追憶・思えば遠くへ来たもんだ
4月10日(日)
卒業した中学のクラス会を、川越の和食屋で予約する。我々のクラス会、都内を離れるのは初めてである。
クラス会後、川越の観光案内もすることにして、案内状を作る。今日発送したいところだが、今年からの幹事なので、まだ住所録をパソコンに取り込んでいない。今回だけは宛名を手書きにするつもり。明日は山に行く予定なので、夜更かしも出来ない。まあ、宛名を書くだけで、投函はまた明日ということになる。このブログも早く終えなくては・・・。
中学時代と言えば、もう忘れていることも多く、完全に郷愁の世界。人間は幾つでも、追憶はするのです。10歳でも追憶はする。でも、それは郷愁の世界ではない。歳をとってからの追憶は、ほとんど郷愁だ。倍賞千枝子のうたに感動したり、昔読んだ詩集を開いたり、全部郷愁である。
人生は短いというけれど、そしてそれは真実だと思うけれども、考えてみれば中学時代なんて、随分昔のことだ。
私のもっとも古い記憶は、3歳か4歳のころで、市ヶ谷も電車通りを花で飾られた電車が通ったことだ。起源2600年祭である。しかしそれは本当の記憶なのか、あとで人から聞いた話を記憶と勘違いしているだけなのかは定かでない。
戦争中は、東京では各家の前に、セメントで作った防火用水の桶があった。そしてそこはボウフラのの発生源だった。その防火用水の脇で隣の男の子に、
「僕、来年は1年生になるんだ」
と、幾らか誇らしげに言ったのは、確かな記憶である。そのころになると、断片的な記憶が幾つかある。もはや本物の昔だ。
中原中也の詩『頑是ない歌』の第1聯を引用する。
思えば遠くへ来たもんだ
12の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
本当に、思えば遠くへ来たもんだ。
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