掃除嫌い 「ああいえばこう×行く」
12月10日(土)
スケッチ
子の権現登山道に入る直前。登山道はこの絵の家の奥のあたりで左側に入ります。
○今日の俳句
本屋まで街路樹落ち葉踏んで行く
山の端に沈む夕日や冬木立
きっぱりと冬木となりし梢かな
○掃除嫌い
いつも書くことですが、私は掃除が嫌い。
炊事はしなくては自分が食えない。洗濯はしなければ着る物が無くなる。そこへ行くと掃除は、さぼっていても何とか生きていける。だから一日延ばしに延ばすことになる。延ばすには延ばすだけの極意がある。
まず埃に気がついたら、一度や二度は見なかったことにする。それでもなお気がついたら、気にしないことにする。どうしても気になるほどになってきたら、部屋の隅の方だからまだいいさ、と思う。更に埃が増えてきたら、人間ごみで死ぬわけではない、と思う。
かくして「一寸のごみの中に端然と座る蛙」(坂口安吾の捩り)が誕生するのである。なお、一寸とは約3㎝です。
○『ああ言えばこう×行く』阿川佐和子・檀ふみ・共著、集英社文庫。
『ああいえばこう×行く』の×の下に嫁という字があり、それを×で消してあるのだが、私のパソコン力では、そんな高等芸はできない。前著『ああ言えばこう食う』の続編だそうで、テーマは旅である。
とは言っても、阿川幸子が書いているように、「本書のどのページをめくったところで、異国の目新しい情景も心洗われるような感動的な風景も、のどかな旅情も風情もなああんにも出てこない。出てくるのはひたすら、著者双方の悪口ばかりである」
本の最後に、阿川佐和子・檀ふみ・野坂昭如の対談がある。そこで野坂昭如が言っている次の言葉が、私の感想でもあります。
「この手の本はどちらかというと暇つぶしが多いんだけれど、これは暇つぶしじゃない。これを読んでためになるということもないし、身につまされると言うこともない。ただ、「癒す」という言葉は嫌いなんだけど、いい気持ちになれる」
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