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2011年11月17日 (木)

俳句の「の」について

11月17日(木)

スケッチ

Img011

旧中津川小学校跡地です。

○今日の俳句

 廃道の朽ち葉の上に降る落ち葉

 足腰を鍛えにゃならぬ冬隣

○老人介護施設狭山ケアセンターへ。

○俳句の「の」について

 思ふ人の側に割り込む炬燵かな

小林一茶の句だそうです。この句をどう解釈するのが正しいでしょうか?炬燵に自分の好きな人が座って居て、その側に自分が割り込んだ、と解釈するのが普通だと私は思います。多分それで良いのでしょう。

けれども俳句の場合、違う解釈も成り立ちます。自分が炬燵に座っていて、そこに自分の好きな人が割り込んできた、というものです。普通の文章ではこんな解釈は成り立ちません。しかし俳句の場合、そう解釈する方が正しかったりするのです。

俳句では、普通の文章で「が」や「は」ととすべきところで「の」とすることが多いのです。つまり掲句の場合「思う人が(私の)側にわりこんできた」と取れるのです。

私はいまだに、俳句の「の」の使い方について、釈然としないものを感じています。

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