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2011年1月31日 (月)

頭が空っぽ

1月31日(月)

精障者作業所「みちくさ」へ。

なんでこんなに毎日書くことがないんでしょうね。頭が空っぽだからです。

良く私はこんな冗談を言います。

「頭を振ってごらん、音がするかい? しない? さすがだねえ、脳味噌が一杯詰まっているからだ。え? 私? 音がしないよ。脳味噌がないからね」

私の頭蓋骨の中には、信州味噌か田舎味噌が詰まっているに違いありません。

Kさんの聞き書き、一部書き直す。

○今日の俳句

 冬旱畑の雑草縮こまる

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2011年1月30日 (日)

丘陵歩き

1月30日(日)

Sさんの誘いで外秩父の丘陵歩き。

秩父線波久礼駅下車。みかん生産の最北地帯、小林みかんの里を通り、葉原峠へ。更に植平峠を経て金ヶ岳、春日神社へ。

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みかんと柚子が同じ畑に育っている。今はみかんの多くが収穫されたあとなので、成っているのは柚子が多い。

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金ヶ岳はその名が昭文社の地図に麗々しく載っているのに、標識はこんなものだけ。山頂のすぐ隣が春日神社。

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コース中にはなかなかの見晴らしもあり、両神山なども良く見える。(1番奥の山)

春日神社からまっすぐ高砂橋におりるはずが、途中で径を間違え、地図に無い径を通って、岩根神社からの下山コースの方に行ってしまった。少し遠回り。

高砂橋の麓で昼食。

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野上駅経由で、先日歩いた長瀞アルプスへ。ここから先は火曜日のコースと同じ。

狭山に帰って、Sさん宅で奥さんの手料理をごちそうになる。美味しい料理にお酒、満足の1日。

○今日の俳句

  肩寄せて山の地図読む落ち葉道

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2011年1月29日 (土)

生半可ですが

1月29日(土)

いつも書いていることですが、私は何事についても、生半可な知識しかありません。そんな人間が分かったような振りをして、ブログなどを書くわけです。なあに、私ばかりではありませんよ。そんな人間が掃いて捨てるほど、いえ、バキュームカーで吸い取りたくなるほどいるのです。

日本の国債の評価がさがったそうですね。当然でしょう。日本はこのままの状態で自国の借金を払えるなんて思えませんものね。専門家はいろいろなことを言いますけれど、日本が国債をチャラに出来る方法なんて、一つしかないと思っています。インフレです。そうなったら国民がたまりませんが、その点については、私は諦めきっています。

管総理の評判はさんざんですが、管内閣を倒したとして、それに代わるものがもっとましになるという保証などありません。どの党が政権を取っても、まとまりのない、機能不全な内閣が出来るのではないでしょうか。ほとんど何もできずに、ずるずると債務は増えていき、最後は破綻して、インフレになるのだろうというのが、私の予想です。

もう一つ怖いのは、こんな状況が続けば、国民は強い指導者を望み、独裁者が出てくると言うことです。これは避けたいね。インフレよりもたちが悪い。

生半可な知識しかないぼんくらカエルの感想です。

○今日の俳句

 生け垣をはみ出す冬の夏みかん

冬の夏みかんというのも変ですが、夏みかんは今たわわに成っています。今日も狭山市内で見つけました。

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2011年1月28日 (金)

お湯割り焼酎

1月28日(金)

水彩画の会。

このところ羅漢像ばかり描いてきたが、飽きてしまった。今日はまともな風景画。ただし先日長瀞で撮った写真を見ながらです。羅漢像の前は子供の絵ばかり描いていたし、風景画は2年ぶりくらいだ。鉛筆で下描きをするだけで疲れてしまいました。集中力が続きません。

従って、水彩画の日なのに、絵は無しです。

それにしても寒いね。わが家のエアコンは効きが悪いし、ビンボー人なのでほとんど付けません。暖房はもっぱらコタツです。パソコンはデスクトップですから、コタツに入りながらは出来ません。焼酎のお湯割りなど呑みながらパソコンにむかうわけです。

○今日の俳句

 文書くや足の先にも寒気団

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2011年1月27日 (木)

新年会

1月27日(木)

今頃になってもまだ新年会をやっています。と言うか、実はこれからもあるのです。今日はボラグループの新年会。

午前中は通常の社協で定例会、午後は創作料理の「稟」で新年会。終わって、2次会は「777」でカラオケ。鼻歌得意、カラオケ苦手という私だが、今回は2次会についていく。「777」とは「スリーセブン」なのだそうです。私は初めてですがママさんの話しでは、山の会のSさんやTさんが良く来るのだそうです。感じの良い店でした。

○今日の俳句

 二次会はカラオケとなる新年会

いかにもやっつけ俳句ですね。おそまつ。

 

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2011年1月26日 (水)

白馬岳

1月26日(水)

  右雲海左遙かに日本海

 前日泊まった麓の民宿を出て、猿倉まではタクシーである。その先で、1行5人は白馬岳の登山道に入った。石のごつごつした道を登ると、白馬尻小屋につく。

 小屋の人の話しでは、今年は雪が多かったので雪渓が例年より大きいという。見上げると大雪渓の先は霞んで、点々と登っている人の姿が見える。落石もたまにはあるようで、雪の上に大きな石が転がっている。小屋の人が、石の除け方を説明してくれた。

 私は4本爪の軽アイゼンを装着したが、せめて6本爪くらいは用意すべきであった。4本爪のアイゼンに、雪がからみついて、何度もそれを払わなければならなかった。記録を付けていないので、雪渓を抜けるのに何時間くらいかかったかは覚えていない。

 白馬の大雪渓を歩くのは初めてだったので、例年の大雪渓がどの辺りまであるかは知らないが、その年は、雪渓が終わるとすぐに、岩のごろごろした急斜面になった。もうお花畑がはじまっている。私たちはゆっくりと休み休み登って、早めに白馬山荘に到着した。

 山小屋の常で、翌朝は早い出発。白馬岳の山頂(2932.2メートル)を過ぎて、白馬大池までは、まさに雲上の人である。右には広く雲海が拡がり、遠く富士が、海上に浮かぶ小島のように見える。左側の雲海の果てに青くぼんやり見えるのは日本海であろう。そして足元は、何処までも続くお花畑である。

 白馬山頂から小蓮華を経て白馬大池までは起伏も少なく、雲上の楽園。私は花の名前をあまり知らないのだが、なんと多くの花が咲いていることだろうか。高山植物の女王と言われるコマクサは、かなり条件の悪いところでも咲くようだ。他の花が少ない北斜面にも咲いている。

 ライチョウやホシガラスにも会うことが出来た。そして、こんな山上にも蝶がいる。

  雪渓にハイマツの実やホシガラス

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織田作之助

1月26日(水)

狭山台胃腸科外科へ。

午後、みちくさのスタッフとボランティアの懇談会。

『名短編ほりだしもの』(北村薫・宮部みゆき編)を読んで、好きな作家が出来ました。織田作之助です。私はこれまで、彼の作品を読んだことがありませんでした。

去年だったか、2人の知人に、それぞれ藤沢周平を薦められました。短編集を1冊読んでみました。確かに魅力的な作品で、登場人物は善人で、けなげで、普通の市井の人ですが、芯の通った強いところがあります。でも、1冊だけでもう良いかと思いました。世間に埋もれたような人でも、立派すぎるんです。

そこへ行くと、織田作之助に出てくる主人公達は、駄目人間です。その駄目さ加減がせつなくて可愛い。私と同じ程度の人間だから、親しみが持てるのです。

『探し人』なんて言う作品、せつなくて悲しい。継母の元から離れて奉公を始めた兄が、妹に「必ず迎えに来る」と言ったのに、様々な事情で迎えに行けなかった。それでも妹のことが気になってそれとなく様子を見に行くと、妹も奉公にでたらしい。その後怪しげな仕事をしながら、妹を捜し続ける。妹の方もうまく行かず兄を捜し続ける。怪しげな占い師になっている兄は、後ろを向きながら人を占う。そこへ落ちぶれた妹が占ってもらいに来る。後ろを向いたままの兄妹は、お互いに相手に気づかず別れる。

○今日の俳句

 大寒の日射しは強し乾く鉢

○句文集「白馬岳」をアップします。

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2011年1月25日 (火)

長瀞アルプス

1月25日(火)

前から1度は歩いてみたいと思っていた長瀞アルプスを歩く。実は長瀞アルプスという名前が、あほらしいので気になっていた。

鎌倉アルプスというのもあったと思う。たしか歩いたはずなんだけれど、あまり思い出せない。なんとかアルプス、なんてのは、きっと日本中にあるんだね。何処にでも銀座があるように。

銀座の名前を出してしまったのでこだわるけれど、これは至るところにありますね。場末銀座、路地銀座、行き止まり銀座、なんて言ってみたくなります。

アルプスも銀座なみだと思えば、どんなところだって腹は立たない。鎌倉アルプスを忘れたと言ったけれど、わずかに残る記憶を辿ってみても、長瀞アルプスよりは変化があったように思う。まあいいでしょう。

長瀞アルプス、歩くなら今ですね。雑木林の中の落ち葉道で、木々が茂っている他の季節では、なんの眺望もないでしょう。今なら木々が葉を落としているから、枝越しに眺望がききます。

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秩父線野上駅下車。駅前の道を直角に進み、道なりに右に曲がり、万福寺というお寺の脇から登山道に入る。そして写真のような雑木林や、杉林の下やらを歩きます。宝登山への縦走コースです。

私は本物の雪山はやりませんが、この辺りを歩くなら、雪のときには楽しいかなと思いました。

途中に車道に出てそこから宝登山に登るのですが、この階段がきつくて長い。登り切れば宝登山頂上。ここから長瀞側にむっけては、蝋梅で有名ですね。

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あとは下山するのみ。

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山頂付近も山腹も、至るところで、このように木々が刈倒されている。そして○○銀行だとか××クラブだとかの掲示板が立っていて、未来に残す森だとか、自然を守る森だとか書いてあるんだよね。蝋梅を植えたりツツジを植えたりしているようだ。確かに手入れをされない杉林などは荒れているけれど、だからといって杉や雑木を全部刈り払って、蝋梅を植えるのが自然の森を守ることになるのかネエ。観光地にするってことでしょう。

せっかく長瀞まで来たのですから、河原の方にも行ってみました。

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こちらの方は、今日はめったにないほど人が少なかった。一人もいないところを写真に撮ることも出来るのですが、あえているところを撮りました。

○今日の俳句

 事故のため遅れる電車空っ風

 冬日和いつものまんじゅう買いにけり

 冬日和ローカル線の途中下車

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2011年1月24日 (月)

ブログのプレッシャー

1月24日(月)

精障者作業所「みちくさ」へ。

毎日ブログを書くと決めているけれど、今日は書くことがないナア、と年中思っています。近ごろはそれに「今日の俳句」なんてことを書くことにしたから、そっちの方も、今日は何も浮かばないゾ、と思う日々です。

それでもなんとか、強引に何か書いてしまう。つまり今日のように、書けないということを書くわけです。これまでに何回こんなことを書きましたかネ。楽屋落ちばかりやっています。

そういえば、「楽屋落ち」って分かりますかねえ。一昨日の歩く会で、歩きながら雑談しているとき「木戸銭」の意味が分からないという人が何人もいました。何だか私は前世紀の生き残りという気分。

「楽屋落ち」は此処で使うのは、あるいは正しくないかな。仲間内にしか分からない話を言います。ブログを書けない理由は私にしか分かりませんから、それを書くことがすなわち楽屋落ち・・・この理由、ちょっと苦しいかナ。

「木戸銭」は入場料のこと。映画でも芝居でも見せ物でも同じ。

○今日の俳句

 底冷える犬の遠吠え聞くゆうべ

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2011年1月23日 (日)

加治丘陵 入間川河川敷

1月23日(日)

歩く会。加治丘陵と入間川河川敷。参加者14名。カメラを忘れて、写真は撮らず。3万歩近く歩いたようだ。

加治丘陵の旧自転車道。これはママチャリでは無理。起伏がきつく多すぎます。マウンテンバイク用の道です。でも、マウンテンバイクなら、いつも決まり切ったところだけ走りたいとは思わないだろう。自転車道路としては廃れて、今はウオーキング向きの道になった。

旧自転車道南コースから入り、桜台展望台を経て、北コースに入る。その途中からあけぼの公園に向かうハイキングコースへ。急な長い降りの階段を下りてあけぼの公園へ。まだ11時前。私はこの辺で昼食と考えていたので、コースタイムを大きく読み違えていたことになる。

その後、入間川の土手の右岸を歩き、支流霞川に沿い稲荷山公園へ。昼食は入間川沿いの公園でとる。公園内にある狭山市立博物館の喫茶店で一休みして解散。

霞川では、カワセミを見ることが出来ました。入間川にもいたようですが、私は気がつきませんでした。

○今日の俳句

 雪の富士見んとて登る展望台

 カワセミとカメラの勝負霞川

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2011年1月22日 (土)

河川敷散歩

1月22日(土)

例によって、入間川河川敷の散歩。上流に向かい、霞川の遊歩道へ入る。入間市駅を経て稲荷山公園駅まで歩く。明日の歩く会では、もし皆さんの希望があれば、加治丘陵の散歩のあと、元加治から入間川を下流に向かって歩き、霞川から入間市駅まで歩くことも考えている。つまり、終点は今日と同じである。

サピオ稲荷山で入浴。2年くらい前、酒を飲んで此処のサウナに入り、逆上せてひっくり返ったことがある。おでこを怪我し、救急車で運ばれた。なんとなく足が遠のき、今日はそれ以来である。

○今日の俳句

 小駅で10分停車木のめ吹く

過去の記憶です。

 対岸のうまく揚がらぬ奴凧

 芒原ずかずか歩くヘルメット

 木々芽ぐむ走る集団また過ぎる

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2011年1月21日 (金)

たんぽぽの絮

1月21日(金)

   たんぽぽの絮は飛ぶなり人歩くなり

私は幼くして母を失い、若くして父を亡くした。

30代のころ、私は半端な琴作りの職人になり、大宮(現さいたま市)に住んでいた。

そんな私を憐れんだのか、母方の伯母が「あんたもいつまでも一人で東京で頑張っていないで、こちらに帰ってきて私たちと一緒に生活したらどうなの」という内容の手紙をくれた。

秋田の片田舎に住む伯母にすれば、大宮も東京も同じなのだろう。事実私は、大宮に住んでいても、仕事は東京でしていた。しかし、私は一人ではなかった。すでに結婚し、長女も生まれていた。大宮での生活を、おいそれとやめるわけにも行かない。

私はその理由を述べ「植物の種でも、風に飛ばされたり、鳥に運ばれたりして、行き着いた先に根を下ろす。私もこの地に根を下ろしてしまったのだ」といった意味のことを書き送った。その経験を俳句にしてみたかったのである。

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冬満月 オガクズ

1月21日(金)

特養さくらへ。

T氏友愛訪問。

18日のブログに「夕焼けを冬満月は見て昇る」という句を載せました。これは見たままです。西は夕焼けで、東側に大きな月が昇っていました。でも、どうやら18日は満月ではなかったようです。

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これは今朝の月です。新聞を取りに入り口にでたときに写しました。(わが家の辺り、新聞は朝四時半には配達されています)これも満月のように見えますよね。満月が3日も4日も続くわけがない。してみると、18日から19日朝までが十四夜で、19日夜から20日の朝までが十五夜、そして20日から今朝までの月は十六夜と言うことになるのかな。それとも、もう一日ずれて、昨日から今日の月が十五夜だったかも。この月、満月に見えるものね。

調べれば分かるのだけれど、調べようとしないのが私のずぼらなところです。

○今日の俳句

 剪定のオガクズ払う枯れ芝生

知っていると思いますが、オガクズというのは、のこぎりを挽くときに出るくずのことです。語源は大鋸から出ています。「大鋸」と書いて「オガ」と読みます。文字通り大きなのこぎりで、元来は、手前と向こう側に人がいる二人挽きの縦挽きのこぎりでした。しかし今では民俗資料館などで見られる長さもさることながら幅の広い大のこぎりをオガと言います。その挽きくずをオガクズと言ったのですが、今ではのこぎりの大小にかかわらず、挽きくずをオガクズと言うようになりました。

今日も句文集をアップします。しかしこれは毎日やるつもりはなくて、始めたのだから三日くらいはつづけましょうかという気持ちです。これからは時々ですね。

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2011年1月20日 (木)

太陽は昔からある

1月20日(木)

  昔から太陽はあり麦畑  桑原三郎

 前回「蕗の薹」でも書いた通り、私は65歳で俳句を始めたとき、全く実作の経験が無かった。そのころ知っていたことと云えば、俳句は有季定型であること、くらいである。しいて言えば、おぼろげに、無季の句や自由律の俳句もあるらしい、と言う程度の知識である。

 車椅子のTさんに誘われて「つばさ俳句会」に入ったものの、これからどうやって俳句と係わるか、とんと自信がなかった。そこで手始めに、インターネットに私向けの記事はないものかと調べてみた。そして発見したのが、子供に向けて「俳句を作ろうと」呼びかけているホームページだった。子供向けなら私にも合うかもしれないと考えて、そのホームページを開いた。

 まず、俳句を作る上での約束事が書かれていた。つまり、「季語」「定型」「切れ」などの記述があった。次に芭蕉の「古池」の句をはじめとして、俳句に興味の無い人でも知っているような句がいくつか紹介されていた。

 次は、実際に子供の作った俳句の紹介があり、最後に、現在の大人の俳句も見ておこうというような記事があり、5-6句ほど現代俳人の句が紹介されていた。その中で私の目を惹いたのは、

  昔から太陽はあり麦畑

の句であった。私はこの句に、ある種の衝撃を受けた。「昔から太陽はあり」だなんて、そりゃあありますよ。でも、そんなことをあらためて言って、俳句にするような人は、おそらくこれまでになかったに違いない。こんなに当たり前で、しかも誰も言わなかったことをズバリと言ってのける。私は意表をつかれてしまった。こんな句を幾つも作る人ならば、それは天才かもしれないと、その時私は思った。しかもその作者が、たまたま私が入った「つばさ」の桑原先生なのである。私は2度びっくりした。

 私はこの句をまねるつもりもないし、まねられるとも思っていない。しかし、今でも時々思い出す句である。「句文集」は自分の句を中心に書くつもりであるが、この句ばかりは例外である。

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雪を見に行きたい

1月20日(木)

老人介護施設ケアセンターへ。今年初めての訪問。利用者も入れ替わるので、初めての人もかなりいる。

関東地方はからからの天気が続いているが、その他の地方では、雪の便りが多い。そこで生活する人には苦の種なのだが、関東平野に住むわたしは、雪を見に行きたいなどとのんきなことを考える。雪国育ちなので、懐かしさもある。そこに住むのは嫌だけれど、覗くのは好きという、きわめてわがままな気持ちだ。

那須や日光まで行けば雪は見られるだろう。小海線辺りも雪は見られるだろう。日帰りでいけるところに行ってみたいものだ。金の心配さえなければ、日帰りでなくても良いんだけどね。

○今日の俳句

 子等はしゃぐ冬の日向の滑り台

我がマンションの渡り廊下から、幼稚園が見えるのです。

今日、句文集もアップします。

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2011年1月19日 (水)

蕗の薹

1月18日(火)

ウオーキング蕗の薹一つ摘んで行く

62歳で妻に死なれ、すべてに仕事をやめた。わずかな収入でも持って帰れば喜ぶ人がいたころは、やめようとは思わなかったけれど、それが無くなったら、仕事をする張りもなくなった。

しかし、しばらく家にいると、それもつまらなくなってくる。近くの公民館の水彩画の会に入った。そして、ボランティアも始めた。

ボランティアをやっているうち、車椅子のTさんと知り合いになった。そのTさんが俳句をやっていて、進められて入ったのが、「つばさ俳句会」である。代表は今坂柳二、編集長が桑原三郎という会である。65歳だった。

俳句の会に入ったのは良いけれど、私は誰からも俳句の手ほどきなど受けたことはない。「つばさ」は月末に5句投句して、翌月の定例会で、みんなで互選をするという会だった。私は初めての投句なので緊張し、あれこれ考えた末に、上の句を含む5句を投句した。

5句のうち3句くらいは、1-2点入ったようである。上の句は1点だった。桑原三郎先生に「こういう句からはいじめてはどうですか」といわれた句である。初めての句として、記憶に残ている。

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智光山公園へ

1月18日(火)

入間川病院の向かい側の薬局で、処方箋の薬を貰う。痛み止めと、薬で胃を荒らさないため中和する薬と、貼り薬である。要するに対症療法の薬である。ま、そんなものだろうと思いましたけれどね。

どこかの食堂で昼にしようかと思ったのだけれど、思い直して、コンビニでワンカップとおにぎりを買い、智光山公園に行く。天気は良いし、青空の下で食べる方が、食堂で食べるよりも気分が良い。おまけに安い。歩けば運動にもなる。

智光山公園の中の高台、緑化相談所の前のベンチで、バラ園や芝生を見下ろしながら食事。隣のベンチに座った老夫婦ととりとめのない会話を交わし、しばらくのんびりと、日射しを楽しんだ。

俳句が沢山出来ちゃった。私の俳句だから、どうせ月並み俳句だけれど。

○今日の俳句

 白髪の犬ひく人や枯れ芝生

 剪定ののこぎりキラリ冬日射し

 大枝にまたがり冬の植木職

 飛行機の音だけがする冬の空

 白髪とボールと孫と冬日和

 冬の雲枝に掛かりて動かざる

 冬の日や加齢の痛みと医者は言う

 うららかや弾丸飛びに冬雀

雀は羽根を何度かばたつかせたあとで、羽根をすぼめてつぶてのように飛んでいくときがある。私はこれを、弾丸飛びと名付けている。私だけの用語だから、俳句に使うのは良いかどうか。

 首出して蒲団を叩く冬の午後

帰る道筋で見たものをそのまま書きました。

今日から時々、句文集を書きます。その日は、ぼんくら日記と句文集の2本立てになります。

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2011年1月18日 (火)

加齢に依るのです

1月18日(火)

去年の1月にはなくて、今年の1月にあるもの、膝と腰の痛みです。トホホホ。

一度診てもらおうと思って、入間川病院に行きました。結果は、加齢によるものだってサ。分かっちゃいたんですよ。やっぱりトホホ。

膝に注射を打たれて、薬を貰って帰るはずでした、所が、薬局(病院内の)で会計をすませても、薬は渡されず、私もそれに気づかないといううかつさ。病院の総合案内所にTさんがいて、そのTさん、一時特養さくらにいました。そのころ私はボラグループの会長で、我々のグループとさくらとの係わり方を、二人で相談してきめました。そのTさんと簡単な挨拶をしている間も、薬局から薬を忘れているというような呼び出しはありませんでした。私もうかつだったけれど、薬局の方もどうだったですかね。お金は払っているのだから、明日もらいに行きましょう。

うかつと言えば、今日の洗濯で、時計を洗ってしまいました。みちくさで使った作業着に入れておいたのです。汚れた手を洗う時、時計をポケットに入れます。それを洗いました。時計のガラスの内側が曇りましたが、時はきちんときざんでいます。安物だけれど、近ごろの時計は大したものです。

今日の俳句なんて云うのを書いているけれど、今日のドジ、なんて言うコーナーを設けたら、俳句ほど苦労せずに書けるかもネ。

○何はともあれ、Kさんの聞き書き、書き上げる。

マルエツでNさんに会う。弟さんが亡くなったそうだ。やはり助からなかったのか。今日から仕事始めたのだという。二人っきりの兄弟だったそうだから、力を落としたことだろう。

○今日の俳句

 浅春の寝間着で珈琲ハイネの詩

 待合室に居眠りの人梅の花

 夕焼けを冬満月は見て昇る

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2011年1月17日 (月)

寒いね 差別用語再び

1月17日(月)

精障者作業所みちくさへ。今日がボラはじめだなんて、今年は始動が遅い。

 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と

    答える人のいるあたたかさ

                 俵 万智

この短歌も良いですね。ただし、私だったらこうはいかない。

 ものいえば独り言なり寒の夜

                 ぼんくらカエル

テナことになりますね。それにしても、「寒いね」

去年の5月15日に書いたブログに、コメントが付きました。古いものを読んでくれる人もいるのですね。「差別用語」についてです。

私は、差別感を持って、侮辱するつもりで使えば、どんな言葉でも差別用語になると考えます。たとえば「利口」という言葉も、どちらかというと侮辱するつもりで使うことが多いと思います。どの言葉が差別用語で、どの言葉が差別用語ではないかなどは知りません。でも、多分「利口」は差別用語に指定されてはいないでしょう。要は使う人の気持ち、使われる人の感じ方でしょう。むやみに言葉狩りをして、あれも差別用語、これも差別用語などということには賛成出来ません。

コメントでは、「未亡人」は自称だから差別用語ではないと言います。これはどうですかね。「未亡人」は自称として使われただけではありませんよ。

○今日の俳句

 飛行機は雲なき空に辛夷の芽

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2011年1月16日 (日)

眼にて云ふ

1月16日(日)

15日16日は昔の藪入りです。昔の奉公人は、正月と盆の15.16日だけが休みでした。

その名残でと思いますが、私が琴職人の見習いを始めたころは、休日は、毎月1日と15日だけでした。日曜日ごとに休める人は、羨ましかったです。

若い頃からいろいろな本を読みましたけれど、いい加減な歳になると、昔に返るんですね。単純な、分かりやすいものしか読む気がしなくなります。つまり、脳が衰えました。

若いころ詩を読んで、中年には読まなくて、今はまた、難解ではない詩が好きです。

たとえば宮澤賢治。「雨ニモマケズ」や妹の死を詠った「永訣の朝」は有名ですが、「眼にて云ふ」も良いですね。なんで自分の死を、こんなに透明に詠えるのでしょうか。

長い詩なので、初めの部分を引用してみます。

   「眼にて云ふ」

 だめでしょう

 とまりませんな

 がぶがぶ湧いているですからな

 ゆうべからねむらず血も出つづけるもんですから

 そこらは青くしんしんとして

 どうも間もなく死にそうです

 けれどもなんといい風でしょう

 あんなに青ぞらからもりあがって湧くように

 きれいな風が来るですな

この辺までにしましょうか。なとも透明ですね。

○今日の俳句

 雪だるまバケツの帽子に雪積もる

 マンションに和室少なししじみ汁

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2011年1月15日 (土)

新年句会

1月15日(土)

いろいろ手違いもあったけれど、新年句会無事終了。

今日はそれだけ。

○今日の俳句

 持ち帰る新年句会果てしごみ

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2011年1月14日 (金)

水彩画の会

1月14日(金)

今年初めての水彩画の会。出来が悪いので、今日はその絵をアップしたくないのですが、他に書くこともないので、ま、いいでしょう。

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天覧山の16羅漢の一つ。

○今日の俳句

 野仏は小さきがよし霜柱

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2011年1月13日 (木)

川越市特別支援学級作品展

1月13日(木)

川越の市立美術館に行きました。

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川越市内の、特別支援学級や支援学校の作品展をやっています。絵や面や自画像や、工芸品のようなものや、結構魅力的な作品がありました。中でも、ある学級で展示していた埴輪の作品は、30体くらいあったのかな、それぞれ魅力的な表情で、私は受付の人に断って、写真に撮りました。

それをこのブログで紹介するつもりだったのですが、残念ながら出来ません。それぞれの作品の前に名前が書いてあり、それがバッチリ写ってしまうのです。うかつでした。

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修理中の川越城本丸御殿の隣にある三芳野神社の参道です。此処で童謡の「通りゃんせ」が生まれたと言います。

○今日の俳句

 冬日和古りて賑わう蔵の町

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2011年1月12日 (水)

私・笑っちゃいました

1月12日(水)

鶴見俊輔の『思いで袋』を読んでいて、思わず吹き出してしまいました。

本などを読んでいて、吹き出すと言うのはどんなときでしょうか。モリエールの笑劇(ファルス)などを始めて読んだ人は、きっと吹き出すでしょう。でもそれは笑わせるために書いているものです。笑わせるためのものではないのに、吹き出してしまうと言うのはどんな場合でしょうか。

以下は私の考えです。

まず、予想外の表現でなければならないでしょう。意外性がなかったら、吹き出したりはしません。皮肉が含まれていなければなりません。その皮肉は、確かな人間観察から生まれたものでなければなりません。それは真実であることが必要です。そしてその皮肉が、読んだ瞬間に、一挙に理解出来なければなりません。

モリエールの笑劇も以上の点は同じですね。

私はかなりの量の読書をして、古今東西に渡ると書いたのは、一昨日のことです。こんなことを書くなんておこがましいことだとは、書く前から気になりました。「おこがましい」の「おこ」とは、「馬鹿」という意味で、「おこがましい」とは「馬鹿みたいだ」と言うことです。私は「馬鹿」そのものだから、「馬鹿みたい」の「みたい」が付くだけごまかしがあります。

一昨日、「広いけれども浅い」と書きました。「深い」と言わなかっただけましとしましょう。

私は何事についても、深いものなんてないですね。昔から、何か一つでも、心魂を傾けてやったなどと言うことは、思い返してみても、一つもありません。仕事だってほどほどに接していました。何をやるのだって適当にやっています。

だから本なども、適当に読んでいたわけですよ。

『思い出袋』を読んでいたら、中井久夫の説として「明治以来の日本人が西欧の小説を読めたのは、いいかげんに読んでいたからでしょう、ということである」とある。これを読んで、私は思わず吹き出してしまった。私の読み方は、まさにそれである。一挙に了解、納得する。

『思い出袋』によれば「思想の科学」が発刊されたのは、敗戦の翌年だそうだ。とすれば、私はまだ小学4年生である。お祭りで貰ったお小遣いで、「小国民の友」などと言う藁半紙の雑誌を買っていたころだ。

私が「思想の科学」を買うようになったのは、10代の終わりか20代の初めころだったろう。そのころ、青年子女向けの雑誌として、『葦』や『人生手帳』というようなものがあった。真面目で純情な青年向けに、「人生いかにに生くべきか」みたいなことを問い、考える雑誌だった。

あんな雑誌が今でも何かあるのだろうか。私には思い当たらない。そのころの『思想の科学』は、『葦』や『人生手帳』と『中央公論』や『世界』の間を埋めるような雑誌であった。

私は『思想の科学』に育てられたと思っている。

○今日の俳句

 水鳥に子ら餌投げる石投げる

 室内のラジオ体操冬日差す

山仲間のSさんに、ラジオ体操のCDを貰いました。そのCDを聞きながら体操をするのです。Sさん、ありがとう。

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2011年1月11日 (火)

殺すなかれ

1月11日(火)

今日は1並びの日なんですね。どうでもいいけれど、日付を書くときに気づいただけのことです。

ボランティアなどを始めて11年目ですが、今年の始動は1月17日です。いつもだと役所の仕事始めと同じくらいに始まるのに、こんなに遅くなるのは初めてです。こちらの都合や、相手の都合で17日始動と言うことになりました。

ずいぶん暇があるように見えますが、「おさんどん」もしなければならない身分ですから、まるっきりすることがないわけではありません。たとえば今日、洗濯、買い物、掃除などはしています。

昨日買ってきた本も読んでいます。鶴見俊輔が回想を断片的に語っているものです。大勢に流されず、自分の内側からの思想を持ち続けた鶴見俊輔は『思いで袋』の中で「人を殺したくない」と何度も繰り返す。

私も、殺人だけは許せないと思っている。そういえば誰でもそうだと思うだろう。こんな単純な命題はない。しかし、これ以上重い命題はない。ともすると人はそれを忘れる。正義のためだ、なんて言って。

マスコミだって、おかしな騒ぎ方をするときがあるよ。

相撲で朝青龍問題で大騒ぎして、同じ時期に、ある部屋で稽古と称してリンチ殺人があったのに、どちらかと言えば朝青龍の扱いの方が大きかった。確かに横綱にふさわしくはなかったかもしれないが、朝青龍がモンゴルでサッカーをやったなんてことは、ずる休みをして、ちょいと遊んだに過ぎない。それを批判する人達は、まるでずる休みなどしたことが無いみたいな勢いだった。

リンチや故意で人を殺したものは、幾ら批判されても仕方がない。しかし他のことであれば、批判する側にも節度が必要だと思う。自分の身も顧みて言うことですね。

昨日今日で、Kさんの聞き書き4枚(1600字)程度書く。

彩の森公園、紅梅ばかりでなく白梅も咲いていました。

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○今日の俳句

 紅梅の下少年はボール蹴る

 冬の鳩ブーメランのごと飛び来る

 卒然として冬の噴水昇りけり

 

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2011年1月10日 (月)

思想の科学

1月10日(月)

今日、成人の日だそうです。完全に小正月から離れちゃったんですね。

20歳、私は杉並区に住んでいました。杉並区で初めて成人式を行ったのは、私が20歳の時でした。試験的に行うもので、新成人の中から抽選で出席者が決められました。籤とか言うものにはきわめて弱い私ですから、もちろん抽選にはずれました。

従って、私は成人式に出ていません。成人式に限らず、大抵の人が経験するのに、私には経験がないなどと言うことが幾つかあります。たとえば私は修学旅行というものに参加したことがありません。

その理由は長くなるので省略します。以下、別の話。

よく、あなたにとっての1冊の本を選べ、などという質問があります。そんなとき私は、モンティーニュの「エセー」を選ぶことは、前にもブログに書いたことがあると思います。

いつも書く通り私は義務教育終了程度の人間ですから、知的な興味を満たすためには、本を読むのが手っ取り早かったのです。さまざまなことを本から学びました。小説などは疑似体験をするようなもので、日本のものも外国のものも(もちろん翻訳で)読みました。

小説以外のものも、良く読んでいます。読書は、広く薄く、古今東西に渡っています。広く深くといえないところに、能力の問題があるわけです。今思い返してみても、良くもあんなに読んだものだと思います。

そんな読書経験の中に、多分、鶴見俊輔が中心になっていたのだと思いますが、『思想の科学』という雑誌がありました。私はこれを愛読していました。私の一冊の本が『エセー』だとするならば、一つの雑誌と言うことになれば『思想の科学』です。私のものの考え方の中心になるものは、『エセー』と『思想の科学』によって作られたような気がします。『思想の科学』の方が大きかったかもしれません。

今日本屋で、鶴見俊輔の『思いで袋』(岩波新書)を買いました。その他に4冊の本を買いました。最近は、一度に5冊の本を買うなどと言うことは、ほとんどしていません。

これからしばらく、数独もほどほどにしなくては・・・。

○今日の俳句

すみません。今日は出来ないのです。やむをえず、3年くらい前に作ったものを載せます。

 振り袖を回転寿司に新成人

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2011年1月 9日 (日)

山行・新年会

1月9日(日)

山の会、新年会を兼ねた山行。

高麗駅から日和田山、高指山・物見山を経て、新年会場となる民宿啓明荘へ。21名参加。われわれの会としては、これ以上はない参加人数。

例によって、餅つき。4年くらい前だったか、餅つきの経験者は私しかいなかったが、今は大勢いて、私などは下手な方だ。

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低い山ですが、日和田山にはこんな岩場もあります。裏の方に回れば、ロック・クライミングの訓練をするような場所もあります。頂上下の金比羅神社で甘酒とみかんを戴き、何だか嬉しくなりました。

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岩場の上、神社の下からの写真。左中ほどにまるで墓石のような新興住宅がありますが、その上にうっすらと富士があるのです。見えるでしょうか。

新年会、餅やら鍋やら酒やら適当に飲み食いし、しゃべり、和やかなものでした。

山行の途中、何カ所か富士は見えたのですが、写真に撮れるほどクリアではありませんでした。

そこで毎度のことながら、我がマンションの風映えの富士。

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電線がじゃまですが、これを今日の山行の最後とします。本日、落日直後の写真です。

○今日の俳句

 餅つきの餅持ち帰る新年会

苦しいねえ。昼間から飲んだせいか、何も浮かびません。  

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2011年1月 8日 (土)

山のあなた・海のあなたに

1月8日(土)

午後、我慢出来ずに散歩に出る。行き先は入間川河川敷で、狭山市と川越市の堺にある安比奈公園。管理は川越市である。往復で約1時間半ほどかかるので、歩数計は付けていないが、1万歩くらいか。

帰り、サンパーク奥富で入浴。サウナはないのだが、65歳以上の狭山市民は150円で入れる。

カール・ブッセの「山のあなた」という詩は多くの人が知っている。三遊亭円歌がまだ歌奴だったころ、この詩の捩りを盛んにやって人気があった。

田舎の中学に通っていたころ、担任の先生が好きだったらしく、教室の前の黒板の上に、この詩を掲げていたので、私は早くから知っていた。だから歌奴が、「俺がやらなければ誰もこの詩を知らなかっただろう」というのには違和感を持った。とは言うものの、私が知っていたのは、たんなる偶然である。

「山のあなた」は明治30年代に出版された、上田敏の『海潮音』という翻訳詩集に出ている。『海潮音』は、今さら言うまでもなく名訳詩集として名高い。

同じ『海潮音』に「海のあなたの」という詩もある。こちらは歌奴が取り上げなかったせいで? あまり知られていない。

   海のあなたに  テオドル・オオバネル

 海のあなたの遙けき国へ

 いつも夢路の波枕

 波の枕のなくなくぞ

 こがれ憧れわたるかな

 海のあなたの遙けき国へ

「山のあなた」にしろ「海のあなたに」にしろ幸いや憧れは、此処にはなくて、遠いところにあるんですね。でも、それは若いときです。歳をとってしまうと、強い憧れ自体がなくなってしまう。窓脇の日向ぼっこが幸せ、テナものですよ。

○今日の俳句

 寒気団蒲団の中の背伸びかな

 薄氷を割って釣り人並びおり

 釣り人にくすぶっており背の焚き火

 小魚の浅瀬に群れる日向ぼこ

 転ぶたびだるまの福の近くなる

薄氷は「うすらい」と読みます。

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2011年1月 7日 (金)

膝痛その後・柚子味噌

1月7日(金)

膝痛、昨日よりはだいぶ良いようです。

痛さの程度を言えば、昨日の朝は、びっこをひかずにいようと思っても、それが出来ないくらいの痛さ。今朝は、びっこをひかずに歩ける痛さ。朝が1番痛いので、今は、歩かない限り忘れていられる痛さです。あるいは、歩いているときでも、歩き始めは気になるが、しばらく歩き続ければそのうち忘れる程度の痛さといえます。

加齢によるものだろうから、本格的に治ると言うことはないのでしょう。

実は私、この程度の痛さになれば、さっそく散歩をしたくなるのです。でも、明後日、軽い山行があるので、今日の所はじっと我慢。買い物に行った程度です。

午前中は、Kさんとの対談録音テープをメモをとりながら聞く。

午後、柚子味噌作り。柚子は、先日7福神めぐりで、道筋の農家の女の子から買ったもの。

柚子味噌はこれまでも何回か作っているが、何時もインターネットで作り方を調べる。今回の方法は、千切りにした柚子の皮を、1度熱湯に通すというもの。初めての方法であるが、まあ上手く行きました。

七草粥の日ですが、冷蔵庫の野菜で、三草くらいの粥は作りました。これに作ったばかりの柚子味噌を少し載せて、美味しかったなあ。

○今日の俳句

 呑んべえの柚子味噌作る男かな

 すぐ逃げる湯船の底の柚子の種

柚子味噌作りで残った柚子1ッ個を輪切りにし、浴槽に入れました。冬至ではないが、ゆず湯です。

柚子の種が幾つか、浴槽に沈んでしまいました。これを取るのがなかなか大変でした。片手で掴もうと思うと、するりと逃げるのです。両手で包み込むようにしてとりました。しかし「奮闘努力の甲斐」があって、全部取り上げることが出来ました。寅さんより立派でしょう。いえ、出来たはずでしたが、湯船から出て中を覗くと、まだ種が1ッ個残っていました。それだけの話しです。

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2011年1月 6日 (木)

膝の裏が痛む

1月6日(木)

少し前から、右足の膝の裏が痛みます。膝そのものではなく、膝の裏側の筋が痛いのです。加齢によるものであろうと、なるべく気にしないようにしてきました。山も行くし、散歩もするし、ですね。

だいたい、朝が1番痛いのです。意識して足をのばすようにし、びっこをひかないようにして歩くうち、それほど気にならなくなります。しかし、今日は違っていました。朝の痛さも、いつもよりひどいし、なかなか治りそうもないのです。

不思議なことに、階段などを上がるときは、痛くないのです。平らなところを歩く方が痛いのです。どうも、理由がよく分かりません。

今回痛むのは、少し歩きすぎたせいでしょう。一昨日に続き、昨日もずいぶん歩きました。本当に必要だったのは、入間市の旧サイクリング道路の入り口を確認するだけだったのですが、加治駅近くの、入間川の大欅や、大山街道の渡船場あとなどを見たり、運動公園を歩いたりしました。あけぼの公園に行ったり、サイクリング道路北コースを半周したりもしました。膝に負担をかけすぎたのです。

近くの薬局で、膝のサポーターを買い、着けてみましたが、効いているのかいないのか。別のサポーターもあるのですが、それは山で使うもの。なるべく使わないで過ごすのが主義。ついでに書いておけば、薬なども、なるべく飲まないのが主義です。酒は飲むのが主義だけどね。

さっき書いたように、朝が1番痛いので、夜には痛みがなくなります。今日のように調子が悪いときでも、今こうしてブログを書いているぶんには、何も感じません。立って歩けば、多少の違和感がありますが、痛いと言うほどでもありません。

明日は今日よりよくなることを願って、更に一杯やって寝ましょう。

○今日の俳句

 寒の入り寝床まで来る朝の音

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2011年1月 5日 (水)

あけぼの公園

1月5日(水)

午前中は洗濯。31日にやっているので5日ぶりである。私の洗濯は、ほぼこんな間隔です。正月に娘夫婦や孫たちが泊まっていったので、そのふとンカバーもすべて洗うので、かなりの量になる。

午後、西武線、元加治駅や仏子駅周辺の散策。山の会の中の歩く会で、その辺りを歩こうと思っている。何度も歩いて知っているつもりだけれども、細部になると分からないところもある。加治丘陵、入間市の旧サイクリング道路、北側入り口、南側入り口、の確認など。

昨日は二万五千歩以上歩いているけれども、今日は、一万五千歩以上歩いているでしょうね。2日続きの、歩け、歩け、だ。

加治丘陵、入間市の旧サイクリング道路の一部を歩く。あけぼの公園にも寄ってみる。あけぼの公園というのは、ムーミン谷をイメージして作られた公園です。

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ムーミンの家はきのこの家。

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これはムーミン谷の哲学者スナフキンの家?

○今日の俳句

 山蔭に三寸の霜ザクと踏む

三寸というのは10センチ弱です。

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2011年1月 4日 (火)

越生七福神・越生の自然

1月4日(火)

越生7福神めぐり。山の仲間6人。

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駅前でまず行列。記念品と何かがあたる抽選券を貰って、すぐ側の法恩寺へ。恵比寿様がまつられています。此処も行列。その後、すべての寺で行列です。

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境内の太鼓が威勢良し。他の寺で今年目立ったのは、修験道の人達。山伏姿の人達にカメラを向けるのもはばかられて、その写真は1枚も撮りませんでした。

寺や仏像も良いのですが、私は越生の自然が好きなので、七福神めぐりであるにもかかわらず、この後は風景写真だけにします。

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何処にでもある平凡な内陸部の田園風景。山と平地の堺辺りの、親しみやすいが、絶景と言うほどでもない自然。それが良いのですね。何だか、私が生まれ育った故郷を思い出します。

余談ながら、川の見える写真では、カメラを構える私自身の影が映っています。

○今日の俳句

 正月の気分残して七福神

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2011年1月 3日 (月)

継母に会う

1月3日(月)

杉並区の梅里に継母と義妹が住んでいるので、会いに行く。継母は93歳。今でも自分で買い物に行くようだ。途中で何度も休むというものの、元気である。

義妹はあちこち散歩するのが好きなので、都内の公園の話しなどする。

○今日の俳句

 車窓より屋根の流れる3日かな

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2011年1月 2日 (日)

あまりものを食す

1月2日(日)

一日外に出ず。食事は昨日の余り物。

Kさんから聞いた話が録音されているテープを、繰り返し聞く。文章化するつもりなのだけれど、聴き方が悪いから、どうまとめるか考えてしまう。

○今日の俳句

 文弱の苦吟はじめの2日かな

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2011年1月 1日 (土)

賑やかな元日

2011年1月1日(土)

明けましたておめでとうございます。

元日そうそう、こんなブログを覗く貴方、少々おめでたいのではありませんか? 

とんだ、失礼を申し上げました。本当は、感謝しております。

昨日、長女夫婦と孫たちが、やってきました。今朝、次女夫婦と孫がやってきました。イヤー、賑やかで良いですなあ。いつもだと、音を出すものは、自分自身とテレビぐらいしかありませんからネ。食事も、大勢でとると、おいしいネエ。

全員で、近くの天嶺寺に初詣。お寺の場合は初参りって言うんでしたっけ? それとも、初参りというのは、お墓参りだけかな? ま、良いでしょう。調べるのが面倒だ。ぼんくらカエルは、元日からこの態度です。だから、私の書くことなど、あんまり信用してはいけないのです。

老婆心ながら申し上げます。このブログに限らず、インターネット上に書かれている記事など、絶対正しいなどと思ってはいけません。私程度のものが、聞きかじりで書いていることも多いのです。よしんばその道の権威者が書いていることだって、間違いはあるのです。

と、まあ、もっともらしいことを書くのも良いのですが、肝心の私の家族達、今日の夕方帰っていきました。長女の亭主殿は、早々と仕事が始まるようで、今年は自分の実家にも行く暇がないのだそうです。

○今日の俳句

 元朝に一筋の雲ありにけり

早朝、飛行機雲の名残なのか、一筋の雲が窓の南から北に向かって見えていました。その時見えたのは、その雲だけでした。今日は時間がたつにつれて、雲の量が増えていきました。

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とにかく、今年は終わり

12月31日(金)

年の終わりのタイトルのつけかたに迷います。私のブログ、1年を通じて、終始迷いながら書いています。まるで迷走する民主党のようです。

洗濯をして、風呂の掃除は午後2時頃終わりました。

4時頃、長女夫婦と孫たち到着。孫たちの成長にあらためて感心する。成長・・・肉体も精神も、です。文章を書く立場としては、ここで具体的に書くのが筋なのですが、ああ、面倒くさい。要するに、成長しているんです。

孫たちが来て、それからのことは書くこともありますが、それも省略。つまり何でも省略。その理由、婿殿としたたか飲んでいます。

○今日の俳句

 街路樹の瘤が多くて大晦日

 剪定の街路樹の影大晦日

1年間、ブログを訪問してくれた方、ありがとうございました。たいしておもしろくないのにね、、続けて訪問してくれた方は、根気のある方です。表彰状をあげたいくらい。

そうでない方、それなりにありがとう。

もう年が明けました。まだ飲んでいるのだから、なんて言うの、2日酔いではなくて、2年酔いかな?

 

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