自分の感受性くらい
2月3日(木)
狭山ケアセンターへ。来るはずだったKさんは風邪で休み。熱があるとの電話があったが、インフルエンザの可能性も。
今日はYさんと3Fへ。3Fは認知症が進んでいる人なのだが、普通の話はちゃんと出来る人が多い。しかし話し込んでいると、現状を認識出来ないで居ることに気がついたりする。今日話しをした人の中で最高齢は明治45年生まれ。と言うことは、101歳かな?
私だって、普通の話は出来るけれど、現状を正確に認識出来ないところはありそうだ。ひょっとすると、すでに・・・?
○茨木のり子の詩
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
○
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
○
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
○
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
○
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
○
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
かく聯の間の「○」はぼんくらカエルが書き加えました。そうしないと勝手に詰まっちゃって、行をあけることが出来ないからです。
それにしても、ウーン、厳しいねえ。私なんかなんでも、何かのせいにして生きている。人のせいだったり環境のせいだったり齢のせいだったり。何かの言い訳なんか、1ダースや2ダースくらい考えつくのに、それほど時間はかからない。
現に俳句だって、感受性が鈍る年になってはじめたから、なんて言い訳している。
○今日の俳句
耳鳴りのほかに音なし日向ぼこ
愚に耐えて齢重ねて日向ぼこ
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