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2011年10月10日 (月)

「日本の詩歌」大岡信

10月10日(月)

人物練習帳

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今日の俳句

 草原に座る足もと秋の蝶

 芝生では子らバトミントン秋日和

 天高し草原に寝て鳶の輪

 公園のフルート練習木の葉降る

 シャボン玉飛ばす親子に木の葉降る

『日本の詩歌 その骨組みと素肌』大岡信・著、岩波現代文庫

著者の、フランスの高等教育機関で5回にわたる連続抗議を本にしたもの。日本の詩歌の中心は和歌で、核心は人間の心であること。その精神が詩歌ばかりでなく文学全般、芸事、年中行事、芸術全般の底流を為しているという。そして公事に忙しい男性に比して、女性は自分の気持ちを率直に歌い上げるので、優れた作品が多いこと。などが語られる。

日本語は主語を省略する言葉であり、自己主張を嫌う。短い自然をうたっても、そこに自分の心情をそっと詠い込む。言葉が2重も3重もの意味を持つ。ナールホド、納得。

短歌も俳句もきわめて短いので。多くを語ることはできない。だから読む人は、そこに込められた意味を察しなければならないわけですね。

主語がないということと直接関係があるかどうか分かりませんが、日本の家では障子一つ隔てた隣の部屋で、何が行われているか、今障子を開けて良いのかどうかを察する必要がある。というようなことを、多田道太郎が書いていたと思います。

物を察するという習慣が日本人にはあり、外人さんはそれを言葉で言う場合が多い。日本人は勘に頼り、外人は言葉に頼る、なんてね、ぼんくらカエルの詩歌を離れた感想でした。

彩の森公園

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