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2010年12月13日 (月)

死について

12月13日(月)

精障者作業所「みちくさ」へ

死を考える野あたって、人間には二つのタイプがある。若いときから考えるタイプと、いい加減歳をとり、死が身近になってから考え出すタイプとである。

私は若いときから死を考えるタイプであった。8歳のとき母が死んだ。以来、人間には死があることを考えざるを得なくなったのである。子供のころは、純粋に怖かった。死を思うと、身震いが出るほどであった。

しかし年中そんなことを考えると、だんだん死に慣れ親しむようになり、年をとると共に怖さが薄れてきた。なに、今だって怖いことは怖いんだけどね。若いときほどではないと言うだけのことです。

若いときには死など考えたこともない、などという人は、死が間近に感じられる年になって、急に考え出すらしい。そうすると、これは怖いらしですね。多分、身震いでもするのでしょう。

どちらのタイプが良いかは知らないけれど、人類の出現以来、死ななかった人間は一人もいない。とすれば永遠の生がないと言うことに関しては、諦める以外に方法がない。諦めた上で、どう生きるかを考えるのが上策なんでしょうな。

○今日の俳句

 行く年や適も許せる齢なり

 エンドウの支柱が傾ぐ冬の雨

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