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2010年12月14日 (火)

記憶は脚色される

12月14日(火)

年に何回か、マンションの玄関、ごみ置き場、中庭やマンションのまわりの掃除当番がある。今日はその日。先日マンション自体の大掃除があったのだから、今日は楽だろうと思っていたのだが、案に相違して、中庭のはずれが汚れていました。誰かが弁当を食べて、発砲スチロールや汁の入った容器、みかんその他を食い散らしなどを、そこら中に捨ててありました。

今月はあと1回、年末の28日も掃除当番です。

所沢の次女の家に、絵本を持って、孫の顔を見てきました。

○記憶は脚色される。

変な夢を見ました。私の目の前で、小鳥が太い針金を嘴を使って、器用に曲げているのです。針金は「?」の形に曲げられて、電線だったか物干し竿だったかに引っかけられました。私はそれを不思議とも思わずに、こんなことを目の前で見たのだから、何とか写真に撮りたいと思って、デジタルカメラを探しているのでした。

今記憶しているのはそれだけです。でも夢自体は、もっと見ていました。それが思い出せないのです。小鳥は巣を作っていたような気もします。1羽ではなく、他の小鳥もいたような気がします。

元来夢というものは、でたらめなもので、合理的なストリーはないのが普通だろうと思います。でも夢の内容を人に話すときには、無意識のうちに矛盾を避け、なんとなく筋が繋がっているような話しをしたがるものです。

たとえば私の見た夢に、他の小鳥も登場させても良いし、本当に巣を作っている所でもいいのです。本当に夢の中では、そうだったかもしれないのです。そのような気がするけれど、そうだったという自信がない、と言う程度なのです。だから、人に話すときには、ストリーを持たせるような話しになったりします。

これは夢の話しですが、実際の記憶でも、我々は無意識のうちに脚色していると思います。人に話すときには、分かりよく話そうとするし、思い出すときは、自分の都合が良いように脚色します。経験でも、事実を事実として受け入れてるつもりで、実は自分に都合良く脚色して受け取ったりします。それを記憶するのですから、私たちの記憶は、ほとんど脚色されていると思います。

記憶というものは、思い出すたびに、自分にとって心地よいもの、あるいは、自分の方が正しかったとか、自分は悲劇のヒロインだったとか言う方に脚色されていくと思うのです。

○今日の俳句

 冬の雨木の葉張り付くアンツーカー

 雨あとの池の濁りや鴨の群れ

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