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2011年8月 9日 (火)

やはり俳人の季感は変だ

8月9日(火)

『雷鼓』の原稿と前号の感想を書いて発送。

ほかに用もなし、洗濯、掃除、買い物など。あとはごろごろしてました。近くの小学校前の林で、アブラゼミとミンミンとヒグラシが同時に鳴いていました。変なの。

それにしても暑いですね。

いつも書いているのだけれど、また書きます。俳句の世界では昨日から秋なのです。「夏の果て」という季語があって、これが、今年で言えば、8月の5.6.7日頃使う季語です。それ以後は、もう夏が果てているのです。そんなの、俳人以外の誰が納得するでしょうか。

俳人の考えに従うならば、盛夏より残暑の方が暑くて、猛暑日は秋にあり、熱帯夜も秋にあります。現実はどうでも、暦通りに季節を感じなくてはなりません。暦通り無理にでも感じる方が、繊細な季節感の持ち主ということになるのでしょう。私は繊細な感覚の持ち合わせがないので、今でも夏が続いていると思います。秋だなんなんて、無理ですよ。

私は提案します。「立秋」は夏の季語にすべし。理論と現実が違う場合は、現実に従うべし。

突飛な結び付け方をすると思われそうですが、現実を見ず、理論だけでものを考える人が、戦争を始めたりするのです。福島の現実を見れば、原発はもういらないと思うのが当たり前ではないでしょうか。生産性を維持するため、原発は必要と考える人は、次の原発事故の想像をしようとしないからでしょう。チェルノブイリが起き、スリーマイル島が起き、福島が起きました。又それが起きないと、どうして言えるのでしょうか。日本列島で、福島があっちにもこっちにもできたら、一体どうするつもりでしょうか。

スケッチ

Img007

日野沢、埼玉華厳の滝のすぐ下流です。

俳句

 この暑さこれで秋とは面妖な 

                  はは(笑)

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