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2011年9月 3日 (土)

貧しさについて

9月3日(土)

今日のスケッチ

Img003

男体山登山道からの風景です。

今日の俳句

 庭の樹も折れよと野分吼えにけり

 台風来家に籠もりて昼の酒

 遠台風とぎれとぎれに強く吹く

○貧しさについて

私は紛れもなく貧乏だから、金持ちについてなど書くことはないのです。貧富について書くなら、貧の方に決まっています。

貧しさの程度ですが、今日は食にありつけるかなどと考えなければならないのは、絶対的な貧しさで、不幸と言わなければなりません。しかし食うところ、寝るところがあるような貧しさならば、あながち不幸とは言えません。

たとえば自分が貧しくて、隣も、隣も、そのまた隣も貧しい状態、貧しさを共有しているのであれば、自分が不幸だとは思わないでしょう。まわりが豊かで、自分が貧しいとき、不幸を感じたりするのでしょう。つまり、まわりと比べるんですね。

比べるなといっても無理でしょうけれど、比べる基準を自分のまわりの人に置くのはどうでしょうか?

幸不幸というのは、本当は、まわりとは関係ないんですね。私などは自分を幸福だと思っています。まわりと比べれば貧しいに違いないのですが、私は比べるなら、昔の人と比べます。あるいは、昔の私と比べます。

私が子供のころ、せめて電話のある家に住みたいと思いました。今の私は貧しくても、家電やらなにやら、無くても良いものまで沢山ありますものね。着るものも、普段着一つによそ行きが一つ、などという状態ではない。第一、毎日酒が飲めます。毎日晩酌ができるなんて、昔はごく恵まれた人でした。

この先はどうだか知らないが、今のところ病気もしていないし、大きなもめ事もない。ボランティアなどという暢気なことをやっていられる。これが幸福でなくてなんでしょうか?

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