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2010年9月19日 (日)

ブログの事情

9月19日(日)

ある季刊誌に掲載した随筆を、少し長いのですがブログに載せます。

ブログの事情

 このところ、中学時代のクラス会の幹事をしている。先日、今年のクラス会開催の案内を送った。その返事がぼつぼつと届きだした。

 その中には、次のような便りがあった。「去年までは健康に自信を持っていたのに、今は病院通いになってしまった」「腰を痛めて、歩くのが容易ではない」「連れ合いが認知症になって、徘徊を繰り返す。目が離せない」

 卒業して60年近くも立てば、連絡の取れない人も多い。何人かは亡くなってしまった。果たして今年のクラス会に、去年ほどの人数が集まれるかどうか。

 誰かが言っていた。「70代というのは、亡くなったり認知症になったりする適齢期だ」と。

 私は毎晩酒を飲んで過ごしている。心筋梗塞になった友人に言われた。

「ぼんくらカエルみたいに毎晩酒を飲んでも元気な人がいる。私みたいに気をつけていても病気になる人がいる。世の中は不公平だ」

 なあに、私だって休肝日無しで呑んでいるのだもの、そのうち障害が出るだろう。それでもやめられないのが酒である。好きなものをやめて長生きしてもしょうがない、という思いもある。

 私は一人暮らしの老人なので、、孤独死くらいは覚悟している。何しろ「適齢期」なのだ。問題は、死んだのに誰にも気づかれずにいることである。本人はよいけれど、離れて暮らす娘たちを後悔させることになる(だろうと思う。まさか喜びもしないだろう)。そのため私は娘たちに、

「一週間に一度くらいは電話をよこせ。年寄りの一人暮らしなんだから、なにがあってもおかしくないんだ」

 というのだが、現在のところ健康で、好き勝手なことを言っている親だから、安心しているのか、勝手にしろと思っているのか、とんと連絡をよこさない。親の心子知らずだ。そこで考えたのがブログである。私はかねてブログを開き、時々何事かを書いていた。

「これからは、俺は毎日ブログを書く。お前たちはそれをチェックしろ。なんの前触れも無しに2日間ブログを休んだら、それは俺の身に何かあったときだと思え」

 かくして私は、毎日ブログを書かなければならない仕儀となった。毎日書くのだから、どうしても日記風になる。ブログの目的は、娘たちへのメッセージなのだけれども、公開はしている。読者が少ないとはいえ、一応は不特定多数の人が読めるわけだ。だから、日記とは言っても、他人の迷惑になるようなことは書けない。匿名のブログだが、匿名であればなおさら、誹謗中傷は書けない。やはり多少の制約はある。

 初めのうちは、夕方になると、さて何を書こうかと気になった。しかし馴れてくると、パソコンの前に座れば何とかなるさ、という気分になってくる。どのみち、私の頭をかち割って脳味噌を全部さらけ出したところで、深いものなどあるはずがない。馬鹿丸出しで行きましょう、というのが私の覚悟である。

 とはいえ書く材料に苦労していることは確かだ。そんなとき便利なのがデジタルカメラだ。ちょっとしたものを写して、ブログに載せるだけで格好が付く。機械音痴、カメラ音痴の私も、なんとかデジタルカメラを使えるようになった。

 ところが、ここでまた問題が起きる。デジタルカメラなどめったに壊れるものではないが、私はこれまで3台壊した。最後に壊したのは、このゴールデンウイークである。

 娘たちとは電話で話すことも多くはないのだから、会うのはもっと少ない。正月、夏休み、ゴールデンウイークの年3回というのが標準である。

 今年のゴールデンウイークは、長女夫婦や孫たちと、都内の庭園めぐりをした。

 六義園での出来事である。私はカメラに気を取られて、よそ見をしながら歩いていた。そして木の根につまずいて、見事に転んでしまった。まるで漫画に出てくるような、典型的な転び方だった。前向きで倒れて、そのままだと鼻を打つところだったが、さすがに顔だけは横を向き、頬を打った。あんな転び方は、幼児期以来記憶にない。もんどり打って転ぶという奴である。

 そんな激しい転び方をしたのに、下が土だったせいで、打ち身もなければかすり傷もない。その代わりカメラが壊れたというしだいである。

 私は動かなくなったシャッターを気にして、押したり叩いたりしながら歩いていた。すると娘夫婦に、カメラを持ちながら歩いてはいけない、と禁じられてしまった。あーあ、もうそんな扱いなんだ! もう一度よろけて転びたい気分になるではないか。

今日の俳句

 秋霖や相合い傘に杖突いて ぼんくらカエル

先日の雨の中、足の悪い妻をかばって、傘を差し掛けている夫がいました。老夫婦のそんな姿をほほえましく感じ、俳句にしてみようと思いましたが、うまく行きません。

口直しに、万葉集から一首

 幸福(サキワイ)のいかなる人か黒髪の

     白くなるまで妹(イモ)が声を聞く

               読み人知らず

なんと幸福な人だろう、共白髪になるまで元気でいるなっんて、というような歌です。何はともあれ、夫婦で長生きというのは羨ましいことです。

 そつぎょうして60ねんちかくもたてば、れんらくのとれないひともおおいこ

 このところ、中学時代のクラス会の幹事をしている。

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