってくれた。おれは「そんなものいらネエ」って言ったんだけどな。だけど「欲しい」なんていう人がいたから、やっちゃった。家には1冊もねえや。
・・・え? 今の楽しみねえ……そうだねえ、孫の相手をしたり、近くに借りている畑仕事をするくらいかな。一緒に出るか。ちょっと畑に行ってみよう。何か持ってけや。
終わり
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1月13日(金)
スケッチ
毎日新聞。震災で大阪にっていた少女が福島のおばあさんのところに里帰りして、玄関を上がるのももどかしくおばあさんのところに走っていく。その姿をスナップ写真のように撮ったものと思う。新聞には少女の名前も出ていました。来ているもの玄関の様子など、私なりに写真とは変えています。
○今日の俳句
連凧を揚げて薄氷踏み抜きぬ
○米がない。
今日から普段通りの生活を始めるつもりでした。で、朝食を作ろうとしたら、米びつに米がありませんでした。何だ、朝から普通じゃないや。
普段の私は、朝だけは御飯を食べます、昼は適当に何か食べて、夜は酒のじゃまにならないようにおかずを食べます。その朝の御飯が今日は無しでした。餅と缶詰の小豆があったので、お汁粉を作って食べる。
○水彩画の会。
○健康寿命。
『なぜかボケない人のちょいとした習慣』斉藤茂太著・PHP文庫。
後期高齢者としては、こんなものも読むのです。斉藤茂太さんですから説くに目立ったことは言っていない。暇つぶしといえば暇つぶしの読書です。でも、まあ、ふーんと言うようなことも言っています。
たとえば「健康寿命」。健康寿命というのは、平均寿命から介護が必要になった寿命を差し引いた寿命だそうです。これも日本は世界1で、74歳だそうです。私はまだ平均寿命まで生きるかどうかは分かりませんが、健康寿命の平均は超えたんですね。目出度いような、もう先がないような・・・。
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1月12日(木)
聞き書き、長堀釜太郎 6
○ノコギリの話し
・・・前にも話したけれど、おれは体が小さいから体力じゃ挽けないんだ。ノコギリの目立てとか、焼き入れとかいろいろ工夫するんだ。おれは目立てでも焼き入れでも、自分でするからね。
・・・もとは近くの鍛冶屋の爺さんにやって貰っていた。だけどおれは心配性でね、爺さんが亡くなった時の用心のために、ぼつぼつと練習していたんだ。だから、爺さんが死んでも困らなかった。
・・・知っての通りおれたちが使うのは前挽鋸(まえびきのこ)だ。いまじゃほとんど使う人がいないから、民俗資料館なんかで飾ってることが多い。何しろ大工が使うノコギリなんかに比べたら、ばかでかいから、こけおどしに飾っておきにはいいや。
(前挽鋸……刃渡りが6-70センチ幅が40センチかそれ以上ある大型のノコギリ)
・・・とにかくでかいからね、焼き入れはノコギリ全体をやらずに、刃を1枚1枚焼いていくんだ。一丁の前挽鋸で刃は30枚くらいだ。それを1枚1枚焼いて、赤くして、水につける。ノコギリは大きいけれど、刃の1枚1枚は小さいから、焼きすぎれば鉄が溶けるし、火から離せばすぐ冷める。ぐずぐずしてはいられない。忙しいんだよ。
・・・焼きを入れたら、刃がカチンカチンになる。そのまま使ったら刃が折れちゃう。だから今度は焼きを戻すんだ。もう1度焼くんだけれど、これが難しいんだ。今度は赤くなるまで焼かないで、紫色になるまでだな。ウッカリすると、またもとのカチンカチンになちゃう。目の色を変えてやるようだった。おれが焼き入れを始めると、女房なんかそばに寄りつかなかったもんだ。
・・・ノコギリにはアサリがあるだろう。アサリは刃1枚ごとに左右に張り出すだろう。その1番先の刃だけ、右にも左にも出したいんだよ。1番先の刃だけ、アサリじゃなくて三味線の撥のような形にしたいんだ。その方が無理なくノコギリが通って、挽きやすいんだよ。こんなことを考えるのはおれだけだと思うけどね。まあ、おれの工夫だね。
・・・そんな前挽鋸にするため、1枚の刃とおなじ大きさの三角の鉄を作って、それを歯並びの1番先に溶接で付けた。鍛冶屋の爺さんにもやって貰ったけれど、これはおれの方が上手かったな。
・・・その撥型の三角の鉄は三角ヤスリを切って作った。おれは何でも心配性で、こんなヤスリはいずれ無くなると思ったから、昭和25年ころに20本ほど買って置いた。それでもおれが60になったころは心細くなってきて、大切に使った。何のことはない。終わってみたらヤスリが2-3本あまったけどな。
続く
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1月12日(木)
スケッチ
1月2日の毎日新聞の写真から。昨日のお爺さんの絵の隣に座っていた人。
○今日の俳句
木枯らしの吹けど光りの空蒼し
○風邪について
日曜日に無理をしたので、風邪がぶり返し、まだ完全とは言えません。今日のボラも休み。明日からはいつもの生活の入ろうと思います。無理をしなければ、もうぶり返すこともないでしょう。
なんで風邪を引いたのか原因は分かりませんが、寒くて引いたという感じは持っていません。風邪を引いても買い物には出なければなりませんが、そんなときでも厚着をすると汗が出ます。
風邪などひくと詰まりませんね。散歩にも出られないんだもの。私は独りで住んでいても孤独を感じませんが、良く人に会い、話しをしているからですね。風邪の間は買い物に出て、知り合いに会えば挨拶する程度でした。こんな生活をずっと続けたら、やっぱり孤独を感じるだろうな。元気でいなくちゃ。
○『無名仮名人名簿』向田邦子著・文春文庫。
生活の中のささいなこと、書かれてみればそんなこともあるなあと思い、しかし書かれていなければ気がつかないようなことを書いて、それなりに読ませる。やっぱり本職は違うね。
たとえば「洟をかむ」では、ティッシュぺーパーの使い方などでひとつの文章を作ってしまう。なるほどねえ。私も最近まで、ティッシュでテーブルの汚れを拭いたりすることには、なにがしかの抵抗感があったけどなあ。いまは感じなくなった。
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1月11日(水)
〈昨日の続き〉
聞き書き 長堀釜太郎 5
○戦後の仕事
・・・日本に帰ったのは昭和20年11月の初めだった。帰ってすぐに仕事を始めたね。
・・・戦後も仕事はあったねえ。東京は焼け野原で、バラックなんかどんどん建てなきゃならなかった。大工なんか大忙しだ。腕も何にもなくても、景気の良さにつられて大工の真似事をして、金を貰っているような、にわか大工もたくさんいた。製材機械もほとんど無いから、大工が忙しい分、木挽きも忙しかった。
・・・そのうち製材機械も出てきたけれど、それからでも結構忙しかったなあ。農家から仕事を頼まれるんだよ。戦後は食糧難で、この辺には東京の人がさかんに買い出しにきていた。農家は景気が良かったんだ。戦争中は家の建て直しなんて出きなかったから、痛んでいるところがたくさんあった。
・・・農家が家を建てたり、傷んでいるところを直したりするときには、なるべく自分の山の木を使いたいんだよ。この辺じゃ林のことを山と言うんだよ。これ方言なんだってな。とにかく自分の家の木を使いたいわけだよ。ところが製材所に頼むと、製材所は自分の材木を売りたいから、工賃を高めに取ったり、丸太を運ぶ運送代を高くしたりするんだ。だから、結局のところ、おれたちに挽かせた方が安くなったりするんだ。
・・・農家に行くと、食い物が助かるんだよ。なにしろ食い物のない時代だ。向こうも事情を知っているから、「弁当持たずにきてくれ」って言ってくれる。昼飯をごちそうになって、帰りには何か持たせてくれる。おかげで、食い物については、あまり困らなかった。
・・・家を建てるときは、普通に使うのは4分板で、天井板なんかは2分3厘だ(1分は3ミリ、4分は1センチ2ミリ)。製材機械と違って、木挽きの挽く板は、下手な奴が挽くと厚さがむらになる。下手をすれば挽き初めは2分3厘でも、弾き終わりは裏の方なんか何にもなくなったりする。口の悪い奴に、板じゃなくてくさびだ、なんて言われちゃう。
・・・しかし農家の仕事が良かったのも、せいぜい昭和30年くらいまでだった。その後も4-5年は農家の仕事もあったけれど、半日くらいで終わるような仕事ばかりさ。さすがにそのころになると、板は製材所から買うような時代になった。だから、またボートの仕事なんかしていた。
・・・ミツウロコってのを知ってるかい? そうそう、練炭だよ。練炭の商標でミツウロコってのがあったよな。三角形があって、三菱のマークだと、その三角を菱形でつくるけれど、ミツウロコは菱形の代わりに三角形3っつだ。あの三角形は魚の鱗なんだってな。
・・・その練炭を扱っている倉庫が隅田川のほとりにあって、それを積む舟を造っていた。この方がまだ仕事はあったけれど、なんとなくじり貧って言う感じだった。木挽きではやっていけない時代がきていたんだ。職人は景気のいいときがあっても、短いよ。苦しいときの方が多いんだ。
・・・そのころ、行きつけの鍛冶屋の爺さんが、「琴をやったらどうだ、琴は忙しいよ」って教えてくれた。それで、つてを頼って琴の製材をやるようになった。そのころは琴の全盛時代だったね。またしばらくは忙しい日が続いた。
続く
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1月11日(水)
スケッチ
毎日新聞、2日の記事の写真から。その1部。
○今日の俳句
鏡割り人生すべて片道切符
かが見開きといったところで、わが家では鏡餅なんてありませんけれどね。俳句の世界だけ、あることにしての句。
○私は大食らい
私は歳の割りにはよく食べます。グルメなどとは関係なく、たんなる大食らいです。貧乏人なので、めったに外食なんてできませんが、自分の作った料理を前にして、これだけの量が胃袋に治まるのだと思うと、ほとほと感心してしまいます。胃袋というのは融通無碍で、ずいぶん大きくなるのですね。
胃袋の形はイラストなどによくありますが、こんなに食べたら、あの形はしていられないでしょうねえ。私はそのほかにアルコールも飲むのだもの。胃袋というのは伸縮自在なんだなあ。
近ごろ、妙なことに感心しています。
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1月10日(火)
昨日の続き
・・・おれは重機関砲の弾薬手だった。弾薬手ってのは、つまり弾込めさ。狭い壕の中で撃っていたんだ。だけどアメリカ軍の砲撃が凄くて、退却することになった。体裁良く陣地変換なんていうんだけどね。長い壕で、おれが一番前にいたんだ。弾薬手だからね。分隊長は一番うしろにいて、退却は一番先さ。その分隊長が壕を出たとたん、鉄砲の弾が飛んできて、腕時計にあたった。いま山梨県にいるらしいよ。
・・・アメリカ軍と日本軍では戦力がまるで違っていたからね、おれたちは隠れながら逃げるだけさ。山の中で終戦を迎えたんだ。そして捕虜になった。アメリカ軍は日本みたいに無理はしないからね。絶対に安全にならなければ陣地を広げてこない。だから終戦まで隠れていることができた。
・・・ダバオにいたのは20歳くらいだったんだけど、色気なんか全然なかったね。食い気ばかりさ。食いたい、食いたいで、夜寝るときなんか、鮨だの、ソバだの、あんころ餅だの、次から次へと思い出すんだ。ミンダナオ島では、芋ばっかり食っていたような気がするなあ。
・・・捕虜になっているときに、食い物の量が少ないってんで、仲間から代表を選んで、アメリカ軍に抗議を申し込んだんだ。そしたら「条約できめられた量は出している。君たちはいまに太るだろう」って解答だった。本当にその通りだった。栄養はちゃんとあったんだ。おれたちには歯ごたえのないものばかりで、物足りなかったけどね。
・・・おれは酒もタバコもやらないから、兵隊の時は助かった。わずかだけど、たまには焼酎とタバコが配給になるんだ。それをほかのものと交換できたからね。
・・・でも、酒はすこしは飲むようになった。明日のことも分からない命なんだから、飲むものくらい飲んでおかなきゃ損だ、なんて気がしたんだ。もっとも、酔うほどの量は配給にならなかったけれどね。
・・・軍隊ではなんてこともないのに人をひっぱたくんだよ。おれもずいぶんひっぱたかれた。おれの友達なんか顔の形が変わるほどひっぱたかれた。
・・・軍隊じゃあ時々持ち物の員数合わせをするんだ。そんなときは、自分の物が無くなっていれば、人のをかっぱらって員数を合わせるんだ。自分の物が無くなるったって、どうせ誰かにかっぱわれているんだ。だからどうどうめぐりさ。みんなで、かっぱらいごっこをしているようなもんだ。
・・・おれの友達はね、飯ごうを無くして他人のをかっぱらったんだけれど、それが隣の班の班長ので、名前が書いてあったんだ。それが見つかって、顔が分からなくなるほど殴られたってわけだ。
・・・何年か前、もとの班長から「会いたい」なんて手紙が来たけど、おれは返事も出さなかった。向こうは懐かしいかも知れないが、こっちは顔も見たくないや。彼奴にはどれだけひっぱたかれたか、なんて思うから……。
続く
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1月10日(火)
このブログにコメントやつぶやきを寄せてくださった、チェブコ,Lisaさん、ハギちゃん、サングさん、saboさん、ちちゃかもさん、ろんさん、ありがとうございます。
スケッチ
狸をもう一つ。酔っぱらいの狸です。頭におしぼりを乗せたりして。
○今日の俳句
寄せ鍋の湯気の嬉しき寒の内
○狭山台胃腸科外科
精障者授産施設、リバーサイドのかすみがわ食堂へ行くつもりだったが、体調悪く、かわりに狭山台胃腸科外科へ。日曜日に無理をして、風邪をこじらせたんですね。
後期高齢者は無理をしてはいけません。私はなまじ健康に自信あるからねえ。それがいけない。
○遺品整理士
近ごろ、遺品整理士という資格があるんだそうですね。無縁社会になって、人知れず死んでしまう人がいる。そのような人の遺品を、法律に則って、適正に整理するのだそうです。
私も遺品整理に携わったことはある。チィームを組んで見守りを続けていたアル中のNさんが亡くなったときだ。遺品を整理し、売れるものは売り、残りを業者に引き取って貰い、掃除をして残った家と土地を、不動産業者に買って貰った。Nさんの兄がいたが、遠方なので許可を受けてそんな作業をした。その時中心になって働いたのがこぶし福祉会の現理事長、水谷真次郎さんである。
その時Nさんの兄さんから遺贈を受けて、それがこぶし福祉会立ち上げの最初の資金になった。
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1月9日(月)
(昨日の続き・3)
○ ミンダナオ島へ
・・・仕事は本当に忙しかった。でも昭和17年の12月に徴用になってしまった。仕事関係の人が慌てて、「海軍の仕事をしている人だから」って掛け合ってくれたけれどダメだった。徴用先は熊谷の軍需工場だった。そこでは飛行機のピストンリンクを作らされた。
・・・そうこうするうちに今度は徴兵だよ。昭和19年の3月だった。フィリッピンのダバオに行った。ミンダナオ島の1番大きな町だよ。だけど、町っていうほど家はなかったな。海岸があって、道があって、おれには家なんかどこにあるのか分からなかった。それでもミンダナオ島には日本人が3万人もいたらしい。日本人向けの女学校まであったよ。中学校については覚えてないけれど、女学校があるくらいだから、中学校もあったんだろうね。
・・・ダバオはのんびりしていて、いいところだと思った。戦争が終わったらここに住んでもいいと思った。日本へ帰ったってどうせ貧乏で、あくせく暮らさなくちゃならないんだ。
・・・だけど昭和20年の4月19日、ドンパチ戦争が始まったら、あっけなくパアさ。1日でけりがついちゃった。一個大隊約2000人の兵隊が居たんだけど、終戦後日本に帰ってきたのは、40何人だからね。おれなんか、よっぽど運が良かったことになる。
・・・戦闘はやるにはやったけれど……自分では相当やったつもりでいるんだけど、戦争の本なんか読んでみると、ミンダナオ島のことは大して書いてないね。戦争全体から見たら、なんてこともない戦闘だったんだろうね。
・・・戦死した人は、だいたい砲撃でやられたんだ。鉄砲の弾に当たって死ぬ率は、8万発に1発ってことだよ。だから鉄砲で死ぬのは少ないんだ。それに、戦病死が多いね。死んだ人の3分の1くらいは戦病死だよ。
………戦闘は、日本軍が予想していたのとは反対の方から始まったんだ。アメリカ軍の砲撃が始まったら、何時間もしないうちに、最前線の兵隊がおれたちのところまで逃げてきた。その時俺たちは1500メートルほどうしろにいたんだ。
・・・おれの友達なんか、トーチカに機関砲を置いたまま逃げてきた。そしたら中隊長が「馬鹿者! 破壊してこい」なんて怒鳴るんだ。友達は戻っていったけれど、それっきりだ。友達もドジかも知れないけれど、逃げてきた前線に追い返す方も追い返す方だよ。
………鉄かぶとの紐は、あまり強く締めてはいけないんだ。爆風のショックが大きくなるし、弾が鉄かぶとを通り抜けちゃうんだ。もっとも、弾がまともに当たったら、紐が強くても弱くても貫通しちゃうけれどね。いくらかななめに当たったときの話しだ。
・・・いろんな人がいるもんだよ。鉄かぶとのてっぺんに手榴弾ぶつけられて、それでも助かった人がいる。おれたちの分隊長は、鉄砲の弾が腕時計にあったったけれど、ガラスが割れただけで、本人は怪我ひとつないんだ。
続く
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1月8日(日)
聞き書き 長堀釜太郎 2
・・・のぼせているかも知れないけれど、おれは腕が良かったと思っている。親父も腕が良かったから、親譲りかな。だけど、頑固な親父だったよ。何か気に入らないことがあると、昼飯も食わず、黙って仕事を続けるんだよ。戦前にね、親父と一緒に仕事をしているころの話しだよ。こっちは若いし、腹が減ってしょうがないけど、意地だから、親父が「飯だ」っていうまで、黙って板を挽くんだ。4時ころになって、やっと飯を食ったりしたもんだ。
・・・木挽きの1人前っていうのは、1日に杉板を4坪挽くことだね。1日に挽いた板を並べて4坪の面積をふさげれば1人前って事だ。
・・・坪では分からない人がいるって? やかいだね。1.8メートル×1.8メートルで1坪だ。だいたい畳2畳で1坪だ。
・・・木挽きの仕事なら何でもしたけど、おれは建築資材よりケヤキを挽く方が多かった。舟だよ。ボートに使うんだ。埼玉はケヤキの産地だからね。え? ボートのまわりは檜さ。ケヤキはボートの骨組みに使うんだ。
・・・普段は地元でケヤキを挽くんだけれど、「横浜ヨット」なんていう会社があって、時々は東京の現場に行ったよ。
・・・舟はね、内稼艇(ナイカテイ)っていうのを作るんだ。舟に自動車のエンジンをつけて、自分の力で動くんだ。人力で漕ぐのはカッターっていってた。当時は内稼艇というのは凄い舟だと思っていた。でもね、あれは全然ダメだったんだってね。アメリカの舟にくらべたら、動きが悪くて、話しにならなかったらしい。
・・・そのうち太平洋戦争が始まった。そのころおれが作っていたのは、軍艦が沈んだとき逃げ出す舟だとか、沖に泊まっている船と陸の間を、行ったり来たりする舟だね。それに上陸用舟艇だとかね。
・・・そのころは景気が良かった。仕事の口は、あっちからもこっちからもかかるんだ。仕事もしないうちに金を持ってきて、家の中に積み上げるんだよ。そんな金貰ったって、こっちは体がひとつだから行けやしない。苦労して断ったもんさ
※私が子供のころ、母に連れられて浅草に行ったことがあった。隅田川のどの橋だったか、人々が口々に「上陸用舟艇だ!」といいながら橋の上から川を見ていた。見るとかなり大勢の兵隊が小さな舟に乗って、川を遡っていた。市ヶ谷あたりで手こぎのボートしか見たことのない私は、モーターで動くボートを見て感心してしまい、「これだから日本の兵隊さんは強いんだ」と思ったものだ。素朴に日本は強いと信じていたころの話しである。(ぼんくらカエル)
続く
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1月8日(日)
○今日の俳句
参拝にまだら雪ある御堂かな
○初山行・竹寺から子の権現へ。
コース
小殿バス停ー竹寺ー子の権現ー吾野駅
軽いコースです。早く戻って、新所沢の「ぎょうざの満州」で新年会をやろうという算段です。
新年会、終わったのが6時。新所沢から西武線に乗ったのはいいのですが、次の入曽駅でカラオケに行こうという人に手を引っ張られて、つきあってしまいました。まだ風邪も治らないというのにね。
今日の山行は、ティシュぺーパーを普段の4-5倍持っていって、使い切ってしまいました。喉、鼻、すこし痛いですね。馬鹿なものです。
何年か前、竹寺のこの木は火事で焼けたはず。いまはトーテムポールのようになっていました。
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1月14日(土)
聞き書き
長堀釜太郎 1
琴材を挽く長堀さん。桐材です。いま琴材としては不要部分を切り取っているところ。上質の琴材は桐の丸太の皮に近い方で取ります。この絵でいえば長堀さんの座っている側です。
「子はカスガイ」という古典落語をご存じでしょうか? 丸太と角材を固定している金具は、その「カスガイ」です。
長堀釜太郎さんは木挽(こびき)き職人です。話しを聞いたのは1995年。ずいぶん昔になりました。
これから何回かに分けて、長堀さんの聞き書きをブログに載せます。。
○親子3代木挽き職
・・・おれが生まれたところは、いまは埼玉県上福岡市になっている貧しい村でね、産業なんて農業以外になんにもないよ。その農業だって、米なんぞ満足に穫れやしない。近くに長井ってところと藤久保ってところがあって、「長井の菜飯、粋な藤久保粟の飯」なんて言ったもんだ。菜飯より粟の飯の方がいくらかいいのかな。何だか泣けてくるような言葉だね。
・・・それでも農業をやっている家はいいんだ。なんと言っても食い物が穫れるんだから。土地のない奴は職人するしかないんだ。おれんとこはお爺さんが木挽きで、親父が木挽きで、おれが木挽きで、弟まで木挽きをやってた。3代続きの貧乏人ってわけだ。
・・・いや、小学校を出てすぐ職人になったわけじゃない。最初は親戚の家の手伝いに出された。親父が金でも借りたんだろう。親戚の農家の手伝いをしていた。
・・・二十歳までっていう約束をしていたらしい。だけど17歳の時、親父はおれに暇をとらせた。戦争が始まって……いや、太平洋戦争はまだだよ。日本軍が中国とごちゃごちゃやり出して、木挽きが忙しくなったんだ。それで暇を取らせたんだ。親戚の家では怒っていたけどね。
………木挽きッたって、いまじゃあ知らない人も多いだろう。樵(きこり)ですか? なんて聞くんじゃないかな。え? 樵も知らないだろうって? うーん、そうだなあ。樵は山で木を切り人だ。木挽きはその木を製材する人だな。柱や板にするんだ。
続く
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1月6日(金)
スケッチ
○今日の俳句
マンションの庭掃き当番寒の入り
○我がマンションは自主管理です。
住民で管理組合を作り自主管理で、営繕も清掃も行っています。そのために住民の義務が幾つかあります。たとえば何年かおきに管理組合の役員を引き受けなければなりません。役員ではない人も、年に何回か、一斉の清掃があります。個人でも、順番で清掃の義務があります。たとえば階段掃除だったり、玄関の掃除だったりです。
今日私はその掃除当番でした。個人の当番としては、今日の清掃は一番広い面積になります。マンションの入り口、エレベーターまわり。ごみ置き場。マンションの庭。マンションの周囲などです。
風邪の調子はかなり良くて、まだ咳とたんは取れないけれど、掃除当番でなければ、じっとしていられず散歩くらいはしたでしょう。
午後1時、一番暖かい時間を見計らって掃除を始める。いつもそうなのだが、庭掃除では、道路近くのごみが多い。タバコの吸い殻やら、ペットボトルやら、投げ込む人がいるのだ。道路にもタバコの吸い殻はあるのだが、どうも人間というやつは垣根の中などに投げ込みたくなるものらしい。
ほぼ3時間で終わりましたが、一生懸命にやったので、汗を掻きました。
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1月5日(木)
スケッチ
一番下の孫は間もなく2歳。この絵は半年ほど前のもの。
○今日の俳句
風邪ひいて心ならずも寝正月
○風邪はかなり良くなり、昼で布団を上げる。それにしてもおびただしいちり紙の山。明日燃えるごみの日で良かった。
○『原発のウソ』小出裕章・著、扶桑社新書。
著者は原発事故の起きる前から一貫して原発に反対してきた人。
原発賛成の学者はいまどうしているんだろうね。原発に対する危惧などを言えば、素人の言として退けた人達のことだ。想定外という言葉は聞いたけれど、「原発導入に賛成したのは間違いだった」と国民に謝罪した人はいるのかな。
私には科学的知識はない。それでも原発反対の気持ちがあったのは、いつか事故を起こすかもしれないと思っていたからだ。専門家は絶対安全と言っていたが、信用はしなかった。なぜか。理由は簡単である。
「原子力発電所は『機械』です。機械は必ず壊れます。運転しているのは『人間』です。人間は必ずミスをします。だから『事故は必ず起きるもの』と、常に想定しなくてはいけないのです」(142ぺーじ)。
まさにこの考えです。専門家でなくても、これは分かります。一度事故を起こしたら半減期が1万年もかかる放射能が出るかも知れないほどのものに、その土地に住めなくなるほどのことに、我々は手を出して良いものでしょうか。しかもその廃棄物の処理方法も確立されていないというのに。
なにをやっても、想定外と言うことは起きるものです。車でも飛行機でも、事故は想定外で起きてしまいます。原発について言えば、今度の事故を反省して、改革すべきは改革したとしても、またいつの日か想定外がおきるでしょう。
飛行機や車の事故ならば、有ってはいけないけれど、人類はまだ耐えられる。しかし原発の事故は・・・。
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1月4日(水)
スケッチ
○今日の俳句
さあこれから仕事始めに風邪を引き
○風邪を引いてしまいました。
昨日散歩から帰ると、なんとなく気分が優れなくなりました。ブログを書くころは咳とたんが出ていました。喉も痛みます。
体温は異常ないようでしたが、買い置きの薬を飲んで寝ました。それからが凄いですね。たんが出て出て。それでいて鼻水は出ないのです。こんな症状の風邪は初めてです。
今日は1日寝ていることにして、家に蟄居です。夕方はだいぶ状態が良くなって、たんの出もそれほどではなくなりました。この体調から考えれば、明日1日静かにしていれば、何とかなりそうです。
独り者だから、風邪を引いても食事は自分で作らなければなりません。
これが晩飯。
次女の連れ合いの親御さんから戴いた蛸の足を刺身にし、冷凍の餃子にホウレンソウのおひたし。
これでアルコールを飲むのですね。500ミリリットル缶ビール、日本酒2合ほど。風邪を引いたってこれは休めません。これでもすこし控えめなんですよ。
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1月2日(月)
スケッチ
ドナルド・キーンさんです。(毎日新聞の写真から)
○今日の俳句
裸木に2日の空の柔らかき
街路樹の裸に成りて背伸びして
雪富士の笠雲夕焼けの中
西武線入り措置閣の車窓から見た富士は笠雲をつけていました。わが家まで帰ってマンションから撮った写真ですが、笠雲はすでに消えていました。上に浮かんでいるのが笠雲だったのでしょうか?
○梅里の継母の家に。
継母は今年94歳。やはり衰えてはいるが、ボケはなく健康である。いまでも買い物に一人で行ける。さすがに義妹が迎えに行くそうだけれど。新聞などもきちんと読むと義妹が言う。近所の若い人に(継母からすれば)、「どうすればそんなに元気で長生きできるのですか」などと聞かれることもあるとか。
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2012年
1月1日(日)
今日の俳句
こともなく明けて夕方地震(なえ)ありぬ
○
○何はともあれ年賀状です
上の絵は広告写真を見て描いたもの。下は昨年の山行から濃ヶ池。オリジナルです。
昨年は私が使っているソフト「筆まめくん」の調子がおかしくなり、年賀状の宛名は手書きでした。おかげで個別のメッセージを添える余裕がなくなり、このままの状態で投函しました。新年早々、ゴメンナサイね。
○子や孫、来て帰る。
朝、所沢から次女夫婦と孫が来る。本当は昨日来るはずだったが、孫が熱を出したので、今日に延期。
昼過ぎ、長女一家が郡山の亭主の実家に向けて立つ。
次女たちと近くの天嶺寺に初詣。間もなく次女たちも帰る。
○ややあって、大きな地震。震度4。
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