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2011年1月12日 (水)

私・笑っちゃいました

1月12日(水)

鶴見俊輔の『思いで袋』を読んでいて、思わず吹き出してしまいました。

本などを読んでいて、吹き出すと言うのはどんなときでしょうか。モリエールの笑劇(ファルス)などを始めて読んだ人は、きっと吹き出すでしょう。でもそれは笑わせるために書いているものです。笑わせるためのものではないのに、吹き出してしまうと言うのはどんな場合でしょうか。

以下は私の考えです。

まず、予想外の表現でなければならないでしょう。意外性がなかったら、吹き出したりはしません。皮肉が含まれていなければなりません。その皮肉は、確かな人間観察から生まれたものでなければなりません。それは真実であることが必要です。そしてその皮肉が、読んだ瞬間に、一挙に理解出来なければなりません。

モリエールの笑劇も以上の点は同じですね。

私はかなりの量の読書をして、古今東西に渡ると書いたのは、一昨日のことです。こんなことを書くなんておこがましいことだとは、書く前から気になりました。「おこがましい」の「おこ」とは、「馬鹿」という意味で、「おこがましい」とは「馬鹿みたいだ」と言うことです。私は「馬鹿」そのものだから、「馬鹿みたい」の「みたい」が付くだけごまかしがあります。

一昨日、「広いけれども浅い」と書きました。「深い」と言わなかっただけましとしましょう。

私は何事についても、深いものなんてないですね。昔から、何か一つでも、心魂を傾けてやったなどと言うことは、思い返してみても、一つもありません。仕事だってほどほどに接していました。何をやるのだって適当にやっています。

だから本なども、適当に読んでいたわけですよ。

『思い出袋』を読んでいたら、中井久夫の説として「明治以来の日本人が西欧の小説を読めたのは、いいかげんに読んでいたからでしょう、ということである」とある。これを読んで、私は思わず吹き出してしまった。私の読み方は、まさにそれである。一挙に了解、納得する。

『思い出袋』によれば「思想の科学」が発刊されたのは、敗戦の翌年だそうだ。とすれば、私はまだ小学4年生である。お祭りで貰ったお小遣いで、「小国民の友」などと言う藁半紙の雑誌を買っていたころだ。

私が「思想の科学」を買うようになったのは、10代の終わりか20代の初めころだったろう。そのころ、青年子女向けの雑誌として、『葦』や『人生手帳』というようなものがあった。真面目で純情な青年向けに、「人生いかにに生くべきか」みたいなことを問い、考える雑誌だった。

あんな雑誌が今でも何かあるのだろうか。私には思い当たらない。そのころの『思想の科学』は、『葦』や『人生手帳』と『中央公論』や『世界』の間を埋めるような雑誌であった。

私は『思想の科学』に育てられたと思っている。

○今日の俳句

 水鳥に子ら餌投げる石投げる

 室内のラジオ体操冬日差す

山仲間のSさんに、ラジオ体操のCDを貰いました。そのCDを聞きながら体操をするのです。Sさん、ありがとう。

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